第123話 振り上げた拳
「ほう……何故にわしに詰め寄られているか、わからぬと見える。――それなら教えてやろうか? カルデイア大公とその妹の不義の息子、セブリアンよ」
魔女アニエスの言葉に、第一王子セブリアンの眉が上がる。
ともすればあどけないと言える顔に凄まじい怒りを浮かべると、彼はソファから飛び上がった。
「なんだと!! 訂正しろ!! アニエス、いまの発言を訂正するんだ!! 許さない、許さないぞ!! いくらお前とは言え、その発言は許さない!!」
「ほう、随分な怒りようだのぉ、セブリアンよ。その物言いが、わしの言葉が図星であることを物語っておるのぉ」
「ぬあぁぁ!! この魔女め!! それだけは……それだけは言わせない!! おのれぇ!!」
「で、殿下!! 落ち着いてください!!」
怒りのあまり顔を真っ赤にするセブリアンと、それを宥めるトイヴォネン侯爵。
そんな二人に嘲るような視線を向けると、アニエスは口角を斜めに上げた。
「ローザリンデの裏切り、お前の正体、そしてお前の仕出かしたこと、このすべてを陛下に話したらどうなるじゃろうの。――如何に残念な
「なにぃ!!」
「母親の正体は知られ、その不貞の子として王位継承権は剥奪、そして側妃殺害の容疑で捕縛されて、お前は死罪になるのだ!! わしはお前の首が刎ねられるのを笑いながら見ていてやろう!! さぞ愉快だろうのぉ!!」
思い切り嘲りながら、アニエスは第一王子の胸に指を差す。
興奮のあまり全身を震わせるセブリアンは思うように言葉が出なかったが、それでも震える唇を抑えつけて、ゆっくりと口を開いた。
最早彼は言い逃れをしようとすら思っていないようだった。
「余計な真似を……したからだ。あの女は、絶対に見てはいけないものを見たのだ。僕と母上と……そして本当の父上との秘密をな」
「だからと言って罪のない者を殺すなど、そんなことが許されるはずないじゃろ!? お前は幼いエルミニアから最愛の母親を奪ったのじゃ。それがわかるか!?」
「母親……? あぁ、そうさ。僕だって幼い時に母上を亡くしている。だから妹の気持ちは痛いほど良くわかるよ」
「なれば、何故あのような真似をした!? いくら口封じのためとは言え、いきなり殺してしまうなど短絡すぎるじゃろ!! わしらはな、確かにお前の秘密を知ってしまったが、それを見なかったことにしようと――」
「詭弁だ!! そんなもの、後付けの言い訳だろ!! アニエス、そうやって正義面をしているが、お前だって他の大人たちと一緒なんだろ!?」
「……大人?」
「しらばっくれるな!! どいつもこいつも、僕を陥れようとするからだ!! 僕はこの国の第一王子なんだ!! それなのに……それなのに……なぜ僕は皆から疎まれなければならないんだ!?」
激しく両腕を振り回しながら、感情の赴くままに叫び続けるセブリアン。
そんな彼の瞳から、不意に涙がこぼれる。
特徴的な暗い瞳から流れ出た涙ではあったが、蝋燭の灯りに照らされたそれは何処か美しくも見えた。
「あぁ、そうさ……いまさら隠したって仕方がない。お前の言う通り、僕は父上の血を引いていないんだ。――つまり、王位継承権はないのさ!! だが、それがどうした!? それは僕のせいなのか? 僕が何か悪いことをしたのか!?」
「セブリアン……」
「生まれた時から、僕はずっと王になるものだと思ってきた。そのための教育も懸命に受けてきたし、そうなろうと努力もしてきた。それが何故こんなことになった!? ある日突然自分の正体を知らされた僕の気持ちがわかるのか、お前に!?」
その言葉に、ふとアニエスが怪訝な顔をする。
いまの彼の言葉の中に、彼女は何か引っかかっていた。
「ある日突然……? 待て、一つ訊こう。 ――お前に真実を告げたのは誰じゃ? ローザリンデが死んだ時、お前はまだ五歳だったはずでは……」
「あぁ!? そんなの決まってる――そいつだよ。まだ8歳だった僕に、そいつが突然告げて来たんだ。その言葉の意味に気付いた僕は、気が狂いそうになったんだ。王になれない――そう、僕には父上の血が流れていないからとな!!」
大声で怒鳴ったセブリアンは、隣で青い顔をするトイヴォネン侯爵を真っすぐに指差した。
その顔には憎悪が渦巻いており、侯爵を思う彼の気持ちが些か複雑であることを物語っていた。
突然指を差されたトイヴォネンは、みるみる顔色を変えていく。
「わ、私は……亡きローザリンデ様からこのお方を託されて……秘密を守り、必ず王座に付けよと……」
「では何故
「そ、それは……」
「そうか……わかったぞ。 ――お前だけではあるまい? 他にもいるのではないのか? アレハンドロの血を引かぬと知りながら、
「ひっ!!」
まるで襲い掛かると言わんばかりに詰め寄ってくるアニエスを前に、トイヴォネンはその身を固くするばかりだ。
いくら王国の第一王子とは言え、未だ13歳の少年が一人で全ての企みを実行できるとは思えない。
それを思うと、セブリアンの背後には多数の大人たちがいると考えるのが無難だ。
第一王子派の派閥連中の全員ではないのだろうが、一定多数の者達はこの真実を知っているのだろう。
そのうえで彼を王に据えようとしている。
その事実に気付いたアニエスは、愕然としてしまうのだった。
「わかった……トイヴォネン侯爵よ、お主には後ほど色々と話を訊かせてもらうからの!! 覚悟しておくことじゃ!! ――して、セブリアンよ、全てがお前一人の企みではないとわかったが……やはりわしはお前を許すことが出来ぬ!!」
「う、うるさい!! うるさい、うるさぁーい!! 僕はこんな真実なら知らなくてよかったんだ。それをわざわざ知らせた挙句に、それを大人たちは政争の具にしようとしている。――こいつのようにな!!」
そう言ってセブリアンは、隣で小さくなっているトイヴォネン侯爵を再び指差した。
そして尚も言い募る。
「そうやって胡麻を擦りながら、自分の都合の良いように僕を操る気なんだろう? そして僕が国王になった時には、その権力に
「それは身勝手というものじゃ!! 仮に王位継承権がないのでれば、粛々とそれに従うべきではないのか!? 己の運命を受け入れるのじゃ!! お前だけではない、皆そうして生きておるではないか!!」
一括されて小さく縮こまる侯爵を尻目に、尚もアニエスは第一王子に詰め寄っていく。
すると王子も負けじと大声を出した。
「僕なんかより、弟の方が優れていると皆思っている。そして父上も、宰相も、妹も、そしてお前もだ、アニエス!! 皆僕を王に相応しくないと思っているんだろう!? 畜生!! どいつもこいつも僕を王座に就けないつもりなんだ!! そもそも母上があんなことをしなければ、僕はこんな目に遭わずに済んだのに……」
「……」
「あぁ、そうさ!! 僕はジャクリーヌを殺したさ!! そして妹――エルミニアを独りぼっちにした。認めるよ、あぁ認めてやるとも!! しかしそれは僕が悪いのか? 陛下の血を引かないのも、欲に塗れた大人たちが擦り寄って来るのも、そして知りたくもない真実とやらを知らされたのも、全て僕のせいなんかじゃない!! 断じてそれは認めない!!」
いつも暗い目と表情を浮かべるセブリアンは、この時ばかりは年相応の少年のようだった。
母親の不貞を知り、己の出自に悩み、権力闘争に疲れ、人の評価を恐れ、それが原因で人を信じられなくなった13歳のセブリアンの姿は、アニエスにはとても哀れに見えたのだった。
確かに彼は幼い頃から異常な嫉妬と猜疑心に
その些か病的とも言える人格の形成に、彼の出自が関係しているのは紛れもなかったし、その全てが彼の責任とも言い切れないだろう。
そしてそんな彼の周りには、次期国王の肩書に魅入られた多くの権力者たちが群がり、褒め、持ち上げ、賛美したのだ。
そんな環境に置かれた子供が、まともな育ち方をするわけもなかった。
セブリアンが赤ん坊の時からアニエスは傍にいた。
そして彼が成長していくのを間近で見ていたにもかかわらず、その軌道修正をしたり導いたりすることもなかった。
確かにそれがアニエスの仕事かと問われれば否と答えるしかないが、それを見て見ない振りをしてきたのもまた事実だ。
正常な子供の成長には、両親、そして周りの大人の手助けが不可欠だ。
それも満足に行わずに子供が曲がって育ったとしても、果たしてそれは子供自身の責任と言えるのだろうか。
ふとそんな思いに駆られたアニエスは、不意に肩の力が抜けるのを感じた。
そして心持ち小さな声で話を続けた。
「いずれにしても、この件は陛下に報告させてもらうからの。その場合、ローザリンデの不貞、お前の出自は明るみに出るであろうな。覚悟するのだな」
その言葉を聞いた途端、セブリアンの瞳から一層大粒の涙が流れ始め、必死にしゃくり上げながらアニエスを真っすぐ見据えた。
そんなブルゴー王国第一王子の姿は、何処か哀れで痛ましく見えるものだった。
「お願いだ、アニエス……それだけは勘弁してくれ…… このままでは僕は捕縛され、処刑されてしまう。陛下にとって価値のない者となれば、僕はどんな扱いを受けることになるか…… うぅぅ……あぁぁ……」
「身勝手なことを言うでない。お前はそれだけのことをしたのじゃ。当然その報いは受けてもらうということじゃ。こればかりは仕方のないことじゃろう」
「……トイヴォネンに聞くがいい。僕の周りのどれだけの者がこの秘密を共有しているのかを。そして彼らが動き出せば、この国は真っ二つに割れることになるんだぞ。それでもいいのか?」
「なに? それほどの者がか?」
「あぁ…… アンベール公爵にディズラエリ侯爵、そしてタルティーニ伯爵もそうだ。彼らが一斉に反旗を翻えせば、この国がどうなるかお前にもわかるだろう?」
「なんじゃと!? アンベール公爵もか? それでは、その一族――テバルディ伯爵もポルセル子爵もか?」
思わずアニエスが訊き返していると、その横からトイヴォネンも口を挟んで来る。
その顔にはこれを好機とばかりに、必死な表情が浮かんでいた。
「はい。更にはセルヴェ公もタルデュー家もそうです。もしも彼らも一緒に立ち上がることにでもなれば、間違いなくこの国は内戦に突入するでしょう。そして南には魔国、そして北にはアストゥリア帝国が虎視眈々と狙っているのです」
「……」
「カルデイア大公国だって、殿下の危機に当然黙ってはいないでしょう。仮にもオイゲン大公の実子であり、妹君の一粒種でもあるのですから。――内戦から始まった諍いは、最後には三国による我が国の蹂躙に終わるのです」
「そ、そうだ。トイヴォネンの言う通りだ」
トイヴォネンはそれを後押しにすると、大きく息を吸って一気に言い切った。
「アニエス殿、それでもあなたは動かれますか? このまま黙っていればこれ以上誰も傷つきません。しかし内戦が勃発し、三国が我が国に押し寄せてしまえば、どれだけの民の血が流れるとお思いですか? 恐らくこの国は地図から消えてしまうでしょう」
「ぬぅ……」
アニエスの顔に、それまでなかった表情が生まれる。
眉は下がり、口角は引き絞り、眉間に深いシワが寄っている。
その表情は「迷い」だった。
これまで彼女は己の正義を貫くためにセブリアンを断罪する気だった。
しかし彼ら二人の言葉に、その裏に隠れていた事実に気が付いたのだ。
今出てきた貴族の名前は、ここブルゴー王国でも名門と言われる力のある貴族家ばかりだった。
もとより彼らは次期国王となるセブリアン第一王子の派閥に属する者達ばかりではあったが、まさかそこまでこの秘密が共有されているとは露にも思わなかったのだ。
そしてそれを公表することによって、国王アレハンドロは傷つき、亡き正妃の名誉は地に落ち、そしてセブリアンの処遇如何によっては、国を二分する内戦に発展するのは間違いない。
そしてそんな状況を、アストゥリア帝国が看過するわけもなかった。
ジャクリーヌ殺害の責任をセブリアンに取らせる。
確かにそれは正義だろう。
それによってアニエスの正義感は満たされ、残されたエルミニアの気は少しは晴れるのかも知れない。
しかしその影響、そして犠牲はあまりにも大きすぎた。
そのためだけに、数十万にも及ぶ国民の命を危険に晒すわけにはいかないのだ。
一度は殴りつけようと振り上げた拳を、諦めの表情で次第に下げていく。
そんなアニエスの姿を見つめながら、セブリアン第一王子とヘムリー・トイヴォネン侯爵は狡猾そうな笑みを浮かべたのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます