幕間4 「ジョゼぴー」と「ローたん」

「もしも俺が『五体満足じゃなければ娘はやれん』と言ったら、お前はどうする?」


「えっ……お、お父さん……?」


 それまで両親と恋人の会話を不安そうに聞いていたジョゼットは、遂にその口を開いた。

 予想外の父親の言葉にロレンツォが反応できずにいると、代わりにジョゼットが興奮気味に父親に詰め寄ったのだ。

 前のめりなその姿には、これまで見たことがないほどに彼女の感情が溢れていた。


「な、なんてこと言うの、お父さん!! 先生――ロレンツォさんは、国のために立派に戦ってきたのよ!! それを……そんな風に言うなんて……酷い、酷すぎる!!」


「……うるさいぞ、ジョゼット。俺はお前には訊いていない。ロレンツォと言ったか? 俺はこいつに訊いているんだ。お前は黙っていろ」


「こんなの黙っていられるわけないじゃない!! 先生だってべつに行きたくて戦争に行ったわけじゃないのよ!! 行けって言われたから行っただけなのに!!」


「ジョゼット。あなたの気持ちはわかるけれど、もう少しだけお父さんの話を聞いてあげて。これには――」


 突然声を荒げた娘に向かって、声と身振りで宥めるソフィ。

 しかしジョゼットは、そんな母親に一向に構うことなく父親ににじり寄っていく。

 

 いつもは無口で大人しいジョゼットが、興奮のあまり声を荒げている。

 確かにボリスの言葉はロレンツォにとって驚き――いや、ショックではあったが、いまはそれ以上に恋人の姿が衝撃的だった。



 これまでロレンツォは、こんなジョゼットの姿を見たことがなかった。

 いつも理性的で物静かなジョゼットではあるが、それは彼女が人に感情を見せることを良しとしない性格だからだ。


 もちろん恋人であるロレンツォの前ではいつも楽しそうに笑ってくれるし、時には甘えてくることもある。

 自分の出征が決まった時には泣いて別れを惜しんでくれたし、戻って来た時には再会を泣いて喜んでもくれた。

 だからジョゼットが感情を爆発させたところはロレンツォも見たことはあったが、それが負の感情の場合はまた別だった。


 突然見せられた恋人の姿にロレンツォが驚いていると、ボリスが正面から自分を見つめていることに気付く。

 彼は自分の答えを待っている。

 それに気づいたロレンツォは、宥めるように優しくジョゼットの肩に手を置いた。



「お義父さんのお気持ちは、僕にもよくわかります。しかし幸いにも僕は肉体労働者ではありませんので、腕が一本でも仕事に影響はありません。それに不幸中の幸いと言うべきか利き腕が残りましたので、魔法の行使にも執筆活動にも何ら影響はないのです」


「……」


「確かに日常生活に多少の不便はありますし、人の助けが必要になることもあるでしょう。それでもそれは些細な事だと思っています」


「そうか。しかしこの先人から差別を受けるかもしれんぞ。 ――この俺のようにな。お前もわかっているだろうが、普通の人間はお前のような者には冷たい」


 そう言ってジロリと睨むボリスの顔からは、一切の感情を読み取ることができない。

 もしかして意図的に感情を殺しているのだろうか。

 そう思わざるを得ないロレンツォだった。


 それでもロレンツォとしてもボリスの言葉に思うところがあったのだろう。

 尚も彼は言葉を続けた。



「五体満足な者ですら生きていくのが辛いこの世の中です。確かにこの先そういうことがないとも言い切れません。そしてその妻として、ジョゼットさんも何か言われることはあるでしょう」


「それがわかっているのなら――」


「しかし、それが何だというのです? ジョゼットさん本人から嫌だと言われるのであれば僕としても考え直します。しかしあなたにそう言われたところで、それがどうだと言うのです?」


「せ、先生……」


 話しているうちに感情が昂って来たのだろうか。ロレンツォの口調が次第に厳しくなっていく。

 その姿に気付いたジョゼットが宥めようとしても、彼は身振りでそれを押し留めた。

 その顔には「これだけは言わなければならない」と書いてあった。




「あなたがどう思っているかはわかりませんが、少なくとも僕はこの腕を勲章であると同時に磔刑たっけい具だとも思っています。紆余曲折様々なことがありましたが、結果として僕は人質だった味方を助け出したのです。 ――それと同時に、それ以上の敵を焼き殺しましたが」


「……」


「勘違いしないで下さい。これは自慢だとか罪の意識だとか、そういうことを言っているのではありません。僕がそれだけのことをした証、十字架なんだと思っているだけです。だからこの腕のことを人からどう言われようが、僕はまるで気にかけないでしょう」


「そうか……」


「えぇ、そうですとも。だから僕自身は人からどう言われようと、どう思われようと気にしません。 ――もしもジョゼットさんがそれで辛い思いをするのであれば、それ以上に僕が幸せにしてみせます。数十年後、この人と一緒で良かったと思われるように、一生かけて彼女を大切にしていくと約束します。もちろん彼女自身に嫌だと言われるのであれば考え直しますが、少なくともあなたにそれを言われる筋合いはないと思っています」


「……」



 決して声を荒げることなく、淡々と語るロレンツォ。

 その姿には迷いや戸惑いはまるで見られず、淀みなく語るその言葉からも彼が本心からそう思っているのは間違いなかった。

 そしてジョゼットの父親に向かって「それをあんたに言われる筋合いはない」と、まるで啖呵を切るが如く言い切った姿も同様だ。


 ロレンツォが言葉を切ると、モラン家の居間には静寂と重苦しい空気だけが残る。

 その中でそれぞれがそれぞれの想いに浸っていると、突然ボリスが声を上げた。


「ふふふ……ははは……そうか、わかったロレンツォ。お前の想いはよく伝わった。そしてお前がどんな男なのかも、少しは俺にも理解できた」


 突然笑い出したかと思うと、次第に相好を崩すボリス。

 そんな顔をしていると、熊にしか見えない強面の顔も何処か可愛らしく見えた。

 やおらボリスは背筋を伸ばすと、改まったように言った。


「いや、突然すまなかった。お前を試そうとかそういうことではなかったのだが、少しお前を虐めたくなってしまってな。 ――大切な娘を取られる父親の気持ちを、多少は察してくれると有難い」


「お父さん……」


 突然態度を崩したボリスに、ロレンツォのみならずジョゼットとソフィも驚く。

 いつも強面で気難しい父親が初対面の人間に笑顔を見せるなど、彼女たちもこれまで見たことがなかったからだ。

 そして言葉が見つからずに言い淀む妻と娘を尻目に、突然ボリスは立ち上がると頭を下げた。



「お前……いや、ロレンツォ殿。どうか娘を貰ってやってくれ。こんな大人しくて無口で面白みのない娘だが、気立ての良さは俺が保証する。お前……ロレンツォ殿なら安心して娘を任せられそうだ。どうか末永く幸せにしてやってほしい」


「えっ、あっ、いや、その……こ、こちらこそ、よろしくお願いします!! 必ずやお嬢さんを幸せにします。一生大事にすると誓います!! お、お許しをいただけて、感謝いたします。 ――それから、生意気なことを言ってしまい、大変申し訳ありませんでした!!」


 恋人の父親から突然頭を下げられて、あまつさえ娘を頼むと言われてしまう。

 そんな状況にパニックを起こしそうになりながらも、ロレンツォは最後まで言葉を続けた。そして終わりに深々と頭を下げる。



 思えばおかしな話だ。

 今日ここにロレンツォがやって来たのは、ジョゼットの両親に彼女との結婚の許しを貰うためだった。

 しかし彼がその話をする前に、逆に父親から娘を託されたのだ。

 「どうか娘を貰ってほしい」と深々と頭まで下げられて。


 これは逆なのではないかと一瞬ロレンツォは思ったが、この大波に乗らずにはおられないとばかりに彼も頭を下げた。

 そして気付けば、ロレンツォとジョゼット、この二人の結婚は両親から認められたのだった。




 その後ジョゼットの弟妹たちも加わってそれぞれに挨拶を交わすと、こじんまりとした宴会に突入した。

 そこで婚約者の父親からしこたま酒を飲まされたロレンツォは、既に倒れそうになる。

 そんな彼を横から支えながら、ジョゼットが毒づいた。


「お父さん!! 先生はお酒が弱いんだから、無理に飲ませないでちょうだい。 ――ほらぁ、もうこんなに酔っぱらっているじゃない。せっかくこの後デートしようと思っていたのに」


「せっかくのめでたい席なんだから、いいじゃないか。それよりお前、こいつのことを『先生』って呼んでるのか? なんだ、その呼び名は」


「だってしょうがないじゃない。ずっとそう呼んで来たんだもの。急には変えられないのよ」


 酔いのために半分居眠りしそうになっている恋人を支えながら、ジョゼットは唇を尖らせる。

 そんな彼女に向かってロレンツォが囁いた。

 その瞳は酔いのために夢心地になっている。


「うんうん、それじゃこうしよう。僕は君を『ジョゼぴー』って呼ぶから、君は僕を『ローたん』って呼ぶんだよ。 ――あぁ、いい、それがいいなぁ。よし、それで決まりだぁ~」


「な、何を言ってるんですか!? そ、そんな恥ずかしい……呼べるわけないでしょ」


「いやぁ、これはいい!! 君がその可愛い口で『ローたん』って呼んでくれたら、僕はもう君のためならなんでもしてあげるよ」


「えぇ……」


 根が生真面目なジョゼットらしく、酔った恋人の言葉をまともに受けて思わず頬を染めてしまう。

 そんな姉の姿を見た弟妹たちは、皆「うわぁ……」といった引き気味の顔で遠巻きに見ている。

 すると今度は面白くなさそうな顔でボリスが吐き捨てた。



「かぁ!! なにを言ってる。まるで飯事ままごとだな!! くだらん!!」


 酒で顔を真っ赤に染めたロレンツォと、明らかに照れて真っ赤なジョゼット。

 そんな二人にボリスが吐き捨てていると、横からソフィが口を挟んでくる。

 その顔にはジトっとした瞳があった。


「何を言ってるんですか、お父さん。いまでこそ私のことを『お前』とか『母さん』なんて呼んでますけど、結婚した当時なんて『ソフィたん』だったじゃありませんか。この子たちと全然変わりませんよ。わたしはとても恥ずかしかったんですからね」


「お、お前、やめろ!! それは言うな!!」


 どうやらそれはボリスの黒歴史なのだろう。

 過去の古傷をえぐられたボリスは、冷や汗を流しながら大慌てで火消しにかかる。

 しかしその言葉は子供達も含めて皆に聞かれた後だった。


 狭い食卓に大きな笑い声が響き渡る。

 その様子はロレンツォとジョゼットの明るい未来を表すように、楽しげで賑やかで、そしてとても幸せそうだった。


 

 ロレンツォとの結婚を機にメイドを辞したジョゼットは、二歳年下の妹を自分の後釜として連れて来る。

 レンテリア家では一からメイドを育てなければならなくなったが、ジョゼットの推薦もあり、その妹を育てることにしたのだ。 


 妹も姉に似て聡明な少女であったため、すぐに仕事を憶えた。

 そして数年後には姉同様にリタ専属メイドとなるのだが、それはまた別の話になる。

 





 結婚と同時にメイドの仕事を辞めたジョゼットは、首都の郊外に少し広めの部屋を借りて三日前からロレンツォと一緒に住み始めた。

 もちろん初夜を済ませた二人は以前にも増してラブラブだったが、今日は少し困った問題が発生していた。


「うわぁ……」


 ジョゼットはロレンツォの住む独身寮の部屋の中で大きなため息をついた。

 それも、とっても深い深いため息を。


 結婚を機にロレンツォは、長年住んで来た独身寮を出て行くことになった。

 それで今日は部屋の引き払いの手伝いにジョゼットが来ていたが、あまりの部屋の惨状に彼女は最早溜息しか出なかったのだ。


 ロレンツォがこの部屋に住み始めてから十年、恐らくその間は一度も掃除をしたことがないのだろう。

 そのくらい部屋の中は悲惨な状態だった。


 

 部屋の中には魔法関係の本が積み重なっているし、書き散らかした原稿やメモなども散らばっている。そのせいで最早もはや床が何色なのかもわからないほどだ。


 そして脱ぎ散らかした衣服や謎の物体が部屋の隅に押しやられ、その上には十年分の埃がうず高く降り積もる。

 その惨状を見る限り、思わず床にキノコが生えていると思っても全くおかしくはなかった。

 意図せずジョゼットは、そんな恐ろしい光景を想像してしていたのだ。


「あ、あの……ローたん……これは……」


「あぁ……ごめん、ジョゼぴー。実はちょっと部屋の片づけが苦手で……」


 いや、これは「ちょっと」とレベルではないだろう。

 これは最早立派な「汚部屋」とか「ごみ屋敷」とか呼ばれるものなのではないか。

 そんなロレンツォの隠された実態に気付いたジョゼットは、顔を引きつらせながらもその大きな心で受け止めた。


「ま、まぁ、男性の一人暮らしなんて、何処も似たようなものでしょうから……」


 そう言いながらもジョゼットは早速腕まくりを始める。

 そこにはレンテリア家のメイドとして鍛えられた逞しい姿があった。



 ジョゼットが中心となって部屋をどんどんと片付けていく。

 幸い床の上にはキノコは生えていなかったが、それでも思わず触れるのを躊躇うようなものが時々出てきた。

 そんなものを全て捨て、持っていく本を外に出しているうちに、次第に部屋の中が片付いていく。

 そして最後の牙城とばかりに小さな物入れの扉を開けると、その中から雪崩のように何かが崩れて来た。


「きゃー!! いたたた…… なに? なんなの、これ!?」


「ジョ、ジョゼぴー、大丈夫かい?」


「だ、大丈夫です。それよりもローたん……なんですか、これ? 似たような包みがたくさんありますけど」


「あぁ……これは……」


 何故か言い淀むロレンツォ。

 そんな夫を不審な目で見つめつつ、ジョゼットはその包みを開けてみることにする。

 もしかして女性に見られると不味いような物――例えばエッチな絵画だったり、娼館の会員証――でも入っているのだろうかと、若干の気まずさを感じながら中を覗き込む。

するとそこには――

 


「お、お金?」


 思わずジョゼットが声をあげた通り、紙の包みの中には大量の金貨や銀貨などが入っていた。

 それもジョゼットが見たこともないほどの大金で、見れば物入れの中には同じようなものが大量に入っていたのだ。


「あ、あの、ローたん、このお金は……?」


「あぁ、これは僕の給金だよ。魔術師協会から毎月貰う、僕の給金なんだ」


「えぇ……」




 髪はぼさぼさだし、いつも同じローブを着るロレンツォの姿からは想像もできないが、実は彼はかなりの高給取りだった。

 魔術師と言えば「魔力持ち」の中でも最高峰のエリートであるうえに、若くして二級魔術師の認定を受ける彼は、国から相当高い評価を受けていたからだ。


 もっともそのせいで前回の戦役に駆り出されたのだが――実際の理由はそれだけではなかったが――いずれにしてもロレンツォは所謂いわゆる官僚と同等の給与待遇だった。


 実際彼の一ヵ月の給金は、首都に住む平均的な四人家族の半年分の生活費とほぼ同額だ。

 しかし趣味は魔法の研究、着る物は国から支給される安物のローブだけ、そして食事は寮で三食食べられる。

 殆ど金を使う機会もないうえに、酒も飲まなければ賭け事もしない。

 そんなロレンツォの給金は、溜まる一方だった。


 というよりも、そもそもロレンツォは金に興味がなかった。

 三歳の時から魔術師として厳しく教育されてきた彼は金を使う暇がなかったし、そもそも使い方を知らなかったのだ。

 そのせいで、貰う給金の殆どをそのまま物入れに突っ込んでいた。


 そしてそれを続けているうちに、気付けば家を一軒買えるだけの金が溜まっていた。

 今回それを発見したジョゼットは、その光景に卒倒しそうになったのだった。

  



 その後二人は、首都の郊外に小さな家を買った。

 それも即金で。


 それはロレンツォが言い出したことだった。

 どうやら彼は、愛する妻のために家をプレゼントしたかったようだ。

 突然家を買うと言いだしたロレンツォを当然ジョゼットは止めたのだが、すでに使い切れないほどの現金が溜まっていたし、この先も毎月給金は入ってくることに思い至る。


 それに大金を持っていることが人にバレると色々と危険なので、ここは現金を家に変えてしまおうということになったのだ。

 それでも使い切れなかった現金が多少は残ったが、それらは全て貯金として商業ギルドに預けることにした。

 


 その後二人の間には幾人もの子供が生まれて、幸せな家庭を築いていくことになる。

 それと同時にロレンツォは「隻腕の無詠唱魔術師」としてハサール王国内にその名を轟かせるようになっていくのだが、それはまた別の話で語られるだろう。

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