第172話 一難去ってまた一難

 立会人の掛け声により、遂に死闘に幕が下ろされた。

 ハサール王国レンテリア伯爵家次男令嬢リタをめぐる、東部辺境侯アンペール侯爵家嫡男ジルと西部辺境侯ムルシア侯爵家嫡男フレデリクの命を賭した決闘は、ここにリタ勝利といういささか斜め上の結末を迎えたのだった。


 もとより男二人が始めた決闘であるはずなのに、終わってみれば言わば賞品とも言える少女が勝者として立っていたのだ。

 あまりに意外な結末は、誰もが予想すらし得ないものだった。


 「ふんぬっ」とばかりに仁王立ちするリタの全身は返り血で真っ赤に染まり、身に纏うぴっちりとした乗馬服も、今では元の色がわからないほどになっていた。

 


 まさに苛烈としか言いようのない姿のリタを見上げる、顔面からおびただしい血を流し、左腕を打ち砕かれ、両足はブルブルと震えたままのジル。

 すでに立ち上がる気力さえない彼は、未だ仰向けに倒れたまま幼馴染のアーデルハイトに介抱されていた。


「ジル様……申し訳ありません。決闘を途中で止めたせいで、貴方は負けてしまいました。これはお父上ではなく、わたくしが下した判断なのです……」


「……アーデルハイト……俺は負けたのか? 自分から決闘を吹っかけておきながら、負けてしまったと言うのか……?」


 流れ出る血をタオルで拭われながら、ジルはひとちる。

 誰に聞かせるでもないその言葉は、しかしアーデルハイトの胸に深く突き刺さった。



 この決闘のルールとして、フレデリクが負ければリタを差し出し、ジルが負ければ実家から廃嫡される決まりになっていた。

 それは二人が勝手に決めたものではなく、今回の決闘の正当性を裏付ける法律――好誼こうぎ法によってあらかじめ定められているものだ。


 つまり法的拘束力を持つその結末は、立憲君主制国家であるハサール王国においては、たとえ国王であったとしても逃れられるものではない。

 つまり、この時点でジルの運命は決していたのだ。


 生まれた時から身を置いてきた貴族の身分を失って、今や平民と成り下がる。

 それは当のジルはもとより、幼馴染のアーデルハイトにして絶望的な思いを抱かせるには十分だった。

 そしてその結末を決定付けた己の判断に、今更ながら迷いを見せるアーデルハイトだった。

 



 そんな二人を尻目に、ジルの父でアンペール侯爵家当主でもあるベネデットが、尚も立会人に食い下がる。

 次第に口調も尊大なものへと変わり始め、ここに来て侯爵家の権力を振りかざし始めていた。


「私を誰だか知っているだろう!? それがわかっているのなら、その言葉を撤回しろと何度も言っている!! よもや聞けぬと言うのではないだろうな!?」


「あ、貴方様がどなたなのかは、私どもも重々承知しております。し、しかしこれはルールなのです。『立会人が終了を告げた後、それが明らかな誤りでない限りはそれを撤回すること叶わず』 ――法の条文にそう明記されておりますれば……」


「だから、その前提が誤っていると言っておるではないか!! この娘は何ら決定権を持ってはおらぬ。その者が試合を止めたとて、何ら影響は与えぬのだ!!」


「し、しかし……こちらの令嬢もセコンドとして登録されておりますので……それを違うと申されましても、いまさら撤回は出来かねます」


「なんだとぉ!? 貴様、誰にものを言っていると思っておるのだ!!」


「し、しかし!!」


「くそっ、何奴どいつ此奴こいつらちが明かぬわ!! えぇい、アーデルハイト、お前からも言わぬか!! 試合放棄は間違いだった、仕切り直しを要求するとな!! 今ならまだ、前言の撤回も間に合おう!!」



 突然話を振られたアーデルハイトは、ビクリと身体を震わせるとそのまま俯いてしまう。

 そして今にも消え入りそうな声で囁いた。


「お、お言葉ですが、侯爵様。わたくしの判断に誤りはございません。このままでは、ジル様は殺されてしまうところだったのです。ですから私は――」


「えぇい!! お前もか!! お前も私に逆らうのか!! ――そもそもだ、そもそもお前が余計なことさえしなければ、こんなことにはなっていないのだ!! いいか、この件に関しては、お前の父親――キルヒマン子爵に厳重な抗議をさせてもらうからな!! 覚悟しておけ!!」



 ベネデットはそう言うが、どのみちジルに勝機はないし、このまま闘っていたとしても確実に死んでいただろう。

 だからアーデルハイトの英断は褒められこそすれ、非難されるようなものではなかった。

 よっぽどこの男は実の息子を見殺しにしたかったのかと、リタも立会人も、そして怒鳴り声を聞く周囲の観戦者たちも、皆一様にそう思ってしまう。

 

 己の要求が通らないからと、結果を覆すように執拗に迫るベネデット。

 しかも明らかに不当な要求を、己の貴族位を笠に着てゴリ押ししようとさえしている。

 さすがの立会人もその対応に苦慮していると、突然背後から声をかけられたのだった。




「見苦しいぞ、アンペール侯爵!! この決闘においては立会人の言は絶対だ。それは法の条文にも明記されておるだろう!! その彼が事の終わりを告げている以上、誰であれその決定には粛々と従うべきなのだ。違うか!?」


 まるで権威それ自体が伝わってくるような、低くよく通る声。

 人を屈服させることに慣れている、生まれついての支配者の声。

 その声はこの決闘の開始を宣言した時にも聞いていたし、およそ侯爵ともあろう者なら年に何度かは必ず聞いているはずだ。


 それも王城の謁見の間で。

 だからベネデットには、振り向かなくともその声の主がわかった。



 そう。それはハサール王国国王ベルトラン・ハサールその人だった。

 その登場に気付いた全員が慌てて地面に片膝を突いてこうべを垂れたが、ジルだけは身体を起こすことも叶わずに、その場で頭だけを俯かせる。

 その様子を一瞥したベルトランは、そのままベネデットの前まで進み出た。


「この決闘の立会人は確かにその五人だが、見届け人は他でもない、この私だ。その私が裁定を受け入れると決めた以上、全員がそれに従う義務があると思うが、如何いかがか? ――のぅ、アンペール侯爵よ」


 思わぬ国王の名指しと鋭い眼差しに、ベネデットの声が一瞬裏返る。

 それでも彼は顔を俯かせたまま、明瞭に答えた。


「はっ!! 陛下の仰る通りかと!!」


 本心とは正反対の回答をする侯爵を見つめながら、眉間にしわを寄せたままベルトランは小さな鼻息を吐いた。

 そして周囲を見渡しながら一際大きな声を上げる。


「よいか、皆の者。私こと、ハサール王国国王ベルトラン・ハサールの名においてここに宣言する。此度こたびの決闘は、ジル・アンペール側のセコンドによる試合放棄により、勝者をリタ・レンテリア及びフレデリク・ムルシア、そして敗者をジル・アンペールと決定する。 ――この言に異論はあるか?」


「異論など……滅相もないことにございます!!」


「御意のままに!!」


「はっ!!」




 王の宣言に、神妙な面持ちのまま畏まる周囲の者たち。

 彼らの顔を見渡したベルトランは大仰に頷くと、再び口を開いた。

 

「いい機会だ。ここでお前たちにひとつ忠告しておこう。 ――この裁定は、法にのっとり正当に選ばれた立会人と、同様に見届け人として承ったこの私、ベルトラン・ハサールの名において宣言するものだ。中にはこの結果に不満を抱く者がいるやもしれぬ。しかし、もしも報復などをはたらこうとするならば、国王の名において苛烈なまでの制裁を科すものと覚悟せよ!!」


 リタやジルなど、目の前に居並ぶ者のみならず、周囲の観戦者にまで届くように朗々と告げるベルトラン。

 その視線は決して一ヶ所に留まることはなかったが、彼がその言葉を誰に向かって発しているのかは今や明白だった。

 もっともその本人がそれを理解しているのかはわからなかったが。



 静まり返った王城広場に、国王の声が響き渡る。

 そして己の言葉に異論が出ないことを確認した彼は、一度満足そうに頷くと再び声を張り上げた。


「これにてムルシア侯爵家嫡男フレデリクと、アンペール侯爵家嫡男ジルの決闘の終了を宣言する。 ――以上だ!!」




 ――――




「ぬぉー!! フレデリク様ぁー!! ご無事かぁーーー!!!!」


 国王ベルトランの姿が見えなくなった途端、リタはその場で踵を返した。

 そしてその小柄な身体からは想像できないほどの俊足を見せると、淑女と呼ぶにはいささか下品な叫び声を上げながら控室に向かって一目散に走り去っていく。


 うら若き淑女が大股で走るなど、はしたないと言われて当然なのだろうが、今の彼女にはそんなことなどどうでもよかった。

 そもそもあのジルを相手にあれだけの大立ち回りを見せつけた挙句に、返り血で全身が血塗れなのだ。


 そんなリタに向かって今さら淑女だとかはしたないだとか言う者はいなかったし、リタ自身も意識不明のまま運び出されていった婚約者――フレデリク・ムルシアの無事だけが心配だった。


「ぬぅおぉー!!!! フレデリク様よぉー!! 無事でいてけろー!!!!」


 返り血に染まった壮絶な姿に廊下ですれ違う者たちが振り返ろうが、自慢の大きな胸が上下左右に跳ね回ろうが、そんなことなどお構いなしにリタは全速力で走り続ける。

 その姿には、まさに鬼気迫るものがあった。




 ばぁん!!


 ノックもせずにドアを開けたリタは、そのままの勢いで控室へと走り込む。

 すると中にいた大勢の者たちが振り返った。


「リ、リタ!!」

 

「リタ嬢……」


 突然の物音に驚いたフレデリクの母シャルロッテと妹のエミリエンヌ。

 彼女たちが咄嗟に声をかけるのと同時に、リタは叫んだ。

 その白い額からは大粒の汗が滴り、返り血と混じって赤い筋を作っていた。


「フレデリク様は!? 容体はどうなのじゃ!? 怪我の様子は!? 意識は戻ったのか!?」


 リタの口調は、すっかりの素のものに戻っていた。

 年若い娘が使うにしては些か年寄り臭いその口調は、普段は意識して使わないようにしている。

 しかし未だに焦ったり慌てたり、寝ぼけたりすると咄嗟に出てしまうものだったし、すでに10年以上にも渡る付き合いのあるムルシア家の面々には、すでに知られるものでもあった。


 そして今のリタがその口調になっているということは、彼女が非常に慌てていることの証明だった。

 それは普段から冷静な姿勢を崩さない彼女にしては、とても珍しい姿だった。


 

 そんな年寄り臭い口調を隠そうともしないリタに、エミリエンヌが慌てて答える。

 眉間にはしわが寄り、口角は下がり、せっかくの端正な顔を台無しにしていた。


「リ、リタ!! ど、どうしたの、その恰好!! 血塗れじゃない、大丈夫なの!! 怪我は!?」


「これは返り血じゃ!! わしは怪我なんぞしとらんぞ!! ――そんなことより、フレデリク様は!? 意識は!?」


 まるで掴みかからんばかりに前のめりににじり寄ってくるリタ。

 そんな彼女の肩をやんわりと押さえながら、シャルロッテが口を開く。


「怪我はもう大丈夫です。貴女や僧侶様方の迅速で懸命な処置のおかげで、血は止まり、傷は塞がりました。 ――とは言え、無理に動かすと危ないそうですが。詳しくはこちらの方からお聞きなさい」


 そう言うとシャルロッテは、隣に控える中年の僧侶を指し示す。

 彼は先ほどリタが救急治療の教えを乞うた人物で、その的確な指示と治癒魔法力を見る限りその腕は確かだった。

 リタと目が合ったその僧侶は、軽く会釈をすると徐に口を開いた。



「奥様が仰る通り、怪我に関しては問題ありません。全ての傷は修復しましたし、既に出血も見られません。しかし、やはり出血が多かったために、今後意識が戻るかどうかは五分五分かと……」


「……」


「いずれにせよ、ここ三日が山場でしょう。とりあえず脈動と心音は一定ですし、呼吸に乱れも見られません。その他の生活反応も正常ですので、特に問題はないかと。 ――しかしそれも三日……いえ、二日以内には意識を取り戻さなければ……」


 最後まで言い終えることなく、途中で言葉を濁す神術僧侶。

 苦渋に満ちたその顔を見る限り、今後の見通しが決して楽観的ではないことを物語っていた。




 点滴などで強制的に水分補給ができないこの時代において、意識不明の人間が生存できるのは精々三日が限度と言われている。

 特に出血量が多かったフレデリクの場合、さらにその限界は低い。

 どう好意的に見積もっても、持って二日、できれば明日までには水分補給をしなければならない。

 そうしなければ、今度は脱水症状で助からなくなるからだ。


 その事実を突きつけられたリタは、返り血に汚れた頬に大粒の涙を流し始める。

 そしてただ眠っているだけにしか見えない婚約者を見つめながら、縋るように語りかけた。


 「のう、フレデリク様よ。わしは勝ったぞ、勝ったのじゃ。あのジルに鉄槌を食らわせたのじゃ。元通り……そう、すべて元通りになった。わしはお前の婚約者のままじゃし、その逆も然りじゃ。 ――じゃから早う目を覚ましてくれ。また一緒に魔法談義に花を咲かそう。お弁当を持って遠駆けをしよう……のぅ、フレデリク様や……」



 小柄な身体をさらに小さく丸めながら、華奢(しかし巨乳)な両肩を震わせるリタ。

 その姿には、まさに死闘と呼べる決闘に勝利した喜びなど微塵も見られなかった。


 ただただ涙を流し、まるで眠るように反応を返さない婚約者に語り続ける。

 そんな小さな背中を、皆無言のまま見つめるしかなかった。

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