第190話 思わぬ落とし穴
ハサール国王ベルトランの求めに応じ、その日リタは王城へ足を運んでいた。
そのため今朝も早くから入念に化粧を施し、今やトレードマークにもなっているプラチナブロンドの縦ロールもいつもの二割増しだ。
しかし今日の訪問はあくまでも事件の顛末の説明のためなので、ドレスは柄の少ないシンプルなものにした。
相手が国王なので、万が一にも遅刻は許されない。
そのためかなり時間に余裕をもって訪れた彼女は、約束の時間までの約1時間、事前に通された控室で茶を飲み始める。
本日リタに同行しているのは、レンテリア伯爵家当主であり彼女の祖父でもあるセレスティノとその妻イサベルだ。
もちろんその他にも専属メイドや護衛騎士なども複数いるのだが、現在彼らは別室で控えている。
ちなみにリタの両親は屋敷で留守番だ。
今年15歳を迎えてすでに成人の儀も済ませたリタは、法的には一人前の大人として扱われる。そのため、今回両親の同行は認められなかった。
とは言え、危機意識が低いうえに楽観主義の彼らは、たとえ同席したとしても全く役に立たなかったのだろうが。
その代わり、先方からはレンテリア家当主夫妻も同席するように求められた。
それが意味するところは、これから行われる話の内容によっては、レンテリア家としての判断が必要になるということなのだろう。
その意図を汲んだセレスティノは、年齢の割に若く見えるその端正な顔を強張らせてしまう。
誰に対しても柔らかく穏やかな彼は、その人柄を表すように普段から微笑を絶やさない。しかしさすがにこの期に及んでは、緊張を隠せないらしい。
そして妻イサベルの表情も同様に硬かった。
対象的に、当のリタ本人は至って呑気なものだ。
そのマイペースぶりは、出された茶を優雅な所作で一口啜りながら「あら美味しい」と目を輝かせるほどで、その顔にはまるで緊張が見られない。
祖父母ともに昔から妙に肝の据わった少女だと思っていたが、場合によってはこれから国王自身に詰問されるやも知れぬこの状況で、よくもまぁ平静でいられるものだと本気で感心していた。
そんな孫娘を頼もしさ半分、憂い半分で祖父母が見つめていると、遂に呼び出しに声をかけられたのだった。
呼び出しの後をついて行くと、通常の謁見の間ではなく中規模な会議室のような部屋に通された。
案内された席に向かって歩きながらぐるりと周りを見渡すと、そこにはすでに見知った顔が席に着いていた。
まず一番先に目に入ったのは、
目が合った瞬間に不快感を露わにするベネデット。
その彼に向かって優雅な所作で会釈をすると、リタは満面の笑みで声をかけた。
「これはこれはベネデット様。先日ぶりでございますわね。ご無沙汰しております。 ――結局あの日は何処でお休みになりましたの? 僭越ながら、野戦用テントでしたらすぐにでも御用立てできましたのに」
「やかましい!! なにをいけしゃあしゃあと!! お前が屋敷を破壊したのだろうが!! 今日はお前の悪事を陛下の前で暴き出してやるからな、覚悟しておけ!!」
「うふふ……それは楽しみでございますわね」
何気にニヤリとした笑みを漏らすと、そのままリタは自分の席につく。
そして改めて部屋の中を見渡した。
部屋の中には長い会議机の様な物がロの字の形に並べられており、リタはその左側に座る。
椅子に座って正面を見ると、そこには王国魔術師協会副会長ロレンツォ・フィオレッティと、冒険者ギルドハサール王国支部支部長ヴォルフガング・ランベルトの姿があった。
リタを見た彼らは丁寧に頭を下げた。
右側を見ると相変わらずベネデットが睨みつけていた。
我慢することを学ばずに成長すると、きっとこんな大人になってしまうのだろう。誰もがそう思ってしまうほど、その姿は残念なものだった。
そしてそのすぐ後ろには、執事長のイレネー・フォルジュが控えていた。
その正面――リタから見て左斜め前には、一際大きく豪奢な椅子が置いてある。
恐らくそこが国王の席なのだろうが、未だその席は空席のままだ。
どうやらレンテリア家の面々が一番最後だったらしく、リタたちが席に着いたのを確認すると、待っていたかのように呼び出しが告げる。
それと同時に国王ベルトランが入室したのだった。
その彼らに向かってベルトランは
「面を上げよ。 ――まず初めに申しておくが、今日のこの席では細かい作法は無用だ。よって前置きも口上も語らぬ。すぐに本題に入る故、そう心得よ」
王室作法に疎いロレンツォとランベルトは別にして、その言葉に貴族連中は些か胡乱な顔をしてしまう。
一国の支配者が臣下の前に現れる場合、呼び出しや先触れが一声かけるのが普通だ。それから儀礼的な言葉が続く。
にもかかわらず、今回彼は部屋に入るなり自ら声を張ったのだ。
それが何を意味しているのかと考えてみれば、一つの結論に達する。
それはつまり、今日のこの席を細かい儀礼や作法などを無視した、徹底的に実務的な場にするつもりなのだ。
その宣言は、今回の事件の真相に迫ろうとするベルトランの本気が伺えるものだった。
その態度に、ロレンツォとランベルト、そしてフォルジュの三名は顔を青くしてしまう。
もちろん前二者は、圧倒的な国王の威厳に恐れ入ったからなのだが、フォルジュに至っては少々事情が異なっていた。
何故なら、アンペール家の執事長である彼は、今回の事件の危険さを十分に理解しているからだ。
思わず根拠を問い質したくなるほど強気な姿勢を崩さないベネデットに対して、現状を正確に理解しているフォルジュにとって、今日のこの席は断頭台へ続く道に等しかった。
確かに二大辺境侯の権力を最大限に活用すれば訴追を免れられるかもしれないが、国王の前ではそれがどこまで通用するかもわからない。
そもそもリタがこの事件をここまで大事にしていなければ、こんなことにはなっていなかったのだ。
単なる「伯爵家令嬢暗殺未遂事件」で片づけられていたはずなのに、気付けば「アンペール侯爵家屋敷襲撃事件」になっており、その派手な暴れっぷりは国として些事で済ませられる範囲を超えていた。
この小娘……よもや狙ってやったのではあるまいな……?
そう思わずにいられないフォルジュは、何気にリタの横顔を見つめてしまう。
成人年齢をすぎ、最近ますますその美しさに拍車がかかるリタ・レンテリア。
平均的な女性に比べるとやや小柄ではあるものの、その分顔が小さく等身の高いスタイルは、その肌の白さも相まってまるで妖精のように見える。
精巧に作られた人形のように整ったその顔は、美しさの中に愛らしさも同居しており、クルクルとよく動くたれ目がちの瞳のおかげで愛嬌抜群だ。
ややもすれば子供っぽくも見える童顔に対して些かアンバランスなほどに大きな胸は、何処か背徳的な香りがして、男であれば思わず目がいってしまうものだった。
そんなリタをフォルジュが見詰めていると、不意に目が合ってしまう。
するとリタはニンマリと笑った。
その笑顔はまるで天使か女神のようにしか見えなかったが、今のフォルジュには鎌を振り上げる死神にしか見えなかった。
その時突然声が響いた。
慌てて視線を向けてみると、それは国王ベルトランだった。宣言通り彼は、一切の前置きもなく突然本題を切り出したのだ。
「もうわかっているだろうが、本日この場にそなたたちを呼び出したのは他でもない。先日発生したリタ嬢暗殺未遂事件及びアンペール侯爵家屋敷襲撃事件の真相を訊き出すためだ」
突然切り出したベルトランは、まるで反応を確かめるかのように全員を見渡した。
そして視線をベネデットに向けると、再び口を開く。
「まずはリタ嬢暗殺未遂事件についてだが……ベネデット侯爵。話に聞けばお主、先日
「恐れながら申し上げます。先日の取り調べでも申し上げました通り、そのような事実は一切ございません」
「そうか。しかし警邏の作成した調書によれば、お主が人を雇って襲わせたと書かれているが?」
「無礼を承知で申し上げますが、それらは全て我がアンペール家の転覆を狙う他家の陰謀ではないかと愚考いたします。 ――もとより我が王の
多分に演技も混ぜて、しれっとベネデットは言い放つ。
まるで真偽を確認するかのようにアンペール侯爵を見つめるベルトランは、次にリタを見た。
そして口を開く。
「だそうだ。リタよ、お主の反論を許す。遠慮はいらぬ故、なんでも思うところを申してみよ」
そんな国王の言葉に頷くと、リタは話し始めた。
「発言をお許しいただき感謝いたします。まずは
「い、いい加減なことを申すな!! さてはお前までこの私を陥れようと――」
「黙るのだ、アンペール侯爵。今はリタ嬢の発言の番だ。終わるまで口を閉じていよ」
「……はい。も、申し訳ございません」
椅子を蹴飛ばす勢いで反論しようとするベネデット。
しかし彼は、まさに「ぎろり」という擬音が聞こえそうなほどの視線で国王に睨まれてしまう。
あまりの迫力に負けた彼が一言謝罪を口にすると、何事もなかったようにベルトランは話を続けた。
「それでリタよ。その話は信用できるのか? 確かに実行犯自らが吐いたのであろうが、その裏は取ったのか?」
「残念ながら取れておりません。もとより黒幕に繋がる物証は見つかっておりませぬ故、実行犯の自白だけが頼りとなります。しかし残った13名全員が同じ名を挙げている以上、それは信用するに足るものかと」
「ふむ……だそうだ、アンペール侯爵よ。反論はあるか? 今回のように確たる物証がない場合、慣例によれば犯人の自白が何よりの証拠となるのだが。
国王のその言葉に、当然のようにベネデットは反論する。
如何にもリタが自分を陥れようとしていると言わんばかりに、凄まじい目つきで睨みつけながら。
「失礼ながら、重ねて申し上げます。今回のリタ嬢襲撃事件については、誓って私は関与しておりません。無礼を承知でお尋ねいたしますが、辺境侯の一翼を担うこの私と、卑しい出自の冒険者崩れと、陛下はそのどちらの言を信用なさるのでしょうか?」
些か気分を害した様子のアンペール侯爵は、如何にも気に入らないと言わんばかりに言い募る。
そんな彼に向かって、ベルトランは事も無げに言った。
「確かにな。片や国を代表する侯爵家の当主。片や違法な依頼を平気で受ける
並んで座るロレンツォとランベルトに、国王が合図を送る。
すると慌てて背筋を伸ばして、まずはランベルトが口を開いた。
「は、はい!! し、失礼ながら申し上げます!! 私は冒険者ギルドハサール王国支部、支部長を務めておりますヴォルフガング・ランベルトと申します。この度はこのような――」
「ギルド長よ、簡潔に申せ。先も言ったように、今日のこの席に前口上は不要だ。必要なことだけを述べよ」
冷たい汗をかきながら必死にランベルトが話し始めると、それに被せるようにベルトランが言い放つ。
どうやら彼は、少々苛立っているようだ。
そんな国王に対してこれ以上ないほど背筋を伸ばすと、再びランベルトは口を開いた。
「も、申し訳ありませんっ、ご無礼を!! そ、それでは失礼します。 ――私ども冒険者ギルドは、リタ嬢を襲撃した実行犯14名のうち、13名が当支部所属のギルド員であったことをご報告いたします。全員の名前と所属はお配りした紙をご覧ください」
「ふんっ!! お前はギルドの長なのだろう? その犯人とやらが全員所属員であるなら、お前が責任を取るのが筋ではないのか?」
まるで小馬鹿にするように、ベネデットが視線を投げる。
するとランベルトは、額の汗を拭いながら答えた。
「も、もちろん、この事件のかたが付き次第、
「……方針? なんだ?」
「はい、方針です。それを申し上げます。 ――この場において宣言します。我ら冒険者ギルドは、当ギルドの所属員がリタ嬢襲撃の実行犯であることを公式に認めます。そして、彼らにその依頼をしたのがアンペール侯爵――ベネデット・アンペール様であることも同時に認め、ここに抗議書を提出させていただく所存です」
「な、なにぃ!!」
「誤解があると困りますので再度申し上げますが、これは私個人の見解でもなければ、支部の意思でもありません。 ――ご存じのように我ら冒険者ギルドは世界23か国で活動させていただいておりますが、この抗議書の提出はマグリーニ王国にある本部の決定です。つまりこれは、我々組織としての総意とお受け取り下さい」
「ふ、ふざけるな!! なんだそれは!?」
明らかに動揺を隠せないベネデットは、口を大きく開けるものの言葉が上手く出て来ない。
すると今度はロレンツォが立ち上がる。
いつも優しげな微笑を湛えるその顔には、多分な緊張が見て取れた。
「魔術師協会副会長ロレンツォ・フィオレッツィにございます。我らハサール王国魔術師協会も、こちらの冒険者ギルド同様、所属員が事件の実行犯の一人であることをご報告いたします。 ――そのうえで申し上げますが、その者にリタ嬢殺害の依頼をしたとして、ベネデット・アンペール侯爵様に対し抗議書を提出することを決定いたしました」
静まり返る会議室。
緊張で
つまり、冒険者ギルドも魔術師協会も、リタ殺害を企てたのがベネデットであると断言したのだ。
そのうえで所属員に対して違法な「直依頼」をしたとして、抗議書まで送りつけると言っている。
図らずもベネデットは、二つの組織から公式に非難されてしまった。
ここまで来ると、
静まり返った会議室には、ベネデット・アンペール侯爵の荒い息遣いしか聞こえなかった。
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