第201話 金髪の騎士と侯爵家令嬢

「この俺様が相手だ!! てめぇら全員かかってこいやぁ!! うおりゃぁ!!!!」


 エミリエンヌとお付きの者たちが周囲をぐるりと破落戸ごろつきどもに囲まれていると、突然そこに大きな声が響いた。

 全員が声のほうに視線を向けると、そこには一人の男が立っていた。


 鎧の上からでもわかるほどに鍛えられた体躯と、スラリとした長身。

 さらさらと風になびく長めの金髪と切れ長の青い瞳。

 それだけを見ると女性歌劇団に出てくる男役のようにも見えるのだが、全身から滲み出るワイルドさと薄汚さが、それとは決定的に異なっていた。


 まるで長旅から帰って来たばかりのように、その顔も髪も鎧も服もその全てが土埃で真っ黒だ。

 本来は色白だと思われるその顔も真っ黒に日焼けしており、さらに伸び放題の無精ひげがその顔を野性的に見せていた。


 身に纏う鎧を見る限り、恐らく何処かの貴族家に所属する騎士なのだろうが、鎧自体も酷く傷ついて汚れているため、所属を示す紋章もよく見えない。

 髭を剃り、髪と身なりを整えれば相当なイケメンだと思われるのだが、まるで気にする素振りを見せないところを見ると、そんなことには興味が無いのだろう。

 それどころか、その男自体を盗賊に見間違ってしまうほど、その言動は粗野だった。

 そんな男に向かって、破落戸ごろつきどもが叫ぶ。



「なんだぁ、てめぇ!! 邪魔すんのか、おぉ!?」


「お前、騎士か!? くっそぉ、こいつらを助けに来たのか!?」


「他にもいるんじゃないのか!?」


 男の着衣からすぐに騎士だとわかった破落戸ごろつきどもは、突然慌てたようにキョロキョロと周りを見回し始める。

 エミリエンヌを助けに来た騎士だと思ったのだろう。その男以外にも仲間がいないか確認しているようだった。

 するとそれが正解だったかのように、すぐ後ろから男たちが追い付いてきた。


「若!! もう少しゆっくり走ってくださいよ!!」


「あんたの体力は底なしか!? 鎧を着けているんだから、少しは手加減してくれよ!!」



 破落戸ごろつきたちの予感が当たったらしく、その男の背後からさらに二人の男が駆け込んでくる。

 そして「はぁはぁ」と肩で息をしながら文句を垂れていると、金髪男が怒鳴りつけた。


「なんだ、お前ら!! ここが戦場でもそんな体たらくなのか!? あぁ!?」


「若……あんた戦場になんて行ったことないでしょ? 魔獣と野盗を趣味で討伐しているだけのくせして……って、何だこりゃ!?」


 あとから駆け付けた男のうち、若い方が素っ頓狂な声を上げる。それから表情を一変させて、素早く周りに注意を向けた。

 一分の隙も見えないその姿は、荒事とは無縁のエミリエンヌにして、彼らが只者ではないことを窺わせるものだった。



 金髪の騎士が現れてから目標を変えたらしく、今や破落戸ごろつきたちは三人の騎士たちを取り囲みつつあった。

 10人からなる戦力で騎士たちを一網打尽にした後に、ゆっくりと女を嬲るつもりなのだろう。

 しかしそんな状況などまるでお構いなしに、騎士たちが雑談を始める。


「なんだぁ? ――誰か襲われてんのか?」


「……どうやら、そうみたいだな」


「おい、お前ら。ここは手出し無用だ。こんなハゲ野郎どもなんて、俺一人で十分だ」


「へいへい。それじゃあここは若にお任せしますよ。あっしは高みの見物と洒落込みましょうかね。精々酔い覚ましの運動をなさってください」


「同じく。こんなに急に走ったら、余計に酔いが回っちまうよ、まったく……」



 あとから加わった男二人も同じ鎧を身に着けているところをみると、同じ貴族家の騎士なのだろう。

 やはり同じように薄汚れているために、所属を示す左肩の紋章が読み取れない。

 それでもその平然とした態度と傷だらけの鎧を見る限り、彼らが相当実戦慣れしている様子が伝わってくる。

 

 抜刀した男たちに囲まれながらまるで緊張感を見せないでいると、痺れを切らした破落戸ごろつきの頭が怒鳴りつけた。


「なんだてめぇら!! この貴族娘を助けに来たのか!?」


「あぁ? 貴族娘だぁ……? お前、何を言って――あぁ、ほんとだな。綺麗どころを発見」


 まるで今気づきましたと言わんばかりに、金髪の騎士が言葉を漏らす。

 するとその態度にイラついたのか、尚も破落戸ごろつきが大声を出した。



「ち、違うのか!? てっきりこいつらの仲間だとばかり――それじゃあお前、何しに来やがった!?」


「あぁ!? そんなの決まってんじゃねえか。お前らをぶっ倒しに来たんだよ!! たかが野盗風情がイキってんじゃねぇよ、このハゲがぁ!!」


 何処かで聞いたような啖呵を切った金髪の騎士が、その言葉と共に剣を抜く。しかしそれにはさやが付いたままだった。

 そんな彼が勢いよく叫ぶ。


「かかってこいや、おらぁ!!!!」



 その叫びを合図にして、一斉に男たちが襲いかかる。

 すでに真横まで囲まれてしまっていた金髪の男だが、真正面の男に狙いを定めるとそのまま一直線に走り抜けた。


「うらぁぁぁ!!」


 鞘が付いたままの両刃の剣を、縦横無尽に振り回す金髪の騎士。

 一見滅茶苦茶に振り回しているようにも見えるが実はそうではないらしく、彼が剣を振る度にバタバタと破落戸ごろつきたちが倒れていく。


 ある者は腕を砕かれ、ある者は脚をへし折られ、そしてある者は額を割られる。

 その様子を見たエミリエンヌの護衛騎士が思わず呟いた。


「す、凄い!! 一見大雑把に見えて、その実まるで無駄のない動き。あれは相当な数の実戦を潜り抜けていなければできない動きだ」


 己の立場も忘れて感嘆の言葉を吐く護衛騎士に対して、何がどう凄いのかさっぱりわからないエミリエンヌではあったが、そんな彼女にもはっきりとわかることがある。

 それは、目の前で大立ち回りを演じている男がとてつもなく強いということだ。


 野盗集団とて決して弱いとは思えない。

 手にする得物はどれも手入れが行き届いているし、武器を振るう動きにもそれなりにキレがある。

 なにより相手を殺めることに全く躊躇のない姿は、どう見ても人を殺し慣れているとしか思えなかった。



 そんな10人を超える男たちに対して、鞘の付いたままの剣を振り回すたった一人の男。

 仲間と思しき二人の騎士は、高見の見物を決め込んでいるだけで全く助けに入る気配を見せない。

 それを尻目に、尚も金髪の騎士は叫び続ける。


「おらおらおらぁー!! それで終わりかぁ!! 何奴どいつ此奴こいつも骨のねぇ奴らばかりだなぁ!! わははははは!!!!」


「くそぉー!! なんだこいつ!? めっちゃ強ぇぇぇぇぇ!!」


「うわははははは!!!!」



 容赦なく斬り付けてくる男たちを剣のさやで殴り倒しながら、大声で笑い続ける金髪の騎士。

 ぽかんと口を開けたまま、その光景を眺めているエミリエンヌ以下ムルシア家の面々。

 そして、握り拳を空に掲げながら仲間の奮闘に声援を送る二人の騎士たち。

 このままいけば、野盗集団が全滅するのも時間の問題に見えた。


 そんな中、突然エミリエンヌに走り寄った野盗のかしらが大声で叫んだ。


「そ、そこまでだ!! おい、てめぇ剣を捨てろ!! この女がどうなってもいいのか!?」


「きゃー!!」


「お嬢様!!」


 薄汚れた男の手で、乱暴に引き寄せられるエミリエンヌ。

 専属の護衛騎士が別の野盗と斬り結んでいるうちに、いつの間にか彼女は野盗の頭に捕まっていたのだ。

 そして首には、怪しく光る剣が突きつけられていた。


 しかし男が尚も警告を発しようとするうちに、瞬く間に金髪の騎士が走り寄ってくる。

 その行動はあまりに予想の斜め上だった。

 この状況で人質が取られたのであれば、普通は剣を捨てるか、交渉を試みるか、見捨てるか、このいずれかを選ぶだろう。

 しかしこの男は、そのどれも選ばずに、一切の躊躇なく真っ直ぐに突っ込んできたのだ。


 瞬間、野盗は迷った。

 このまま人質を取り続けるべきか、放して相手と斬り結ぶべきか。そのどちらを選べばこの状況を打開できるのか。

 しかしその一瞬の迷いが致命的だった。

 気づけば彼は、抜き放たれた両刃の剣でその胸を貫かれていたのだった。




 盛大に血しぶきを上げながら、倒れていく野盗のかしら

 その血を全身に浴びたエミリエンヌは、たまらず悲鳴を上げた。


「いやぁー!!!!」


 顔を濡らす生暖かい血しぶき。

 無意識にそれを拭うと、掌が真っ赤に染まった。

 焦点の定まらない瞳でそれを見つめた彼女が再び悲鳴を上げると、今度はパニックを起こして暴れ始める。


「きゃー!! いやぁー!!!!」


 その瞬間、エミリエンヌは何か大きなものに包まれた。

 強い力で引き寄せられたかと思うと、その視界いっぱいに薄汚れた鎧姿が広がったのだ。


 それは金髪の騎士だった。

 倒れる野盗の姿を見せないように盾になると、大きな身体でエミリエンヌを抱きしめていたのだ。

 そして耳元で囁く。


「よしよしよし……怖かったよな? あぁ、わかるよ、とっても怖かったな。 ――でももう大丈夫だ。悪いヤツは俺がやっつけてやったからな」


「いあぁ!! あぁー!! あぁ……」


「よーし、落ち着け……そうだ、大きく息を吸え。よしよし……いい子だ」


 直前までと打って変わって、どこか優しく温かい声音。

 その声を聞いたエミリエンヌが次第に落ち着きを取り戻していくと、その肩を抱いたまま金髪の騎士が御者に向かって大声で叫んだ。

 

「おい、あんた!! すぐに警邏を呼べ!! 手の空いている者は、こいつらを捕縛しろ!! 急げ!!」


「は、はいっ!!」


 その声を合図にして専属騎士とメイドと馬車の御者が動き始めると、やっと金髪の騎士がエミリエンヌから離れた。

 ふわりと遠ざかる汗と酒の匂い。

 冷静に考えれば決してそれはいい匂いとは言えないのだが、何故かそれが遠ざかるのを名残惜しく思ってしまうエミリエンヌだった。




 暫く後、やっと落ち着いたエミリエンヌはテキパキと指示を出す金髪の騎士に声をかけた。

 未だその顔には野盗の返り血を浴びたままだった。


「さ、さっきは、助けてくれてありがとう……」


「おう、もう大丈夫なのか? 言っとくけどよ、礼はいらねぇからな。 ――まぁ、助けたっつーか……野盗退治のついでだ。気にすんな」


 そう言うとその男は、鎧の隙間から何かを取り出して無造作にエミリエンヌの顔を拭い始める。


 それは一枚のハンカチだった。

 手の込んだ美しい刺繍があしらわれた真っ白なもので、およそその男のイメージに合わないものだ。

 みるみるうちに真っ赤に染まっていく真っ白なハンカチ。

 慌ててそれを奪い取ったエミリエンヌは慌てたように叫んだ。


「だ、大丈夫です!! 自分で拭けます!!」


「せっかくの綺麗な顔が台無しだろ。それはやるから、ちゃんと拭いておけ。 ――もう大丈夫だろう、俺は行くから。じゃあな」


 片方の口角だけを上げた皮肉そうな表情のままそう告げると、くるりと背中を向けて歩き出そうとする。

 すると再び慌てたように、エミリエンヌが声をかけた。

 


「ま、待って!! と、とにかくお礼を!! わたくしは――」


「おっと、名を名乗るのはなしにしようぜ。知ってしまえば言葉も態度も変えなきゃならん。それは面倒だ」


「で、でも……せめてお礼くらいは――」


「礼か? さっきも言ったが、そんなものいらん」


 エミリエンヌが名を名乗ろうとすると、男はそれを遮った。

 そして片眉だけを上げた特徴的な顔で振り向くと、口元に笑みを作りながら答える。

 土埃にまみれたぼさぼさの頭と無精ひげの目立つ顔も相まって、まるでその姿は戦場帰りの兵士のようだった。

 男がエミリエンヌを振り返っていると、その背に仲間たちが声をかけてくる。


「若!! もうすぐ警邏がやってくる。そうのんびりもしてられませんって。面倒になる前に、この辺でずらかりましょうや」


「そうだな。もう行かないと」


 仲間に声をかけられた金髪の騎士は、少しだけ煩そうな顔をする。

 しかしそれも一瞬で、すぐに従前の顔に戻るとエミリエンヌを見つめたまま答えを返した。


「あぁ、わかった。ちょっと待っててくれ、すぐに行く。 ――おい、あんた。いま礼がしたいって言ったな?」


「えっ……? あ、はい。何かわたくしにできることがあれば、遠慮なく仰って――」 


「ふぅん……そうだな……よし、気が変わった。やっぱり礼をもらうことにしよう――」


 前触れなくエミリエンヌの背中に腕を回した男は、そのまま無遠慮に顔を近づけた。

 そしてその唇を彼女のそれに重ねたのだった。



 それは軽く触れるだけの、まるで挨拶のようなキスだった。

 ほんの一瞬だけ互いの唇の温もりが伝わるような簡単なもので、いやらしさなど欠片も感じられない。


 突然の出来事に身動き一つできずにいるエミリエンヌと、まるで悪戯少年のような顔で離れていく金髪の騎士。

 そして慌てたように駆け寄ってくる専属メイド。


「お、お嬢様になにをなさるのです!? い、いくら命の恩人だからって、狼藉は許しませんよ!!」


「おっと、これは失礼。あまりにこのお嬢さんが美しかったものだから、つい。 ――それじゃ、お前の礼とやらはしかと受け取った!! じゃあな!!」




 その言葉を最後にして、足早に遠ざかる金髪の騎士。

 そして道端で待っていた仲間二人と合流すると、そのまま馬に跨って走り去っていく。

 去り際に三人の会話が小さく聞こえてきた。


「若!! 市井の娘じゃあるまいし、あんな令嬢に手なんか出したら、まじヤバいですって!! 面倒事は勘弁してくださいよ!!」


「貴族の娘だけには手を出すなって、いつも言ってるだろ!! 火遊びもいい加減にしないと、そのうち刺されるぞ!!」


「いやぁ、あの娘、超絶美人だったなぁ!! 乳もデカかったしな!! ――くっそぉ、勿体ねぇ!! こんな出会いじゃなければ、口説き落としてやったのによぉ!!」


「あははははは!! そんなこと言って、いっつも振られてばっかじゃないすか」


「違いねぇ!!」


「はははははは!!」



 遠ざかっていく騎士の会話を聞きながら、立ちすくむエミリエンヌ。

 未だ小さく震える右手は、初めて他人に触れられた自身の唇を無意識になぞっていた。

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