第160話 ハゲるほどの悩み

「お前とケビンの長男――クリスティアンなのだが、養子に出す気はないか?」


「えっ……?」


 その言葉の意味を、エルミニアは咄嗟に理解できなかった。

 ともすれば間抜けにしか見えない顔をしながら、ポカンと父親を見つめる。

 彼女がそんな顔をしたのは、理解力が劣っているとか、話がよく聞こえなかったとかではなく、あまりに父親の言葉が足りなかったからだ。


 そしてそれを十分承知しているアレハンドロは、自分を見つめながら口を半開きにしたままの娘に尚も言葉をかけた。


「あぁ、すまぬ。これだけでは全く意味がわからんだろうな」

 

「は……はい……」


「イサンドロの妻――エグランティーヌの悩みは知っておろう? 彼女と親しいお前ならば聞き及んでいるはずだ」


「え? あぁ、はい。それは聞いておりますが……」




 先王アレハンドロの次男で第二王子のイサンドロは、今から7年前、28歳の時に結婚した。

 相手はエグランティーヌという20歳はたちの女性で、ブルゴー王国の名門貴族、モンテルラン公爵家の長女だ。


 結婚時すでに28歳になっていたイサンドロは、すぐにでも世継ぎが生まれることを期待された。

 しかし結婚後7年経った今も、二人の間に子供はいない。 

 

 ご存じのように、嫁いだ嫁の一番の仕事は世継ぎを生むことだ。

 それも一人ではなく、少なくとも二人以上は生まなければならない。

 小児医療が未発達なこの時代において、乳幼児の死亡率はそれなりに高かった。だから、第二子以降を予備として考えた場合、できるだけ多くの子供を生む必要があったのだ。


 もっともあまり子を生み過ぎると、将来跡目争いなどの要らぬ諍いの種になるので痛し痒しではある。

 それでもアレハンドロの長男――第一王子セブリアンが失脚して行方不明となった今、代わりに王となったイサンドロは子を作ることが急務だった。

 

 特に徹底的な血統主義を貫くブルゴー王室において、王になる者は必ず王家の血を引いていなければならない。

 どんなに優れた人物であったとしても、王族の血筋でない者は決して王にはなれない決まりなのだ。それに例外はない。


 それはこの国が建国された時からのことわりであり、決して侵してはならない聖域でもあった。




 未だ胡乱な表情を隠せないまま返事をするエルミニア。

 その顔を見たアレハンドロは、したり顔で頷いた。

 

「そうであろう。すでに結婚して7年。未だ子をさぬエグランティーヌは、さぞ焦っているであろうな」


「はい。ここだけの話ですが、エグランティーヌ様は、最近その点について疑念をお持ちのようです」


「疑念とは?」


「陛下との間に子ができないのは、ご自分のせいではないのではないかと。事実、二年前に囲った側妃――ウルリケ様との間にも未だに子ができていませんし」


「……確かにな」


 

 イサンドロが結婚して5年経った頃、いつまで経っても子ができないことに焦った王国府の者たちは、彼に側妃を囲ったらどうかと進言した。

 どうやら彼らは、子ができないのは正妃エグランティーヌに原因があるのではないかと思ったようだ。

 そして世継ぎ問題を解決するために、たとえ側妃でもいいからとにかく早い子の誕生を望んだのだ。


 それはまるで正妃を軽んじるような提案ではあったが、イサンドロは二つ返事で了承する。

 そして彼自ら選んだ女性が、ウルリケ・ヘルツェンバインだったのだ。


 その選択に、王国府の者たちは大慌てした。

 何故ならその人物は、イサンドロが十代の頃から付き合っていた、言わば恋人のような女性だったからだ。

 しかも当時その年齢は30を過ぎており、25歳の正妃エグランティーヌを差し置いて子を生そうとするには些か歳をとりすぎていた。



 イサンドロより3歳年下のウルリケは、ヘルツェンバイン伯爵家の次女だ。

 その美しく輝くような美貌と容姿は十代の頃から有名で、数多の男たちが結婚を申し込むほどだった。


 イサンドロもその中の一人だったのだが、生まれ持った整った顔立ちと生来の爽やかな好青年ぶり、そして現国王の第二王子という肩書を最大限に利用して、遂にウルリケを自分のものとした。

 そして彼女と結婚したいと父王に申し出たのだ。


 それはイサンドロ19歳、ウルリケ16歳の時だった。

 

 もちろんウルリケの実家――ヘルツェンバイン伯爵家は、その申し出に諸手を挙げて喜んだ。

 それもそうだろう。

 なにせ娘が第二王子の妻になるのだ。つまりは自分たちは王族の親戚になるということなのだから。


 しかし如何に相思相愛の仲とは言え、王族のイサンドロが、中堅伯爵家の、しかも次女を娶るなど許されるわけもなかった。

 そのためあっさりとその申し出は却下されてしまう。


 それでも彼らは周囲の反対を他所に交際を続け、それは公然のものとなっていく。

 ウルリケの実家が許している以上、王国府も王室関係者も何も言わなかった。

 将来イサンドロが何処ぞの有力貴族家の娘と政略結婚するまでの遊びだとして、その関係を大目に見ていたのだ。



 その数年後、有力貴族モンテルラン公爵家の長女、エグランティーヌと政略結婚させられたイサンドロは、泣く泣くウルリケと別れた。

 まさか結婚直後から妻以外の女性と親密にするわけにもいかず、彼はウルリケを手放したのだ。


 ――と、思われていた。

 実は二人は裏でこっそりと関係を続けていたのだ。


 もちろんエグランティーヌはそれを面白く思わない。

 たとえ愛のない政略結婚であったとしても、正妻の自分を差し置いて他の女性にうつつを抜かす夫が許せなかった。

 しかしそれは彼女のプライドの問題でしかない。

 王国府としては速やかに正妻に世継ぎを仕込んでもらえればそれでよく、イサンドロもその義務さえ果たせればいいと思っていたからだ。


 そんな愛のない仮面夫婦のような二人ではあったが、彼らの名誉のために言うならば、二人とも子を生すための努力はしていた。

 確かに義務のようではあったが頻繁に肌を合わせてはいたし、子ができると聞けば何でも試した。

 世界中から精力剤を取り寄せてみたり、二人で妊活体操をしてみたり、子宝で有名な教会に多額の寄付までした。

 

 しかしそんな努力も実を結ぶことはなく、結婚から5年後、イサンドロは10年越しの恋人であるウルリケを嬉々として側妃に迎えたのだった。


 

 ウルリケが側妃として王室に入ると、イサンドロは自宅に帰らなくなった。

 側妃の住む離宮に入り浸り、そこで子作りに励み続けたのだ。


 それもそうだろう。

 側妃とは言え、10年以上に渡り相思相愛だった女性を遂に妻に迎えることができたのだ。

 愛のない政略結婚の相手でしかない正妃エグランティーヌのところになど、最早帰ってくるはずもなかった。


 しかし王国府としては、現国王が子を生してくれさえすれば相手が正妃でも側妃でもどちらでもかまわない。

 そもそも側妃を迎えたのはそれが目的であるので、たとえ正妃のところに帰ってこなくても、側妃と子作りに励んでくれれば何も文句はなかったのだ。


 余計にそれが正妃エグランティーヌを焦らせることになる。

 早く子を生せと実家からはせっつかれ、周囲からはプレッシャーをかけられ、夫からは疎んじられる。

 これでもし自分より早く側妃に子が出来たなら、それこそ目も当てられない。


 そんな日常が続いたエグランティーヌは、その美しい後頭部に王国金貨大のハゲが幾つもできていた。

 多大なストレスのせいで、遂に彼女は円形脱毛症を発症したのだ。


 そんな少々哀れにも見えるエグランティーヌは、ハゲの目立つ頭をフードで隠すと、夫の妹であり古い友人でもあるエルミニアに会いに来ては、愚痴をこぼして帰っていくのだった。




 父親の話からそれを思い出したエルミニアは、遂にその真意に辿り着く。

 長男を養子に出す理由――それは今や明白だった。


「イサンドロとエグランティーヌには気の毒だが、恐らくこの先も二人の間に子ができることはないだろう。なにせ10年以上も関係を続けている側妃――ウルリケも未だに懐妊しておらんからな。あれだけ励んでいるにもかかわらずに、だ。間違いなく原因はイサンドロだな。そもそも彼奴あやつには子種がないのかもしれぬ」


 そう言うとアレハンドロは、妊娠7ヶ月の娘の腹にちらりと視線を送る。

 片や世継ぎが生まれなくて困っていると言うのに、こちらはもう7人目が生まれるのかと、些か複雑な顔をした。

 その思いが伝わったのか、エルミニアも困ったような顔をする。


「……」


「そこでお前の長男――クリスティアンだ。もう察していると思うが、イサンドロの養子にとわしは思っておる。彼奴あやつももう35だ。もうそれほどのんびりしている時間もないのだ。それにクリスティアンも10歳を過ぎておる。帝王教育を施すにしても、もうギリギリの年齢だ」


「事情はわかります。だ、だけど……あの子は……あの子は……私たちの大切な息子なのです。それをいまさら取り上げられるだなんて……」


 何気にエルミニアの顔が泣きそうになる。

 今の彼女の脳裏には、長男が生まれてから今までの記憶がまるで走馬灯のように駆け巡っていた。

 初めて胸に抱いた時、初めて乳を飲ませた時、初めて立ち上がった姿、初めて喋った顔、その全てがエルミニアの頭の中に広がったのだ。


 そんな娘の様子を見たアレハンドロは、慌てたように手を振った。



「いや、なにも今すぐにという話ではないのだ。正妃か側妃か、もしくはその両方が近く懐妊するかもしれんしな。 ――とりあえず来年いっぱいは様子を見よう。それからでも遅くはない」


「しかし……」


「お前も知っているだろう? 我がブルゴー王国の世襲の大原則は、王家の血を引くこと。その一点に尽きる。その点クリスティアンであれば全く問題はない。なにせ我が娘――つまりはわしの血を引いているのだからな。しかも長男なのだ。その順位も全く問題はない」


「……はい」


「よくよく考えてみよ。滅多なことはないと思うが、もしもイサンドロが子を生さぬまま死んでしまえば、次は誰が王座に就くと思うとる?」


「えっ?」


 まるで不意を突くようなその質問に、またしてもエルミニアはポカンとした顔をする。

 そしてその顔を見たアレハンドロは、可笑しそうに小さく鼻息を吐いた。



「ふははは……なんという顔をするのだ。 ――思い出したか? もしも、もしもだ、もし仮にそうなってしまえば、次に王座に就くのはエルミニア、お前なのだぞ。よもや忘れたわけではあるまいな? お前は現在王位継承第一位なのだ。イサンドロに子が生まれるまではな」


「あ……」


 その言葉を聞いたエルミニアは、いまさらながらに思い出していた。

 イサンドロとエルミニアには姉が一人いるのだが、彼女は他国に嫁いでいるため既に王位継承権を失っている。

 それは王室法で定められており、そうしなければ、王室が他国に乗っ取られてしまうからだ。


 つまり、もしもイサンドロが己の血を引く子を生すか、養子を取る前に死んでしまえば、次に王座に就くのはエルミニアなのだ。

 彼女が女王となり、夫のケビンは王配となる。


 かたや先王の側妃の娘、かたや平民出身の勇者。

 この二人が今後のブルゴー王国を治めていくことになるのだ。



 その光景が脳裏に浮かんだエルミニアは、あまりの現実に身震いをしてしまう。

 まさか本当にそんな日が来るとは思えないが、もしもこのまま兄イサンドロに子が生まれなければ、それは現実のものとなる。

 そしてそのためには、長男クリスティアンを差し出さなけれならないかもしれないのだ。


 まるで降って湧いたような話に、意図せず震えを隠せないエルミニアだった。

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