第124話 勇者怒る

 話は現在に戻る。


 ここはブルゴー王国国王アレハンドロの私室。

 今は第一王子セブリアンの罪状について、午後からの本会議の前に打ち合わせをしているところだ。

 この場には国王とケビン、宰相、そして親国王派の重鎮たちが勢揃いしている。


 淡々と語られるケビンの言葉に、国王アレハンドロは無言で耳を傾けていた。

 もちろんその内心には、とても言葉では言い表せられない様々な感情が渦巻いているのだろう。

 しかし彼は何も言わずに、ただひたすら義理の息子の話だけを聞いていた。


 周りの臣下たちにその姿は居た堪れなく、彼らもどう声をかければいいのかわからなかった。

 無言のままケビンの話を聞く国王に、彼らはただ気遣わしげな視線を向けていたのだった。



 打ち合わせの部屋からの去り際に、ケビンはアレハンドロを見送った。

 臣下たちが部屋から出て行くのを見届けた国王は、そのまま奥の間へ引き上げて行ったが、その肩は下がり、背中は丸くなり、最早もはやその姿には凡そ一国の国王の威厳など見つけることはできなかった。


 度重なる過去の真実を告げられたアレハンドロは、相当な衝撃を受けたのだろう。

 平静を装ってはいてもその内心を隠しおおせられず、その背中には驚きと戸惑い、そして悲しみが透けていた。


 そんな義父の背中に一言声をかけようかと迷ったが、結局何も言えないままケビンは自宅へと戻って行ったのだった。




 

 ケビンが自宅に戻って来ると、屋敷の周囲に人だかりができていた。

 その様子に何やら嫌な予感を覚えて正門の中に走り込むと、そこには大声で屋敷の者達に指示を出す執事の姿があった。

 走り込んで来たケビンに気が付くと、彼は慌てて走り寄って来る。

 

「ケ、ケビン様、大変です!! つい5分ほど前なのですが、突然黒づくめの男達が入り込んで来たかと思ったら、お、奥様とクリスティアン様をさらって……」


「なにっ!?」


「た、大変申し訳ありません!! もちろん騎士たちも応戦したのですが、まるで歯が立たず…… これは留守を預かる私共の落ち度――」


「謝罪はいい!! 何があったの詳しく話せ!!」


「は、はいっ!!」



 執事の説明によれば、白昼堂々屋敷の正面から入り込んで来た黒ずくめの集団が、立ちはだかる騎士たちを次々になぎ倒した。

 そしてあっという間に妻のエルミニアと息子のクリスティアンを拘束すると、たった一言「証拠を持って、例の屋敷まで来い」と言い残して去っていったそうだ。


 ケビンが周りを見渡すと、幾つもの死体らしきものの上に布がかけられているのが見えた。

 それらはきっと、騎士の死体なのだろう。

 ざっと数えただけでも7、8体はあるかもしれない。



 その様子を横目にケビンは執事の説明を聞いていたが、慌てるあまりに何度も噛んでいるうえに、話が前後したりして今一つ要領を得ない。

 それでも辛抱強く最後まで話を聞いていると、ケビンの顔が徐々に変わり始めた。

 

 周りにいる幾人もの使用人が、その様子にひゅっと喉を鳴らす。

 その顔には怖れるような表情が浮かび、中には後退る者までいる始末だった。



 ケビンの顔に浮かぶもの――それは「怒り」だった。


 国民の間では「魔王殺しサタンキラー」と呼ばれ、畏れられ、敬われている勇者ケビンではあったが、普段の彼は礼儀正しく、明るく朗らかな好青年だ。

 何があっても決して声を荒げることなく、いつも優し気な微笑を絶やさない。

 それは屋敷の使用人に対しても変わることはなかった。



 そんな彼が、これまで一度も見せたことのない凄まじい怒りを浮かべながら、目の前の執事を睨みつけている。

 しかしよく見ると、その視線は執事を見ているのではなかった。

 ケビンはまだ見ぬ敵の姿を、執事の後ろに見ていたのだ。



 それだけでも相手を殺せてしまうような鋭い眼差し。

 その視線に耐えられなくなった執事は、思わずその場でひざまずいてしまう。 

 そして縋るようにケビンの足元に身を投げ出した。


「も、申し訳ございません!! 私どもが付いていながら、あんな賊どもに易々と大切な奥様とご子息を攫われるとは――」


 涙ながらに謝罪を繰り返す執事に小さく息を吐いたケビンは、そっとその背に手を置いた。

 そしてゆっくりしゃがみ込むと、執事の手を引いて起き上がらせる。

 その顔からは、直前までの怒りは消えていた――表面上は。



「ノルド……今はそんなことをしている場合ではないだろう――賊の指定した場所はわかっている。俺はすぐにそこに向かわなければならないんだ。いいか、すぐに事の次第を警邏に報告するんだ。そして応援を要請しろ。場所は旧シュタウヘンベルク邸だ、わかるな?」


「しょ、承知いたしました!! すぐに手配いたします!!」


「それじゃあ、俺は行くからな。あとは任せた」


「お、お待ちください!! もしやケビン様、お一人で行かれるおつもりですか!? 相手は相当な手練れです!! それも人数も多い!! いくらなんでも無茶です!!」


 振り向いたケビンが迷いなく歩き始めると、縋るようにその背を執事が呼び止める。

 その声にも足を止めることなく、背中越しにケビンは言い放った。


「一体お前は俺を誰だと思ってるんだ? 知ってるだろう? 俺は『魔王殺しサタンキラー』なんだぞ? 所詮今回の相手は人間なんだ。手強さは魔族の足元にも及ばない。そんな奴らなんて簡単に蹴散らしてやるよ」




 ――――




 コンテスティ家――ケビンの屋敷から馬で3分。

 ケビンは旧シュタウヘンベルク邸に到着した。


 現在廃屋のこの建物は、今から約二百年前に幼少のアニエスが引き取られた屋敷だ。

 持ち主はヒルデベルト・シュタウヘンベルク――アニエスの養父兼師匠だった人物。


 長らく務めてきた宮廷魔術師の座を弟子のアニエスに譲った後も、暫く彼はこの屋敷で余生を過ごしていた。

 しかしアニエスが百五歳の時に老衰で死んだ。


 それまでは二人で一緒に住んでいたが、ヒルデベルトが亡くなると同時にアニエスは「一人で住むには広すぎる」と言ってこの屋敷から出て行ったのだ。


 その後百年近くに渡って廃屋のまま放置されたままだった。

 しかしアニエスは決して屋敷を取り壊そうとはせず、それどころか時々そこに足を運んでは、荒れ放題の庭の片隅でワインを片手に一人寂しそうに佇んでいた。




 そんな屋敷の中へ、まるで白昼の街道を歩くかの如く一切の躊躇なくケビンは歩いて行く。

 そして広い玄関ホールに入った途端、周囲を人に囲われた。


「ほう、本当に一人で来るとはな。さすがは勇者と言ったところか。 ――一切の恐れも見せぬ、その堂々とした態度……気に入らんな」


 ホールの前方から聞こえてきたその声に、ケビンは足を止める。

 そしてざっと周囲を見回した。


 人数は凡そ二十名といったところか。

 ホールの一階には剣を抜いた者が十五名、左右に伸びる階段の上には吹き矢らしきものを持つ五名。


 声をかけてきたリーダーらしき男を含め、特徴的な黒ずくめの服装は恐らく暗殺者集団「漆黒の腕」の者たちだ。その数七名

 そして残りは全員、何処かの貴族付きの騎士のようだった。


 彼らは既に抜刀して戦闘態勢をとっており、リーダーの合図一つで一斉に襲いかかって来るのだろう。


 そんな現場に一人で乗り込んできたのだから、普通であれば足が竦んで動けなくなるはずだ。

 しかしケビンは、その圧倒的な人数と暗殺者の纏う異様な雰囲気に全く臆する様子すら見せない。

 それどころか非常に落ち着き払っているようにさえ見えた。



 いや、正確には、ケビンは落ち着いてなどいなかった。

 その証拠に彼の顔には凡そ勇者の肩書には相応しくない表情が浮かんでいたからだ。

 ともすれば彼自身が賊と見間違われるような物騒な顔をしながら、周囲に視線を投げつける。

 そして再び正面の黒ずくめの男を睨みつけた。



「目的の品は持ってきた。まずは妻と子の姿を見せてもらおうか。 ――傷の一つでもつけていてみろ、そこで交渉は決裂だ」


「ふっ……馬鹿めが。お前ほどの者が態々わざわざ弱みなど作りおって。さしもの『魔王殺しサタンキラー』も人の情には弱いと見える」


「御託はいい、さっさと二人を連れてこい。 ……まさか見せられない理由があるわけではないだろうな」


 険しい表情には似合わないほど、ケビンの物言いは平坦だった。

 言葉からは抑揚が失われ、淡々と口を開く様子は、ともすれば世間話をしているようにさえ見えた。

 

 その言葉に、男は奥の部屋に向かって合図をする。

 するとそこから、もう一人の黒ずくめの男が姿を現した。

 男は片手に一人の小柄な女を掴んでおり、まるで引きずるように部屋から出てきた。


 それはエルミニアだった。

 両手を縛られ口に猿轡さるぐつわをされた彼女は、その胸に小さな何かを抱えていた。

 小さな何か――言うまでもなくそれは、息子のクリスティアンだ。


 いつもあれだけ元気に泣いているのに、いまは泣き声一つ上げていない。

 何か事情があるのだろうか。

 

 その姿を見たケビンの脳裏に最悪の事態が過ったが、エルミニアの様子を見る限りそうではなさそうだ。

 恐らく彼は眠っているだけなのだろう。


 こんな状況ですやすや眠るなんて、なんて豪気な赤ん坊なのか。

 意図せずそう思ってしまったケビンの顔に一瞬だけ微笑みが浮かんだが、すぐに元の表情に戻った。




「エル、無事か!? 怪我は!? クリスティアンも無事なんだな!?」


 咄嗟にかけたケビンの声に、エルミニアはこくこくと頷いて答える。

 彼女の様子を見たケビンの顔には、一目でわかるほどに安堵の表情が浮かんだ。

 しかしその顔もやはり一瞬で元に戻った。


 そんな勇者に向けて、男が嘲るような言葉を吐く。


「さて、これで妻と子の無事がわかっただろう――と言いたいところだが、お前がここに来た時点でこの二人にもう用はない。 ――死ね」 


 彼の言う通り、既に二人に利用価値はなかった。

 この場でケビンも殺してしまって、あとでゆっくりと目的の品を回収する。

 つまりはそういうことだったのだ。


 ――ここまでは。




 バスッ!!


 黒ずくめの男が言葉を切った直後、その頭が吹き飛んだ。

 それと同時に、エルミニアを掴んでいた男の胸にも穴が空く。


 悲鳴の一つも上げることなく、血しぶきを上げて倒れ伏す二人の身体。

 その光景に、一瞬にして空気が凍り付く。


 ケビンと男たちとの距離は優に十メートルはあったはずだ。

 それなのに、いったいどうしてこんなことになっているのか。


 闘いの真っ最中であることも忘れてその場の全員が固まっている中、返り血を浴びて卒倒しそうになっている妻にケビンが駆け寄った。

 彼が走り抜けた後には、二人の騎士がその身体を真っ二つに切り裂かれていた。

 


「エル!! もう大丈夫だ!! 怖かったろう!? さぁ、こっちへ!!」


 身体を縛り上げていた綱を切ると、妻と子を奥の部屋へと連れて行く。

 そして優しく妻を座らせると、ケビンはニコリと笑った。


「何処か痛いところはあるか? 酷いことはされなかったか?」


「あなた…… だ、大丈夫です、私もクリスティアンも怪我はありません」


「そうか……よかった……」


 未だ恐怖に引きつってはいたが、それでも満面に安堵の表情を浮かべてエルミニアが答える。

 そんな妻に軽くキスをすると、ケビンはニコリと笑った。

 その顔だけを見ていると、自宅のリビングで雑談している姿とまるで変わらず、思わずエルミニアは夢でも見ているのではと思ってしまう。


 そんな妻に向かって、「ふふっ」とケビンは声を上げて笑いかけた。

 


「ちょっと後始末をしてくるよ。すぐに戻るからジッとしているんだ、いいね?」


「あ、あなた……」


「ふにゅう……ふぎゃぁ……ほぎゃぁー!!」


 背後から聞こえてくる足音と怒号。

 そのあまりにけたたましい物音に、遂にクリスティアンが目を覚ましてしまう。

 背後の怒号と息子の泣き声のどちらが大きいかと呑気に考えながら、息子の頭をひと撫でしてケビンは勢いよく立ち上がった。

 

「さて、父上は一仕事してくるからな。お前は良い子で待っているんだぞ」


 そう言って笑う彼の顔には、まるで気負いが見えない。

 未だ二十人近い手練れが残っているこの状況で、どうしてあんな穏やかな顔ができるのだろう。

 少なくとも自分には、恐怖しかないのに。


 思わずエルミニアはそう思ってしまう。 



 そんな彼女の想いが伝わったのだろうか。

 まるで安心させるように頷くと、ケビンは勢いよく踵を返す。

 

 その背中を見送ったエルミニアの瞳には、夫の身体から何か陽炎のようなものが立ち昇っているのが見えた。

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