第161話 よこしまな想い

 そんなこんなで場所は戻って、ここはハサール王国の首都アルガニル。

 如何にも若い女子ーズが好きそうな、最近オープンしたばかりの真新しいカフェに、朝からかしましい声が響いていた。


「ねぇ、リタ。一昨日兄さまがしょんぼりと帰って来たと思ったら、すぐに軍の演習に出て行ってしまったのだけれど……もしかして何かあった?」


 少々甲高くよく通るその声は、ムルシア侯爵家長女のエミリエンヌのものだ。

 彼女は普段、首都から馬車で五日離れた領都カラモルテに住んでいる。

 そんな彼女が何故ここにいるかと言うと、二週間後に迫る成人の儀のために、先に一人で首都に出て来ていたからだ。


 そして約半年ぶりの首都を満喫しつつ、リタや旧知の友人たちと遊びながら式典の日を待っていた。

 今日のリタは、そんな彼女と二人で出来たばかりのカフェで駄弁だべっていたのだ。


「うん、ちょっとね。フレデリク様の言葉に苦言を呈してしまって……」


「えぇ? またぁ!?」


 少々くだけた感じのリタの口調は、婚約者フレデリクの前とはまた違うものだった。

 その話しぶりは15歳の少女そのままで、決してそこには畏まった様子は見えない。



 リタとエミリエンヌは同い年だ。

 互いに同じ年に生まれたうえに、誕生月までも近かった。

 気が強く自己主張の激しいこの二人の性格はよく似ており、それが原因で幼い頃はよく喧嘩をしたものだ。

 それは口喧嘩のみならず、時々叩き合いにまで発展するような激しいもので、泣きべそをかきながら互いの頬を張り合ったりもした。


 それは最早もはや風物詩のようなもので、ムルシア家とレンテリア家が集まった時には必ず見られる光景だった。

 いくら周りの大人たちが止めようとも、彼女たちは顔を見る度にいがみ合っていたのだ。


 それが年齢を重ねていく度に、二人は親しい友人になっていく。

 本来の二人の関係は「兄の嫁」と「小姑」だが、本心をさらけ出す殴り合いの喧嘩を何度も演じてきた彼女たちは、今や親友のようになっていた。



 15歳になったエミリエンヌは、予想通り美しい少女に成長していた。

 父親譲りの薄茶色の髪に母譲りの黒い瞳。

 気の強さを表すように少々吊り上がったその瞳は、まるでアーモンドのような形だ。

 まさに「脳筋ゴリラ」としか表現できない父親の外見には奇跡的にも似ておらず、顔のパーツの大部分は母親の血を色濃く受け継いでいた。


 その母親は、少々背が低いだけが欠点と言われるほどの絶世の美女と名高い「ムルシアの女狐」なのだ。

 エミリエンヌの容姿の美しさは、推して知るべし、だ。


 そして身長183センチの父親に似たその背の高さは、絶賛成長期の15歳の現在でも、すでに165センチに達していた。

 母譲りの超絶的美貌と父譲りの背の高さ。

 その二つが絶妙に混ざりあった美少女エミリエンヌに、全く死角は見当たらない。



 そんな絶世の美少女の呼び名も高いエミリエンヌが、これまた人目を惹きまくる美少女のリタを見つめていた。

 吊り上がるアーモンド形の瞳を鋭く細めながら、見透かすようにその顔を凝視する。


「あんたさぁ、いつも偉そうに言ってるけれど、自分だってどうなのよ? 人に言えるほどできていないと思うわよ。そのくせいつも正論ばかりぶつから、言われた方はイラっとするのよ。自覚ある?」


「うっ……」


 その言葉にリタは、思わず自分の胸を押さえてしまう。

 まさにその言葉は図星だった。


「まぁね。確かにあんたが言いたくなる気持ちもわかるけどねぇ…… しっかり者のリタから見たら、うちの兄さまなんて頼りなく見えるだろうし」


「そ、そんなことはない。フレデリク様は優しいし、いつも私に良くしてくれるし……」


「そりゃあね、兄さまが優しいのは私も認める。それは間違いない。それに不本意ながら、どうやら兄さまはあんたのことが好きみたいだしね。 ――それにしても、こんな珍ちくりんの何処が良いのかしらねぇ」


 そう言いながらエミリエンヌは、リタの頭の先から足の先まで無遠慮に視線を泳がせる。

 確かに165センチもある彼女の横に立つと、153センチのリタはとても小柄に見えるし、些か童顔な顔立ちも相まってエミリエンヌよりもだいぶん子供っぽかった。



 そんなリタが気色ばむ。


「な、なによ、エミリ―!! 珍ちくりんで悪かったわね!!」


「あら……ここのお店って、パフェも美味しいのね。カラモルテにも支店を出さないかしら……」


 眉を吊り上げたリタを無視するように、エミリエンヌがうそぶく。

 それから暫くすっとぼけていると、急に真面目な顔になった。


「ねぇ、リタ。前から気になっていたんだけど、あんた私と兄さまの前では態度が違うわよね。私にはそんな言葉を吐けるのに、兄さまの前ではいつも澄ましているじゃない? もう少し柔らかい感じにできないのかしら?」


「柔らかい……?」


「そう。なんて言うか、もっとこう……気安い感じ?」


「ふぅ…… それと同じことを、うちのメイドにも言われた。もう少しフランクな感じにした方がいいって。だけど、フレデリク様は侯爵家の嫡男だし、将来は当主になられるお方。そんな方にフランクな接し方なんて……」


「それじゃあ訊くけど、どうして私にはそんなぞんざいな口のきき方なわけ? 一応は私だって武家貴族筆頭のムルシア侯爵家の令嬢なのよ? もう少し敬意を払いなさいよね!!」


「あなたはあなただからいいのよ。どうせエミリーなんだし」


「ちょっと!! それってどういう意味!?」




 わいわいと楽し気な声がカフェに響く。

 明らかに貴族令嬢であることがわかる二人には、他の客は近づいて来ない。

 そして滅多に見られないような美しい少女たちに羨望の目を向けながら、彼らは遠巻きに眺めているだけだった。


 もっともそれは二人の周りに陣取る従者たちが、周囲に鋭く目を光らせているからに他ならなかったのだが。


 しかしその日は、いつもと違っていた。

 その横から不意に声をかけてくる者がいたのだ。

 

「おや? これはこれは、ムルシア家の御令嬢ではないか。こんな場所でどうされたのだ?」


 太く、低く、聞き取りにくい声。

 そしてその声に含まれる隠しようのない、まるで嘲るような響き。

 その声に生理的な嫌悪感を滲ませながら、エミリエンヌは振り向いた。


「あら、奇遇ですわね、ジル様。あなたこそこんなところでどうされたのです? ――ここは女子供が集うカフェ。およそ殿方が来られるような場所ではないと心得ますが」


 そう言ってエミリエンヌは、一人の大柄な男性――いや、未だ少年と言った方が適当か――に鋭い眼差しを向けた。



 180センチはあるだろう長身に、一目見ただけで只者ではないとわかる大きな体躯。

 下半身よりも上半身の方が太く大きい独特の体形と、顔と同じ幅の太い首は、その風貌も相まってまるで猪のように見える。


 身体と同じく厳つい顔に、何処か嘲るような、見る者を不快にさせるような表情を浮かべて、その少年はエミリエンヌを見ていた。


 それはハサール王国東部辺境侯アンペール侯爵家嫡男、ジル・アンペールだった。

 リタ、エミリエンヌ同様、今年15歳になる彼は、成人の儀に出席するために首都屋敷に来ていたのだろう。

 そしてここでばったりと出くわしてしまったらしい。



 ハサール王国東部国境を含む一帯を治めるアンペール侯爵家は、昔からムルシア侯爵家とライバル関係にある。

 広大な面積を誇る領地も、豊富な農作物や手工業による安定した収入も、他国と国境を接する地政的理由から持つ強大な軍隊も、その全てにおいてほぼ同規模だった。

 

 昔から「東のアンペール、西のムルシア」と言われるほどにその軍事力は拮抗しており、自他ともに認めるハサール王国の二大武家貴族と言われてきたのだ。

 それでも家の歴史はムルシア家の方が古いため、同じ侯爵家ではあるが、家の序列はムルシア家の方が上だった。


 さらにその抱える軍隊の質も違う。

 軍事侵略国家カルデイア大公国と国境を接するムルシア領に対し、昔から友好関係を築いてきたファン・ケッセル連邦国と国境を接するアンペール領。


 これまで300年以上に渡り隣国の侵略を防いできた実戦経験豊富なムルシア侯爵軍に対し、これまで一度も実戦を経験したことのないアンペール侯爵軍。


 確かに軍の規模は両家ともにほぼ同じだが、その質には明確な差があった。

 だからムルシア軍の兵たちはアンペール軍を馬鹿にするし、アンペール軍はムルシア軍を野蛮人と呼ぶ。


 そんな互いに相容れない家の長男と長女が、首都アルガニルのカフェで突然鉢合わせしてしまったのだった。




「エミリエンヌ嬢。もちろんお前も成人の儀に出席するんだろう? それで、婚約者は決まったのか? 同伴者がいなければ寂しいだろうに」


 ふふんっ、と小さく鼻息を吐くジル。

 いちいちその仕草が、相手をイラっとさせる。


「あら、ご心配は無用でしてよ。わたくしは一人でも寂しいなどと思ったことありませんわ。貴方様と違って一緒に出席する友人がおりますもの」


 そう言ってエミリエンヌは、隣に佇むリタをチラリと見る。

 するとその視線に誘われたジルもリタに目を向けた。

 その瞬間、彼の両目が見開かれる。

 顔の大きさの割に極端に小さな瞳が、リタの顔に釘付けになっていたのだ。

 


 椅子に座っているのでよくわからないが、細くて小柄な体。

 丁寧に仕上げられた豪奢な縦ロールが目を引く、輝くようなプラチナブロンドの髪と、それを飾り付ける大きな赤いリボン。

 まさに神の御業かと見紛うような完璧に整った目鼻立ちは美しくも愛らしく、中でも筋の通った小さな鼻が可愛らしかった。


 そしてドレスの上からでもわかるほどの華奢な体つきに対し、些かアンバランスなほどに大きな胸。

 今日は普段用の簡素なドレスに身を包むリタではあるが、そのシンプルな装いが余計に彼女の愛らしさを際立たせていた。


 ジルにとって、まさにその全てが理想の女性だった。

 すると彼は焦ったように紹介を求める。



「お、おい、エミリエンヌ!! こ、このご令嬢は誰だ? 名前は? 俺に紹介しろ!!」


「えっ……? あぁ…… 貴方様にそれを教える義理はなくてよ。そんな不調法な挨拶しかできない殿方には尚更ですわ」


「う、うるさい!! いいから紹介しろ!!」


 大声で声高に命じる野太い声。

 それはどう聞いても初対面の相手を紹介してもらう態度には見えない。それが女性であれば尚の事だ。

 およそ貴族子息には見えない、粗暴、粗雑としか言いようないその態度こそが、エミリエンヌにして生理的嫌悪感を感じさせるところだった。


 それでもこのままジルを無視するわけにもいかないエミリエンヌは、仕方なくリタを紹介することにした。


「はぁ…… いいですこと? 一度しか言いませぬゆえ、よくお聞きください。 ――この子はリタ嬢。リタ・レンテリア嬢よ。名門レンテリア伯爵家の次男令嬢でしてよ」


「リタ・レンテリア……嬢?」


「そう、リタ嬢ですわ。いくら田舎者の貴方様でも、名前くらいは聞いたことあるでしょう? 色々と有名ですもの」


「リタ……レンテリア……」


 その名を聞いたジルは、お世辞にもあまり動きが良いとは言えない頭を必死に働かせて思い出す。



 確かにその名は聞いたことがある。

 しかし何処で聞いたのかが思い出せない。

 そしてどんな人物なのかも、だ。

 これだけ美しい少女なのだから絶対に有名なはずなのに、どうしても思い出せない。

 くそぉ……

 


 まるで猪のような顔を歪ませながら、必死にジルが思い出そうとしていると、その横の従者が小さく耳打ちをする。

 するとその顔に理解の色が広がった。


 しかしジルがその名を口にする前に、優雅な所作でリタが立ち上がる。

 そして両手でスカートの裾を持ち上げながら、貴族令嬢の挨拶――カーテシーを披露した。


「レンテリア伯爵家次男フェルディナンドが長女、リタ・レンテリアでございます。ジル・アンペール様にはご機嫌麗しく。お初にお目にかかれて光栄ですわ」


「あ、あぁ…… ハ、ハサール王国東部辺境侯アンペール侯爵家が嫡男、ジル・アンペールだ。こ、こちらこそ、よ、よしなに頼む」 


 突然リタに優雅な挨拶をされたジルは、何気に頬を赤らめながら直立不動になる。

 そして身体の前で両手を合わせたままのリタの立ち姿を、頭の先から足の先まで何度も目に焼き付けた。


 そのあまりに無遠慮な視線にリタが苦笑していると、ジルの脇腹を従者が突いた。

 そして耳元で忠告する。


「ジル様。レディに対して失礼ですよ。あまりジロジロと見てはいけません」


「あ、あぁ、そうだな……」


 直前までの威勢の良さは何処へやら、まるで牙を抜かれたように大人しくなったジルは、それ以上言葉が出て来ずに立ち竦んでしまう。

 するとその立ち上がった猪のような姿にエミリエンヌが声をかけた。



「これ以上ご用がなければ、わたくしたちはこれで失礼いたしますわ。せっかく美味な甘味をいただいておりましたのに、貴方様の顔を見たら食欲がなくなりましてよ。 ――では、ごきげんよう」


 同席するリタの意向などまるで確認せず、突然エミリエンヌが立ち上がる。

 すると未だ半分しか食べていないパフェに名残惜しそうな視線を向けながら、慌ててリタは後を追った。

 

 それでも格上の貴族嫡男には最低限の礼を尽くすべきだと思ったのだろう。

 背を向けてさっさと歩き出すエミリエンヌを尻目に、リタは優雅な挨拶を交わした。


「お会いできて光栄でございました。ジル様も成人の儀にご出席なさるのでしょう? それではその席にて再びお会いしましょう。楽しみにしておりますわ。それでは、ごきげんよう――」


 クルリと振り向くと、足早にエミリエンヌを追いかけるリタ。

 その華奢な背中を見つめながら、ジルは呟く。


「あぁ……美しい……なんて愛らしい女性だ…… 欲しい、手に入れたい。あの令嬢を俺のものにしたい……」


「ジル様?」


「リタ・レンテリア。 ――あぁ、遂に俺は理想の女性に巡り合えた。何としてでもあの令嬢を手に入れる。俺の妻に迎えてやる!!」



 怪訝な顔を向ける従者にはまるで構うことなく、ハサール王国東部辺境侯アンペール侯爵家嫡男ジル・アンペールは、歩き去るリタの姿をいつまでも見つめていたのだった。

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