第122話 魔女の追及

 アニエスは怒り狂っていた。


 憤怒に震える両手を握り締めながら、その感情の発露先を探すかのように地面に転がる死体を見渡す。

 そして自分が作り出した物言わぬ肉塊に一瞥をくれると、二度と振り返ることなく真っすぐ何処かへ向かって歩き出した。



 若い時からせっかちで有名な彼女ではあったが、決して怒りっぽいわけではなかった。

 「ブルゴーの英知」に渾名される通り、本来の彼女は思慮深く、道理をわきまえ、聡明な女性だ。

 もとより100年以上に渡り一国の宮廷魔術師を務めてこられたのも、それらの能力に秀でているからであって、決して魔術師としての才能だけではなかったのだ。


 そんなアニエスは短気で口が悪いために一見して誤解されやすく、交渉などの席では相手から侮られることも多い。

 しかしその裏では冷静にしたたかに相手を観察しており、気付けば彼女の掌の上で転がされている。

 そしてわざと相手を怒らせて話の主導権を引き寄せるなど、その策士ぶりは有名だった。


 このように短気で乱暴な物言いに反していつも冷静なアニエスだったが、およそ199年にも及ぶ長い人生の中で、これほどまでに怒りに身を震わせた経験はなかった。

 魑魅魍魎の跋扈する貴族社会において、我を忘れるほど腹を立てたことは何度もあったが、今回ばかりは、そのどれよりも凄まじい怒りだったのだ。


 勿論それは自分が殺されそうになったことなどではない。

 彼女がその身を震わせるほどに怒っているのは、哀れなジャクリーヌを殺されたことに対してだ。

 幼い我が子を残して先立たねばならなかった彼女の想い。

 そして、次第に痩せ細りながら死に近づいていく母親の姿を見せつけられた、幼いエルミニアの想い。

 その両者を思うと、アニエスはどうしても許せなかったのだ。

 

 未だ憤懣やるかたない表情のまま裏路地から出てきたアニエスは、表通りを歩いていた警邏に気が付いた。

 そしてその表情のまま声をかける。


「そこの警邏よ。すまぬが、少し頼まれてはくれんか?」


「これは、アニエス様。お外を歩かれるなんて珍しいですね。――ど、どうかされましたか? なにやら只事ではないお顔をしておられますが……そ、それで、頼み事とは?」


 目だけで人を殺せるような、鋭い視線。

 そんな目で最強の魔術師に睨まれた二人の警邏は、あまりの迫力に思わず後退ってしまう。

 しかしそんな彼らの姿にも、アニエスはその表情を変えようとはしなかった。


「うむ――そこな裏路地に肉塊が転がっておる。掃除しておいてくれんか?」


「はっ? に、肉塊……ですか? それはいったい……」


「行けばわかる。――あぁ、ほかに応援を呼んだ方がええ。事の次第は後ほど報告するから、わしは一度ここを離れる。ええな?」


 まるで吐き捨てるようにそう言うと、二度と振り返ることなくアニエスは王城の方へ歩いて行ったのだった。




 ――――




「セブリアン様……大丈夫なのでしょうか? あの魔女を暗殺しようなどと…… 下手をすれば、殿下の出自も我々の関係も明るみになってしまうのでは……」


 そこはブルゴー王国の王城の一角にある部屋だった。

 昼下がりの明るい時間であるにもかかわらず、何処か薄暗く陰鬱な雰囲気の漂うその部屋の中に、二人の男の話し声が響いている。


 不安そうに声を漏らすのは、よく手入れされたロマンスグレーの頭髪が特徴的な中年の男で、その着衣の豪奢さを見るに、彼はそれなりの地位にある者のようだ。

 そしてその男の前に座っているのは、未だ少年と言ってもいいほどの若い男だった。

  

 背が低く小太りの体形は、同年代の中でもかなり小柄なのだろう。

 もしかするとこれからの成長期には飛躍的に背が伸びるのかもしれないが、すでに十分に肉の付いた体形を見る限り、それは些か楽観的すぎるかもしれない。


 思わずそう思ってしまうほどに、その体形は締りがなかった。

 それを見るだけでも普段の生活の不摂生さ、不健康さが垣間見えるものだったが、それ以上に目を引くのが、その顔に浮かぶ暗い表情だった。


 現在13歳のセブリアン第一王子には、未だ二次性徴は訪れていない。

 そのせいで年の割には背が低く、顔も幼く見えるのだが、その暗い瞳と表情が彼を老人のように見せていた。


 そんなブルゴー王国第一王子が、変声期も迎えていない子供の声で正面の男に答えた。



「トイヴォネン侯爵……そんなこと、いまさら言ってもどうしようもないだろ。僕の秘密を知った者は全て殺すと誓ったのだ。それが亡き母上の遺志なのだからな」


「確かにそうですが…… どんなことがあろうとも我が息子を王座につけよ――確かにローザリンデ様は生前そう仰いましたが……」


「わかっているなら、お前はそれを実行するだけなんじゃないのか? いまさらガタガタ言うな」


「し、しかし……ジャクリーヌは上手く病死に見せかけられましたが、あのアニエスを襲うなど……返り討ちにされるのがオチなのでは」


 その不安そうな物言いにイラついたセブリアンは、自然と語気が荒くなる。

 暗い闇を湛えたくすんだ瞳で睨みつけると、突然大声を出した。


「仕方ないだろ!! 秘密を知られた以上、あのばばあも消さなければいけないんだ!! わかっているのか!? もしもヤツが秘密を喋ってみろ……僕は王になれなくなるんだぞ!! それどころか、国外追放――いや、側妃殺害容疑で打ち首かもしれない。 ……もしもそうなったら、お前も道連れだからな」


「そ、それは重々承知しております…… しかし、これだけ経っても何も言わないということは、そもそもアニエスはこの件を明るみにするつもりはないのでは? もしもそうであれば、あの魔女を襲うのはむしろ薮蛇やぶへびに――」


「うるさいぞ!! 最早もはやヤツを殺すしかないんだ!! 密偵によれば、あいつはジャクリーヌから何かを受け取ったと言うじゃないか。それが何かはわからないが……きっと僕を破滅させるような何かに違いない!!」


「しかし……だからと言って、あのアニエスを襲うなど――」


「しつこいぞ、トイヴォネン!! いまさらもう遅いんだ!! お前の紹介してくれた奴らに、あのばばあを殺せと指示を出してしまっているからな。今頃はもう死体になっているかもしれないぞ」



 平然としているかと思えば、突然声を荒げたり大声を出したりする。

 そして次の瞬間にはまた普通に戻るなど、どうやらセブリアンの感情の振れ幅は常人よりも相当広いらしい。

 些か情緒不安定なその様子を見る限り、彼は心に何かしらの病を抱えているのかもしれない。


 そんなことを考えながらトイヴォネンが見つめていると、再びセブリアンは蔑んだような顔をした。


「ふんっ、くだらないな。お前は何を心配しているんだ? そもそもあの暗殺者集団を僕に紹介したのはお前だろう? ……なにか? もしや、あのばばあごときに後れをとるような連中だとでも言うのではないだろうな?」


「い、いいえ、さすがにそれはないかと。なにより数百年に渡って暗殺を生業にする一族なのですから……その腕は私が保障します」


「……お前の言う保証とやらが、どれ程のものかは知らないけどな。 ――まあいい。如何に世界最強の魔術師と言っても、いきなり斬りかかられれば一溜ひとたまりもないだろう。所詮魔術師なんて、呪文を詠唱する暇を与えなければいいのさ」


「確かに仰るとおりです。彼らは――」





「少しお待ちを!! た、只今殿下は来客中ですと何度も――」


 昼なお薄暗い部屋の中で二人が小声で話をしていると、不意に部屋の外から大きな声が聞こえてくる。

 その声は、一人は部屋付きのメイドで、もう一人は老人のようだった。

 そしてその声が、次第に近づいて来るのがわかる。


「ええい、じゃかましいわ!! なんでもええから、セブリアンに会わせよと言っておろう!! 奥にいるのはわかっておるのじゃ、さっさと案内あないせぇ!!」


「こ、困ります!! そのように勝手に入られては、不敬になりますゆえ――」


「なにが不敬じゃ!! そんなもの犬も食わぬわ!!」


「あ、アニエス様!!」



 バァン!!


 遂にその声が部屋の入口までやって来たかと思うと、ノックする間もなく突然その扉は開かれた。

 そして凄まじい剣幕で、一人の老婆が部屋の中に踏み込んできたのだった。


 

 言うまでもなく、それはアニエスだった。

 必死に縋りつくメイドを力任せに振り払うと、凄まじい剣幕で怒鳴り始めた。


「セブリアン!! 一体これはどういうことじゃ!! 説明してもらおうかの!!」


 開け放たれたドアの前で、仁王立ちになったまま怒鳴る小柄な魔女。

 その顔は憤怒の色に彩られ、今にも目の前の少年を殺しそうな目つきで睨みつけている。

 そんな彼女に初めこそ呆気に取られたセブリアンだったが、即座に姿勢を正すとアニエスに向かって口を開く。

 その顔には少しの恐れと多くの困惑が浮かんでいた。



「ア、アニエス…… そのように凄い剣幕で、一体どうしたんだ? なにかあったのか?」


「何かあったかだと……!? ――ほほう、これはええな、お主も一緒だったとは。それならば話も早いのぉ、トイヴォネン侯爵よ」


 セブリアンの隣で青い顔をしている中年男――トイヴォネン侯爵を見たアニエスは、吐き捨てるようにそう言った。

 直前まで怒りに震えていたその肩から不意に力を抜くと、その声も少し小さくなる。


 しかしそんな彼女の姿は、部屋の中の二人には余計に不気味に見えた。

 直前までの激しい怒りを押さえつけたアニエスは、まさに「ブルゴーの英知」と言える顔を覗かせ始めたのだ。


 彼女が後ろ手に扉を閉めると、部屋の中には三人以外に誰もいなくなった。



「ふぅー……セブリアンよ、この部屋はわしら三人だけになったぞ。最早もはや他に聞く者はおらん。さぁ、説明してもらおうか」


「説明って……何をだ? アニエス、お前は何を言っている? しかも約束もなく突然現れたかと思えば、まったく意味のわからないことを…… 如何に宮廷魔術師と言えど、不敬罪で捕縛させるぞ」


 怒りを抑えて静かに話し始めたアニエスに対し、胡乱な顔で訊き返すセブリアン。

 その様子を見るだけでは、彼はアニエスの言葉を理解していないようにしか見えなかった。

 それどころか、まるで身に覚えのないことを責められた彼は、胡乱な顔で不敬だとさえ言っている。

 

 仮にも相手は一国の第一王子なのだ。

 しかも王位継承第一位にして、次期国王になる者でもある。

 普通の者なら、そんな人物を相手にして萎縮してしまうのだろうが、100年以上も宮廷魔術師を務め、世界最強との呼び名も高い彼女はそんな素振りさえ見せなかった。


 いや、むしろそんな相手だからこそ、容赦なく攻め込むアニエスだったのだ。



「しらばっくれるでないわ!! 病死に見せかけてジャクリーヌを毒殺したのも、わしを暗殺者に襲わせたのもお前じゃろう!! よもや知らぬとは言わせぬぞ」


「知らない……そんなの知らないぞ。どうして僕が妹の母君を殺さなければならないんだ? まったく意味がわからない」


 戸惑うような素振りを見せながら、まるで訳がわからないと言わんばかりのセブリアン。

 相変わらずその瞳には暗い影を見せているが、それでも慌てたように言い募る13歳の少年の姿には、年相応のあどけなさも見える。

 しかしそんなことにはお構いなしに、アニエスはさらに追及の手を強めていく。



「ほう……何故にわしに詰め寄られているか、わからぬと見える。――それなら教えてやろうか? カルデイア大公とその妹の不義の息子、セブリアンよ」

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