第165話 リタのご褒美

 成人の儀の翌日。

 今日は朝からフレデリクがレンテリア家を訪れていた。


 彼はレンテリア家当主夫妻及びリタの両親に事の顛末を説明すると、続いて今後の話を始めた。 

 一応事前にリタから説明を受けてはいたが、ここで直接本人から話を聞いた両親たちは、まさに憤懣やるかたなしといった様子だ。


 もっともそれは、当たり前と言えた。

 いくら法に則った合法な行為とは言え、自身の娘、孫をまるで物か何かのようにやり取りしようなど、あまりに酷い話だったからだ。

 そこにリタ個人の想いを挟む余地はなく、二人の男の決闘の勝敗のみで彼女の運命が決まってしまう。


 あまりに不条理で不憫で、あまりに前時代的なその話に、最早もはや彼らは呆れてものが言えなかった。

 そんなリタの祖父母、両親に向かって、フレデリクは話を続けた。



「この度の決闘騒ぎですが、私事ながらお騒がせしましたことをお詫びいたします。なによりリタ嬢を巻き込んでしまったことに、今更ながら後悔の念を禁じえません」


「フレデリク様……何を仰るのです。そのようなこと、わたくしは全く気にしてはおりません。それよりむしろ、この度の原因はわたくしにあるのだと思っているのですから。最初に言いがかりをつけられた時、サクッとあの男を始末していれば――」


「いや、リタ……さすがにそれは……」


「そのために貴方様を危険な目に合わせることになるなんて……もしも闘うのがわたくしであれば、あんな猪なんぞ、二度と一人では立てないほどにブチのめして差し上げますのに、むふぅ――」


 震えるほどに両手を握り締めて、鼻息も荒く物騒な言葉を吐くリタ。

 その姿を見るに、恐らく彼女は本気でそう思っているのだろう。

 この弱冠15歳にして王国魔術師協会一級認定相当の実力を持つ女魔術師は、己の手で直接ジルを殴り倒したくてうずうずしているようにしか見えなかった。


 小さく愛らしい口から物騒な言葉を吐くリタ。

 そんな姿を見つめると、これほど美しくも愛らしく成長しているのに、その根っこの部分は幼い頃から変わっていないのだなぁ、などとフレデリクは些か呑気に思ってしまう。

 それと同時に、そのギャップに妙に興奮してしまうのだった。




 そんなリタをフレデリクがなだめた。


「いや、まったく、ひとつも、まるっきり君に責任はない。頼むから自分を責めるのはやめてほしい。謝るとすれば、むしろ僕の方だろう」


「いや、フレデリク殿。貴方は全く謝るところはないと思いますよ。なにせこの件は、相手が勝手に言い掛かりをつけてきたわけですし」


 まるで庇うようにセレスティノが告げる。

 すると今度はフェルディナンドが口を開いた。


「いくら合法だからと言え、あのような衆人環視の中で決闘を申し込むなど……祝いの席だというのに非常識にもほどがありますよ」


「いや、違うな。あれはきっとわざとだろう。 ――あれだけの数の貴族子息女が集まっているうえに、国王とその重鎮までもが列席していたんだ。まさかその席で売られた決闘を断るなど、貴族の面子メンツから言ってもできるはずがない。などと、それを見越して意図的にそうしたに違いない」


 何処か面白くなさそうな顔をしながら、セレスティノが告げる。

 その言葉を真に受けるなら、つまりジルは、フレデリクが絶対に決闘を断れない状況下であることをわかっていたということか。



 受けられても絶対に勝てるし、仮に断られたとしても相手の面子メンツは勝手に潰れる。

 武家貴族と名高いムルシア家の次期当主に決闘で勝ち、美しい婚約者まで奪い去る。

 ライバルとして、これほど愉悦に浸ることはなかった。


 最早もはやどちらに転んでもジル――いてはアンペール家に損はない。

 そう確信したうえで、彼らは喧嘩を売ってきたのだろう。


 ようするに、考えなしの短絡的な行動に見せかけて、その実計算しつくされていたということか。

 それを考えると、まず間違いなくジルの背後にアンペール家の思惑が隠れているのは間違いなかった。




 今更ながらにその事実に気付かされたイサベルとエメラルダは、余計に怒りをみなぎらせる。

 婚約者とは言え、未だ結婚もしていない――つまり、身内でもないフレデリクの身を案じて彼女たちは本気で腹を立てているのだ。


 その様子に微笑みで返すと、フレデリクは尚も話を続けた。


「まぁ、過ぎたことを考えても仕方ありません。とにかく今は、ジル殿に勝つ方法を考えませんと」


「なにか考えがあるのですか?」


 と、リタ。

 その愛らしい顔の眉間には、未だ物騒なシワが刻まれたままだ。

 

「うん、ちょっとね。 ――それで今回のルールなのですが、決闘を申し込まれた方、つまり私が武器の選択権を有します。今回はそこに勝機を見つけようかと思っているのです。単純に体格や力だけなら私に勝ち目はないでしょうが、身のこなしとスピードならまだ負けないかと」


「なるほど。それで武器は何を選ぶんだい?」

 

 リタの父、フェルディナンドが問う。

 背はフレデリクよりもだいぶ高いが、ひょろひょろとしたその体格は、フレデリクとよく似ていた。

 

「はい。レイピアを選ぼうと思っています。これなら彼の馬鹿力も役に立ちませんから。むしろあの無駄に多い筋肉が早い動きの妨げになるのではないかと愚考します」



 「レイピア」とは細身で先端の鋭く尖った刺突用の片手剣のことだ。

 基本的に鋭く刺すように使う武器なので、力よりもスピードと身のこなしが重要になる。

 だからその武器はジル自慢の馬鹿力が役に立たないどころか、その無駄に大きく重い身体は、フレデリクにとっては格好の的になる。


「なるほど。それなら貴方様にも勝ち目はあるかもしれませんな。あとは如何に一方的な展開に持ち込むか、相手に先に血を流させるかでしょうか」


「はい。ですので、短期決戦で挑もうかと思っています。相手が油断しているうちに、試合を止められてしまうほどに畳みかけてやろうかと思っているのです」




 貴族同士の決闘には、必ず立会人が設けられる。

 それも利害関係のない者の中から、二名以上と決められている。

 そして両者には、それぞれにセコンドが付くことが認められる。


 また、その勝敗にも色々とある。

 仮に百年前に最後に行われたものに倣うなら、先に流血するか、自ら負けを認めるか、セコンドが止めるか、二名以上の立会人が止めに入るか、そして死ぬか、そのいずれかになると負けが決まる。


 もっと昔であればどちらかが死ぬまで行われたこともあったらしいのだが、本来の目的が殺し合いではないことを考えると、そこまでするのはやり過ぎと言えよう。


 もちろん偶発的な事故により、片方が死に至る場合もあるが、その場合であっても決して仇討ち――仕返しは認められない。

 つまり、両者が名誉と己が命を賭して闘う以上、それがどのような結末を迎えようとも、粛々と受け入れなければならないということだ。


 


 リタの家族に報告が終わると、フレデリクとリタは揃ってバルコニーへ出る。

 そこから少々厳しい7月の太陽の光を浴びながら、二人で話を始めた。

 もちろんリタは日に焼けないように日傘をさしており、その姿を眩しそうにフレデリクは眺めていた。


「フレデリク様。私は心配です。貴方様になにかあったらと思うと、心配で眠れないのです」


「大丈夫だ、絶対に負けない。父と違って、決して僕は武芸に秀でているとは言えないけれど、それでも幼い頃からレイピアの稽古だけは欠かしたことはないんだ。これでも少しは腕に自信はあるんだよ?」


「はい。それは知っています。そして今では、レイピアの腕は一角ひとかどのものであることも。それでも何が起こるのかわからないのが決闘というものです。もしも貴方様に何かあれば……アンペール家など、一族郎党皆殺しにして差し上げますわ。あんなクソッタレの家なんて、領都に隕石でも降らせればイチコロですもの」


 何気に恐ろしいことを、しれっと言ってのけるリタ。

 その言葉に顔を強張らせると、フレデリクはすまし顔の婚約者を見つめた。



「リ、リタ……たとえ冗談でも、それだけはやめてくれ。君を見ていると本当にやりそうで怖いから」


「ふふふっ、まぁ、冗談ですけれど。 ――もっとも、突然空から隕石が降って来たとしても、地割れが街を飲み込んだとしても、大津波が襲ってきたとしても、そんな自然災害まで私は責任とれませんもの」


「い、いや、そんな自然災害なんてそうそう起こらないだろ。しかもピンポイントで」


「だけど、世の中何が起こるかわからないものですわよ。だから私は、余計に心配なのです」


「まぁ、とにかく僕を信じてもらうしかないよ」


「……はい。信じております。だから絶対に負けないでくださいませ、あんなバカヤロウになんて」



 リタがそう言った時、その視界に専属メイドのフィリーネの姿が入った。

 相変わらず彼女は空気のように二人の傍に控えていたのだが、何やらサインの様なものを送ってきたのだ。

 それに気付いたリタは、緊張した面持ちでジッとフレデリクを見つめた。


 正面から突然リタに見つめられたフレデリクは、思わず頬を染めてしまう。

 そんな18歳童貞の反応を確認すると、小さくリタは口を開いた。




「あ、あの……フレデリク様。この決闘が無事に終わりましたら……そのう……」


「な、なんだい?」


 いつもは凛と澄ましたリタなのに、急にモジモジとし始める。

 その姿に何気に萌えそうになりながら、それでもフレデリクは平静を装って答えた。


「ご、ご褒美……ご褒美を差し上げたいと……」


「ご褒美?」


「はい、ご褒美です。私からのねぎらいをお受け取りいただければ――」


「労い? どんな? なにかプレゼントかな?」


「そ、それは……品物ではありません。 ――は、恥ずかしいので、これ以上は私の口からは申せません💦 いやんっ💦」


 その言葉とともに恥ずかしそうに頬を染めると、リタは突然顔を伏せてしまう。

 すると何を思ったのか、慌てて発したフレデリクの声は裏返っていた。


「そ、そうか!! ご褒美か!! そ、それは絶対に負けられないな!! と言うか、負けるつもりなど一欠片もないけどな!! お、大船に乗ったつもりでいてくれ!! 絶対に負けないからっ!! そして君のご褒美とやらを――」



 突然声を裏返らせて鼻息を荒くするフレデリク。

 そんな18歳童貞の姿を見つめながら、その傍で空気になっているフィリーネが小さくため息を吐く。


「絶対に何か勘違いしてるし……結婚前の淑女がそんな恥ずかしいことできるわけないじゃない…… まぁ、それでやる気が出るならいいけれど…… ほんと、男ってチョロいわねぇ」


 などと27歳独身アラサー女子が、身の程もわきまえずにほざいていたのだった。






 西部辺境侯ムルシア侯爵家嫡男、フレデリク・ムルシア。

 東部辺境侯アンペール侯爵家嫡男、ジル・アンペール。


 この両者の決闘が行われるのは、一ヵ月後の祝日「英雄の日」に決まった。

 その日、一人の女性をめぐる二人の若者の対決が行われる。

 それは奇しくも、その女性にとっての「英雄」を決める日と言っても過言ではなかった。


 使用武器は両者ともに同じ長さのレイピア。

 死亡、怪我による戦闘不能、自ら負けを認める、セコンドが止めに入る、二名以上の立会人により止められる、そのいずれかにより敗者が決まる。


 その原因が何であれ、名だたる貴族家の嫡男同士が決闘を行うのだ。こんな前代未聞の見世物はなかった。

 そしてこのニュースが国中を駆け巡ると、その観戦を望む者はそれこそ数え切れないほどになる。


 それと同時に、あちこちでその勝敗が賭けの対象になっていた。

 それは賭け事好きの市井の者たちに限らず、貴族の者たちまで公然とその結果を予想し、財産を賭け始めたのだ。



 それは無理もなかった。

 場末の酒場での賭け拳闘とは違い、今回雌雄を決するのは両者ともに次代の王国を背負って立つ武家貴族家の嫡男同士だからだ。

 その結果如何によっては、その家の名誉、評判までもが地に落ちるのは想像に難くない。


 そして片方がその評判とともに有力貴族から滑り落ちれば、その後釜を狙う貴族家も多かった。さらにそれに影響を受ける者たちも決して少なくない。

 特に北方辺境伯のラングハイム伯爵家は、そこに食い込みたい貴族家の筆頭だった。

 さすがにハサール王国最古の貴族家であるムルシア家に取って代わるのは荷が重いが、アンペール家の代わりくらいにならなれると思っているようだ。


 ムルシア家、アンペール家、このどちらが負けるにしてもハサール王国貴族界の勢力図に大きな変動が起こるのは間違いない。


 これは今や、一人の女をめぐる二人の男の闘いなどという枠を超えたものになっていたのだった。

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