第189話 彼女の狙い
「のう、ロレンツォ、ランベルトや。中途半端な結果しか出せぬのであれば、『抗議書』とやらが届く前に、わし自らがお前らを消し去ってやる。よいな!?」
「ゴクリ……」
一言で可愛らしいと表現できる、少々甲高いリタの声。
しかしそこからは想像もできないような言葉が二人の胸に突き刺さる。
もしも成果が気に入らなければ、彼女は自分たちを消すと言っているのだ。
その結果を想像した二人は、意図せず同時に喉を鳴らしてしまう。
殆ど親交のないランベルトはもちろんのこと、彼女の弟子であり、10年以上に渡る付き合いのあるロレンツォにして、リタの迫力は思わず怖気づいてしまうほどだった。
彼とてもリタの前世――アニエス時代の悪魔のような所業は幾つも聞いていたし、この国に転生してからの活躍も知っている。
だからこそ彼女が本気を出した時の恐ろしさは十分に理解していたのだ。
見る見るうちに顔を強張らせるランベルト。
何を思ったのか、その様子に気付いたリタはフッと身体から力を抜くと口調を元に戻した。
「そんなに怖気づかなくてもいいじゃない。なにも取って食おうってわけじゃないんだし」
「は、はい……」
「まぁ……これから話す通りに事を運んでもらえれば、それでいいのよ?」
「か、畏まりました……」
リタが再び穏やかな口調に戻っても、怯えと緊張を隠せないランベルト。
そんなギルド支部長に向かって小さなため息を吐くと、意図してリタは話題を変えた。
「で? ギルド員たちと何と? それから、あのおっぱい魔女は?」
祖父母の前ではずっとすましていた顔を緩めると、ざっくばらんに訊いてくる。
今のリタは、明らかに肩の力が抜けていた。
普段の貴族令嬢然とした畏まった口調は完全に放り投げ、無理に顔を作ろうともしていない。
さらに言えば、些かだらしなく脚を開いて座る姿は、見る者が見れば眉を顰めたくなるものだった。
もっともそれは無理もなかった。
目の前のロレンツォもランベルトも、リタの正体を知っているからだ。
そんな彼らに対して全く遠慮をする必要のない彼女は、専属メイドのフィリーネ以上にその素顔をさらけ出していたのだった。
そんなリタに向かって、ランベルトが答える。
レンテリア伯爵夫妻に対する緊張感の名残りなのか、それともリタに対する恐れのせいなのか、未だにその顔は強張ったままだ。
「は、はい。事前にリタ様に全て吐かされていたおかげで、奴らも諦めがついたのでしょう。その後の聴取は実にスムーズでした。死亡したロラン以外の12名からは、全員署名付きの供述調書を取れています」
「サルド・クアドラも同様です。本人のサインも貰いました」
「さすがに仕事が早いわねぇ、二人とも。それで、依頼主はアンペール侯爵で間違いないわね?」
「はい。間違いありません。クアドラ及びギルド員全員が同じ名を挙げたのです。これは信用できるかと。この期に及んで、彼らが誤魔化すとも思えません」
「やっぱりねぇ……あのクソ侯爵。陛下に釘を刺されていたけれど、それでも絶対に仕返ししてくると思ったのよ。 ――私の勘もまだまだ捨てたもんじゃないでしょ?」
白く細い指を顎に当てると、パチリとリタはウィンクをする。
それはまさに小悪魔と呼ぶに相応しい姿で、その愛らしくも美しい姿を見た男二人は、その中身が224歳の老婆だと知っているにもかかわらず、思わずドキリとしてしまう。
そんな二人にリタは不思議そうな顔をした。
「なによ……? 私の顔になんか付いてる?」
「いえ……言わせていただければ、リタ様はご自身の容姿への正確な理解と、それが周囲に及ぼす影響をもう少し意識されるべきです」
「……ロレンツォ。言ってる意味がわかんないんだけど」
「いえ、わからなければいいです……」
魔法の師匠であるリタに対していつまでも頭が上がらないロレンツォだが、そんな彼も今では34歳になっていた。
相変わらず小柄で華奢な体形は変わらないが、その顔には年齢相応の年輪が見え始めている。
5歳年下の妻、ジョゼットとは今でも「ローたん」「ジョゼぴー」と呼び合うほど仲が良く、結婚してからの10年で3人もの子宝に恵まれた。
ちなみに一番上の長女が9歳のロジーナ、その下が7歳の長男ロイ、一番下が次女のキャロリン4歳だ。
これまで魔法以外には何もない、まさに魔法漬けの人生を歩んできたロレンツォだが、今では魔法の研究以上に子供達と遊ぶのが趣味になっていた。
今では可愛い盛りの4歳次女のキャロリンを溺愛する、優しいパパだったのだ。
そんな彼は、一年前から魔術師協会の副会長を務めている。
もともと彼の魔法の才能はずば抜けていたし、10年前の「第八次ハサール・カルデイア戦役」では、仲間の兵士たちを救出した功績を認められて名誉勲章まで貰っていた。
それと同時に、戦場での目撃証言からロレンツォが無詠唱魔法を行使できることが協会にバレてしまった。
しかしそれを切っ掛けとして、幸か不幸か、彼は協会で無詠唱魔法の研究部門の長に任命されたのだ。
もちろんその時もまだリタのもとで様々な魔法を学んでいる途中だったのだが、協会の中で無詠唱魔法を気兼ねなく見せられるようになったことで、彼の研究は飛躍的に成果を見せ始める。
そしてその結果が認められて、ちょうど席の空いていた副会長に推薦されたのだった。
今から2年前、リタが13歳で二級魔術師の免状を貰った時に、ロレンツォとの家庭教師契約は解消されていた。
何故なら、魔術師の免状を貰った時点で、リタは学生ではなくなっていたからだ。
それでもロレンツォは、仕事と家庭とで忙しい時間の合間を見つけてはリタから魔術について学び続けた。
今ではリタと週に3回魔術師協会で会えるので、そこでこっそり教えを受けていた。
とは言え、互いに忙しい身ゆえ、それほどまとまった時間は取れないのだが。
そんな愛弟子に向かってリタは話を続ける。
「いい? 先ほどお爺様に言われた件なのだけれど、念のために確認するわよ。 ――恐らくこのままではアンペール家を攻め切れない。どうしようもないクソ溜めみたいな貴族家だけど、腐っても武家貴族家ナンバー2なんだもの。たかが違法冒険者如きの自白だけでは落とせないわね」
「確かに。アンペール家と言えば、東の辺境侯として昔から多大な影響力を持っていますからね。その彼を実行犯の自白だけで追い込むのは少々難しいかと」
と、ロレンツォ。
「しかし……そんな理不尽なことが許されるのでしょうか? いくら犯人が自白をしても、それで黒幕を裁けないとは……」
何気に釈然としない顔のランベルト。
「まぁね。普通であれば問題ないのだけれど、今回は相手が大きすぎるのよ。このまま正攻法で行っても、絶対にあのくそったれアンペール侯爵に握り潰されるだけだわ。そこであなた達の出番というわけ。 ――これがどういう意味なのか、もちろんわかっているわよね?」
「はぁ……」
リタの問いかけに対して、些か頼りなげな返事を返す二人。
その彼らに、リタは小さくため息を吐いてしまう。
「なによ? あなたたち、さっきはお爺様に威勢の良い返事を返していたけれど……まさかノープランだったとは言わないでしょうね?」
「そ、それは……」
「あ、いや、一応考えはありましたが……」
はっきりノープランだったとわかるランベルトと、自信なさげな顔をしつつも何か策を練っていたらしいロレンツォ。
そんな対照的な二人を、リタは見つめた。
「ロレンツォ。あなたは私の魔術学の弟子ではあるけれど、決してそれだけではないのよ? 私としてはそれ以外のことも色々と指導してきたつもりなんだけど」
「は、はい。それは十分に理解してますし、感謝もしています。 ――そこで僕なりの考えなのですが、実行犯の自白が信用できないというのであれば、その代わりに――」
師匠が見つめる前で、緊張しながらも
それを最後まで聞き終わると、最後にリタは満足そうな笑みを浮かべた。
「そうね、それが正解。さすがだわ。 ――それでランベルト。あなたも聞いていたわね? それじゃあ冒険者ギルドも魔術師協会と同じように動いてくれる? 言っておくけど、今さら無理とは言わせないわよ?」
「わ、わかりました。戻り次第、早急に準備します。ギルド本部には早急にその旨の確認を取りますが、もしも無理な場合は――」
「ねぇ、ランベルト。できる、できないを訊いてるわけじゃないの。私はやれと言っているのよ。勘違いしないでくれる?」
変わらず口調は穏やかなままだが、その声には隠し切れない凄みが滲んでいた。
それを聞いたランベルトは、再び「ゴクリ」と喉を鳴らしてしまう。
「わ、わかりました。必ずやご希望に沿う形にいたします」
そんなギルド支部長に向かって、まるで悪びれないリタ。
「なんだか無理強いしたみたい。悪いわね」
「い、いえ……」
その後30分ほど打ち合わせと雑談を済ませると、ロレンツォとランベルトはいそいそと自分の職場へと戻って行った。
そんな彼らの背中を、リタは何処か楽しそうに眺めていたのだった。
レンテリア伯爵家の孫娘が、アンペール侯爵の首都屋敷を襲撃した。
しかも得意の魔法によって破壊の限りを尽くしたうえに、最後には火を放って全焼させた。
その話は瞬く間に首都中に知れ渡り、今や市井の者たちの格好のゴシップネタになっていた。
しかも多くの者が、その噂に留飲を下げていた。
いくら噂話とは言え、国を代表する東部辺境侯であるアンペール侯爵家を悪く言うのは不敬に当たる。
しかし今となってはそれも致し方ないと言うべきか。
何故なら、先日の決闘騒ぎでは、アンペール家のせいで賭けに負けた者たちが大損させられていたからだ。
まるで
それと同時に、皆が同じ疑問を抱き始める。
リタ・レンテリアは、なぜ突然そんなことをしたのか。
しかも上位貴族の屋敷を燃やし尽くすなど、余程のことがない限り許されるはずがない。
理由如何によっては死罪になってもおかしくはないのだ。
アンペール侯爵とリタの間に、一体何があったのか。
当然のようにそんな疑問が湧いてくる。
するとそこに、いつの間にか誰もが納得する理由が湧いて出て来たのだった。
どうやらリタは、アンペール家に襲われたらしい。
婚約者の見舞いから帰る途中に襲撃を受けて、殺されそうになったのだ。
そしてその仕返しに、彼女はアンペールの屋敷を襲った。
そんな噂が広まると同時に、当然のようにアンペール家への風当たりが強くなっていく。
今回の決闘騒ぎでは、王命によって報復は禁じられていたはずだ。
しかしリタを襲ったということは、彼は王命を無視したということになる。もしもそれが本当だったなら、それこそとんでもないことだろう。
市井の者たちでさえそう思うのだから、貴族家であれば尚の事だ。
特にアンペール侯爵家の派閥に属する貴族たちは、その噂を聞いた直後から上を下への大騒ぎになっていた。
未だ真相がはっきりしないうちから、派閥を抜けようとする者まで現れる始末だ。
もしもこれが「伯爵家令嬢襲撃事件」だけであったなら、話はここまで大きくなっていなかっただろう。
何故なら、貴族などというものは、年中暗殺や誘拐の危機に晒されているからだ。
今さら伯爵家令嬢の一人や二人襲われたところで、それほど大きな話になるものではなかったのだ。
特に人も羨む超絶美少女のうえに、史上最年少で二級魔術師の免状を貰ったリタであれば、その美貌と才能を妬む者は数多くいる。
中には事故に見せかけてリタを亡き者にしようと企む者がいても、全くおかしくないほどだ。
そこでリタは考えた。
そのままでは「伯爵家令嬢襲撃事件」として小さな事件で片づけられていたであろうものを、国中が注目する大事件に引き上げたのだ。
アンペール家に対して派手に仕返しすることによって、その動機を世間に向けて発信してやろうとたくらんだ。
今やその事件は「決闘に負けた腹いせに報復してきたアンペール家を、リタが返り討ちにした」話になっていたのだ。
とは言え、それは事実以外の何ものでもなかったのだが。
もちろんそれは、すぐに国王の知るところとなった。
するとその数日後、リタとベネデットは当然のように王城から呼び出しを受けたのだった。
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