第200話 薄汚れた騎士

 突如持ち上がった縁談の申し出。

 その唐突さゆえに少々戸惑いはあったものの、両家の立場や身分、そして周辺貴族家や王国に対する影響など諸々の事情を考慮した場合、ムルシア家としてはこの申し出に否やはなかった。


 貴族間における政略結婚が当たり前のこの時代において、そこに当事者の同意を求めるなど聞いたことがない。

 特に一国の東西辺境候家同士の縁談であれば、ことは軍事、国防にまで影響が及ぶのだから、ここに個人の感情を差し挟むのはあまりにナンセンスだ。

 常識的に言って、ここは親同士の合意のみを以て縁談を成立させるのが普通だろう。


 それをシャルロッテは「嫁に欲しければ、娘を口説き落としてみせろ」と言い放ったのだ。

 その言葉にラングロワ家夫妻は愕然とした。

 何故なら、ムルシア家の令嬢――エミリエンヌの人となりは噂で聞いてよく知っていたからだ。


 父親譲りの背の高さと母親譲りの超絶的美貌――それらは彼らもよく知っていた。

 しかしエミリエンヌの特徴は、その顔の美しさだけではなかったのだ。

 今年成人を迎えたばかりの15歳とは思えない、まさに「ボン、キュッ、ボン」と三拍子沿った抜群のスタイルは、多くの男たちの目を惹きつけるものだった。

 

 しかし今回問題になるのはその容姿ではなく、「脳筋ゴリラ」と揶揄される父親をしてタジタジにさせるその気の強さだった。

 西部辺境候である夫を尻に敷くシャルロッテの押しの強さも相当なものだが、話によればエミリエンヌのそれもかなりのものだと聞く。


 さらに、生まれついての侯爵家令嬢である彼女は、その気位の高さも有名だ。

 それが辺境侯爵家の娘という抜群の看板を背負いながらも、未だに婚約者が決まらない原因にもなっていたのだ。

 その彼女を口説き落として見せろとは、これまた無理難題を……


 あまりと言えばあまりの条件に、ラングロワ夫妻も口ごもってしまう。

 しかし自分から持ち掛けた話である以上、その条件は飲まざるを得ず、バティストもユゲットも渋々ながら了承した。

 その脳裏には「あのラインハルトなら、なんとかしてくれるだろう」といった、まるで根拠のない希望的観測があったのだが。


 


 近いうちに若い二人を引き合わせる約束を取り付けると、丁重に礼を述べながらラングロワ夫妻が去っていく。

 その二人の背中を見つめながら、不意にオスカルが口を開いた。


「なぁ、あれでよかったのか? ――いや、べつにお前のやり方に文句を言うつもりはないのだが……」


「当主であるあなたを差し置いて、勝手に話を進めたことはお詫びします」


「それはべつにかまわんが……しかしこの縁談は良縁だと思うぞ。なにも条件など付けぬでも……」


「それはわたくしも認めます。互いの立場と身分を考えた場合、これほどのご縁はないでしょう。 ――しかしわたくしは、あの子をただの政略結婚の道具にはしたくないのです」


 そう言うとシャルロッテは、何処か遠くを見るような目をした。

 そのアーモンド形の黒い瞳に何が映っているのだろうか。

 気になったオスカルがその顔を覗き込むと、彼女はふわりと優しげな笑みを見せた。


「……憶えていらっしゃいますか? あなたがわたくしに求婚した時のことを」


「あぁ……はっきり憶えてる。お前を振り向かせるために、何度も屋敷へ通ったものだ」


「ふふふ、そうですわね。 ――今だから申しますけれど、あなたの第一印象は最悪でしたのよ。ここで詳しくは申しませぬが」


 夫を流し見たシャルロッテが悪戯っぽい笑みを浮かべると、釣られてオスカルも微笑んだ。


「ふはははっ、こりゃ手厳しいな。ちなみにお前の第一印象は最高だったぞ。これほど美しい女が、本当にこの世にいるのかと衝撃を受けたほどにな。そう思ったら、俄然自分のものにしたくなったのだ」


「そうですわね。それからのあなたの攻勢は、それはもう凄いものでしたわ。何かと理由をつけては屋敷に通い詰め、結婚してくれと叫んで。一種の風物詩のようでしたもの」


「……必死だったんだ。お前を誰にもとられたくない、その一心だったんだ。 ――ふはははっ、まぁ要するに若かったのだろうなぁ」


 遠い昔を思い出すように、何処か遠い目をするオスカル。

 その彼の腕に手を回すと、シャルロッテはその体重を預けた。




「泥だらけ、傷だらけの甲冑姿のまま、あなたが屋敷を訪れた時のこと……憶えていまして?」


「……あぁ、あれは確か、長期の演習帰りだったな。お前に会いたい一心で、その格好のまま駆けつけたんだったな」


「ふふふ、そうでしたわね。 ――髪はぼさぼさ、髭は伸び放題、全身泥だらけのうえにしばらく湯を使っていなかったものだから、少々臭いましたのよ?」


「面目ない。不快にさせたな」


「その格好のまま、懐から小さな花を取り出して――あれは何回目でしたかしら。『結婚してくれ』とまるで懲りずに繰り返して。 ……思えばあの時にわたくしの心は決まったのでしょう。 ――この方であれば、一生を共にしてもいいと」


「そうか、それが決め手だったか。ではせめて、風呂に入ってから行けばよかったな。ふはははっ」


 決して家族以外には見せない心からの笑みを見せるシャルロッテと、愉快そうに笑うオスカル。

 まさに美女と野獣を地で行くこの夫婦の仲は、結婚20年を迎えた今も昔と何も変わらない。



 それから一頻ひとしきり二人で笑っていると、不意にぽつりとシャルロッテが呟いた。


「だからなのです。わたくしはあなたを愛したから結婚しました。公爵家の令嬢だったわたくしが、いくら辺境候と言えど格下の侯爵家に嫁ぐなど考えられませんでしたのよ。それなのに――最後にはあなたの想いにほだされたです。 ――なればこそ、エミリエンヌには本当に愛する殿方と添い遂げてほしい。 ……その想いは親のエゴなのでしょうか?」


「シャルロッテ……」


「いまわたくしは幸せです。愛する殿方と結婚し、可愛い子供たちに囲まれて、これ以上は望むべくもないでしょう。 ――政略結婚が当たり前のこの世で、このような想いは幻想と言われてしまいます。しかし母親として、娘には幸せになってほしい。 ――あの子が自ら好いた殿方と添い遂げられるのであれば、少なくともそこに後悔はないでしょう」


「……そうだな。」


 メイドも騎士も、そして執事までもが出払った応接室の中で、昔を思い出しながら、二人はいつまでも寄り添い続けるのだった。




 ――――




「もうっ!! どうしてこんな時に故障するのよ!! 間が悪いわねっ!!」


 ムルシア家とラングロワ家が首都屋敷で打ち合わせをしていたその時、ムルシア家令嬢エミリエンヌが地団駄を踏みながら毒づいていた。

 その視線の先にあるのが車軸の折れた馬車であるところみると、どうやら彼女の乗ってきた馬車が故障したらしい。


 場所は首都の外れにある低所得者の小屋が連なる一角で、そこは所謂いわゆるスラム街だ。

 路上で毒を吐くエミリエンヌとそれをなだめるお付きのメイド、そして周囲に視線を走らせる護衛騎士が一名と平謝りし続ける御者。

 この四名がスラム街のど真ん中で立ち往生していた。


 侯爵家令嬢である彼女が何故こんなところにいるのかと言えば、それは近道をしたためだった。

 国王に呼び出された両親と一緒に領都から出てきた彼女は、美味しいと評判のスイーツを堪能するために、兄の婚約者――リタ・レンテリアと店で待ち合わせをしていたのだ。


 時間に遅れそうになったエミリエンヌは、近道をするためにスラム街を通り抜けようとしたのだが、そのど真ん中で、突然馬車の車軸が折れた。

 今は騎士の一名が代えの馬車を呼びに行ったのを待っているところだ。

 そんなエミリエンヌが、残った騎士を指で指した。



「あぁ、もう間に合わない!! ――ねぇ、あなた。リタに遅れるって言ってきてくれる!? 時間に正確なあの子のことだから、きっともう待っているわ」


「お嬢様。お言葉ですがそれは出来かねます。護衛一名が馬車を呼びに行っている今、残っているのは私一人です。ここで私まで欠けるわけにはまいりません」


「ぐぬぬぬ……しょ、しょうがないわね!! それじゃあ歩くわ!! お店まであと少しなんだから、ここで待っているより歩いたほうが早いんじゃないの?」


「いくら近いと言っても、歩けば一時間以上はかかります。そのお召し物では、10分と歩けないでしょう。それにここに馬車を捨てていくならば、代わりに誰かを残さなければなりません。それはあまりに危険かと。 ――代えの馬車が到着するまで、このままここに留まるべきです」


 残った護衛騎士が必死に説得すると、渋々エミリエンヌは従うことにした。

 しかしその顔には不満が有り有りと見て取れる。

 確かに彼の言うことはもっともなのだが、このままここに留まるのも十分危険なのではないだろうか。



 何気にエミリエンヌがそう思っていると、まるでその思いを見透かされたかのように周囲から人が集まってくる。

 その殆どは滅多に見ることのない貴族令嬢の姿を物珍しげに遠巻きに眺める者ばかりだったが、中には無遠慮に近づいて来ようとする者もいる。

 そんな不埒者を騎士が牽制していると、矢庭に背後から声をかけられてしまう。


「おぉ、これはこれはお貴族様ではないですか。どうされましたか? お困りのようですが」


 まるで心の内の悪意が滲み出るような声。

 全員がその出元を向くと、まさに絵に描いたような破落戸ごろつきの集団が小屋から出てきていた。

 髪はぼさぼさ、無精ひげも目立ち、一体いつ洗ったのかわからないくらい汚れた服をだらしなく着崩した姿は、およそまともな連中には見えない。


 見たところ10人はいるだろうか。

 今はまだ全員が素手だが、その腰に下げられた棒状のものは、間違いなく剣だろう。

 下手に刺激をすれば一斉に斬りかかってくるかもしれず、もしそうなってしまえば、自分一人だけではエミリエンヌを守り切れない。


 そう思った騎士は、身を挺してエミリエンヌの前に立ちはだかる。



「さ、下がれ!! 近寄るな!! お前たちの住処を邪魔したのは謝る。なんなら後から迷惑料を支払ってもかまわぬ!! だから下がれ、このお方に近づいてはならぬ!!」


「なんだよ、おめぇ。お前たちの方から勝手に入ってきたんじゃねぇか。邪魔者は排除する。それは俺たちの正当な権利だぜぇ……へへへ」


 まるで舌なめずりするように、涎をすする男たち。

 その全員が騎士の背後に佇むエミリエンヌの肢体を見ていた。


 今年15歳になったばかりだが、父親譲りの背の高さのために一見20歳はたち過ぎにも見えるエミリエンヌ。

 確かに近くで見ると、やはり年齢相応のあどけなさは残っているのだが、今は余所よそ行きの化粧をしているため、余計にその見た目年齢は高く見える。


 さらに母親譲りの自慢の胸はこれ見よがしに自己主張しており、健康な男子であれば誰であってもその大きさに目を奪われるほどだ。

 そんな絶世の美少女が恐怖に顔を引き攣らせていれば、彼らのような男たちが嗜虐心を刺激されるのも無理はなかった。


 そんな男たちが、騎士の警告にも従わずに、その包囲の輪を狭めてくる。



「へへへ……何処の誰かは知らねぇが、お貴族様のお嬢様とは恐れ入る。しかもこれだけの上玉なんぞ、そうそういるもんじゃねぇ」


「なっ……!! さ、下がれ!! それ以上近づくな!!」


「いぇへへへへ……その綺麗な顔を歪ませてやるよ。俺のコレでなっ!!」


 そういうと破落戸ごろつきの頭らしき男が、突如いきり立ったものを見せつける。

 その臭いそうなほどグロテスクな見た目に、エミリエンヌはもとより専属メイドまで悲鳴を上げそうになった。


「いやぁ!!」


「あ、あんたたち!! こ、こんなことをしてただで済むと思うの!? ぜ、全員縛り首にしてやるんだから!!」


 恐怖のあまり腰が抜けそうになっているメイドを支えながら、気丈にもエミリエンヌが叫んだ。

 この状況にもかかわらず、その勇気と声の大きさは称賛されるべきものだが、残念ながらそれは相手に届いていなかった。 


「でへへへへ……綺麗な顔して威勢がいいねぇ。強い女は嫌いじゃないぜぇ……うひひひっ。おい、おめぇら、このお嬢には手を出すな。俺の獲物だ。 ――その代わり、そのメイドは好きにしていいぞ」


「ひぃっ!!」


「いひゃー!! 女なんて久しぶりだぁ!! たっぷり可愛がってやるぜぇ!! それで男どもはどうする!?」


「いらん、殺せ」


「アイアイサー!! うひゃひゃひゃ、さぁ、やってやるぜぇ!! あひゃひゃひゃ――」 



 その声を合図にして、全員が剣を抜き放った。

 見るからに粗末な服装に反して、その得物は中々に立派なものだ。

 きちんと手入れされたその剣は、普段彼らが盗賊集団として活動していることを証明していた。

 命を懸けて仕事をする者は、命を預ける武器の手入れは欠かさない。

 つまりはそういうことだった。

 


 脚を震わせながら、それでも気丈に振る舞うエミリエンヌと、それにしがみつく専属メイド。

 そして武者震いをしながらその前に立つ護衛騎士が一名と、その背後でうずくまる老年の馬車の御者。


 もしもこのまま戦闘が始まれば、瞬く間にやられるのは目に見えている。

 エミリエンヌは拉致されて暴虐の限りを尽くされた挙句に殺されて、メイドに至っては10人からなる男たちに犯され続ける最中に、その命は尽きるだろう。


 まさに絶望的な状況に、その場の全員が諦めかけたその時、突然大声が響き渡った。



「おうおう!! ずいぶん威勢のいい御仁たちだなぁ、おい!! 領地の夜盗どもをやっと根絶やしにしたと思ったら、こんなところにまだたくさん残っていたじゃねぇか!! こりゃあ、いい暇つぶしになるぜ!!」


 突如響き渡る大声。

 その声に全員が振り向くと、そこに一人の男が立っていた。


 風になびく輝くような金髪に、まるで透き通るような青色の切れ長の瞳。

 すっと鼻筋が通る整った顔はまるで絵に描いたようなイケメンで、若い女子が見れば黄色い悲鳴を上げそうなほどセクシーだ。

 180センチはあるだろうすらりとした長身に、服の上からでもわかる鍛え抜かれた体躯。

 

 しかしその素材の良さを全く無視したように薄汚く無精ひげを生やし、髪はぼさぼさ、まるで旅の途中のように砂埃で全身真っ黒だ。

 そのうえ、全身に纏う騎士の鎧も同様に埃まみれだった。


 一言でいえばそんな「薄汚れた」格好の一人の騎士が突然現れたかと思うと、その整った顔に皮肉そうな笑みを湛えながら眺めていたのだ。

 そして一言叫んだ。


「この俺様が相手だ!! てめぇら全員かかってこいやぁ!! うおりゃぁ!!!!」


 あまりと言えばあまりに唐突な男の登場に、その場の全員が固まっていたのだった。

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