第164話 投げられた手袋

 如何にも仲の良い婚約者同士と言わんばかりのリタとフレデリク。

 そんな仲睦まじい二人の様子を見たジルが、突然叫んだ。


「フレデリク!! 貴様に決闘を申し込む!! それに勝って、リタ嬢を俺のものにさせてもらう!!」


 太くてゴツいわりに妙に短い指。

 その指を勢いよく突きつけると、鼻息も荒く睨みつける。


 しかし言葉の意味はわかっても、その意図が理解できないフレデリクは、思わずその場に立ち竦んでしまう。

 するとジルは、おもむろに左手の手袋を脱いで、勢いよくフレデリクの足元に投げつけた。


 パサリと乾いた音を立てる白い手袋。

 それを見ていた周りの者たちは、その光景に釘付けになってしまうのだった。


 

 手袋を相手の足元に投げつける。

 貴族であればその意味は誰でも知っていた。

 まさにそれは貴族の決闘の申し込みに他ならず、相手がそれを拾うと受諾したことになる。


 その場の全員が知識としてそれを知っていたが、実際に見るのは初めてだった。

 もちろんフレデリクもだ。

 それは無理もない。何故なら、貴族間の私闘――所謂いわゆる「決闘」は、法律で固く禁じられているからだ。


 その法律が定められたのは、今から約100年前。「決闘禁止法」がそれだ。

 少なくともそれ以降、表立って決闘が行われた記録はない。


 その事実を知っているフレデリクは、足元の手袋からジルに視線を移す。

 彼にしては珍しく、その顔は不機嫌だった。


「ジル殿。めでたい祝いの席でのこの行い……正気を疑います。それに私はこのような無法を許すわけにもいきません。如何に貴方でも、貴族間の私闘は法により禁じられているのはご存じでしょう? 有史以前の野蛮人でもあるまいし、このような手段で人の婚約者を奪うなど言語道断です」


 まるで責めるようなフレデリクの言葉。

 しかし、それをジルは鼻で笑った。


「ふふんっ!! 何を言っている。お前は違法だと言うが、それは間違っている。誰が何と言おうと、この申し込みは法にのっとった正当なものなのだ。 ――嘘だと思うのなら、調べてみるがいい。『好誼こうぎ法』の名で王国法典にも載っているぞ」


「なに……?」


 まるでジルらしからぬその言葉。

 普段のジルを良く知るフレデリクには、彼の口からそんな難しい言葉が出てきたことに違和感を感じてしまう。

 これはどう考えても、ジル一人が考えたとは思えなかった。

 つまりこの企みの裏には、誰かの意図が隠れていることを示していたのだ。


 

 

 パーティー会場の一角から、大声が聞こえてくる。

 周りを大勢が取り囲んでいるので詳しいことはわからないが、見たところ何か問題が発生しているのは間違いなかった。

 するとその様子を、遠目に眺める者がいた。 


 それは国王ベルトランだった。

 厳かに行われるべきパーティー会場に、突如沸き上がった怒声とどよめき。

 その尋常ではない光景を見た彼は、従者に問いかけた。


「なんだあれは? なにかトラブルでも起きたのか? 報告せよ!!」


「はっ!! ……詳細を確認してまいりますので、少々お待ちを――誰か事情のわかる者はいるか!? あそこで何が行われている!?」


「は、はい、ご報告いたします。つい今しがた、アンペール侯爵家の嫡男が、ムルシア侯爵家の嫡男に決闘を申し込んだようです」


「なにぃ!? 決闘だと!?」


 その報告に、ベルトランの眉が跳ね上がる。

 椅子から立ち上がると、周りの者たちに確認をした。


「アンペール侯爵の嫡男といえば、あの・・ジルか? ……あの愚か者めぇ、よりによって決闘の申し込みだと!? このような席で正気の沙汰とも思えぬ。 一体何を考えておる!!」


「はっ!! 陛下の仰るとおり、あの・・ジル・アンペールに間違いございません。の者がムルシア侯爵家フレデリクの婚約者を奪おうと、決闘を持ち掛けたようにございます」


「馬鹿か!? 馬鹿なのか!? 元から愚鈍な奴だとは思っておったが、そこまでとは――そもそも、貴族間での私闘は法により禁止されているはずだろう? 違うのか!?」


「は、はい、そのはずです。しかし奴は『好誼こうぎ法』なる法を持ち出してきておりまして……己の正当性を主張しております」


好誼こうぎ法!? なんだ、その法は!? そんなものが存在するのか!? おい、法務大臣!! 確認せよ!!」


「はっ!! 暫しお時間をいただけますれば!!」



 『好誼こうぎ法』なる、まるで聞いたことのない法律。

 その真偽を法務大臣に確認させると、矢継ぎ早にベルトランは次の指示を出す。


「とにかくあの者たちを止めよ!! 真偽の確認が取れるまで一度保留にさせろ!!」


「はっ!! 畏まりました!!」


 国王の命令一下、騎士たちが動き始める。

 そしてその彼らがジルとフレデリクの間に割って入るうちに、法務大臣から報告がもたらされたのだった。




 好誼こうぎ法――通称「NTR法」とも揶揄されるその法律は、間違いなくハサール王国法典に載っていた。

 つまりその法律は、生きているということだ。


 それは今から約200年前に制定されたもので、その成立にはある事無ごとなき人物が絡んでいると言われている。

 

 その法律を一言で言うと、他人の恋人、婚約者、妻を合法的に奪うためのものだ。

 もっとわかりやすく言うと、人の女を力ずくでさらうための法律とも言える。

 そしてその方法は「決闘」だった。


 ある一人の女性がいたとする。

 もしもその女性を巡って二人の男が争った場合、どちらの男が相応しいのかは神に聞かなければわからない。

 そのため「神は正しい者に味方する」と信じられていた当時、決闘で勝った方がその女性に相応しいと誰もが考えた。

 今考えると非常に野蛮で不条理極まりない法律ではあるが、それが現在も有効である以上、誰であろうと従わなければならない。



 悪法とて法である。

 その法律が正当な手続きのもとに制定され、施行され、そして未だ廃止されていない以上、立憲君主制国家であるハサール王国においては、国王ですらそれに拘束される。

 

 確かに約100年前に「決闘禁止法」により決闘行為は禁止されたが、未だ好誼こうぎ法が生きている以上、ジルの行為は合法だ。

 もっとも、わざわざこんな祝いの席でやることなのかと問われれば、些か疑問の残るところではあるのだが。


 法務大臣からその説明を受けたベルトランは、思わず頭を抱えてしまう。

 そして呆れたように言葉を漏らす。


「一体何処の愚か者なのか? そのような下劣で馬鹿げた法を制定したのは!?」


「それは……陛下のご先祖様でございます。八代前の国王――ヴィーラント陛下ですな」


「なぬっ!? ……そ、そうか。 ――それはすまなかった」


「め、滅相もございません!!」


 法務大臣の答えに、何気にバツの悪い顔をするベルトラン。

 その昔家庭教師に習った自身のご先祖様――八代前の国王ヴィーラントについての昔話を思い出していた。




 今から約二百年前、ここハサール王国の中興の祖と言われる、第十三代国王ヴィーラント・ハサールは、その歴史の中でも優れた名君として有名だ。

 隣国であり敵国でもあるカルデイア大公国との諍いでは常に勝利を収め、また外交、内政にも優れた手腕を発揮した。


 その一方、大変な漁色家ぎょしょくかとしても有名だった。

 すでに正妃も世継ぎも数人の側妃さえいる身であるのに、美しい娘がいると聞けば、それが平民であっても手を出していた。

 それがもとで他貴族家との間にトラブルを起こしたことも一度や二度ではなかったが、それでも彼は懲りることがなかった。


 彼の美女に対する執念は、最早もはや病気だった。

 しかし国王としてのヴィーラントの能力は、その実績も相まって誰も疑うものはいなかったので、個人の資質である漁色行為に文句を言う者はいなかった。


 それまで彼は、仕事に私情を持ち込んだことはない。

 公務と私生活は完全に区別して、公人としては非常に優秀だった。

 しかし晩年の彼は、遂に国政に私情を持ち込んでしまう。


 それが俗に言われる「NTR法」、もしくはヴィーラント法――正式名称「好誼こうぎ法」と言われる法律の制定だった。


 周囲の反対を押し切ってでもその法律を制定したのは、ヴィーラントがある一人の女性をどうしても自分のものにしたかったためと言われている。


 

 当時すでに55歳を過ぎていた彼は、そろそろ長男に王の座を譲るとなったその時、反対する重鎮たちをよそに無理やり「好誼こうぎ法」を成立させてしまう。

 そして一地方貴族の妻で絶世の美女として名高かった、当時結婚したばかりのマリベル・バティスタ子爵夫人を奪おうとしたのだ。


 その時マリベルは18歳だった。

 まるで祖父と孫ほども歳の離れた横恋慕に周囲の者たちは必死に止めたのだが、それでもヴィーラントは聞く耳を持たなかった。

 そして制定したばかりの法律を援用すると、マルベリの夫バルドメロ・バティスタ子爵に決闘を申し込んだのだ。


 もちろんバルドメロはそれを断ろうとした。

 すでに高齢の国王と本気でやりあえば、恐らくバルドメロが勝ったのだろうが、まさか国王相手に本気を出すわけにもいかなかったからだ。

 たとえ茶番だとしても、国王を傷付けてしまえば大変なことになってしまう。

 下手をすれば子爵家は取り潰され、一族郎党皆殺しにされる恐れさえあった。


 しかし申し込まれた決闘を受諾しないことは、死に値する不名誉と考えられていた当時、結局バルドメロはその申し込みを受けざるを得なくなってしまった。


 二人の立会人と多くの観衆のもとに二人が闘った結果、どうしても本気を出せないバルドメロをヴィーラントは勢い余って殺してしまう。

 すると妻のマルベリは、夫の亡骸にすがりつくと、ヴィーラントに呪いの言葉を吐きながらその場で自害してしまったのだ。

 夫を殺したその剣で、己の首を突き刺して。


 愛する夫を奪った男のものになることを、彼女は己の死を以て拒絶したのだった。



 その翌年、国王ヴィーラントは息子の即位を待たずに病死してしまう。

 後の研究でそれは梅毒であることがわかっているのだが、当時はその壮絶な死に様にマルベリの呪いだと言われたものだ。


 結局その一件を最初で最後にして、その後「好誼こうぎ法」を援用する者はいなかった。

 そのうちこの不条理の塊のような法律は、廃止することすら忘れ去られたまま、王国法典の中に埋没していく。

 そして今回、なんと約200年ぶりにその法律を持ち出してきたのが、ジル・アンペールというわけだったのだ。




 国王の指示のもと、ジルとフレデリクの間に数人の騎士が仲裁に入る。

 そして彼らからその説明を受けたフレデリクは、鼻息を荒くするアンペール侯爵家嫡男を前に考えた。


 これは最早もはやこの男と自分だけの問題ではないだろう。

 お世辞にも頭が良いとは言えないこの男が、ひとりでこんなマイナーな法律を持ち出してくることなどあり得ない。

 恐らく彼の背後には、実家――アンペール侯爵家の思惑があるはずだ。


 自分と彼の家は「東のアンペール、西のムルシア」と言われるほどに、武家貴族家としては昔からライバル関係にある。

 そして同じ侯爵家であるにもかかわらず、家の歴史の古さからムルシア家の方が序列は上だった。


 それがアンペール家には、昔から気に入らなかったらしい。

 事が起これば常にムルシア侯爵軍が駆り出され、アンペール侯爵軍はいつもその後始末だけをさせられる。


 もっともそれは、ムルシア軍の方が実戦経験が豊富なので仕方がなかったのだが、それもまたアンペール家は気に入らなかった。

 そして彼らは常にムルシア家の鼻を明かしてやろうと、虎視眈々と狙っていたのも事実だ。


 それが今回、こんな形で仕掛けてくるとは夢にも思わなかった。

 なによりも名誉を重んじる貴族社会において、申し込まれた決闘を受諾しないことは死に値する不名誉だ。


 これが文官などの家系であれば違うのだろうが、ムルシア家は武家貴族筆頭にして、王国を代表する軍隊を有する武闘派の侯爵家なのだ。

 そして自分は、将来父親の後を継いで将軍になる身でもある。


 そんな自分である以上、この喧嘩を買わない選択肢はあり得ない。

 次期ムルシア家当主ともあろう者が、闘わずして逃げたなどと言われてしまえば、それは家の名誉を傷つけ、評判を落とし、自分自身も一生陰口を叩かれ続けるだろう。


 だからアンペール家は、自分が絶対にこの申し出を断れないとわかったうえで仕掛けてきているのだ。

 それは間違いなかった。



 そしてリタだ。

 もしもジルとの決闘に敗れてしまえば、もちろんリタを奪われてしまう。

 それも合法的に、だ。

 そんなことは絶対に許せないし、あり得ない。


 確かにこの決闘を断ってしまえば、リタを奪われることもないだろう。

 しかしそこに男としての矜持があるのかと問われれば、些か疑問だ。

 降りかかる火の粉は逃げ惑うのではなく、両手で振り払うべきなのだ。


 それにリタにしても、闘わずして逃げた挙句に、家の名誉を失墜させ、評判を落とし、一生陰口を叩かれるような男のところになど嫁ぎたくはないだろう。


 自分はリタが好きだ。

 確かに始まりは親同士が決めた婚約者だった。しかし気付けば、こんなにも彼女を愛する自分がいる。

 この想いに偽りはない。それならば、実力を以てリタを守りきるまでだ。

 それすらできないのであれば、この素晴らしい女性の伴侶になどなる資格はないのだ。



 それまで黙って地面を見つめていたフレデリクは、急にその瞳に光を灯らせる。

 精悍だが少々線の細いその顔に決意のようなものを漲らせると、キッとジルを睨みつけた。


 そして視線をジルから外さずに、地面に落ちていた手袋をゆっくり拾い上げたのだった。

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