幕間3 父親の言葉

「ほぉ……お前がうちの娘をたぶらかした男か。 ――覚悟はできているのだろうな? それじゃあ中でゆっくり話を聞かせてもらおうか」


 まるで宿敵を見つけた熊のように、静かに凄むジョゼットの父親。

 胸の前で組まれた腕は丸太のように太く、鋭い眼差しはロレンツォよりも20センチも高い場所にある。


 そんな威圧感の塊のような姿に気圧されて、意図せずロレンツォは喉を鳴らしてしまう。

 決して彼は気が小さいわけでもビビりでもなかったが、不思議とその姿に抗うことができなかった。

 背中に何か冷たいものを感じながら、それでも必死に平静を装った。


「あ、あの、初めまして。お、お嬢さんとお付き合いさせていただいております、ロ、ロレンツォ・フィオレッティと申します。本日は突然の――」


「今は挨拶だけでいい。口上は家の中に入ってからにしろ」


 たった名前を名乗るだけなのに、緊張のために何度も噛むロレンツォ。

 そんな娘の交際相手の挨拶を無造作に遮ると、ジョゼットの父親――ボリスは「ふんっ」と小さく鼻息を吐く。

 それからくるりと二人に背を向けると、一度も振り返らないまま、のしのしと肩を揺らして歩き始めた。



 ロレンツォがジョゼットの父親――ボリスを初めて見た時、その第一印象は「でかい」だった。

 その次が「熊」だ。


 そう、まさにボリスは「熊」だった。

 年の頃は40代半ばのように見える。しかし農作業で日に焼けた真っ黒な顔はとてもしわ深く、そのせいで正確な年齢がわからない。

 そしてぼさぼさの髪と顎まで繋がったモミアゲのせいで、余計にその顔は熊のように見える。


 190センチはあるだろう長身とロレンツォの二倍はある身体の幅と厚みは、まさに威圧感の塊だ。

 そして、いっそ無礼なほどに不愛想な口調と素っ気ない態度は、彼の人柄を端的に表していた。


 モラン家の家業は農業だ。

 決して農地の面積は広くはないが、それでもボリスはこの地を受け継ぐ四代目だし、彼も生まれてからずっとこの地を耕してきた。

 中には自分の土地を持たない小作農民も多いことを考えると、少なくとも土地の耕作権を認められているモラン家はまだ恵まれていると言っていい。


 そんな彼は、農民だからと言って決して馬鹿にできるものではなかった。

 自分の土地を耕して、作物を育てて金に換える。

 その姿はまさに一国一城の主と言って良く、国から給金を貰う雇われ魔術師のロレンツォに比べても、些かも劣っているとは思えなかった。


 彼の不愛想な態度には、誰にも媚びることのない独立した家主としての態度が現れているのだろうか。

 それとも愛する娘をかっ攫いにきたロレンツォに敵意を剥き出しにしているのだろうか。

 もしも後者だとしたら、この先が思いやられるところだ。


 などと些か不安に思うロレンツォは、その思いを払拭させるようにチラリと横を見る。

 そして隣のジョゼットに小声で話しかけた。


「も、もしかして、お父さん……怒ってる?」


「えっ? べつに怒ってはいないと思いますよ? いつもあんな感じです」


 ロレンツォの質問に、やはり少々キョトンとするジョゼット。

 その顔を見る限り、彼女は本気でそう思っているようだった。



 本当に、あれで怒っていないのか?

 ――いや、絶対に怒ってるだろ。

 最愛の娘が突然恋人を連れてきたのだ。これからどんな話をされるのか彼にもわかっているはずだ。

 これで怒っていないというのなら、もしも本気で怒らせたら自分は殺されてしまうかもしれない。


 それにしても、どうしてこんな強面の熊みたいな父親から、彼女みたいな可愛い娘が生まれてくるのだろう……

 あぁ……それにしても、やっぱりジョゼットは可愛いなぁ……。



 目の前のボリスの背中を心配そうに見つめたかと思えば、隣のジョゼットに見惚れる。

 突然緊張感を高めさせられたロレンツォは、最早もはや支離滅裂になっていた。

 

 その後二人は、促されるまま家の中へと入っていく。

 あまりの緊張にロレンツォは顔を引きつらせながら、そしてジョゼットは何処か楽しそうに。




 モラン家には、ジョゼットを含めて六人の子供がいる。

 平均して二人程度しか子供を持たない首都の人間に比べると、その人数は多いと言えるが、農家ではその人数は普通だ。

 何故なら彼らのような小規模農家は、子供も貴重な労働力に数えるからだ。


 もちろん都市部ほど医療が発達していない地方の農村では、生まれてすぐに亡くなる命も多い。

 現に六人も子供のいるジョゼットの母親も、実際には九人もの子供を産んでいる。

 しかし生まれてすぐに二人が亡くなり、もう一人――ジョゼットの兄になるはずだった子供――は二歳の時に流行り病で亡くなっていた。


 モラン家には現在19歳のジョゼットを先頭に、17歳と13歳の男の子と、15歳、11歳、8歳の女の子がいる。

 13歳の弟は地方都市の商家に丁稚に出ていてここにはいないのだが、残りの弟妹は全員家にいるようだ。



 そんな彼らの視線を痛いほど感じながら、ロレンツォは居間に通される。

 居間と言っても玄関ドアを開けてすぐの狭い空間でしかなかったが、それでも外観同様に家の中も手入れが行き届いていた。

 かなり古い家なのは間違いないが、こまめに手を入れながらとても大切に使っていることがその様子からは伺える。


 大きな四角い机と椅子が六脚あるだけで一杯の居間に通されると、そこには一人の中年女性が待っていた。

 その女性はロレンツォの姿を見ると、満面に笑顔を溢れさせる。



「ようこそおいで下さいました。私はジョゼットの母、ソフィです。さぁ、どうぞ、そこにかけて」


「は、初めまして。お嬢さんとお付き合いさせていただいております、ロレンツォ・フィオレッティと申します。本日はお忙しいところを突然お邪魔しまして、大変申し訳ありませんっ!!」


 見るからに緊張しまくりのロレンツォが、直立不動のまま必死に挨拶をすると、ジョゼットの母親――ソフィは優しく着席を促した。


「遠いところを、わざわざすいません。 ――ジョゼット、ほら、あなたも座って」


 

 父親と違い、ジョゼットの母親はとても優しそうだった。

 初対面の人間と会うというのに、顔には満面の笑みを浮かべて何処か楽しそうにしている。

 その顔は、娘とそっくりだった。

 恐らくジョゼットが歳をとると、こんな顔になるのだろう。

 そう思わずにはいられなくなるほど、二人の顔は瓜二つだった。


 いや、顔だけではなく背格好までジョゼットそっくりだ。

 というよりも、ジョゼットがソフィにそっくりなのだが。


 170センチを超えるスラリと背の高い姿も、華奢な骨格のせいで余計に手足が長く見えるのも、まるで同じだ。

 そしてそこは似なくても良かったのだろうが、まるで板のように平坦な胸までも同じだった。

 もっとも、緊張のためにロレンツォにはそれどころではなかったのだが。

 

 

 この両親にしてこの子有り。

 ジョゼットを見ていると、まさにその通りだ。

 スラリと背が高く、まるでモデルのような体型は母親から、そして些か地味な顔立ちと太い眉は父親から、その隠しようのない両親の血をジョゼットの容姿に見ることができる。


 そんな彼女が先ほどからずっとニコニコと楽しそうにしている。

 さっきから緊張しっぱなしのロレンツォと違い、大好きな両親と弟妹達のいる家に帰ってきた彼女はとても嬉しそうだ。

 そんな顔を見ていると、ロレンツォの緊張も少しづつ緩み始め、形通りの挨拶が終わった頃にはすっかり彼は平常心を取り戻していた。




 その後も和やかに話は進んでいたが、専ら話すのは母親のソフィの役目だった。

 どうやら彼女は客の扱いが馴れているらしく、ロレンツォが気兼ねなく話せるように上手に話題を振ってくれる。

 そしてロレンツォもジョゼットも、促されるまま二人の馴れ初めや普段の付き合いなどを話していった。


 しかし、そんな三人の姿を眺めながらボリスはムッツリと黙り込んだままだ。

 それでも時々相槌を打っているところを見ると、一応話は聞いているらしい。

 そして彼の視線は、チラチラとロレンツォの不自由な左腕に向けられていた。


 そんな様子に気付いたロレンツォが、訊かれる前に自分からその話を切り出そうとしていると、先手をボリスに取られてしまう。

 彼はまるで躊躇することなく、ロレンツォの左腕を指差した。



「お前のその腕はどうした? 事故か何かか? どうしてそうなった?」


「お、お父さん、やめてください。あまりに不躾な……」


 訊きにくいことを、まるで躊躇なく真っすぐに質問するボリス。

 思わずソフィが口に出してしまった通り、その質問はあまりに不躾だった。

 訊くにしても訊き方というものがあるだろう。

 この場の全員がそう思うほど、あまりにもその質問はストレート過ぎた。


 しかしそんな妻の言葉にも、娘の非難するような視線にも一向に動じることなく、訥々とつとつとボリスは話し続ける。

 

「お前は黙っていろ。これはとても大切なことだ。仮にも大事な娘と一緒になるかもしれん奴なんだぞ。俺には全てを知っておく義務がある」


「でも、お父さん……」


 これまでとは打って変わって真剣な顔のボリスと、その顔を見上げるソフィ。

 そんな二人を前にして、今度はロレンツォが口を開く番だった。

 小さく咳払いをすると、背筋を伸ばしてロレンツォは話し始める。



「失礼ですが、この前の第八次ハサール・カルデイア戦役はご存じですよね?」


「あぁ、当たり前だ。あのくそったれなカル公が喧嘩を売って来た件だろう? もちろん知っている。なんでも新しいムルシア公の息子が返り討ちにしたそうじゃないか。先代のバルタサール卿を討つとは、なんて卑怯な奴らだ。全く気に入らん」


 多くのハサール人がそうであるように、どうやらボリスもカルデイア大公国は嫌いらしい。

 国の名を口にするのも汚らわしいと言わんばかりにその顔は歪められ、敵国の悪口を言う彼の口は突然饒舌になった。

 そんな彼の様子を見つめながら、ロレンツォは話を続ける。



「はい。僕はその戦役に召集されたのです。そして戦地で従軍した結果、こうなってしまいました」


「えっ……!!」


 自嘲気味に言葉を吐きながら、それでも事も無げに語るロレンツォ。

 しかしその言葉を聞いたソフィは、思わず顔色を変えてしまう。

 手を口に当てて口元を隠しながら、それでも彼女は驚きを隠せずにはいられなかったのだ。


 彼女とてロレンツォの左腕がずっと気になっていたのだが、訊くに訊けないまま話を引き延ばしていた。

 そしてまさかこうなったのが、そんな最近のことだとは思っていなかったらしい。


 仮にも腕を一本失ったのだ。

 普通であればその痛手から立ち直るのに、肉体的にも精神的にも、相当な時間が必要なはずだ。

 しかし目の前で語るロレンツォからは、全くそんな様子を伺うことができなかった。

 だから彼がそんな状態になったのは、遥か昔のことだと勝手に思っていたようだ。



 今回戦場になったのは、村から馬車で五日も離れたムルシア侯爵領だった。

 だから、実際に自分の身の回りに何ら影響のなかった彼女にとって、今回の戦役は何処か遠い世界の出来事だったのだ。

 出征したと聞いただけでも驚きなのに、そこで片腕を失ったと聞かされたソフィは大きなショックを受けてしまう。


 表面からは伺えなかったが、自分の身体がそうなってしまったショックから、今でも彼は立ち直れていないのではないか。

 そう思わずにはいられないソフィだった。



 それはボリスにしても同じだ。

 ソフィのように顔にこそ出さなかったが、どうやら彼も少なからず動揺したらしい。

 二人の様子を気にもせずに平然と打ち明けるロレンツォを、ボリスは無言のまま見つめることしかできなかったのだ。


 片腕を失った原因をロレンツォがそれ以上詳しく語らずにいると、何を思ったのかボリスは元の難しい表情に戻って徐に口を開く。



「そうか。言い難いことを訊いてしまい、申し訳なかった。 ――腕がそうなったのはお前に責任があるわけでもないし、実際気の毒だと思う。しかし大事な娘をやるのであれば話は別だ。もしも俺が『五体満足じゃなければ娘はやれん』と言ったら、お前はどうする?」


「えっ……」


 あまりに慈悲のない父親の言葉に、隣で聞いていたジョゼットの顔が歪んだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る