第二部 少女期編

第151話 婚約破棄!?

 モンタネル大陸の南西部には、幾つもの国家がひしめいている

 その主な国を挙げると、広大な国土を有するアストゥリア帝国を中心に、北部にハサール王国、南部にブルゴー王国、そして西部にはファルハーレン公国とカルデイア大公国といった具合だ。

 さらにその東側にはファン・ケッセル連邦国やアルバトフ連合王国などの小規模連合国家群が乱立し、さらにこの地域の混迷の度を深めている。


 それらの国の中でも最北に位置するハサール王国は、すでに建国から400年を数える中堅国家だ。

 総人口120万を擁する立憲君主制のこの国は、その成り立ちを遡ると一地方豪族にたどり着く。

 

 その国名が示す通り、この国を作ったのはハサール一族だ。

 今から約400年前、当時この地を治めていた一族の長が、周囲に散らばっていた他の豪族たちと協力して国としての体裁を整えた。



 当時彼らの西側には、周辺地域を侵略して略奪を繰り返す物騒な集団がいた。

 彼らは何ら生産的な活動を行わず、周囲を暴力で荒らすだけの規模の大きな夜盗のような集団でしかなく、未だ国家としてのていを成してはいなかった。

 

 しかしそこに、一人のカリスマが現れる。

 そして周囲の者たちをまとめ上げ、次第に統率力を増していく様子を見ていると、彼が国と呼べる組織を作り上げるのも時間の問題に思えた。


 そこで彼らに対抗するために、当時一地方豪族でしかなかったハサール家を中心に幾つもの豪族たちが集まって作られたのが、現在のハサール王国だ。

 以来約400年、ハサール家の代表者を王とする絶対君主国家が続いてきた。



 それに対抗した西側勢力も、ハサール王国を真似て国を作ろうとした。

 しかし元来寄り合い所帯のようにまとまりのなかった彼らは、互いに主導権争いを始めてしまう。

 それまでは仲間同士だと思っていた者たちが、互いに互いを敵視して争い始めたのだ。


 しかしそんな諍いも長くは続かなかった。

 もともとリーダー格だった男が力で他をねじ伏せると、自らの名をつけた国を立ち上げた。

 それが今の「カルデイア大公国」だ。


 そんなわけで、今から約350年前に国家の建立を宣言した大公国ではあったが、もともと夜盗集団のような者たちが作り上げた国だけあって、やはりその気質はそう簡単に抜けるものではなかった。

 すでに国という組織を作り上げていたにもかかわらず、相変わらず周辺諸国に喧嘩を売り、侵略し、奪い去る。

 それ以来の国は、約350年に渡り隣国ハサール王国を悩ませ続けてきたのだった。



 そんなカルデイア大公国だったが、今から十年前、俗にいう「第八次ハサール・カルデイア戦役」において歴史に残る大敗を喫した。

 自分から仕掛けておきながらハサール王国に返り討ちにあった彼らは、第一陣一万の兵のうちその半分を失ったのだ。

 そして残った者たちのうち約四千人が捕虜となり、その解放と返還のための費用と高額な戦後賠償金により国が傾いたとも言われている。


 以来十年、カルデイア大公国は宿敵ハサール王国に手出しをすることなく、まるで牙を抜かれたようにおとなしくなった。

 戦役で返り討ちにしたハサール王国はもちろん、南東部で国境を接するブルゴー王国にも十年前から再び牽制され始めた彼らは、表面上は静かにしているように見えた。


 そんなわけでここ十年、この地には大きな紛争などもなく平和な時間が過ぎていたのだった。




 ――――




「リタ・レンテリア。 ――もう君のような女とは、婚約を継続できない。いまこの時をもって君との婚約は破棄させてもらう!!」


 初夏の日差しが心地よい六月のある昼下がり、ハサール王国王城の一角に大きな声が響いた。

 少々高く澄んだその声は、その場だけではなく、遠くを通りがかる者の耳にまで届いている。


 まるで糾弾するかのようなその声は、ハサール王国ムルシア侯爵家嫡男、フレデリク・ムルシアのものだ。

 些か青ざめた顔を正面に向けると、彼はぶつけるように言葉を吐き捨てた。


 今年十八歳になったフレデリクは、身長こそ172センチとそれほど大きくないが、風になびくさらさらの濃い茶色の髪と、切れ長な薄茶色の瞳が印象的な絵に描いたような美男子だ。

 些か線が細すぎるきらいはあるものの、それでも王国学園のユノン・ボーイコンテストの決勝に残っただけはある。

 やや中性的な整った顔立ちは、観客の票を優勝者と二分するほどだった。



 そんな彼が一人の女性の腰に手を廻して正面を見据えると、そこに佇むもう一人の女性に向かってその姿を見せびらかした。


 フレデリクの横にいる女性――それはキルヒマン子爵家令嬢のアーデルハイトだ。

 自身の腰に腕を廻すフレデリクにしなだれかかると、どこか勝ち誇ったような顔で正面の女性を見下ろす。


 アーデルハイトはとても背が高い。

 フレデリクと同じほどの身長のうえに、さらにヒールの高い靴を履いているので、そのスタイルの良さはさらに増し増しだ。


 長く美しい金色の髪に整った顔、男好きする大きな胸と臀部、彼女にはその全てが揃っていた。

 もしもこの女性に言い寄られたなら、この世の全ての男が陥落するだろう。そう思わせるほどの美貌と言ってもよかった。

 これで未だ絶賛成長期真っ只中の15歳だというのだから、末恐ろしい。

 

 そんな女性を隣に侍らせるフレデリクが、正面に佇む少女を見据えていた。




 婚約破棄――その言葉を投げつけられたのは、誰あろうレンテリア伯爵家令嬢、リタ・レンテリアその人だ。

 その美しく細い眉を吊り上げながら、驚きと怒りの入り混じった複雑な顔をしている。


 今年リタは15歳になった。

 15歳で成人を迎えるハサール王国において、今年彼女は立派な淑女になったと言うべきだろう。

 しかし淑女というには些か幼さを残した顔立ちをしている。


 母親に似たその容姿は愛らしくも美しく成長していたが、残念ながら身長は153センチで止まっていた。

 それでも母親に比べると、1センチだけリタの方が背は高かったのだが。


 現在も絶賛成長期であることを考えると、この先も背が伸びることは十分に考えられる。

 しかし最近とみに発達しつつある胸の膨らみを見る限り、これ以上栄養が身長に振り向けられることはないだろう。


 少々たれ目がちの瞳は幼い頃から変わっていないが、その細い眉は彼女の気の強さを表すようにキュッと吊り上がる。

 そんなリタが、婚約破棄を告げて来た婚約者を鋭い目つきで見据えていた。


 突然自分を指差して、最早もはや暴言としか受け取れない言葉を叩きつけてくる婚約者。

 そんな男を凄まじい目つきで睨みつけながら、リタは口を開いた。

 



「フレデリク様。それは一体どういうお戯れですの? ――いえ、戯れと言うにはいささか度が過ぎているように思われますが、如何いかが?」


「う、煩い!! もう僕は君のような気の強い女が嫌になったんだ。一緒にいても小言ばかりで、まるで気が休まらない」


「それは……」


「それに君はこのアーデルハイト嬢を虐めているというじゃないか。家格や身分の違いを言い募り、卑下して見下して、陰湿に責め立てているとな」


「……はぁ? 何を仰っているのです? わたくしにはまるで身に覚えがありませんわ」


 フレデリクの言葉を聞くと、それまでの怒りの色を消したリタは、まるで訳がわからないといった顔をする。

 形の良い美しい眉を顰めて怪訝な顔をするリタ。

 その様子を見る限り、彼女は本当に身に覚えがないように見えた。


 しかしそんな彼女の様子にまるで構うことなく、尚もフレデリクは言い募る。



「しかもアーデルハイト嬢は、君に階段から突き落とされたとも言っている。陰湿な虐めはもちろん良くないが、相手に怪我をさせるとは本当に最低だ。見損なったぞ、リタ」


「はぁ!?」


 これで今日何回目だろうか。

 最早回数もわからなくなるほど、リタはポカンと口を開けていた。


 その少々間抜けともとれる顔は、決して結婚前の貴族令嬢に許されるものではなかったが、今の彼女にはそうする以外にリアクションのとりようがなかった。

 その位、目の前の婚約者の言葉がリタの想像の斜め上を行っていたのだ。 



 まるでアホの子のようにリタが口を開けていると、フレデリクの隣に立つ別の男が口を開いた。


「そうだ。俺は直接その現場を見てはいないが、その犯人がリタ嬢であると状況証拠からも明白だ。いまさら言い逃れなど見苦しいぞ。大人しく己の罪を認めるがいい」


 身長190センチを超える長身と、見るからに筋肉の塊のようなその男は、騎士団長を務めるブレトン侯爵家嫡男セリオだ。

 ちなみにフレデリクと同じ18歳。

 丸太のように太い腕を組んだまま、まるで犯人に罪状を告げるかのように口を開く。

 その声は低く太く、まさにその見た目そのままだった。



 するとその横に立つ、もう一人の男も言葉を吐いた。

  

「セリオの言う通りだ。ここは見苦しく言い訳をされぬ方が身のためでしょう。子爵令嬢を虐め、婚約者には婚約を破棄され、さらに見苦しく言い逃れをする。あなたの輝くようなキャリアに、そのような汚点を残すべきではないと愚考いたしますよ。リタ嬢」


 その男はザウアー伯爵家嫡男のアウグストだ。ちなみに彼も18歳。

 彼も慇懃無礼な口調でリタを責め立てる。




 どうやら目の前の侯爵、伯爵家の嫡男三人は、狡猾なアーデルハイト嬢に言い包められたのだろう。

 輝くような美貌に目を奪われ、胸の大きさに魅入られ、尻の形に夢中になってしまったに違いない。

 彼女の言葉を疑うどころか、なんの証拠もないままにリタをアーデルハイト嬢虐めの犯人だと決めつけている。


 さらに多数の貴族たちの面前でリタの顔に泥を塗ると同時に、レンテリア家の家名をも地に落とそうとする。

 そのあまりといえばあまりの稚拙さ、浅はかさに、最早リタは怒る気さえなくなってしまった。


 その事実にかえって冷静になったリタがこの四人を俯瞰で眺めていると、三人の男から見えない位置でアーデルハイトが勝ち誇った顔をする。

 小さな舌を出して小馬鹿にした顔をすると、そこには嘲るような笑みと、女としての優越感が溢れていた。


 その顔を見た瞬間、リタは再び自分の頭に血が上っていくのを感じた。


 間違いなくこの女は自分を陥れようとしている。

 貴族家嫡男三名を味方に付けたうえに、自分に冤罪を被せて葬り去ろうとしているのだ。


 もちろん狙いは武家貴族筆頭ムルシア家の次期当主夫人の座――つまりはフレデリクの妻の地位だ。

 難癖付けて自分を蹴落とした挙句に、その地位にちゃっかり収まるつもりなのだろう。

 恐らくこれは彼女一人の策略ではないはずだ。

 この尻軽巨乳女の背後には、子爵家の思惑があるのは間違いなかった。



 おのれぇ、キルヒマン子爵めぇ。


 そもそも伯爵家の自分ですら侯爵家の嫁には力不足だと言われているほどなのに、そこに子爵家が入り込めるわけがないではないか。

 相当な利害が絡むなど特別な事情があるのであればもあらん、そうでなければ完全に身分違いだろう。


 自分とて身分に触れるのは好きではないが、ものには限度というものがある。

 しかも子爵家令嬢の分際で伯爵家の自分を陥れようとは、全くもって気に入らぬ。


 

 ぎりぎりと音が聞こえるほど奥歯を噛み締めながら、一体こいつらをどうしてやろうかと必死にリタは考えていた。

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