第118話 語られた真実
「なっ……うぐぅ……ぐぬ――」
話が進むにつれ、アレハンドロの口から奇妙な声が漏れ始める。
うめくような声に周りの者が目を向けると、ブルゴー国王の顔にはなんとも形容し難い表情が浮かんでいるのが見えた。
いつも自信に満ち溢れる微笑を浮かべるブルゴー王国国王――アレハンドロ・フル・ブルゴーだったが、この時ばかりは驚きと怒り、そして悲しみが入り混じった複雑な顔をしながら、ギリギリと音が聞こえるほどに奥歯を噛み締めていたのだ。
それはあまり見ない不思議な顔ではあったが、実はそれには意味があった。
ケビンの話に凄まじいまでの衝撃を受けた彼は、そうしなければ叫んでしまいそうだったからだ。
アレハンドロの初めての女性であり、最愛の妻でもあったローザリンデ。
その彼女の美しく優しく、輝くような在りし日の思い出が脳裏を過ぎる。
初めて会った時の、はにかむような笑顔。
結婚式での初めてのキスと、恥ずかしそうな微笑み。
新婚初夜での不安と羞恥に震える姿。
子を宿したことがわかった時の、幸せそうな笑み。
そして、初めて我が子を抱いた時の最高の笑顔。
思えばその全てが
自分は彼女を愛した。
そして彼女も愛してくれていると思っていた。
ローザリンデの笑顔はいつも光り輝き、自分はそれを眩しく思っていたのだ。
それが……それが……
「ぬおぉぁー!!」
突然謎の叫びを上げたかと思うと、アレハンドロは思い切り椅子を蹴飛ばした。
そして言葉にもならないうめき声を出しながら、拳で机を殴りつける。
肉が潰れて、鮮血が飛び散った。
その惨状を見るに彼は相当な痛みに襲われているはずだが、まるで痛がる素振りさえ見せずにいる。
誰もがその壮絶な光景に身動きができなくなっている中、ケビンだけは冷静だった。
血に塗れた国王の拳をハンカチでそっと包み込むと、彼は優しく声をかけたのだ。
「大変申し訳ございません。あまりに辛い話であることは十分承知しております。――陛下のお気持ちはお察しいたしますが、これを語らずには済ませられませぬゆえ、どうかご容赦を」
「はぁ、はぁ……」
しかし気遣うようなケビンの言葉にも、アレハンドロはただ荒い息を返すだけだった。
「陛下……お気分が優れませんか? 一度お休みになった方が――」
浅い呼吸を繰り返し、青ざめたまま佇むアレハンドロ。
そんな彼の手を取ったケビンがゆっくり椅子に座らせようとすると、彼はボソリと呟いた。
酷く掠れたその声は、注意していなければ聞き逃すところだった。
「おかしいと思っていたのだ……」
「えっ?」
「わしは、おかしいと思っていたのだ。 ――生まれたばかりのセブリアンを見た時、そこに自分の面影を見つけられなかった。目も、鼻も、口も、眉も、髪も……そのどこにも自分に似たところがなかったのだ」
血塗れの拳を娘婿に包み込まれながら、まるで告白するかのように言葉を漏らす。
視線は床の一点に注がれていたが、その瞳にはきっと何も見えていないのだろう。
そんな虚ろな瞳のまま、彼は尚も言葉を吐き続けた。
「そうだ……しかもセブリアンは早産だった。ローザリンデが
「陛下……」
「髪と瞳、そのどちらの色もローザリンデ――母親と同じだった。わしは単に母親に似たのだろうと思っていたのだ。 ……しかし思えば、それはローザリンデの兄も同じだった。 ――カルデイア大公、オイゲン・ライゼンハイマーとな」
独白にも似たその姿はどこか教会の懺悔にも見えて、絞り出す掠れた声は、これまで彼が密かに思ってきたものだった。
彼とても長男の容姿には些か思うところがあったのだが、翌年生まれた長女も、その二年後に生れた次男もアレハンドロと同じ髪の色だったので、それ以来彼の中で有耶無耶になっていたのだ。
それまで己の過去に想いを馳せていた国王だったが、周囲の気遣うような視線に気付くとハッと正気に戻る。
そして口を開いた。
「あぁ……このような姿を晒してすまなかった。王たる身でありながら臣下の前で取り乱すなど、これほど情けないものはないな。皆の者、許せ」
時間とともに頭が冷えたアレハンドロは、やっと周りを見渡す余裕ができたようだ。
驚きの顔で自分を見つめる周囲に気付いた彼は、迷うことなくその場で
「へ、陛下!! そのような真似をなさらないで下さい!!」
「お気持ちはお察しいたしますが、臣下に頭を下げるなど……」
「ケビン!! お前ももう少し陛下のお心を考えてだな――」
「なんと無粋なヤツだ!! 少し考えてものを言えんのか!!」
口々に重鎮たちが騒ぎ始めると、直前までの重苦しい雰囲気が次第に変わっていく。
まるで国王を追い詰めるようなケビン言動に、彼らの矛先が向いていた。
それでもケビンは飄々とした顔のまま、周りを俯瞰で眺めているばかりだった。
「ケビンよ。お前の話は良くわかった。そして気を遣ってくれたこともな。しかしそれを聞かずにこの場で全て申せと言ったのはわしなのだ。――誰も
ケビンを非難していた重鎮たちをアレハンドロがひと睨みすると、彼らは途端に大人しくなる。
そして再び部屋に静寂が戻った。
「して、ケビンよ。これが一番大事だと思うのだが、その話を何処で、誰に聞いたのだ?」
「はい。先日ハサール王国に派遣された折に、魔女アニエスから聞きました」
「なにぃ!! アニエスだと!? 会ったのか、
あまりの衝撃に再びアレハンドロが大きな声を上げると、周りの者達も同様にざわめきを取り戻した。
そして口々に好き勝手なことを言っては、その場を喧騒に包み込んでいく。
「アニエスに会った? まさかヤツが生きておったのか!?」
「あの婆が――生きていた? ハサール王国にいたというのか!?」
「私は聞いていないぞ!! 一体どういうことだ!?」
「しかし何故あの魔女がそんなことを?」
ケビンの言葉を発端にして、既に収集がつかないほどに大騒ぎになっていく。
それもそうだろう。
百年以上に渡って君臨してきた宮廷魔術師にして、世界最強と謳われた魔女が行方不明になってから早二年。
その生存は
それが他国で生きており、
もしもそれが本当ならば、国中に大きな波紋を呼ぶのは間違いなかった。
国民の間には未だアニエスの生存を信じ続けている者も多く、「アニエス待望論」なるものまで囁かれる始末だ。
実際に百年以上に渡り最強の名を轟かせてきた魔女アニエスは、国の安全に対する拠り所と言っても過言ではなかったからだ。
そんな話を口々にがなり立てながら、好き勝手に話し始める重鎮たち。
彼らの姿を見廻したアレハンドロは、大きく息を吸い込むと一喝する。
その顔からは、直前の驚きは既に消え去っていた。
「静まれ!! 皆の者、好き勝手に話すでない。――よいか、初めに言っておくが、わしはアニエスが生きていることは知っていた。皆には黙っていて悪かったとは思うが、魔女アニエスの生存はわしら数人しか知らぬ機密事項だったのだ」
「お、恐れながら伺いますが、なぜ我々に黙っておられたのですか? 魔女アニエスが生きていたのであれば、すぐにでもお知らせいただいても――」
「もとよりブルゴー王国には戻る気はないゆえ、自分が生きていることは黙っていてほしい。 ――それがアニエスの意思だったからだ。詳細は省くが、彼女には一年以上前に接触しており、帰国の意思を確認していたのだ。お前たちには黙っていたがな」
「そ、そうだったのですか…… しかし、何故に帰りたくないなどと……?」
「それは彼女に直接会ったケビンに説明してもらおうか。――それで、ケビンよ、話の腰を折ってすまなかった。続きを頼めるか?」
驚きのあまり、王の御前であることさえ忘れて騒めき始める家臣たち。
そんな彼らを黙らせると、アレハンドロはケビンに話の続きを促した。
国王に小さく頭を下げると、ケビンは再び口を開き始める。
「申し訳ありません。ばば様――魔女アニエスとの約束がありますゆえ、今の彼女の詳細は語れません。何卒お許しください。それでそのアニエスですが、現在は幼い子供に生まれ変わり、両親と平和に暮らしています。その生活を捨ててまで我が国の権力争いと宮廷闘争に加わる気はないそうです」
「それでは……我がブルゴー王国は、世界最強の魔術師に見捨てられたと申すか?」
重鎮の一人が胡乱な顔でケビンに詰め寄る。
その顔を見る限り、どうやら彼は憤慨しているようだった。
恐らく彼はアニエスに見限られたような気がして腹が立ったのだろう。
「いいえ、決してそうではありません。魔女アニエスは、我がブルゴー王国を見限ったとか捨てたとか、そういうことではないのです。これまで百年以上に渡って国に尽くしてきた彼女は、ここらでそろそろ自分の幸せを追い求めてみたい、そう思ったのでしょう。決して誤解なさらぬよう、お願いいたします」
そんな男を真正面から見据えると、ケビンは答えを返す。
その顔には些か怫然とした表情が浮かんでおり、彼にしては珍しく感情を表に出していた。
敬愛する師匠であるアニエスを非難する言葉に、彼も彼で腹を立てたようだ。
勇者とは言え、
そしてそれは他の重鎮たちも同じだった。
彼らは揃ってケビンが口を開くのを黙って待ち続けていた。
そんな中、アレハンドロが続きを促した。
「それで、ケビンよ。話の続きだが――」
「あぁ……申し訳ありません。魔女アニエスについては、後ほど陛下には詳細をご報告させていただきます。――それで、先ほどのローザリンデ様のお話ですが」
「うむ……」
「全ては魔女アニエスに聞いたのです。セブリアン殿下を訴追するためならばと、彼女はその全てを私に語ってくれたのです」
「……して、それは口頭での話だけなのか? 何か証拠は示されなんだか?」
「はい。先ほどの話の裏をとる物証も彼女から譲り受けました。これがあれば、セブリアン殿下の出自もはっきりするでしょう。……陛下にとっては、見るのも辛いものですが、何卒ご容赦をいただければ」
ケビンのその言葉に、アレハンドロの眉が上がる。
彼がアニエスから譲り受けたもの……それを以て長男セブリアンの出自がはっきりするのだ。
そしてローザリンデの裏切りも。
それは決して開けてはいけないパンドラの箱のような気がした。
そこに考えが及んだアレハンドロは、思わず怖気づいてしまう。
その「証拠」とやらを目にした途端、愛する亡き妻に対する自分の想いの根底が全て崩れ去ってしまうような気がしたからだ。
出来得ることなら、そんなものは見たくない。
可能であれば、そんなものには一生蓋をしてしまいたい。
アレハンドロは本気でそう思ってしまった。
しかしそんな想いを渾身の力で押さえつけると、再び口を開いたのだった。
「わかった。それではその『証拠』とやらを見せてもらおうか。――ここに持ってきておるのか?」
「いえ、持ってきておりません。午後の本会議の前に陛下の元へお届けいたしますので、事前に目を通していただけると宜しいかと。 ……しかし、陛下の御気分が悪くならないか心配です」
まるで怯えるように声をかけてくる義父に、ケビンは心配そうな顔をする。
その「証拠」は彼も少し見たのだが、他人のケビンが見ても相当な内容だったのだ。
それをまさに当事者である国王が見れば、その衝撃は計り知れないだろう。
場合によっては、その影響で暫くは正常な生活が送れなくなってしまうかもしれない。
アレはそれほどのものだった。
「いや、かまわぬ。それでは本会議の前にここへ持って参れ。その時こそは、わしとお前の二人だけで会うと約束しよう」
「はい。そうされるのがよろしいかと存じます」
そこまで言うと、アレハンドロは小さく息を吐いた。
そして少々気が抜けたような顔で軽く首を振った。
「その証拠とやらを見てみなければなんとも言えぬが…… いまの話を聞くだけであれば、我が息子セブリアンに非はないのではないか? たとえわしの血をひいていなかったとしても、わしは
「はい。仰る通りかと」
「皆も思っているやも知れぬが、セブリアンは確かに出来の良い息子とは言えぬだろう。それでもわしには親子の情もあれば、愛着だってあるのだ。その息子を罪人として
「……」
「確かに今回の件で
「陛下のお気持ちは私にもよくわかります。しかしハサール王国とは殿下の身柄の引き渡しを約束したのです。何卒その許可をいただきたく――」
「のう、ケビンよ。なんとか内々で済ませられぬものか? お前の持つ証拠とやらでセブリアンの出自がはっきりすれば、
この場に及んでアレハンドロは、長男に対して憐みの情を禁じ得なかったようだ。
確かに血は繋がっていないのかもしれないが、それでも最愛の妻の忘れ形見であり、長年自分の息子として育ててきたのだ。
そこに親子の愛情が顔を覗かせたとしても、誰も責められないだろう。
そして国王がそう言いだしたのであれば、臣下のケビンとしては国王の意思を尊重するべきだし、そこにハサール王国の約束との妥協点を見出さなければならないということだ。
そんな中、ケビンの顔から再び表情が消え失せる。
その顔は、己の心を押し殺している証拠だった。
そして彼は淡々とした口調でまたも口を開き始めたのだった。
「ときに陛下。つかぬことを伺いますが、我が妻エルミニアの母君――ジャクリーヌ様との思い出は如何ですか?」
前後の脈絡もなく、突然亡き側妃の話を始めるケビン。
そんな彼に怪訝な顔を向けると、それでもアレハンドロはその質問に答えた。
「ジャクリーヌか…… 彼女はわしの命の恩人だと思っておる。――ローザリンデが死んでから五年、彼女はわしの傍でずっと支えになってくれたのだ」
「はい。わたしもエル――妻からそのお話は聞き及んでおります」
「うむ。ジャクリーヌはローザリンデの専属侍女だったこともあり、亡き妻との思い出話に二人でよく花を咲かせたものだ。そんな彼女がおらなんだら、わしはずっと沈み込んだままだったであろうな」
「そうですか…… では、陛下はジャクリーヌ様も愛しておいでですか?」
「当たり前だ。ローザリンデとジャクリーヌ。この二人はわしにとっては忘れられぬ女だ。そして愛する妻だったのだ。ジャクリーヌはエルミニアという一粒種を残してくれたしな。それはお前も良く知っておろう?」
そう言うとアレハンドロは悪戯っぽく笑った。
そんな義父の姿に、一瞬だけケビンの口元が緩んだ。
「はい。誰あろう、私の妻ですから。しかしそんなジャクリーヌ様でしたが、エルミニアが三歳の時に病死されたとか?」
「そうだな……あれには可哀想なことをしたと思う。 ――あれだけわしを支えてくれて、立ち直るきっかけをくれたのだ。そして愛する娘まで産んでくれた。そんな彼女をわしは助けられなんだ…… 突然病気で臥せったかと思えば、すぐに死んでしまってのぉ……」
アレハンドロの顔に、再び苦しそうな表情が浮かぶ。
その顔を見るに、恐らく彼の脳裏には十五年前の光景が浮かんでいるのだろう。
最愛の妻に先立たれた悲しみから救い出してくれたジャクリーヌ。
その愛する側妃が、ある日突然倒れて帰らぬ人となったのだ。
アレハンドロの衝撃と悲しみと、そして喪失感は如何ばかりか。
それを想像するだけで、ケビンの胸は痛んだ。
しかしそんな事は
「そうですか。私などには陛下の悲しみは想像に余りあります。それでは陛下、これも魔女アニエスから聞かされた話なのですが――」
「なんだ? 遠慮せずに言うが良い」
「恐れ入ります。――そのジャクリーヌ様は病死ではなく、殺されたのだとしたら如何されますか?」
「……なにぃ!? お前……」
これで今日は何度目だろうか。
アレハンドロは大きく瞳を見開くと、驚きと衝撃に大きく口を開ける。
そしてケビンの次の言葉を待った。
そんな義父の姿にも、変わらずケビンは淡々と口を開いた。
「そして……それがセブリアン殿下の指示だったとしたら?」
静まり返る部屋の中、勇者ケビンの声が響く。
彼の言葉に周囲の者が固唾を飲む中、国王アレハンドロの眉が跳ね上がったのだった。
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