第202話 事件の後遺症

 結局エミリエンヌは、リタと約束していたスイーツの店に行くことができなかった。

 何故なら、その後駆けつけた警邏に事情を訊かれているうちに、夕方になっていたからだ。

 もちろんリタには伝言を届けていたので、店で待ちぼうけになることはなかった。

 しかし、せっかく楽しみにしていたケーキ食べ放題を邪魔された彼女は、野盗集団に対して怒り心頭だったという。


 ちなみに捕縛された野盗集団だが、金髪の騎士に殺されたかしら以外の10人は全員死罪――縛り首が言い渡された。

 もちろんそれは侯爵家の令嬢を襲うという重罪を犯したためだが、どうやらその他にも多数の被害届が出されていたらしい。


 そんなわけで、図らずも一つの野盗集団を壊滅させた結果になった今回の事件だが、その一方でわからないことも多かった。

 もちろんエミリエンヌ自身は何もやましいことがないために、全てをつまびらかに話した。

 しかし野党集団を全滅させたうえに、エミリエンヌ以下お付きの者三名の窮地まで救った騎士の正体は、最後までわからないままだった。


 もちろん主だった貴族家に対して虱潰しらみつぶしに問い合わせれば、彼らの正体もわかるかもしれない。

 しかしそのままでも事後処理には影響がなかったため、結局調べずに終わってしまった。

 実際には、その調査を警邏が面倒臭がったのが大きかったのだが。



 警邏事務所での事情聴取が終わると、両親と一緒にエミリエンヌは馬車で首都屋敷へ向かった。

 車窓から見える街の景色を眺める彼女は終始無言のままで、オスカルやシャルロッテがいくら話しかけてもまるで上の空だ。

 そんなエミリエンヌとは最早もはや会話が成立していなかった。


 あきらかにおかしいその様子は、野盗に襲われたショックなのだと両親は思っていた。

 いくら大人びて見えようとも、所詮エミリエンヌは15歳になったばかりの若い娘でしかなかったし、荒事とは縁遠い貴族令嬢が頭から返り血を浴びてしまえば、ショックでおかしくなっても仕方がなかった。

 なにより事件からは、未だ数時間しか経っていなかったのだから。



 一刻も早くこの事件を忘れるために、今はゆっくりと休ませてあげたい。

 そう思った両親は、エミリエンヌに縁談の話をすることはなかった。

 彼女が落ち着いた頃に、改めてその話を切り出せばいいだろうと思ったようだ。


 しかしそんな両親の想いを余所よそに、エミリエンヌは全く別のことで頭が一杯だった。

 事情聴取に応じている間も、何度も何度も、まるで迷路の中で同じ場所をぐるぐる回っているかのようにずっと同じことを考えていたのだ。

 

 もちろんそれは、あの金髪の騎士のことだった。

 将来出会うであろう大切な人のために、後生大事にとってきた神聖なもの――乙女のファーストキスを奪った男。

 力強くて大きくて、だけど優しくて柔らかい男。

 昼間から酒臭いうえに、彼が男であることを思い知らせるような強い汗の匂い。


 その全てが、まるでつい先ほどの出来事のように何度も脳裏に蘇ってくると、未だ火照りが残る唇にその感触が思い出される。

 そしてエミリエンヌは、顔を真っ赤に染めてしまうのだった。

 

 車窓から外を眺めていたかと思えば、突然顔を覆って俯いてしまうエミリエンヌ。

 そんな娘に、オスカルもシャルロッテも心配そうな顔をするばかりだった。




 ――――




「お前はまた、そんな格好で……はぁ……」


 ラングロワ侯爵夫妻が首都屋敷に戻ってくると、彼らの息子がリビングのソファで眠っていた。

 高価なソファが汚れることなど一切かまわず、土埃に塗れた薄汚れた格好でいびきをかいていたのだ。

 もちろんそれは、ハサール王国東部辺境候バティスト・ラングロワの嫡男にして、次期当主でもあるラインハルト・ラングロワその人だった。

 

 ムルシア侯爵夫妻へ就任の挨拶と今後の打ち合わせ、そして息子との縁談の話をするために領地から出てきたラングロア夫妻には、その息子も同行していた。

 もちろん彼は両親と一緒にいたかったわけではなく、実は別の目的があったのだ。


 用事がない限り、滅多に来ることのない首都アルガニル。

 世界中から集まる旨い酒と、首都在住の垢抜けた美しい女性と仲良くするのがラインハルトの目的だった。

 とは言え、両親と同じ馬車に乗るのが恥ずかしく、また父親に小言を言われるのを嫌った彼は、騎士の格好をして護衛として両親の馬車についていたのだ。


 5日間にも及ぶ旅程を終えて首都に到着した時には、土埃ですっかり真っ黒になっていた。

 しかしその汚れを落とす間もなく、仲の良い部下――お目付け役とも言う――二人を伴って酒場に直行したのだ。

 せめて着替えてからにすればいいのだろうが、とにかく酒に目がないラインハルトは、取る物も取り敢えず昼間から酒を飲み始めた。

 同時刻に両親が、自身の縁談の話を切り出しているなど想像だにせずに。


 酒場でたらふく酒を飲んだラインハルトは、そのまま娼婦街に繰り出そうとしたのだが、その途中で野盗に襲われたエミリエンヌ一向に出くわしてしまう。

 よせばいいのに顔を突っ込んだ彼は、酔い覚ましの運動がてら暴れまわったというわけだった。 

 その後の話はご存知の通りだ。




 親の苦労など露知らず、昼間から酒を飲み、屋敷のソファで眠り呆けるラインハルト。

 近寄るとほのかに女性用香水の香りがするところをみると、どうやら娼婦でも抱いてきたらしい。

 そんな息子の姿に、父親――バティストは、思わず大声を出してしまう。


「ラインハルト!! お前まだそんな格好をしてるのか!? せめて湯を使うとか髭を剃るとか、とにかくその薄汚れた格好を何とかしろ!!」


 その声を合図にしてのっそりと起き上ったラインハルトは、大きな欠伸あくびを隠そうともせずに父親を見た。


「へいへい……そりゃ失敬。 ――ときに親父殿。例の縁談話はどうなった? もちろんムルシア家で話してきたんだろ? まぁ、こんな俺が相手だから、あっさり断られたんだろうがな。それでも俺は一向にかまわんけど。はははっ!!」


「……なんてお気楽な奴だ、心底お前がうらやましいよ。いいか、聞いて驚け。なんと先方からお許しが出た」


「なにぃ!? マ、マジか!?」


「あぁ、本当だ。その代わり、一つ条件を出されてしまった」


「……条件? なんだ?」



 その言葉に、胡乱な顔を返すラインハルト。

 すると今度は母親――ユゲットが話を代わったのだが、その顔には満面の笑みが溢れていた。

 どうやら彼女は息子と話をするのが楽しいらしく、会話の内容如何にかかわらず常に笑顔で口を開くのだ。

 

「そう、条件よ。この話自体はムルシア家にも問題ないと仰っていただけたの。でもね、ラインハルト。あなたには先方のお嬢様――エミリエンヌ嬢の口から直接承諾を取り付けてほしいのですって」


「承諾を取り付ける……? なんだそれ? まさか、それって――」


「ラインハルト。なんとかして、エミリエンヌ嬢を口説き落としてくれないかしら。あなたこれまで市井の娘を散々口説いてきたでしょう? その成果をここで見せてほしいの。そうであれば、これまでの放蕩三昧も許して差し上げますわよ。うふふふ……」


 些か悪戯っぽい顔で、息子ににじり寄るユゲット。

 彼女がそんな顔をすると、ラインハルトによく似ていた。

 すると母親に向かって、再び彼が質問をする。


「……その娘って、あれだろ? 背が高くて乳もでかくて顔も美人だけど、手の付けられないじゃじゃ馬の跳ねっ返りだって噂の――」


「まぁ、そうね。でも、年始のパーティーで見かけたけれど、とっても綺麗なお嬢さんだったわよ? あなたの言う通りすらりと背が高かったし、顔なんてシャルロッテ様にそっくりなの。それこそ絶世の美女と言っても間違いないわ。それに――」


「……」


「すっごくおっぱい大きかったわよ? あなた、おっぱい大好きでしょ?」


「……いや、べつに嫌いじゃねぇけど……大事なのはそこか? そこなのか?」


「当たり前じゃない。おっぱいが大きいと色々とはかどるし、たくさん赤ちゃん産んでくれるわよ、きっと」


「そ、そうか」


「そうよ」


 如何にもしたり顔で頷く母親と、意味有りげな視線を投げてくる父親。

 その二人を眺めていたラインハルトは、ふと思い出したように呟いた。


「乳かぁ……乳なぁ……あぁそうだ。乳って言えばあの娘もデカかったなぁ。 ――美人だったし、勿体ねぇことしたかなぁ……」


「え?」


「な、なんでもねぇよ!!」




 ――――




「ねぇ、エミリー。あなた最近変よ? どうかした?」


 野盗襲撃事件から三日後。

 ムルシア家の面々が明日領都に帰るというタイミングで、再びリタとエミリエンヌは有名なスイーツの店を訪れていた。

 そこは市井の者たちに人気の店で、位の高い貴族たちもお忍びでやってくるほどの名店だ。


 その店にあるオープンカフェの一角を陣取ったリタとエミリエンヌは、やっとありついたケーキバイキングに舌鼓を打っていた。

 しかし、どうにもエミリエンヌの様子がいつもと違う。

 リタが何を話しても心ここに有らずといった様子で聞き流し、その返事も適当だったのだ。

 そんな彼女にリタが怪訝な顔をする。


「エミリー、もう一つケーキ食べる?」


「うん」


「エミリー、お茶のお代わりは?」


「うん」


「エミリー、おっぱい揉んでいい?」


「うん」


「……ええ加減にせぇよ、おまぁ」


「うん……」


「はぁ――」



 まさに「ダメだこいつ」と言わんばかりに大きなため息を吐いたリタは、エミリエンヌの背後に控える専属メイド――ナイナに目を向ける。

 リタと目が合ったナイナは、ピクリと小さく肩を震わせた。


「ねぇ、ナイナ。さっきからずっとエミリーの様子が変なんだけど。やっぱりこの前の事件の後遺症なのかしら? もしそうなら、今日はもう帰ったほうがいいんじゃない? 無理しない方がいいと思うわよ」


「えぇと……確かに事件のショックはまだ残っているとは思いますが、お嬢様のご様子がおかしいのはそれが原因ではないと思います」


 チラチラと主人の顔色を伺いながら、何やら話しづらそうに口を開く専属メイド。

 その彼女を手招きすると、リタはエミリエンヌから遠く離れた場所まで歩いていく。

 そしてナイナを追求し始めた。



「ここならエミリーに聞こえないから大丈夫。 ――何やら話しづらそうだけれど、何かあるのかしら? ここだけの話にしてあげるから、話してくださる?」


 決して守られることのない「ここだけの話」という殺し文句を掲げながら、リタがメイドに詰め寄った。

 それでも彼女は言葉を濁すだけで、決して真相を語ろうとしない。

 そんなナイナに、尚もリタが詰め寄る。


「ねぇ、お願いだから話してくださらない? 今はまだフレデリク様の婚約者でしかないけれど、数年後にはエミリーの義理の姉になるのよ? 決して他人じゃないんだから」

 

「そ、それは重々承知しておりますが……しかし……」 


 下手に出たリタが様子を見てみるが、それでもメイドは口を割ろうとしない。

 その様子にイラっとすると、突然リタは口調を変えた。



「十分おわかりだと思うけれど、いずれ私はムルシア家の若奥様になる身。あなたはその時も屋敷にいられるのかしら」


 何気に含みのある口調でリタが囁くと、見る見るうちにナイナの顔が引き攣っていく。

 その様子を見たリタは内心気の毒に思ったが、一切表情に出すことなく、今は情報を引き出すことを優先した。


「それで……どうしてエミリーがあんな状態なのか、説明してくださる?」

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