第152話 堪忍袋の緒が切れる

 ギリギリと音が聞こえるほど奥歯を噛み締めて、必死にリタは耐え忍ぶ。

 それでも感情を悟られないように平静を装うと、今度は彼女がアホの子を見るような顔をした。

 

「仰りたいことはわかりましたわ。けれどもわたくしをアーデルハイト嬢虐めの犯人だと決めつけるならば、その確たる証拠をお示しくださいませ。蛮族の私刑でもあるまいし、被害者面した加害者のげんを鵜呑みにするなどまさに笑止千万。わたくしはそこまで安い女ではなくってよ」


「な、なんだと……」


「それにわたくしをフレデリク様の婚約者にとお決めになられたのは、亡きバルタサール卿。その約束を反故になさるのであれば、両家の正式な了解を取り付けてからになさいませ。もしもそこまでされるのであれば、わたくしとて、あなた様との婚約を破棄するのはやぶさかではございませんわ」


「リ、リタ……君は……」


「婚約の破棄に関してはそれでも宜しいでしょう。しかしこの女を虐めたなどと、そのような濡れ衣を甘受するほど私はお人好しではございませぬ。なによりレンテリア家に恥をかかせようとなさるのなら、貴方たちにも相応の報いは受けて頂きますわ。そのお覚悟はありまして?」


 まるで見透かすような、じっとりとした瞳で見つめるリタ。

 その透き通るような灰色の瞳で見つめられた男三人は、思わず唾を嚥下する。



 彼らとてリタの評判は知っていた。

 特に幼少期からの婚約者であるフレデリクであれば尚更だ。

   

 あの「知将」バルタサールに気に入られ、有名な「ムルシアの女狐」を言い負かし、「魔王殺しサタンキラー」勇者ケビンを言いくるめ、十年前の戦役では五歳にして単身敵地に乗り込んだ。


 何よりあの「隻腕の無詠唱魔術師」とあだ名されるロレンツォ・フィオレッティの一番弟子にして、弱冠13歳という史上最年少で二級魔術師の免状を貰っているのだ。

 リタの魔術師としての実力は推して知るべしだろう。


 しかもその免状にしても、大人の事情とやらが絡むらしい。

 本来であれば一級魔術師の実力はあるのだが、師匠であるロレンツォでさえ一級に認められたのが30歳であることを忖度すると、さすがに13歳の少女にそれを授けるのはやり過ぎだ。

 そんな横槍が魔術師協会から入ったそうだ。


 つまり目の前に佇む小柄な少女は、この王国にも数人しかいない一級魔術師と同等の実力を持つということだ。しかも得意分野が攻撃魔法というバリバリの武闘派だ。

 思えばそんな少女相手に喧嘩を売ってしまったことに、今更ながら彼らは思い至っていた。


 さすがに公衆の面前で魔法をぶっ放したりはしないだろうが、それでも短気なうえに破天荒で有名なリタのことだ。追い詰められたら何を仕出かすかわからない。

 そんな皆が恐れるレンテリア家の秘蔵っ子が、尚も口を開いた。

 


「確かにわたくしはフレデリク様に様々な小言を言ってきました。しかしそれは貴方様に立派な次期ムルシア家当主になっていただきたいがゆえ。何故なら未来の貴方様の隣にいるのは、誰あろう、このわたくしなのですから。 ――もしもそれが気に入らぬと仰るならば、こちらとて反省の余地はありますわ。謝罪せよと仰るのならば、その言に素直に従いましょう」


「み、認めるのか!? 己の罪を!!」


「そこまで言うのなら、さっさと謝れ!!」


「も、もっと素直になれ!!」


 反省の弁を垂れるか如きリタの言葉に、勢いづく男三人。

 しかしそんな彼らに冷めた視線を向けると、一転リタは大きな声で啖呵を切った。


「だがしかし!! その女を虐めたなどと言われる憶えは、何ひとつありませぬ!! そのうえで尚もわたくしを責めるのであれば、その確たる証拠を示せと何度も申しておりましょう。それが出来ぬとあらば、あなた様の言葉はこれ以上聞く価値はないものと心得くださいませ。 ――では、ごきげんよう」



 最早もはや興味を失ったとばかりに、くるりとリタは背を向ける。

 そして振り返ることなく足早に歩き出そうとしていると、その背に言葉を投げる者がいた。


「リ、リタ、待てっ!! まだ話は終わっていないぞ!! 証拠を見せろと言うのなら見せてやる。それはアーデルハイト嬢の証言だ。被害者である彼女の証言それ自体がその確たる証拠だ!!」


 叩きつけるようなフレデリクの言葉に、リタの肩がピクリと震える。

 すると彼女はその足を止めて、後ろを向いたまま口を開いた。

 その声は肩同様に震えており、後頭部しか見えていない男たちにもリタの顔は容易に想像できた。



「フレデリク様……言うに事欠いて、婚約者であるこのわたくしよりも、その泥棒猫を信じると仰いますの? あまりと言えばあまり。そんなもの、全く道理が通りませぬ」


「う、うるさい!! 君がなんと言おうと、アーデルハイト嬢は君に虐められた、階段から突き落とされたと言っているんだ!!」


 リタが何と言おうとまるで聞き耳を持たないフレデリク。

 これまで10年以上に渡り付き合ってきた未来の伴侶に向かって、まるで慈悲のない言葉を吐いた。

 そんな彼に向かってリタは再び口を開く。


「ほう……なかなかおもろいことを言いよるのぉ。 ――なれば問おう、フレデリクよ。このわしと、そのおっぱい女と、どちらがお前の伴侶として相応しい? よくよく考えて申してみよ」


 突然口調が変わるリタ。

 その言葉もアクセントも、直前までの貴族令嬢然とした彼女とはまるで違う。

 それどころか、今のリタには言いようのない威厳が満ちており、その迫力と威圧感の凄まじさに全員が後退るほどだ。


 もちろんそれはアーデルハイトも同様だ。

 その顔からは先ほどまでの愉悦に満ちた表情は抜け落ち、何処か気圧されたようなものだけが残っていた。


 

 一体誰が想像できただろうか。

 レンテリア伯爵家次男令嬢であるリタは、美しくも愛らしい外見と、礼儀正しく淑やかな身のこなしの、まるで絵に描いたような淑女だ。

 その彼女が凍り付くような冷ややかな声を出し、凄まじいまでの怒りをその言葉に滲ませる。

 後ろを向くその顔はこちらから窺うことはできないが、もしも顔が見えていたなら、あまりの迫力に恐怖を覚えたかもしれない。


 しかしフレデリクは知っていた。

 その声、その口調が本来のリタであることを。




 二人が婚約したのは、フレデリクが8歳でリタが5歳の時だ。

 その時すでにリタは貴族令嬢としての礼儀作法や口調などを身に付けていたが、感情がたかぶった時などには素の彼女に戻ることも多かった。


 その本来の口調や仕草などは貴族令嬢として決して褒められたものではなかったが、辺境の村育ちである彼女の生い立ちを考えると、それは責められなかった

 むしろその歳で意図的に外面そとづらを整えられる力を、もっと褒めて然るべきだろう。


 そんなリタだったが、侯爵家に嫁ぐことが決まった途端、祖父母が雇ったマナー講師によって徹底的に鍛え直されてしまう。

 口調や仕草、立ち居振る舞い、そして貴族としてのマナーや一般教養に至るまで、それこそあらゆる部分を矯正されたのだ。


 そして貴族令嬢として完璧なまでの作法を身に付けた。

 しかし幼少時に染みついた乱暴な口調などは、感情が昂った時などには意図せず出てしまう。

 さすがにそこまで直し切ることはできずに、今ではそれは彼女の個性として親しい者の間では知られていた。


 しかして現在只今その口調になっているということは、リタは相当頭にきている証拠であり、それを裏付けるが如く小刻みに震える右手には、電気のようなものがパリパリと音を立てて光っている。

 今や彼女は、その昂る感情を制御できずに攻撃魔法をぶっ放す直前に見えた。




「リ、リタ!! ちょ、ちょっと待て!! わかった、君の話をもう少し聞こうじゃないか!! と、とにかく落ち着け、落ち着くんだ!!」


 そんなリタの様子に気付いたフレデリクは、慌てて声を上げる。

 今この場で彼女の感情が爆発してしまえば、目も当てられないのは明白だ。


 思い返せば、五年前の時もそうだった。

 二人で一緒に馬で遠乗りをした時に、突然森の中で野盗崩れに襲われたことがあった。

 その時の彼女は凡そ見たことがないほどに怒り狂い、その直後に10人からなる敵全員を一瞬にして消し去ったのだ。


 怒りに任せて攻撃魔法をぶっ放し、そのあまりの火力によって一瞬にして全員が蒸発した。

 そう、文字通り本当に「消し去った」のだ。



 その時フレデリクは、心の底から思ったものだ。

 決してリタを本気で怒らせてはいけない、と。

 特に理不尽な理由で怒らせたときのリタは、本当に手が付けられなくなる。


 しかし今回の理由が理不尽なのかと問われれば、それは否だ。

 卑怯にもリタがアーデルハイト嬢を虐めたのは事実であるし、男としてそれを看過できないのもまた然りだ。



 などとフレデリクは本気で思っていたが、当のリタにしてみればその理由そのものが理不尽極まりなかった。


 全く、本当に、完全に身に覚えのない濡れ衣であるにもかかわらず、公衆の面前で恥をかかされた。

 衆人環視の中で自分の名誉を汚されたうえに、レンテリア家の家名までをも傷つけられたのだ。

 今さら間違いでしたなどと言ったところで、人伝に話が広まる頃には、自分もレンテリア家もすっかり悪者にされてしまっているに違いない。




「何をいまさら……今頃になってそのような言い訳をされてももう遅い。わたくしの名もレンテリアの家名もすでに地に落ちました。全てはあなたのその迂闊な口と軽すぎるおつむのせいですわ。どう責任を取られるおつもり?」


 辛辣な言葉とともに、くるりと振り向くリタ。

 その愛らしくも美しい顔は怒りの形相に埋め尽くされて、いまや般若のようになっている。

 それでも口調がもとに戻っているのを見る限り、少しは冷静になったのだろうが、しかしその様が余計に恐怖を煽っていた。


「もうこの国に私の居場所はありませんわ。すでに200年以上生きて来たこの身。今更初めからやり直すなど甚だ面倒と言うもの。それならいっそ、貴方たちも道連れにこの世から消え去るのもまた一興……」

  

 その言葉とともに、パリパリと音を立てて光る右手をゆっくりとかざす。


 間違いなくリタは物騒なことを考えている。

 その事実に行き着くと、フレデリクの両目が大きく見開かれた。

 

「お、おい、リタ、君は何を言っているんだ? まさかおかしなことを考えているんじゃあるまいな?」


「貴方たち全員を道連れにして自爆するのが『おかしなこと』だと仰るのなら、その通りなのでしょう。 ――それで覚悟のほどは如何いかが? 再び来世で貴方の婚約者になれることを夢見てこの世を去りますわ。それでは皆さん、ごきげんよう――」


「や、やめろリタ!! 何を――」



 小さな声で何かを囁くリタ。

 それから右手を頭上に掲げると、辺り一面に光の渦が広がり始める。

 その直後、気持ちよく澄み渡る初夏の青空に、見たことがないほどの巨大な影が広がった。

 

隕石流星雨メテオ・ストライク!!」


 宇宙そらから降って来た巨大な隕石は、日の光に美しく輝いていた。

 ともすれば太陽が落ちて来たかにも見えるそれは、誰もが初めて見るものだった。



 どっかーん!!



 耳をつんざくような轟音とともに、ハサール王国の首都アルガニルは瞬く間に消え去ったのだった。

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