第131話 抵抗と脱出と時間稼ぎ
「全員おとなしくしろ!! そこまでだ!!」
ハーマン率いる救出部隊が逃げ惑う敵兵を薙ぎ倒していると、突然背後から声が聞こえてきた。
その声を合図に慌てて彼らが振り向くと、森の中から完全武装の歩兵隊が姿を現す。
ざっと見ただけでも、その数は百を下らなかった。
いや、いまも森の中から続々と姿を現しているのを見ていると、もう少しはいるに違いない。
それに対してハーマン達は、砦から出てきた者たちを合わせても六十名もいなかった。
砦の中に逃げ込んだのは歩兵が五十名程度だと聞いていたが、それは負傷兵も含んだ数だ。
だから実際に戦える者だけを数えると、救出部隊を含めても五十名と少ししかいなかったが、周囲から姿を現した敵は、その二倍以上にも及ぶ数だったのだ。
戦いは数だ。
余程特殊な事情がない限り、相手よりも多くの手勢を用意した方が勝つ。
先程のような魔術師による遠隔攻撃など、明らかに有利な状況であれば話は別だが、互いに同条件であるならばそこに奇跡は起こらない。
ばったばったと敵を斬り倒すなど
確かに一人ずつを相手にすれば各個撃破もできるのだろうが、戦場では常に一人ずつと戦う状況になどなるわけがない。
体力だって無限ではないのだし、どんなに鍛えた者であったとしても続けて十人も戦えば息も上がってくる。
そんな状態で複数の敵に同時に攻撃されれば、如何な達人と言えど命を落としてしまう。
軍隊という集団戦闘において、個人の技量がその戦局を左右する余地は殆どない。
もしあるとするなら、その時その者は「勇者」と呼ばれるようになるはずなのだから。
「くそっ、待ち伏せだ!!
「た、隊長!! どうする!? この人数じゃ逃げきれないぞ!!」
「おい、魔術師!! なんとかできねぇのか!?」
突然倍以上もの数の敵に囲まれた救出部隊の者たち。
そんな彼らが何とか逃げる方法を模索していると、カルデイア軍の隊長らしき者が前に出てくる。
そして大声で叫んだ。
「お前たちは完全に包囲されている!! ――砦に閉じ籠っていった連中も、どうやら全員出てきた様子。丁度いい頃合いだ。お前たちも含めてこのまま全員捕虜になってもらおうか」
その言葉を聞く限り、どうやらロレンツォたち救出部隊は彼らに上手く利用されたらしい。
籠城に徹する砦を攻略するには、カルデイア軍にしても相当な手間と犠牲が必要になるはずだった。
それを避けるために、いずれ来るであろう救出部隊を利用することを思いついたのだろう。
如何に砦に閉じ籠っている者たちであっても、味方が救出に来たのであれば外に出て来ざるを得ない。
そして全員が出てきたタイミングで、端から一網打尽にするつもりだったのだ。
そんなカルデイア軍の思惑を今更ながらに察したハーマンは、ギリギリと音が聞こえるほどに奥歯を噛み締める。
そして怒りと絶望の入り混じった複雑な表情を浮かべたかと思うと、その顔で相手の隊長を睨みつけた。
そんな折、背後からハーマンに小声で話しかけてくる者がいた。
それはロレンツォだった。
彼は隊長の背後から小さく声をかけてきたのだ。
「ここは僕ら魔術師が時間を稼ぎます。その間に隊長は皆に指示を出してください」
「……わかった。それではお前たちは敵を牽制してくれ。その間に俺が皆を誘導する。――いいか、くれぐれも無茶はするなよ……って、無茶しなけりゃ生き残れないがな」
ロレンツォの囁きにそう返すと、前を向いたままのハーマンは小さくニヤリと笑った。
如何にも弱々しい魔術師からの予想外の提案に、彼なりに思うところがあったのだろう。
直前までの強張った表情は消え、何処か吹っ切れたような顔つきになっていた。
そんな二人が話をしている間も、カルデイア軍の隊長は滔々と話を続けていた。
「さて、どうする? おとなしく捕虜になるか、この場で全員討ち死にするか、好きな方を選べ」
「さてな。この状況じゃあ、どのみちここからは逃げられんだろう。かと言って捕虜になるのも気に入らねぇな。 ――それじゃあ、こうしよう。これが、答えだ!!」
ハーマンが叫んだ途端、その背後から勢い良くハンネスが飛び出してくる。
そして予め小声で唱えていた呪文を完成させた。
「はっ!!」
その直後に鋭い掛け声を上げると、ハンネスの掌から大きな火球が飛び出した。
そして敵の隊長目掛けて一直線に飛んで行く。
ドドーン!!
凄まじい爆音を立てながら、巨大な火球が弾け飛ぶ。
その様子を見る限り、敵の隊長はもとより、その周囲の兵士たちも跡形なく消え去っているとしか思えなかった。
しかし立ち込める煙が消え去っていくと、予想に反してそこには無傷の姿があったのだ。
爆発の衝撃に皆顔を背けてはいたが、間違いなく彼らは全員無事だった。
見たところ何処にも怪我はしておらず、それどころか着衣に乱れすら見えない。
しかしそれは明らかにおかしかった。
決して魔法の素養があるように見えない彼らが、魔術師の攻撃魔法を食らって無傷でいられるとは到底思えなかったからだ。
その事実に魔術師二人が驚きを隠せずにいると、カルデイア軍の隊長の影から、一人の男が姿を現したのだった。
「す、すまない、ステファン殿。助けられた」
「相手には魔術師がいるんだ、それを忘れるな。用心しなければ命がいくらあっても足りないぞ。 ……まぁ、今回のは貸しにしておこうか」
敵の隊長と話をする男――ステファンという名らしい――は、如何にも魔術師らしい灰色のローブを身に纏っていた。
隊長を守ったのは、恐らく彼の魔法なのだろう。
ハンネスの
それが盾の役割を果たして、隊長と兵士の命を救ったのだ。
そんな相手に舌打ちをすると、ハーマンは素早く指示を出す。
「防がれたって構わん、もっと続けろ!! とにかく奴らを撹乱するんだ!! いくら相手に魔術師がいようとも、奴一人で全員を守ることなどできん!!」
「りょ、了解!!」
その言葉とともに、驚きのために直前まで固まっていたハンネスとロレンツォが再び魔法の詠唱を始める。
するとその横でハーマンが大声で指示を出した。
「ブルーノ、ユリアン、デルク、そして女魔術師!! お前たちは裏手から脱出しろ!! 少数ならば森に紛れられるはずだ!! 残りの者たちは、全員砦に逃げ込め!! 魔術師二人はそれまで時間を稼ぐんだ、行け!!」
隊長の指示と同時に、その場の全員が動き始める。
一切の乱れも迷いもないその動きは、さすがは歴戦の兵士と言ったところか。
そして魔術師二名が周囲に向かって再び攻撃魔法を放ち始めると同時に、敵の兵士たちも動き始めたのだった。
戦場は混乱していた。
ハンネスとロレンツォが放つ
そしてその間を縫うように、ハーマン以下救出部隊の者たちが手近な敵に斬り掛かっていく。
これだけの人数に囲まれてしまったのだ。
そう思ったハーマンは、背後の砦に全員逃げ込ませることを選んだ。
一瞬の判断ではあったが、それは苦渋の選択の結果でもあったのだ。
苦渋の選択――それはそうだろう。
御大層にも絶望の
そう言われた彼らの思いは如何ばかりか。
その失望を想像しながら、音が漏れるほどに奥歯を噛み締めてしまうハーマンだった。
ステファンと呼ばれた魔術師も、さすがに味方全員を守ることなどできるわけもなく、カルデイア軍の中では
そして衣服に火が燃え移った兵士が走り回り、それが余計に混乱に拍車をかけていた。
その隙にハーマンから離脱しろと命じられた三名が動き始めていたのだが、彼らは予期せぬ事態に困惑していた。
それは魔術師のブリジットだった。
直前まで必死に魔法で攻撃していた彼女だったが、周りを敵に囲まれた途端、ふと現実に引き戻された。
それから不意に自身の身体を抱き締めると、炎から逃げ惑う敵兵を見つめながらガタガタと震え始めたのだ。
田舎の農村に生まれ、五歳で「魔力持ち」の才能を開花させた自分は、それ以来ずっと首都で暮らしてきた。
両親と別れ、兄弟たちとも離ればなれになりながら、それでも一人で必死に生きてきたのだ。
人よりも多くの才能に恵まれたおかげで、滅多に入ることができない王立魔術研究所の研究生にも選ばれた。
そして魔法の研究と実践、論文の執筆に日々を費やしながら今日まで生きてきた。
そんな自分が、まさかこんなところで人殺しの真似をさせられるとは思わなかった。
確かに訓練課程で攻撃魔法全般を修めてはいたが、まさかそれを実際に人に向かって使う日が来るとは思わなかったのだ。
確かに抵抗はあった。
しかし上の命令には逆らえず、必死に隊長の指示に従った結果、気付けば敵兵を焼き殺していた。
自分がここに呼ばれた理由。
それは敵を殺すことだ。
『殺していいのは、殺される覚悟のある奴だけだ』
昔誰かがそんなことを言っていたが、今更ながら自分はその言葉を思い出してしまう。
そうだ、自分は人を殺したのだ。
しかも何人も。
ということは、自分だって殺されても文句は言えない。
自分は殺してもいいけれど殺されるのは嫌だなんて、そんな都合のいい話には決してならないのだ。
捕虜になった若い女の扱いは、自分だって知っている。
運命の人に出会うまではと思いながら必死に守ってきたものが、簡単に奪われてしまうだろう。
そして動物以下の扱いを受けるのだ。
そこに考えが及んだブリジットは、思わず全身に震えを走らせてしまう。
そして周りを敵に囲まれた絶体絶命のこの状況において、遂に彼女は頭を抱えてその場に蹲ってしまったのだ。
「おい、しっかりしろ!! お前にはお前の使命があるだろう!! 甘ったれるな、さっさと立て!!」
涙を流し、全身を震わせながら蹲る若い女。
その姿には歴戦の兵士と言えど色々と慮るところもあるのだろうが、いまはそんなことに気を遣っている場合ではなかった。
なんとかしてここから逃げ出さなければ、応援を呼ぶことすら叶わないのだ。
彼らとてこのタイミングを逃すわけにはいかなかった。
敵味方が入り乱れ、混乱する今を置いては、この場から離脱など到底できないだろう。
時間が経過すれば、それだけでこの計画は破綻してしまう。
どうあっても、今しかないのだ。
兵士たち三名が、そんなブリジットを無理やり立たせようとする。
まるで羽交い絞めのようにその身体を持ち上げたが、彼女は涙を流して泣くばかりで決してその場を動こうとはしなかった。
そんな彼女に気付いたロレンツォは、牽制の手を休めた。
そして立ち竦むブリジットの背中を思い切り張った。
「しっかりするんだ!! 君が一緒じゃなければ、彼らだって危ないのはわかるだろう!? ここから逃げて本隊に応援の要請をする、それが君の仕事だ。最後までやり遂げろ!!」
「ロ、ロレンツォさん……わ、私は人を殺したんです。何人もの人を焼き殺したんです!! でも、でも、わたしは殺されるのは嫌!! 死にたくない!! 死にたくないんです!!」
「わかる、わかるよ!! そりゃ、僕だって人なんて殺したくないよ!! でも、これは戦争なんだ!! 僕らがやらなければ、大切な人だって死んでしまうかもしれない。それくらい君にだってわかるだろう!?」
「大切な人……」
ロレンツォのその一言に、ブリジットの瞳に再び光が戻ってくる。
そして何かを振り払うように勢いよく頭を振ると、両足を踏ん張って一人で立ち上がった。
未だ弱々しくはあったが、それでもその顔からは直前までの恐怖に歪んだ表情は消え去っていた。
「いいかい? 君の仕事は
厳しい口調に聞こえながら、その実、優しさに溢れている。
そんな言葉に小さく頷きながら、ブリジットは顔に決意のような表情を浮かべた。
「わ、わかりました。 ――あ、あの、ロレンツォさん」
「なんだい?」
「もしもまた会えたら――」
「おい!! いい加減にしろ、時間がないんだよ!! 動けるならさっさと走りだせ!! いいか、精々俺たちの背中を守ってくれよ、女魔術師さんよ!!」
「は、はい!! わかりました!! そ、それじゃあ、また!! 絶対に生き残って、また会いましょう!! ロレンツォさん、その時は――」
「行くぞ!! 付いて来い!!」
「は、はいっ!!」
最後に彼女は何を言おうとしたのだろうか。
裏手に向かって走り出した兵士三人に、慌てて付いて行くブリジット。
その背中をぼんやりと眺めていると、まるで悲鳴のようなハンネスの声が聞こえてきた。
「ロレンツォ!! 何やってる、手を休めるな!! 皆が砦に逃げ込むまで攻撃魔法を浴びせ続けろ!! 魔力の続く限り全力でだ!! 絶対に奴らを近づけるなよ!!」
「りょ、了解!!」
その言葉とともに自分の置かれた状況を思い出したロレンツォは、慌てて
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