第162話 狙われた伯爵令嬢

 リタとエミリエンヌが、猪のような少年――ハサール王国東部辺境侯アンペール侯爵家嫡男、ジル・アンペールに出会った二週間後、遂に成人の儀が執り行われる日となった。


 リタと言い合いをした翌日に、一言も告げないまま軍の演習のためにムルシア領に戻ったフレデリク。

 その後彼から手紙も連絡も来ることはなく、さりとて帰ってくる気配すらない。


 メイドの苦言やエミリエンヌの忠告によって、些か自分も言い過ぎたと反省しきりのリタだったが、その反省の弁を述べたくとも肝心の婚約者が帰って来なければ言いようもない。

 今回の軍事演習は期間も規模も公開されておらず、試しにエミリエンヌに訊いてみても彼女も知らないと言う。

 そんな訳で、結局リタにはおとなしく家で待つくらいしかできることはなかった。





「あぁ、リタ。とても綺麗だよ。うん、素敵だ。さすがはエメラルダの血を引くだけはある」


 成人の儀当日の朝。

 先日のお披露目以降二度目のリタのドレス姿だったが、相変わらずの美しさ、可憐さ、愛らしさに父親のフェルディナンドが感嘆のため息を吐く。

 そして自身の隣で満足そうに頷いている妻を見やると、そっと声をかけた。


「なぁ、エメラルダ。こうして着飾ったリタを見ていると、まるで昔の君を見ているようだよ。君の成人の儀でのドレス姿も、今のリタに負けず劣らず美しかったからね」


「……もう。こんなところでやめてください。恥ずかしいでしょう」


 今年34歳になったエメラルダは、まるで生娘のように夫の言葉にポッと頬を染める。


 小柄と言われる153センチのリタよりもさらに1センチ背の低い、相変わらずの低身長童顔ロリむち巨乳人妻のエメラルダではあるが、さすがに重ねた年齢には勝てないらしい。


 目の周りや頬には年齢相応のシワや弛みが見え、肌の張りも年々衰えていた。

 それでも遠目で見る限りは未だ二十代半ばに見えることもあり、彼女の若々しさは健在だ。

 

 そんな「ロリババア」を地でいくエメラルダだったが、夫のフェルディナンドは今でも大好きだった。

 年齢を考えるとこれ以上子供を作るつもりはないようだが、それでも二人が未だに仲良くしている様子は伝わってくる。

 何故なら、時々二人の寝室に鍵がかかっていることがあるからだ。



 娘と息子のいる前なのに、かまわずイチャイチャし始める両親。

 そんな二人を半目で見つつ、リタは祖父母に挨拶をした。


「お爺様、お婆様。この度は準備のために色々とお手間を取らせました。改めてお礼申し上げます」


「なぁに。可愛い孫娘のためだ。なにも手間だなんて思っていないよ」


「そうですよ。わたくしたちはあなたが幸せであれば満足なのです。そのために生きていると言っても言い過ぎではないくらいですもの」


「……ありがとうございます。お二人のような素晴らしい方を祖父母に持てて、私は本当に幸せです」


 美麗なドレスに身を包み、高く髪を結い上げ、これ以上ないほどに美しく化粧を施されたリタ。

 そして華麗な言葉と所作で挨拶をする。


 その姿を見ていると、まるでリタが嫁ぐ直前のような錯覚に陥ってしまったイサベルは、思わず涙を流してしまう。

 そんな祖母に気付いたリタは、心配そうな顔をする。



「お婆様、如何されましたか? どこかお加減でも?」


「い、いいえ、なんでもありません。 ――ただ……貴女のその姿を見ていると、数年後に嫁ぐ日の光景が頭に過ってしまったのです。あぁ、貴方は本当に美しく、そして素晴らしい女性に成長しましたね。出来得るならこのままずっと手元に置いておきたい――」


「イサベル。リタが嫁ぐまではまだ数年あるだろう? さぁ、そんな顔をせずに笑顔で送り出そうじゃないか。べつにこのままいなくなったりはしないよ。夕方にはまた帰って来るじゃないか」


「そ、そうですわね……取り乱して申し訳ありません。 ――さぁ、リタ。貴方のその姿を、屋敷の者たちにもお見せしてきなさい。皆もその姿を誇らしく思うことでしょう」


「姉上!! それじゃあ、僕がエスコートします!! さぁ、お手をお出しください!!」


 イサベルの言葉に大きく頷くと、鼻息も荒く弟のフランシスが手を差し出す。

 些か中性的で愛らしいその顔には、美しく優しい姉を崇拝する純粋なまでの想いが溢れていた。

 姉と同じ灰色の瞳を輝かせながら、使命感に燃える顔を真っすぐに向けるその様は、まるで飼い主にじゃれ付く子犬のようにも見える。


 そんな愛する弟に手を引かれ、リタは屋敷の中を練り歩いたのだった。




 ――――




「君たちは今日を以て大人の仲間入りを果たした。つまり、もう守られる存在ではないのだ。これからは――」


 ハサール王城の荘厳な広間に、国王ベルトラン・ハサールの声が響き渡る。

 まさにその「堂々たる英傑」と呼ぶに相応しい国王の姿を見つめながら、背筋を伸ばし、緊張の面持ちで聞く若者たち。


 今日この場に集まる者たちは、全員が今年15歳になるハサール王国内の貴族子息女たちだ。

 朝から開かれた式典に参加した彼らは、今は国王の訓示を聞いているところだった。


 この式典も国王の訓示も、早い話が単なるセレモニーでしかない。

 普通であればこんな訓示など真面目に聞く者もいないのだろうが、今この場にいる者たちは全員が真剣に、そして厳かに王の言葉に聞き入っていた。


 この場の殆どの者たちは、自国の王を初めて見た。

 確かに年初に行われるパレードでは、王族も民衆の前に姿を見せる。

 しかしそれは王城のバルコニーから手を振る姿を遠目に眺める程度であって、その顔までもじっくりと見ることはできない。

 

 だから目の前の演台に立つ国王ベルトランの雄姿は、彼らにとってとても眩しく見えたのだ。



 ハサール国王ベルトラン・ハサールは、今年55歳になった。

 年齢的にはそろそろ息子にその座を譲る頃であり、実際に再来年には引退することを決めていた。


 彼の息子で次の国王――フェリシアノ・ハサールは、すでに一児の父になっていた。

 その子供は現在二歳の可愛い盛りの女児で、名はベルティーユ。

 三年前に国内の公爵家から娶った妻シルヴェーヌとの仲も良好で、今年の後半には第二子が誕生予定だ。



 訓示を垂れるベルトランが畏まる若者の顔を順に見ていくと、そのどれもが緊張感に満ち溢れ、真剣に自分の言葉を聞いていた。

 その顔に満足そうな笑みを浮かべながら尚も列席者を見ていくと、ある一人の少女の前で目を止める。

 そしてその瞳を細めた。


 それはレンテリア伯爵家次男令嬢、リタ・レンテリアだった。

 少々小柄とは言え、滅多に見ないほどに美しい顔をしたその少女は、他の者と同じように緊張に顔を強張らせている。

 そしてベルトランと目が合った瞬間――ニコリと微笑んだ。


 ベルトランはその少女を知っていた。

 今でこそ愛らしくも美しく成長していたが、その顔には幼少時の面影が色濃く残っていたからだ。



 リタ・レンテリア

 その名を初めて聞いたのは、今から約11年前だ。

 他家の娘と駆け落ちしていたレンテリア家の次男が、五年ぶりに帰って来たと聞いた。

 落ち延びた先で生まれた、幼い娘を連れて。

 それがその少女だった。


 しかしベルトランは、その話を大して気にも留めなかった。

 決して多くはないが、これまでも他にそんな話は聞いていたし、もとより貴族子息女の結婚には大小様々なトラブルが付いてまわるものだからだ。

 

 だから今回の件も、派閥の長である侯爵家が良いように話をつけるのだろうと思っていた。

 しかし蓋を開けてみると、なんとその派閥の長――バルタサール・ムルシア自らが、その女児を欲しがったと言うではないか。

 そして己の孫の婚約者にするのを条件に、その件を手打ちにしたとも聞いた。



 あの・・バルタサール卿をして、そこまでさせた人物なのだ。

 果たしてどれほどの者なのかとベルトランも非常に興味を持ったのだが、忙しさにかまけてそのままになっていた。


 そこにあのムルシア公暗殺事件の発生だ。

 その時に呼びつけたブルゴー王国の勇者ケビン。

 交渉事に長け、決して媚びずへつらわず、強硬な姿勢を崩さない彼は、非常に手強い相手だった。

 その姿に勇者の呼び名は伊達ではないと思ったものだ。


 そんなケビンに対して交渉は手詰まりとなったのだが、その時に現れたのがリタだった。

 亡きバルタサールとの約束のせいで未だ詳細は不明だが、宣言通り彼女はケビンを説き伏せてみせたのだ。

 

 結局容疑者である第一王子は謎の失踪を遂げてしまい最後は有耶無耶になってしまったが、最終的にその件でブルゴー王国から謝罪を引き出せたのは、ひとえにリタのおかげだと言っていい。


 その後のリタの活躍は有名だ。

 史上稀に見る強力な「魔力持ち」で有名な彼女は、史上最年少の13歳で二級魔術師の免状を貰うほど有能な魔術師となり、いまも現役で活動中。

 話によれば既に一級の実力はあるのだが、多分に政治的な理由によりその授与は先延ばしにされているらしい。


 そんな少女が再び目の前に現れた。

 愛らしくも美しく成長した姿で。


 

 

 長いようで短い国王の訓示が終わると、その後に宰相や主だった大臣たちが一言ずつ挨拶をした。

 そして若者たちが一通り国の重鎮の顔と名前を憶えた頃に、その場はお開きとなった。


 別室に移動させられた若者たちは、昼からの立食パーティーが始まるまでそこで待たされていた。

 するとそこに、別の若者たちが続々と合流し始める。

 その殆どが男性で、年齢も十代後半から二十代前半の者が多い。

 そして彼らが何者なのかと問われれば、それは今日の主賓の婚約者たちだった。


 昼から開かれる立食パーティーの目的は、自身の顔を売ることと、人脈を作ることに他ならない。

 今日のこの場をおいて国中の同年齢の者が集まる機会など今後はなく、ここで如何に人脈を作れるかが今後の人生を左右すると言っても過言ではなかった。


 だから婚約者のいる者はその同伴を許されている。

 何故なら、将来の嫁ぎ先、妻になる者の実家も含めた人脈も同時に作る必要があるからだ。

 その意味において、15歳の時点で婚約者のいない者は、既に人脈戦争に出遅れていると言っていいのかもしれない。


 そのために彼らは、事前に出席者の名前と家名と領地の場所、そして派閥や力関係などを可能な限り頭に叩き込んでくる。

 自己紹介の時に家名を聞いただけで、その者と他家との関係をイメージできるようになれば、それだけ有利に物事を運んでいけるからだ。


 だから名門貴族レンテリア伯爵家令嬢のリタの名を聞いて、即座にピンと来なかったジル・アンペールは、その意味においては失格と言って良かった。


 

 続々と控室に入ってくる出席者の婚約者たち。

 それぞれがそれぞれの相手を見つけると、嬉しそうにペアを組む。

 中には互いに嫌そうな顔をする者もいるのだが、そんな彼らは辛い政略結婚の犠牲者なのかもしれない。


 そんな姿を所在なげに部屋の隅に立ったまま、リタとエミリエンヌが見つめていた。


「いいわねぇ、リタは。たとえここにはいなくとも、あんたには兄さまという立派な婚約者がいるのだから。それに引き換えこの私は――」


 何処か不貞腐れた声でぼやくエミリエンヌ。

 すると自嘲めいた笑みを浮かべたリタが囁く。


「いいじゃない。焦ることないわよ、婚約なんて。そのうちエミリーの良さを理解してくれる素敵な殿方が現れるわよ。 ――でもそれってある意味幸せなんじゃない? すでに相手の決まっている私には、そんな楽しみも夢もないんだから」

 

「……まぁ、物は言いようよね。私たち貴族令嬢には、そんな素敵な恋なんて許されないのだし。どうせ私も両親が決めた相手に渋々嫁いでいくしかないんでしょうね」


「ま、まぁ……」


「それを思えばリタ、貴方は恵まれているかもよ? うちの兄さまなんて、聞き分けは良いし、優しいし、ゴリラじゃないし、意外と優良物件かもね。少なくともあんな猪のところに行けと言われるより、100億倍マシよ」


 そう言ってエミリエンヌは、遠くでキョロキョロ誰かを探すジル・アンペールを指差した。

 そして突然口に手を当てた。



「あらやだ!! まさかあいつ、あんたを探しているんじゃないわよね?」


「えぇ?」


「この前カフェで会った時、どうも様子がおかしかったでしょう? なんだかあんたに一目惚れしたみたいな感じだったのよねぇ……だからあの時、すぐに私は席を立ったのだけれど」


「そうだったの? 私はてっきり、エミリーがジル様を嫌いなだけなのかとばかり――」


「まぁ、嫌いなのは確かだけれど。それにしても、あんたも鈍いわねぇ。目の前の男が自分をどんな目で見ているかくらい、すぐにわかるでしょう? いくら婚約者が決まっているからって、あんたちょっと油断し過ぎじゃない?」


「えぇ……」


 

 リタの身体に転生して12年。

 今ではすっかり馴染んでいたアニエスではあったが、こと男女の関係、特に恋愛になると相変わらずポンコツだった。


 そもそも212年にも及ぶ前世において、ただの一度も恋愛経験がなかったのだ。

 確かに21歳の時に魔法省の役人――スヴェンと知り合い、告白までされたこともある。

 しかしそれももう200年近くも昔の話だし、不幸な理由によってそれで終わってしまっていた。

 だからそれを彼女の恋愛経験に含めて良いのか甚だ疑問だ。


 

 そんな訳で、エミリエンヌに言われるまでちっとも自覚していなかったリタだが、思えばあの時のジルは確かにおかしかった。

 自分の言動に頬を染め、緊張し、喋らなくなったのだから。


「そう言われれば……確かに……」


 その光景を思い出しつつゾッとしていると、突然エミリエンヌが悲鳴のような声を上げる。


「あっ!! 見つかった!! こっち来る!! あぁやだ、もう最悪ぅー!!」


 その声にリタが見やると、丸太のような腕で他の者たちを掻き分けながら、ジルが自分の方に真っすぐ近づいて来るのが見えた。

 そしてどんどん接近してくるその姿に、恐怖すら覚え始めたその時――



「あぁ、よかった!! 間に合ったよ、リタ!! 何とか帰って来られたんだ!!」


 聞き覚えのあるその声。

 優しくて、温かくて、何処かホッとするその声。

 思わず涙が出そうになる、懐かしいその声。


 その声にハッとリタが振り向くと、そこには正装した婚約者――フレデリク・ムルシアが立っていたのだった。

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