第196話 カルデイアの事情

 モンタネル大陸の南西部にあるカルデイア大公国。

 その国は北東部をハサール王国に、東部をファルハーレン公国に、そして南東部はブルゴー王国に国境を接しているのだが、それらの国との国交は途絶えて久しい。


 約10年前に勃発し、瞬く間に終結した「第八次ハサール・カルデイア戦役」において歴史的大敗を喫したカルデイアは、敗戦国にし掛かる巨額の賠償金と戦後処理費用の支払いのために国が傾いてしまった。

 現在もその支払いは終わっておらず、とっくに破綻した国内経済の立て直しすら見通しは立っていない。


 一方のブルゴー王国との間には、長らく目立った諍いはなかった。

 しかし今から約35年前に勃発したブルゴー王国と魔国との戦争において、当時血縁同盟関係だったにもかかわらず、カルデイアはブルゴーの救援要請を無視したのだ。

 それ以来両国の関係は冷え切ったままになっている。


 そんなカルデイア大公国は、今から10年前にブルゴー王国で起こった「セブリアン第一王子失脚事件」の黒幕として真っ先に疑われてしまった。

 それに対して一貫して不関与を表明し続けてきたのだが、現在でもその疑惑は晴れておらず、未だに両国には深い溝が横たわったままだ。

 

 そのような事情もあり、今や瀕死の状態に陥っているカルデイア大公国でありながら、どこの近隣国にも支援を求められなかった。

 そして孤立したまま、ゆっくりと死に向かいつつある。


 そんな国家の存亡がかかった大事な時期に、突然国家元首の交代が内示されたのだった。

 



「あのセブリアンが生きていただと!? そんな話は聞いていない!!」


「一体どういうつもりだ!! セブリアンと言えば、あの『いわく付き』だろう!? そんなものを大公に据えたりなんかしてみろ!! 早晩ブルゴーが介入してくるぞ!!」


「そんなことはどうでもいい!! とにかく我々の計画が台無しなのだ!! 陛下に実子がいた以上、全てが頓挫だ!! おのれぇ――」


 水面下にそんな声が響く中、現大公オイゲン・ライゼンハイマー自身の口から次の大公の名が告げられた。

 もちろんそれは、彼の唯一の実子にして最愛の実妹が残した一粒種――セブリアンの名だ。


 多くの大臣や重鎮が居並ぶ中で、オイゲン自身の口からその名が告げられたのは大きく、この国に全く地盤を持たないセブリアンのためにオイゲンは最大限助力しようとした。

 つまりその事実を多くの者たちに見せつけることによって、今回の大公の指名と交代はオイゲン自身の意思であると知らしめたのだ。

 今後誰からも文句を言わせないために。


 

 それでも異議は唱えられる。

 その出所はオイゲンの伯母方の親戚筋であるバッケスホーフ家からで、以前からセブリアンはその名を聞いていた。


 それは宰相のヒエロニムス・ヒューブナー公爵からの忠告だった。

 今回の件について真っ先に異議を申し立ててくるだろうと、事前に彼の口から言われていたのだ。

 そしてなんと言われようとも、決して折れてはいけないとも。


 主だった貴族家に大公交代が知らされた翌日、早速セブリアンに面会の申し入れがあった。

 予想通りそれはバッケスホーフ家からで、その申出人も現大公の伯母の娘――オイゲンの従妹からだ。

 その行動はとても素早く、まるでオイゲンの行動が筒抜けなのかと錯覚させるほどだった。

 

 セブリアンにとって、もちろんそれは織り込み済みだ。

 何故なら、今回の大公交代劇の最大にして最強の相手はまさにその家だったからだ。

 そんなオイゲンの従妹いとこが、王城の一室であるセブリアンの私室を早速尋ねて来たのだった。




「お初にお目にかかる。リカルダ殿――とお呼びすればよろしいか?」


「こちらこそ、初めてお目にかかります、セブリアン殿下。 ――はい、その呼び名で結構でございます」


 ニコニコと愛想の良い笑顔を浮かべながら、老年の女性が入ってくる。

 その名はリカルダ・バッケスホーフ。年齢は61歳。

 彼女は現大公オイゲンの父親の妹の娘、つまりセブリアンにとっては従叔母いとこおばに当たる人物だ。


 ここカルデイア大公国では、たとえ大公の血縁であっても女性に相続権はない。

 つまり実子であったとしても女性は大公になれないということだ。

 それではどうするのかと言えば、その女性に男児が生まれた場合にその子が将来大公になる。



 現大公オイゲンに実子はいない。

 その事実は広く知られた事実であり、それに疑問を持つ者はこれまでいなかった。

 しかしその認識が崩れたのが、10年前にブルゴー王国で起こった「セブリアン第一王子失脚事件」だった。


 この事件では、これまで第一王子だと思われていたセブリアンが、実は国王の血を引いていない事実が明るみに出た。

 それでは彼は何者なのか。

 その問いの答えは、彼の実母が残した手記に記されていた。


 それによると、セブリアンはカルデイア大公オイゲン・ライゼンハイマーと、その実妹じつまいでありブルゴー国王アレハンドロの正妃でもあるローザリンデとの間に生まれた不義の子であるらしい。


 その事実は、ブルゴー王国を驚愕と混乱の渦に巻き込んだ。

 それもそうだろう。

 これまで次代の王だと思われていた第一王子が、実は父王の血を引いておらず、その王位の継承権もなかったのだから。

 しかもその事実を、セブリアン本人のみならず彼の派閥に属する上位貴族家も承知していたのだというのだから、これまた驚きだった。


 結局彼はそれをもとに王位継承権を失うと同時に、直前に起こったハサール王国ムルシア侯爵暗殺事件の黒幕として捕縛されてしまう。

 そして彼の派閥に属する取り巻き貴族家の当主たちは、王位継承に関する重大な事実を隠蔽したとして国家反逆罪で死罪になり、領地は没収され、身分を剥奪された一族郎党は野に放たれたのだった。

 

 

 世を騒がせたこの事件は、もちろん隣国カルデイア大公国でも騒ぎになった。

 これまで世継ぎがいないと思われていた大公に、実は実子がいたことが判明したのだから。

 しかしその反応は両極端だった。


 ブルゴー王国において、幽閉されて死を待つだけのセブリアン。

 建国の父ライゼンハイマーの血を絶やしてはならぬとばかりに、その彼を救い出すべきだと主張する大公派に対し、実の兄妹間による穢れた血を忌避すべきだと強硬に主張するもう一方の勢力。

 この二派がぶつかり合ってるうちに、気付けばセブリアンは幽閉先から行方不明になってしまった。

 

 その後の彼の人生はご存じの通りだ。

 大公オイゲンの庇護のもとに、きたるべき時が来るまで10年もの長きに渡ってその存在を隠され続けたのだった。



 いまセブリアンの目の前にいる女性――リカルダ・バッケスホーフこそが、当時セブリアンを救い出すことに反対した勢力のトップだった。

 何故なら、このまま世継ぎがないままにオイゲンが退位すれば、次の大公の座は彼女の息子――ディーデリヒ・バッケスホーフに転がり込んでくるはずだったからだ。


 しかしそんな思惑も、突然の宣言により頓挫してしまう。

 これまでその存在すら忘れ去っていたオイゲンの実子――セブリアンが突然出て来たと思ったら、大公自身の口から次の大公として指名されてしまったのだから。


 もちろんおとなしく黙っているリカルダではなかった。

 大公自身が決定したことであるので今さら異議を唱えることもできないのだろうが、彼女としてはどうしても一言言いたかったらしい。

 そのために、今日ここに彼女が来ていたのだった。

 

 

「それで――我が従叔母いとこおば殿が俺に何の用だ? もしも次期大公指名の件であれば、言う相手が違うと思うが?」


 目の前で笑顔を振りまくリカルダに向かって、皮肉そうな表情を見せるセブリアン。

 その顔には、すでに次期大公としての貫禄が垣間見える。

 そんな彼に向かって、従叔母はまるで表情を変えなかった。


「いえ、そうではありません。わたくしはただ確認をするために参ったのです」


「確認……? なんだ?」


「えぇ。貴方様がオイゲン大公陛下の実子――実の息子であると聞き及びましたが、それは本当なのかと思いまして。万が一にも、他人の成りすましであれば大変なことになりますから」

 

「ふふん……。そんなことでわざわざご足労とは、痛み入る。だが、心配は無用だ。間違いなく俺は父――大公陛下の血を引いている。よもや嘘を語ったりもせぬ、安心されよ」


 まるで小馬鹿にするような表情を浮かべ、些かぞんざいな態度を見せるセブリアン。

 そんな彼にも笑顔を崩さないリカルダではあるが、微妙に口元が震えているのを見る限り、内心は穏やかではないらしい。

 それでも彼女は平静を装う。


「それではその根拠をお示しくださいませ。貴方様が大公陛下の血を引く事実をお見せいただけますか? そうでもなければ納得できませぬ」


「――何が納得できぬと?」


「はい。万が一にも大公陛下がお子を成さぬまま退位された場合を考えて、わたくしは我が息子にそれに相応しい教育を施して参ったのです。それであれば、突然現れた御仁に次期大公だと申されても、到底納得できかねます故」


「そんなものは貴女の勝手だ。俺が頼んだことではない。それに証拠を示せと申されても、母の手記はの国に置いてきてしまったゆえ、今さら取り戻すことも叶わん」


「そうであれば――」


「なにより陛下自らが俺を息子と認めているのだ。よもやその言に異議を唱えるおつもりか? 本当に陛下のことを想うのであれば、その御意志を尊重すべきだと思うが。如何いかがか?」


「なっ……」



 その返答に、リカルダは咄嗟に言葉が出て来ない。

 歳の割には若く見え、未だ美しいとさえ言える顔を遂に歪めてしまった。


 彼女とて、何の調査もせずにこの場を訪れたわけではない。

 セブリアンの出自や性格、そして為人ひととなりは彼女なりに調べ上げて来たのだ。

 しかしどうやら、今目の前にいる男とその認識は少々ずれているようだった。

 その事実に些か戸惑いながら、尚もリカルダは言い募る。


「しょ、承知いたしました。しかしそのうえでわたくしは危惧するのです」


「ほほう。その危惧とは? なんなりと申されよ」


「聞けば貴方様は、大公陛下とその妹君――ローザリンデ様との間に生まれた、言わば不義の子だとか。わたくしの認識が誤っていなければ、この国では実の兄妹による婚姻は認められていないはず。 ――言うなればそれは穢れた血とも言うべきかと」


「……」


「失礼を承知で申し上げるならば、そのような関係でお生まれになった貴方様に、民たちが理解を示すとは思えませぬ」


 如何にも「言ってやった」とばかりに、ニンマリとした笑みを浮かべるリカルダ。

 その彼女を見つめるセブリアンの顔からは今や表情は消えており、それを後ろから眺めていた宰相ヒューブナーは思わず間に入ろうとしてしまう。


 しかし彼が動く前に、再びセブリアンが口を開く。

 ヒューブナーの危惧に反して、その顔は落ち着いていた。




「ほほう。貴女の口から血の話が出るとは思わなかったな。 ――なれば問うが、この国の世襲において、一番重視される点はなにか?」


「……血――でしょうか。建国の父ライゼンハイマーの血を絶やしてはならぬ。それは昔から言われて――」


「であれば、再び問おう。俺と貴女の息子とでは、どちらがその血は濃いと思われる?」


「えっ……」


 まるで予期しないその問いに、思わずリカルダは言い淀んでしまう。

 そしてその答えを考えているうちに、先にセブリアンが口を開いた。


「ご存じのように、俺の父は現在の大公陛下だ。そして母はその妹君――ローザリンデ叔母だ。 ――いや、実の母なのだから叔母と言うのはおかしいか」


「あっ……!!」


「これで理解したか? 俺の父と母は両方ともライゼンハイマーの直系だ。言わば俺はサラブレットであり、貴女の息子のように他家の血で薄まったりしていない。 ――なれば再び問う。どちらの血のほうが濃いと思われる?」


「うっ……」


「そんなに納得できないと申されるのであれば、即位する前に俺を殺せ。さすれば貴女の大切な息子に、次の大公の座が転がり込んでくるだろう」



 思わずゾッとするような目で睨みつけるセブリアン。

 その顔を見たリカルダは、思わず腰を上げそうになってしまう。

 そんな彼女の様子を眺めながら、尚もセブリアンは話を続けた。


「ただし、ひとつ言っておく。もしも俺の暗殺に失敗してみろ。犯人を捜すことなくお前を捕縛してやる。そして壮絶な拷問を加えた後に、バッケスホーフ家の一族が皆殺しにされるのを見せてやるからな。 ――もちろんお前の可愛い息子が殺されるところもだ。覚悟しておけ」


 およそ冗談とは思えないその口調と、今にも睨み殺しそうなセブリアンの表情を見たリカルダは、恐ろしさのあまり今や何も言えなくなっていたのだった。

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