幕間

幕間1 ジョゼットとメイドたちの眠れない夜

 レンテリア伯爵家のメイド、ジョゼット・モランは、未だ少女の面影の残る16歳の時にメイドとして働き始めた。

 それから3年、今では19歳になった彼女はすっかり女性として花を咲かせ、結婚適齢期を迎えた最近はさらに磨きがかかっていた。


 15歳で成人を迎えてすぐに結婚する女性も多いこの時代において、ジョゼットの年齢は決して結婚年齢として早いとは言えない。

 しかしそれは嫁を労働力として数える田舎の農村や、早くに世継ぎをもうけなればならない貴族などの場合であって、彼女のように外に働きに出る女性の場合は20歳はたちを過ぎても結婚しないのは普通だった。

 


 一通りの家事はもちろんのこと、貴族家の者として恥ずかしくないだけの礼儀作法を身に付けて、客の対応まで一通りこなせるようになって初めてメイドは一人前になる。

 その全てを二年でマスターしたジョゼットは、メイドとして非常に優秀な女性と言えた。

 そんな彼女が働き始めて二年目、18歳の時に彼女はリタ専属メイドを命じられることになる。


 それは突然屋敷にやって来た、当時四歳だったリタが彼女に懐いたからだった。

 いや、その説明には語弊がある。

 正確に言うならそれは懐いたのではなく、元来無口で余計なことを喋らないジョゼットが、リタにとって楽だったに過ぎない。

 それでも次第に親しくなるにつれて、ジョゼットの誠実で真面目な性格を気に入ったリタはすっかり心を許すまでになった。


 確かに前世でのリタ――アニエスは「ブルゴーの英知」と呼ばれるほど博識で思慮深い人物だったが、同時に「ベストオブ老害」と渾名されるほど気難しい人物でもあった。

 本気で機嫌の悪い時などは国王でさえ遠慮するほど、その扱いの難しさは有名だったのだ。


 そんなリタだからこそ、世間擦れしておらず素直で純朴なジョゼットを気に入ったのだろう。

 もしも他のメイドだったなら、ここまで彼女が心を開いてはいなかったはずだ。




 働き始めた頃のジョゼットは、言うなれば「野暮ったい田舎娘」だった。

 もっとも本当に田舎の農家で生まれ育った彼女がそう見られるのは、ある意味当然ではあったのだが。


 170センチを超える長身と均整の取れたスタイル、そしてお仕着せのメイド服から覗くスラリと白く長い手足はまるでモデルのようだったが、彼女曰く「父親似」の顔はお世辞にも美人とは言えない。


 さらに彼女は、その生まれのためか自身を飾り立てることにそれほど熱心ではなく、働くようになってから使い方を教えられた化粧品類も最低限しか持っていなかった。

 というよりも、今でもジョゼットは私物を殆ど持っていない。

 それは彼女があまり物に執着しない性格なのもあるが、雇い主――レンテリア伯爵家から受け取る給金の殆どを、田舎の実家に渡しているからだ。



 ジョゼットは首都郊外のモサリナ村の出身だ。

 実家からレンテリア家までは歩いて一時間ほどの距離なのだが、朝早く夜遅い仕事のために初めの一ヵ月で通うのを諦めた。


 今では屋敷の裏に建てられた使用人専用の寮(のような建物)に住んでおり、貰った給金のうち小遣い程度の金額を残して、残りを全て実家に入れている。

 ちなみに寮は完全無料だ。

 狭いながらも個室は与えられるし、食事も三食食べられる。

 ただし入居者は独身に限られるのだが。



 さらに仕事用の衣服は雇い主が用意するメイド用のお仕着せなので、金銭的に負担するのは下着も含めた私服類と生活雑貨のみとなる。

 しかし物を集めたり着飾る趣味のないジョゼットは、小遣いですら殆ど使うことはなかったし、もとより彼女が働きに出たのは実家の家計の足しにするためだったので、稼ぎの殆どを実家に入れてもなんとも思わなかった。


 ジョゼットの実家は小さな農家なのだが、近年の不作続きと弟二人に妹三人という弟妹の多さのためにいつも家計は火の車だ。

 そのためジョゼットが毎月渡す給金は両親にとって貴重な現金収入であり、いまではすっかりそれを当てにするまでになっていた。

 そして彼女としてもそれは当たり前だった。




 それがリタの元に家庭教師としてロレンツォが通うようになると、少々事情が変わり始める。

 ジョゼットはそれまであまり興味を示さなかった化粧品を突然買い揃えてみたり、髪飾りを増やしてみたり、殆ど見せる機会のない私服にさえ気を配るようになった。

 もっともその金額は小遣いで賄える程度のものでしかなく、実家に入れる金には全く影響はなかったのだが。

 

 両親に給金を渡すためにジョゼットが実家に帰ると、その度に両親や近所の親戚から「綺麗になった」と言われる。

 そしてそう言われたジョゼットは、嬉しそうに笑顔を見せた。


 自分の容姿に自信のないジョゼットは、彼らにそう言われることで少しでも自分に自信を持つことができたのだ。

 そしてその努力が実を結んだ結果なのかはわからないが、そんな彼女にロレンツォも次第にほだされていったのだった。




 元来大人しく口数の少ないジョゼットは、メイド仲間の中でもそれほど目立つ存在ではなかった。

 女使用人同士で噂話に花を咲かせていても、一歩引いたところで聞き役に徹する。いつも彼女はそんな立ち位置だった。


 背が高くモデルのようなスタイルをしているが、決して顔は美人ではないし、無口で性格も大人しい。

 そんな彼女が、気付けばさっさと結婚相手を見つけたという。

 その噂を聞きつけた使用人たちは、ある日の深夜、一人のメイドの部屋に集まって雑談をしていた。


「へぇ……あのジョゼットがねぇ。確かにフィオレッティ先生とそんな関係なのは知っていたけど…… 去年あたりからあの子がどんどん綺麗になっていったから、なんだか怪しいと思ってたんだよねぇ。 ――先生がここに来るようになってから一年だっけ? もう結婚しちゃうんだ、早いわね」


「まぁ、ジョゼットももう19だし、特別早くもないんじゃない?」


「でもさぁ、もうすぐ22の私には恋人すらいないっていうのにさ……後輩に先を越されるなんて、ちょっとジェラシーよねぇ」


「わかる!! それ、すっごいわかる!! その話聞いた時、私すっごい焦ったし。 ――でもさぁ、フィオレッティ先生のどこがいいんだろう。なんかちょっと弱っちい感じだし」


「先生っていうか、なんかジョゼットの方が先に惚れたらしいよ。突然化粧品とか髪飾りとか揃えだしたからびっくりしちゃった」


「あぁ……あの先生の気を引こうと必死だったんじゃない? ――でもさぁ、あのタイプの男の人って鈍感だからなぁ。女の化粧が変わっても気付かないんじゃない? 髪飾りだって気付いてなかったっぽいし」


「それは悲しすぎる……女の努力を何だと思っているのやら。 ――そうねぇ、もしも私があのタイプを落とすなら、もっとダイレクトにいくかなぁ」


「ダイレクトって、なにさ? 具体的に」


「えぇと、さり気なく胸を押し付けるとか、頻繁にボディタッチするとか……転んだ拍子に抱き着くとか……」


「……さすがにそれは恥じらいが無さ過ぎじゃない? 確かにあのタイプなら、胸でも押し付けとけばイチコロかもだけどさ。 ……って、あんたに押し付けられるような胸なんてあったっけ?」


「うっさい、黙れ。それを言ったらジョゼットだっていい勝負じゃん。あの子の胸だって板みたいだし」


 それまで黙って話を聞いていた別のメイドが、何かに気付いたような顔をする。

 そして言い出しっぺメイドの板のような胸を見つめながら、何処か哀れんだ顔をした。



「あぁ……お察し。我らがメイド衆の『たいら胸オブザイヤー』がなんか言っとるわ」


「うっせ、殺すぞ!! お前のような駄肉より、よっぽどマシじゃい!!」


「でも、その駄肉が馬鹿にできないのよねぇ。私なんて朝から晩まで胸に視線を感じるもの」


 そう言うと駄肉メイドは、その有り余る胸の肉を引き寄せて周りに見せつける。

 些か見下ろすような、勝ち誇るようなその顔は、その場の全員の反感を買った。


「でもさ、そんなあんたにいつまでも恋人ができないのはなんでだと思う? それはあんたの顔が、『お腹を壊したビーバー』みたいだからだよ!!」


「殺す―!! お前ら全員、殺す―!!」


「ははははっ!!」




 深夜に轟く甲高い殺人宣告。

 その声を聞きつけた寮の責任者が部屋の扉を開く。


「あんたたち、うるさいわよ!! 若い娘がピーチクパーチクと、いま何時だと思ってるの!? 明日の朝も早いんだから、さっさと寝なさい!!」


 その怒鳴り声に、部屋の全員が首をすくめる。

 

 それはこの寮の最年長で、責任者も務めるラダだった。

 彼女は長年レンテリア家の厨房に勤める五十歳手前の調理補助の女性で、そのゴシップ好きなのは使用人の間でも有名だ。


 叱るためとは言え、そんな彼女が顔を出したのだ。

 それに食い付かない者はいなかった。



「ラダさん、ラダさん、良いところに来ましたよ。ねぇねぇ、教えてくださいよ」


「なにが!? あたしゃ、今朝も早いんだけど。あんたたちの甲高い声で眠れやしない。いい加減にしなさいよ」


「そう言わずに、少しだけ教えてくださいよ。ジョゼットとフィオレッティ先生の馴れ初めの話」


 その言葉を聞いた瞬間、ラダの瞳が輝いた。

 それまで眠そうに半ば閉じられていた瞳が大きく開かれると、その様子に部屋の全員が「してやったり」とニンマリする。

 しかしラダは、そんな様子にまるで気付かずに、嬉しそうに話し出した。

 その早口で絶え間ない話し方は、まるで連射式ボーガンのようだった。



「あぁ、それな。なんでも先生の方からプロポーズしたらしいよ。あの戦に駆り出された時に、先生の方から結婚を申し込んで行ったんだって。『無事に帰って来られたら、僕と結婚してください。キリッ』なんつってさ!!」


「うわぁ……それって一番やっちゃいけないパターンなんじゃない? よくもまぁ、法則が発動しなかったものねぇ。そこまでやったら普通、帰って来られないパターンじゃん」


「確かに。でもさ、全然無事なんかじゃなかったけれどね。腕一本無くなったんだし」


「あぁ……それな。ほんと、気の毒だよねぇ。先生って確かまだ25にもなっていないだろ? それなのにねぇ。ジョゼットもショックだったろうねぇ」


 その言葉に、部屋の中の空気が重苦しくなる。

 いくら噂好きの彼女たちとはいえ、さすがにそこを笑い話にはできなかったらしい。

 まぁ、当たり前だが。


「それでも生きて帰って来られたんだから、まぁ、良かったんじゃないですか。今回の戦では他にもたくさん死んだんだし」


「まぁね……」




 初めは面白可笑しく噂話に興じていた娘たち(一人中年も混じっていたが)だったが、ここに来て何気に空気が重くなってきたのに気付いた一人が話題を変えようとする。


「そうですね。 ――そうそう、戦と言えば聞きました? 人質に取られた兵士たちを助けたのが、リタ様とフィオレッティ先生だったって」


「えぇ!! それって本当なの? だってリタ様ってまだ五歳でしょう? あんなにお小さいのに、そんなことができるなんて……」


「でも、うちのお嬢様って計り知れないところがあるでしょう? 私も何度もお話したことあるけど、なんかうちのお婆ちゃんと話しているような気がするの」


「あぁ、わかる!! なんか全然五歳って感じしないよねぇ。 ――何て言うか、達観してるって言うか、超然としてるって言うか……そんな感じ?」


「ちょっとあんた、それ以上言うと不敬になるわよ。その辺でやめときな。確かにあんたの言いたいこともわかるけどさ。それにしても随分難しい言葉知ってるね」


「ほんと、カミラにしては珍しいわね。そんな難しい言葉を使うなんて」


「うっさい、たいら胸に言われたくないわいっ」


「なんだと、この駄肉が!! しばくぞ!!」


「なにぃ、この『まな板に干しブドウ』がなま言ってんじゃないよ」


「なっ…… ほ、干しブドウだとっ!? あんなに黒くないわっ!! 殺す!! 絶対殺すー!!」


「うはははははっ!!」


「うるさい、もう寝ろ!!」


 こうしてレンテリア伯爵邸の女性使用人寮の夜は、甲高い叫び声とともに眠れない夜が更けていくのだった。





 そんな喧騒が微かに聞こえてくる別の部屋では、もう一人のメイドが眠れずにいた。

 いつもであれば心地良い疲労とともにすぐに眠りに落ちる彼女だが、今夜に限っては三十分経っても目が冴えたままだ。

 

 それは噂のネタのジョゼットだった。

 もちろん同僚たちが自分の噂をしているとはまるで知らないジョゼットは、今夜も今夜で騒ぐ彼女たちの声を聞きながら眠れずにいた。

 

 時々ジョゼットも同僚たちの噂話に混じることがあるが、どうやら彼女はそのノリに付いて行けずに置いてけぼりになることが多い。

 そのためあまり積極的に深夜の噂話会に参加することはなかった。


 しかし今夜彼女が眠れないのは同僚たちの叫び声のせいではなく、明日の予定のためだったのだ。

 


 ジョゼットは明日一日、仕事の休みを貰っていた。

 そして田舎の両親に会いに行く予定だった。

 

 ベッドの中で眠れないまま、小さく彼女は呟く。


「ロレンツォさん、大丈夫かしら。あぁ見えて、結構あがり症だからなぁ。ちゃんと両親に結婚の許しを貰えればいいけれど……」


 こうしてジョゼットはジョゼットで、別の理由で眠れない夜を迎えていたのだった。

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