第125話 勇者と騎士の矜持

「さて、父上は一仕事してくるからな。お前は良い子で待っているんだぞ」


 一言そう告げると、不安げな妻とその胸で泣く息子に背を向けてケビンは走り出した。

 そして二人を残した部屋のドアを閉めると、再び剣を構え直す。

 愛する家族の前では優しげな笑みを絶やさない彼だが、再び敵に対峙した瞬間、その瞳が鋭く細められていた。



 中肉中背を地でいくような体躯のケビンは、決して体格に恵まれているとは言い難い。

 平均的な身長と、剣士としてはいささか頼りなく見えるほどの細身の身体は、騎士団の精鋭の方がよほど手強く見えるほどだ。


 ともすれば華奢にも見えるその身体は、素早く、そしてしなやかに動くために無駄な筋肉を排除した結果だった。

 それは彼の戦闘スタイルを生かすための理想的な体形だったのだ。


 ちなみに妙齢の女性たちは、あからさまな筋肉の塊よりもケビンのような「細マッチョ」のほうがセクシーに見えるらしい。

 事実、妻のエルミニアは、寝室で彼の裸体を見る度に瞳を潤ませて熱い溜息を漏らすほどだった。




 じわじわと自分を取り囲んでいく一団に、鋭利な刃物のような視線を投げつけながら、ケビンが口を開く。

 相変わらず言葉には感情がこもっておらず、抑揚もなく平坦だった。


「殺す前に訊いておく。――騎士たちよ、お前たちはコンラート家の者だろう。つまり、宰相カリスト・コンラート侯爵もグルだと思っていいのだな?」


「……」


 ケビンの問いかけに、沈黙を守る騎士たち。

 明確に肯定も否定もしなかったが、身に付けている鎧やマント、そしてつるぎの意匠からも、彼らがコンラート家の騎士なのは間違いなかった。


 その事実に「なるほど」とケビンは頷いてしまう。

 それであれば彼らの素早い行動にも説明がつく。


 先ほどの打ち合わせには宰相コンラートも同席しており、他の重鎮たちと同じようにケビンの話を聞いていた。

 国王に気をとられたケビンは気付いていなかったが、恐らく途中で侯爵は部下に指示を出したのだろう。

 そして午後からの本会議の前に、ケビンの持つ証拠品を奪おうとしたのだ。

 しかしおとなしくケビンが言うことを聞くとも思えずに、人質を取るためにコンテスティ家へ騎士を向かわせた。



 午前の打ち合わせの後、ケビンは何処にも寄らずに自宅へ帰った。

 それなのに相手に先を越されてしまった。


 執事が言うには、賊はケビンが帰宅する五分前に現れたそうだ。

 彼らは全員騎士の格好をしていたが、その所属を隠すように肩の紋章だけが取り払われていた。


 たとえ紋章を付けていなくとも、その特徴的な鎧と剣に施された意匠で、彼らがコンラート家の者達であることはケビンにはすぐにわかった。


 養子とは言え、ケビンとて公爵家の一員だ。

 貴族としての最低限の教養として、主要な貴族たちの紋章や特徴などは当然のように頭に叩き込まれている。

 そしてその中には、それぞれの家の騎士の装いも含まれていたのだ。



 コンラート侯爵といえば、ブルゴー王国の宰相にして国王アレハンドロの右腕と称される人物だ。

 彼は国王の絶対的な信頼をもとに国の運営を任されており、まさに行政機関のトップと言える。


 コンラート家は代々ブルゴー王国の宰相を輩出してきた家だ。

 その歴史は古く、家系を遡ればこの国の建国時に辿り着くほどで、今も次代の宰相として息子に勉強させているところだ。


 そんな彼は、親国王派の筆頭だと思われていたので、ケビンにしてもまさかそれほどの人物が裏切っていたとは思わなかったのだ。


 アニエスから聞いていた貴族の中に、コンラートの名前はなかった。

 つまり彼女も宰相がセブリアンの一味だとは思っていなかったのだろう。

 そして第一王子派の貴族連中の名前はケビンも以前から知ってはいたが、その中にも彼の名前が出てきたことはない。


 だからすっかり油断したケビンは、午前の打ち合わせの席でコンラートの前で全て話してしまったのだ。

 そして見事に裏をかかれた。


 国王が右腕だと思っていた人物は、実は反国王派の筆頭だった。

 そこまで考えが及んだケビンは、その特徴的な黒い瞳を細めて鋭く周りを見回した。



 勇者一人に対して黒ずくめの男が五名、そして騎士が十二名。

 普通に考えれば圧倒的に有利な彼らだが、ゆっくり周りを見渡すケビンに斬りかかる者はいなかった。


 その姿を見る限り、彼らは互いに目配せをしながらどうするべきか迷っているように見える。

 そんな騎士たちを鋭い視線で見据えると、ケビンは再び抑揚のない平坦な声を出した。


「お前たち、そのようなことをして許されると思うのか? ――俺はコンテスティ公爵家の者だ。そして妻は国王陛下の娘なんだ。命令とは言え、お前たちのボス――侯爵よりも上位の貴族に襲いかかり、あまつさえ王女にまで無体を働こうなど正気の沙汰とは思えんが」


「……」


「騎士よ――剣を捨てろ。いまならまだ許してやろう。お前たちは命令に従っただけだと、陛下に助命を進言してやってもいい」


 その言葉に、騎士たちの迷いがさらに大きくなる。

 そしてその中の一人が口を開こうとした瞬間――


 プッ!!


 遠く前方から小さな音が聞こえた。

 それと同時に、ケビンは剣を一閃する。


 キンッ!!


 それは吹き矢だった。

 ケビンが騎士に声をかけている間に、遠くから暗殺者が毒吹き矢を放ったのだ。

 しかし彼は超人的な反射神経でそれを弾き返した。


 吹き矢を右手の剣で弾くと同時に、左手を素早く振りかざす。

 するとそこから光の矢のようなものが生まれて、吹き矢を構える男に直撃した。


 グシャ!!


 次の瞬間、吹き矢男は肉塊に変わっていた。

 まるで巨大な何かを思い切りぶつけられたようにその身体は弾け飛び、盛大に内臓を撒き散らしながら己の血で地面を濡らしたのだった。



 それは「魔法」だった。

 ケビンは無言のまま左手から魔法の矢を放っていたのだ。

 勇者が魔法を使うなど誰も聞いたことがなかったが、それはまごうことなき「魔法」だったのだ。

 しかも呪文を唱える必要のない「無詠唱魔法」であることは間違いなかった。


 もっとも魔法の知識のない騎士も暗殺者もそんなことなど知る由もなく、左手の一閃だけで遠く離れた人間を肉塊に変えた、その事実に彼らは戦慄を禁じ得なかったのだ。



 あまりにその光景が恐ろしかったのだろう。

 『この男を殺さなければ、次は自分があんな目にあわされる』

 鍛え抜かれた近衛騎士であるにもかかわらず、まるでパニックを起こしたかのように先頭の二人がケビンに斬りかかって来た。

 

 降りかかる火の粉には一切遠慮をしないケビンは、返すつるぎで二人を一閃すると、直後に前方に佇む暗殺者に向かって走り出した。


 後方で血しぶきをあげる二人の騎士を振り返ることなく、真っすぐに走り抜けるケビン。

 その間にも素早く二度左腕を振り抜くと、遠くで二人の暗殺者が肉塊に変わっていた。

 しかしそこにも視線を向けずに、慌てて斬りかかってくる暗殺者とケビンは剣を合わせる。



 「漆黒の腕」といえば、暗殺と戦闘のプロだ。

 そんな彼らを相手にしては、普通の者では三合と打ち合えないだろう。

 しかしケビンには一合も必要なかった。


 相手の剣を受け止めたケビンは、返すつるぎでそのまま相手を頭の先から股間まで真っ二つに切り裂いたのだ。

 そしてさらにその上から、無詠唱魔法をぶちかます。


 ゴドンッ!!


 縦に二つに分かれた黒づくめの身体は、そのまま派手にぶちまけられて壁に大輪の血の花を咲かせる。

 盛大に弾け飛ぶ内臓と大量の血。

 ともすればそれは花火のようにも見えて、どこか非現実的な光景に見えたのだった。



 

「うわぁー!!」


 盛大に返り血を浴びながらケビンが振り向くと、恐怖のために我を忘れた若い騎士が迂闊にも斬りかかって来る。

 厳しい訓練を潜り抜け、エリートの中からさらに選抜された近衛騎士のはずなのに、その姿には最早もはや騎士としての姿すら見えなかった。


 まるで子供の遊びのように腰の入らない剣を最小限の動きでかわすと、ケビンはそのまま右手を一閃する。

 次の瞬間、その若い騎士の身体は腹の部分で上下に別れていた。



「ば、化け物だ――」


「これが……勇者ケビン……魔王殺しサタンキラー……」


「こ、こんなのに敵うわけないだろ……」


「こ、殺される――」

 

 あまりに凄まじいケビンの闘いぶりに、騎士たちが怖気づき始める。

 中には剣を下げて恐怖に震える者も出始める始末だ。


 実のところ、彼らは勇者ケビンがどういう人物なのかよくわかっていなかった。

 実際に彼が闘うところを誰も見たことがなければ、どの程度の手練れなのかも知らなかったのだ。


 これまでケビンは、その戦闘力を注目されたことはあまりなかった。

 師匠であるアニエスのあまりに凄まじい実力の陰に隠れて、彼自身の強さを注視する者が少なかったのだ。


 魔王討伐の際にもまるで名誉職のような扱いだったし、使命を果たして帰って来ても、行方不明になったアニエスの話題に隠れてしまっていた。

 確かに今では「魔王殺しサタンキラー」の異名を名乗ってはいるが、それだって市井の者たちが呼び始めたのを貴族連中が後追いしたに過ぎなかったのだ。


 しかし冷静に考えてみれば、勇者という肩書を名乗れる者はこの長い歴史の中でも数えるほどしかいなかったし、その誰もが相当高い水準で様々な能力を持つ者ばかりだった。

 だから目の前に佇む現役の「勇者」が、常軌を逸した凄まじい戦闘能力を持っていたとしても全く不思議ではなかったのだ。



 そんな男を敵にまわした。

 自宅から妻と子をさらい、卑怯な方法で一家全員皆殺しにしようとしたのだ。

 聖人君子でもあるまいし、これで怒るなと言う方が無理だろう。


 その事実に気付いた騎士達は、戦闘の最中であることも忘れて震え始めてしまう。

 そしてリーダーらしき騎士の元に集まると、口々に叫び始めた。


「た、隊長……あ、あんな化け物に敵うわけありません!! このままでは間違いなく皆殺しです!!」


「隊長!!」


「剣を捨てれば許してくれると――」


 最早もはや降伏しようと口々に言い募る部下達。

 そんな彼らに向かって、隊長と呼ばれる男は怒鳴り返した。



「馬鹿者!! お前たちのあるじは誰だ!? 主人のめいが絶対なのを忘れたか!! この行いが正しいかなど関係ない。どんな命令であったとしても、それに従うのが騎士の務めだろう!!」


「し、しかし隊長!!」


 無下もなく言い放つその言葉に、部下たちが青ざめる。


 確かに隊長の言うこともわかる。

 自分たちの主人はコンラート侯爵なのだし、その彼に直々に命じられたのだから死んでもそれを遂行すべきだろう。


 しかし「魔王殺しサタンキラー」と呼ばれる勇者ケビンは、正義感に溢れる品行方正な人物で有名だ。

 そして国王の義理の息子であるうえにその身分も「公爵」なのだ。

 さらに妻は国王の次女――第二王女であって、その息子は国王の孫でもある。


 そんな彼らをさらえとか、人質にしろなどいう命令の方がどう考えてもおかしいのだ。

 「侯爵」が「公爵」を殺めようとするなど、その身分差を考えても凡そ有り得ない。

 仮にケビンが罪人だったとしても、その捕縛には正式な命令が出るはずだし、もとよりこのような無法な手段に出るなど考えられなかった。


 そもそもこんな気味の悪い暗殺者集団と組ませられる時点で、どちらが正義かなんてお察しだ。

 権力や政治のことはよくわからないが、自分たちの主人と目の前の勇者のどちらが正しいのかと考えれば、恐らく後者なのは間違いなかった。


 騎士の矜持を考えるならば、隊長の言う通り主人と運命を共にすべきだろう。

 しかしそこに正義があるのかと問われれば、甚だ疑問だ。


 

 ケビンが残った暗殺者を斬り捨てている横で、騎士隊長は部下たちに詰め寄られていた。

 侯爵の不正を感じ取った騎士たちは、最早もはやその命令を遂行する気がなくなっていたのだ。

 さらに常軌を逸したケビンの戦闘能力を見せつけられた彼らは、すっかり戦意を喪失していた。


 そんな彼らに、再びケビンが声をかけた。



「剣を捨て、主人の不正を証言すると誓うなら殺さないでやろう。そして陛下にはお前たちの助命を進言するとも約束してやる。 俺は嘘を吐かない――さぁ、どうする?」


 そんな質問をしながらも、ケビンは最後に残った暗殺者の四肢を斬り落としていた。

 それは彼に自害させないためと、あとから尋問しやすくするためだ。


 あまりの痛みに激しく暴れ回る男の手足を容赦なく斬り落としていく勇者。

 その姿に騎士たちは戦慄していた。


 そんな彼らに視線を投げると、何気にドスを利かせた声で再びケビンが口を開いた。



「そんなに死にたければ殺してやろう、遠慮はしない。 ――たとえそこに正義がなかろうと、あるじの命を遂行するのが騎士の務めなのは俺とても理解している。しかし本音を言えば、お前たちには証言をしてもらいたいのだ」


「……」


「コンラート家が反逆罪で取り潰されるのは確実だろう。お前たちもそれに殉ずるつもりであるのなら、無理に止めはしない。 ――この場で皆殺しにするまでだ。しかしお前たちは国賊の仲間として名を残すことになるのだぞ? 残された家族はさぞ辛いだろうな」


「国賊……」


「そ、そんな……」


「た、隊長!!」


「ここはもう降伏すべき――」


 ここに及んで、家族の顔が脳裏をよぎったのだろうか。

 隊長を取り囲むと、騎士たちは必死に言葉を吐いた。



 自分たちは主人のため、国のため、いては家族のために騎士になったのだ。

 もちろん中には止むに止まれぬ理由でこの道を選んだ者もいるのだろうが、ここにいる全員が己の意思で騎士になっていた。


 騎士は誇りだ。

 これまでもその誇りを胸に生きてきたのだ。

 それなのに、国賊のレッテルを貼られた挙げ句に、家族にまでその汚名を被せられるなど到底我慢できない。

 息子に父が国賊だと思われるなんて、絶対に許せなかった。



 騎士たちが必死な顔で口々に言い縋ると、その中心で思い切り顔を歪めた騎士隊長が大声を上げた。


「何度も同じことを言わせるな!! 俺たちは騎士なのだから、主人の命に従うのが使命なのだ!! たとえそれが誤っていたとしてもだ。 騎士になった時に、あるじに己の命を捧げたのを忘れたのか!?」



 そこまで一気に言葉を吐くと、騎士隊長はフッと小さく息をついた。

 そして顔に何処か自虐めいた微笑みを浮かべると、声を小さくしてかぶりを振った。


「――と言いたいところだが、そんなくだらない矜持を守るのは俺一人だけで十分だ。お前たちは剣を捨てて降伏しろ。勇者ケビンは約束を守る男だ。約束通りお前たちの助命を陛下に嘆願してくれるだろう」


「た、隊長!?」


 最後に部下たちの顔を見渡すと、押し退けるようにして前へ出る。

 そして隊長は、ケビンに向かって剣を構え直した。

 騎士の中でも一際ひときわ大柄な彼が剣を構えると、相当な威圧感が伝わってくる。


 しかし細かく震える剣先からは、彼が死を覚悟しているのがわかる。

 そんな隊長の覚悟を汲んだ部下たちは、最早彼を止めようとはしなかった。



「勇者ケビン。最後にお前と剣を交えられるのを名誉に思う。魔王殺しサタンキラーと正々堂々闘ったと、あの世への土産話にさせてもらおう。――いざ!!」

 

 まるで勝機がないのをわかっていながら、それでも闘いを挑んでくる騎士隊長。

 そんな彼に向かって、最早もはやケビンはかける言葉もなかった。

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