第166話 命あっての物種

 その後フレデリクは、成人の儀が終わって実家に戻る妹――エミリエンヌと一緒に領都カラモルテへと戻った。

 そこで彼は両親に事の顛末を報告したのだが、予想に反して彼らは全く怒ってはいなかった。

 いや、むしろ、己の意思で決闘の申し込みを受けた息子の英断を褒めたのだ。


「ふははははっ!! さすがは名誉を重んじるムルシア家の長男だ。お前のその選択は全く正しい。たとえそれでリタ嬢を手放すことになろうとも、決してお前の選択は間違ってはいないのだ。それを誇りに思うがいい」


「あなた!! リタ嬢を手放すなどと、たとえ冗談でもそのような縁起でもないことを言わないでくださいまし!! の家にリタを差し出すなど、あまりに許しがたい暴挙!! 卑怯なり、ベネデット・アンペール!!」


 事の重大さを理解せず、あまりに能天気に息子にねぎらいの言葉をかけるオスカルに対し、憎々しげにライバル侯爵家当主の名を叫ぶシャルロッテ。

 その姿は対照的だった。

 するとその背後から、羨望の眼差しで弟――ライナルトが顔を出す。


「兄さま!! 決闘だなんて凄いです!! かっこいいです!! 憧れます!!」


「ねぇ、ライナルト。本当は兄さまも乗り気じゃないのよ。決闘なんて、野蛮な行為なんだから」


 キラキラと羨望の眼差しで兄を見つめる弟を抱きしめると、エミリエンヌは諭すように言葉をかける。

 そしてじっとその顔を見た。



 ライナルト・ムルシア。

 現在9歳のムルシア侯爵家の次男は、10年前の「第八次ハサール・カルデイア戦役」の10ヵ月後に生まれた。

 その誕生日は、レンテリア家フェルディナンドの長男、フランシスとたった三日しか違わない。


 そのタイミングを逆算すると、それは父親のオスカルがカルデイア軍を蹴散らした直後と一致する。

 それは戦勝に興奮したオスカルが、自宅に帰って来るなり妻のシャルロッテと仲良くした結果だった。

 つまりそれは、レンテリア家のフェルディナンド夫妻と似たような状況だったのだ。

 

 相手の懐妊を同時に知ったエメラルダとシャルロッテは、互いの顔を見合わせると意味深な苦笑を浮かべ合ったものだ。

 そしてオスカルは、フェルディナンドの背中を思い切り引っ叩いた。


「お主も盛んだのぉ!! いや、何はともあれ、めでたい!!」



 そのライナルトだが、濃い茶色の髪と薄茶色の瞳は父親にそっくりだった。

 そしてその顔の作りも、脳筋ゴリラとあだ名されるオスカルの血を色濃く受け継いでいる。

 それをわかりやすく言うと、可哀想なことにライナルトは、脳筋ミニゴリラと言わざるを得ないような容姿だったのだ。


 もっとも家族の中にはそれを気にする者はいなかった。

 生まれた時から彼は、両親はもとより兄のフレデリクにも姉のエミリエンヌにも、そして屋敷の者たちからも愛されて育った。


 そんな弟の手を取ると、フレデリクは諭すように口を開く。


「いいかい、ライナルト。決して兄さまは闘いたいわけじゃないんだよ。お前にはまだわからないかもしれないが、これは降りかかってきた火の粉なんだ。もちろん逃げ惑うこともできたけれど、兄さまはそれを自ら振り払うことを選んだだけなんだ」


「火の粉……? 振り払う……?」


 兄の言葉が理解できずに、ライナルトは呟いた。

 そんな次男を背後から抱き寄せると、今度は母親のシャルロッテが優しく言葉をかけた。


「いいですか、ライナルト。これから兄上は、男としての務めを立派に果たすのです。どのような結果になろうとも、あなたはそれをしっかりと目に焼き付けなければなりませぬ。わかりますか?」


「……うーん、よくわかんないや」


「ふふふっ、まだ難しいですか? 当日はわたくしたちと一緒に、兄の闘いを見届けるのですよ。決して目を背けたりしてはいけませぬ」


「はい。母上」


 まさに天真爛漫な笑顔を浮かべると、母親に抱き着くライナルト。

 そんな次男に慈愛の眼差しを向けながら、同時に長男に対して気遣わしげな視線を向けるシャルロッテだった。




 ――――




 そんなわけで一ヵ月後。

 遂に「英雄の日」がやって来た。

 もちろんその日は、ジル・アンペールとフレデリク・ムルシアが決闘を行う日だ。


 場所はハサール王国の王城広場で、観戦者は国王およびその重鎮たち、そして有力貴族家の中から少数が選ばれた。

 今回の決闘は「好誼こうぎ法」による正当な果し合いのため、娯楽要素は一切排除されている。

 要は、この闘いは「見世物」ではないということだ。


 そしてそれぞれの家族がそのセコンドにつく。

 ちなみにリタは、フレデリクの側だ。


 立会人は全部で五名。

 全員が決闘者とは違う派閥に属する貴族家から選ばれた。

 その中の三名以上の合意によって、決闘の開始、終了、そして勝敗の決定が判断される。

 また不測の事態に備えて、治癒魔法に優れる四名の神術僧侶が待機する。

 彼らの手にかかれば、即死や四肢切断以外であれば大抵の事態に対応できた。


 予定通り、武器は両者とも同じ長さのレイピア。

 実戦と同じように刃付けをされたそれは、軽く触れただけでも容易に肌を切り裂くほど鋭い。

 初めは刃付けをせずに使う案もあったのだが、その分「刺す」方に注力されるとかえって危険であることと、出血による勝敗の決定が早まるという理由からそうなった。



 ジルが勝った場合、フレデリクの婚約者――リタはジルのものになる。

 そこにリタ自身の意思は、一部の例外を除き考慮されない。


 フレデリクが勝った場合、もちろんリタを奪われることはない。

 そしてここが一番大事なのだが、決闘を申し込んだ方――つまりジルは実家から廃嫡されることになる。


 当たり前だろう。仮にも力ずくで人の女を奪おうというのだ。負けた時のリスクはそれ相応にするべきだ。

 つまり、人の女が欲しいなら己の地位を賭けろということだ。

 実際にこれは好誼こうぎ法に定められており、もしもジルが負けてしまえば彼は貴族ではなくなるのだ。





  

「フレデリク様。わたくしは貴方様を信じております。ですが、いいですか? 決して無茶はなさらぬように。神術僧侶が待機するとは言え、怪我の程度によっては命に関わります。『命あっての物種』という格言のとおり、とにかく無茶はせぬようお願いいたします」


 自分が闘うわけでもないのに、必死な表情のリタ。

 そんな婚約者に向かって、フレデリクは笑いかけた。

 最高の笑顔で。


「大丈夫!! このためにここ一ヶ月、ずっと実家で父に鍛え直してもらったんだ。僕は絶対に負けない!! そして君の『ご褒美』を受け取るんだ!!」


「そ、それは……」


 その言葉に頬を染めたリタが、思わず俯いてしまう。

 するとフレデリクは何を思ったのか、鼻息を荒くした。


「必ずや勝って、僕は君のその唇を――」



 スパァン!!


「頑張ってこい!! 気合いだ!! 気合いだ!! 気合いだぁー!!」


 リタとせっかくいい雰囲気になりかけていたのに、まるで空気を読まない父親によって思い切り背中を叩かれるフレデリク。

 その痛みと、邪魔された腹立ちに涙目になりながら、フレデリクは背筋を伸ばした。


「それでは、行って参ります!! 必ずや勝利を!! そしてリタの唇を!!」


「……やっぱり彼、なんか勘違いしてない?」


 その声に、27歳の独身アラサーメイドがボソリと呟いたのだった。





「いいか、ジル。恐らくスピードは相手の方が上だ。それに撹乱されないように気をつけろ」


「はい、父上」


「それと武器はレイピアだけではない。それを忘れるな」


「はい、父上」


「いいか見てみろ。あのリタ嬢を自分のものにしたければ、どんな手を使ってでも勝て」


 そう言うとジルの父親――ベネデット・アンペールは相手側のセコンドについているリタを指差す。

 今日のリタは、装飾の少ない薄水色のドレスに身を包み、化粧も少々控えめだ。

 小柄な身体を忙しなく動かしながら甲斐甲斐しくフレデリクの世話を焼く清楚で愛らしいその姿は、月並みではあるが、例えるならやはり妖精というべきだろう。

 


 見れば周りの貴族連中も、その姿を注視していた。

 二人の若者が決闘してまで奪い合うような少女なのだ。どれほどの美少女なのかと皆興味津々だったのだ。

 そして予想通りの美しい姿に皆満足そうに頷いている。

 中には一目惚れしたかのように、食い入るように見つめる者もいるほどで、その愛らしさは今や全男性の共通認識のようだった。

  

 ジルにとってその姿は、まるで天使か妖精だった。

 あんな愛らしい女性を侍らせることができるのかと思うと、否応なく気合いが入る。

 そんな相手側のセコンドを見つめ続ける息子を、父親はさらに焚きつけた。



「よく聞け。『ずるい、卑怯は敗者の戯言たわごと』という格言を忘れるな。一時いっときは卑怯者と言われようが、勝った方が正義だ。己の矜持を守って負けるのは愚か者のすることだ」


「はい、父上」


「お前が為さなければならないことはわかっているな? いいか、何度も言うぞ。生き残った方が勝者だ。 ――躊躇わず殺せ」


「……はい、父上」


 まるで洗脳かとも思えるような父親の言葉に、素直に頷き続けるジル。

 その背後には彼のセコンドにつくアーデルハイト・キルヒマンの姿も見える。


 ジルと同い年のその長身の少女は、そんな二人の姿をずっと心配そうに見ていた。

 そして時々何かを言いたそうに口を開くのだが、ジルの父親の手前、結局何も言えずにいる。

 小刻みに震えるその手は、指が白くなるほど強くタオルを握り締め、顔には不安そうな表情が浮かぶ。


 しかし結局最後まで一言も言葉をかけることができないまま、遂に時間となってしまったのだった。





「アンペール侯爵家、ジル・アンペール、前へ」


「はい」


「ムルシア侯爵家、フレデリク・ムルシア、前へ」


「はい」


 代表立会人に名前を告げられ、二人は広間の中心へと出て行く。

 そしてレイピアを受け取ると、幾つかの注意事項を告げられた。


「一、相手が負けた、降参と告げたら、それ以上手出しをしてはならぬ。速やかに武器を捨てて離れること。 二、立会人の判断は絶対だ。決してそれに異議を唱えてはならない。 三、出血だけで止めることはないが、たとえ怪我が浅くても、出血の程度によっては途中で止める。もちろん止められた方が負けだ。 四、もし万が一相手が死亡した場合でも、その責任は一切負わされない。以上、不明な点はあるか?」


「ありません」


「ない」


「それでは剣を構えて――はじめ!!」



 立会人の号令一下、遂にリタをめぐる二人の男の闘いが幕を開けたのだった。

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