第116話 抜き放たれた聖剣

 ハサール王国二級魔術師――ロレンツォ・フィオレッティとリタ専属メイド――ジョゼットが別れの抱擁を交わしていたその頃、ここブルゴー王国では勇者ケビンが早速行動を起こしていた。


 数ヶ月ぶりに妻の柔肌に触れた昨夜のケビンには、そのキレッキレの動きからも長旅の疲れなどは微塵も見られなかった。


 さすがは21歳と18歳の夫婦と言うべきか。

 若さに裏打ちされた体力は尽きることがなく、早速彼らに第二子の誕生が約束されたのは間違いなかった。

 久しぶりに抜き放ったケビンの聖剣はまるで疲れを知らず、妻のエルミニアの方が先に参ってしまうほどだったのだ。



 そんないささか羽目を外しすぎにも見えるケビンだったが、もちろんリタとの約束を忘れたわけでなかった。


 今朝早く、多くの幸せと少々の疲れを見せて眠る妻を尻目に、ケビンは一人で起き出した。

 それから素早く身支度を整えて屋敷から出ると、未だ朝靄あさもやの漂う市街地を抜け、懐かしい景色の広がる一角を歩き続けた。


 それから十分も歩いただろうか。

 彼は一軒の大きな建物の前で立ち止まると、警戒するように周囲に目を走らせる。

 そして異常がないことを確認すると、素早く門壁の間に身を滑り込ませた。



 そこは一軒の廃屋だった。

 大きさはまさに屋敷というものだが、その外観は古く、全体的な意匠も今から百年は前に流行ったもののように見える。

 ともすれば不気味な廃屋の中に一切の躊躇なく入っていくと、ケビンは一つの部屋の前で立ち止まった。


「ここか……」


 聞く者が誰もいないのに小さくそう呟くと、ケビンはその部屋の中へと入って行ったのだった。




 ――――




「ケビンよ。久しぶりの我が家は如何であった?」


「はい。おかげさまで、久しぶりの安寧を満喫させていただきました。久しぶりに妻に会い、息子にも対面できましたことは全て陛下のお心遣いと存じ、大いに感謝するところでございます」 


「……何度も言うが、もう少しその堅苦しい態度はどうにかならんのか? 肩が凝って仕方がないぞ」


「申し訳ありません」


「……まぁよい。今はわしら以外の者もおるのだから、その態度も致し方なし、といったところか。 ――二人だけの時はもう少し肩の力を抜いてほしいものだがな」

 


 そんな言葉で始まった国王アレハンドロへの報告会だったが、この場には国王が特に信頼する数名の重鎮もその顔を揃えていた。

 場所はアレハンドロの私室で、午後から予定される正式な報告会に先駆けた事前の打ち合わせに近いものだ。


 この場では予めケビンの報告を聞いて、午後の報告会で公開する内容、伏せるべき事項などを話し合う。

 そのため関係者以外の人払いは徹底しており、護衛の騎士さえも部屋の入り口からは距離を置かされているほどだった。


 そして当然のように、この場には第一王子の姿はなかった。



 ハサール王国から抗議文が送り付けられて一ヵ月。

 危惧されていたケビンによる直接訪問は無事に終了し、勇者の帰還に誰もがホッと胸を撫で下ろしていたところだ。

 抗議の内容が内容だけに、場合によっては使者の殺害、監禁なども十分予想されていたからだ。

 

 もしもそのような事態に発展すると、ブルゴー王国としても武力を行使せざるを得ない。

 しかしハサール王国とは直接国境を接していない以上、武力の行使は難しいと思われた。


 もちろん相手の同盟国であるアストゥリア帝国内を行軍できるわけもないので、その他第三国を経由させることになる。

 その場合は、ハサール王国が今まさに睨み合いを続けているカルデイア大公国しか選択肢はないうえに、補給線が冗長すぎたのだ。


 それはあまりにも非現実的すぎる。


 ご存じのように、カルデイア大公国は現在ハサール王国と戦端を開いている。

 そんな国を経由して派兵などした日には、それこそ大公国と一緒になってハサール王国とは全面戦争しか道はなくなってしまうだろう。

 さすがにそれは本意ではなかった。


 未だ魔国の侵攻の痛手が抜けきっていないブルゴー王国としては、その結論は絶対に避けたいところだ。

 とは言え、勇者ケビンにもしものことがあれば、国の威信を懸けて抗議する必要があったのだが。



 そんな思惑を十分理解したうえで、ケビンは旅立っていった。

 そして無事に帰って来たのだ。

 それだけでも目的の半分は達成したようなものだったが、さすがにそれだけで終わりはしなかった。


 勇者ケビンは、ハサール国王ベルトランからしっかりと宿題を出されて帰って来ていたのだ。




「そんな話を持ち帰って来たのか!? お前も勇者なのだから、もう少し強く出られなかったのか!?」


「えぇい、弱腰すぎる!! それでは相手の言いなりではないか!! いくら陛下の名代だとしても、そう易々とそのような約束をしてくるとは――」


「子供の使いでもあるまいし、なんだそれは――」



 ケビンの報告を聞いた途端、数名の重鎮たちが喚き始める。

 その言葉にはまるで重みがなく、無責任に言いたい放題だ。


 もちろんケビンは彼らが喚き始めるのは十分承知しており、そんな声などお構いなしに涼しい顔を崩さない。

 するとその様子を黙って眺めていた国王アレハンドロが徐に口を開いた。



「ふむ。ケビンの報告はしかと了知した。そのうえでの話だが――」


 アレハンドロが言葉を発した途端、誰もが口を閉じる。

 そして姿勢を正すと、全員が傾聴の姿勢を表していた。


の国がセブリアンを容疑者と決めつけた理由は納得した。確かにそのような状況証拠を積み上げられれば、そう判断するしかなかろう。わしがその立場であってもそう考えたかも知れぬ。……もっともそこには何かしらの罠――思考の誘導が仕込まれている可能性もあるがな」


「はい。陛下の仰る通りかと。だからこそ私は――」


「しかし、だ。だからと言って我が息子を捕縛、訴追するなど……それはあまりにも極論過ぎるのではないか? お前にとっても義兄にあたるのだぞ?」


 ケビンの提言に、当然のように難色を示すアレハンドロ。

 それでも彼は気分を害しているようには見えなかった。

 その顔には戸惑いと困惑の色が濃く、到底ケビンの申し出を受け入れるとは思えない。

 

 しかしケビンにとって、そんなことは既に織り込み済みだった。

 相手は一国の王なのだ。

 たった一度の説明で納得させられるなど、端から思ってなどいない。


 交渉相手――ハサール国王ベルトランとの約束を果たさなければ、アストゥリア帝国が代理出兵してくることになっている。

 そして疲弊した国力のまま、戦争へと突入することになるのだ。


 それだけは絶対に避けなければならないし、皆が望むところでもなかった。

 そのためにはどうしても、アレハンドロの長男にして第一王子、そして王位継承第一位のセブリアンの捕縛と訴追を実現させなければならなかったのだ。


 そしてそれは、育ての母にして命の恩人でもある「魔女アニエス」との約束でもある。

 正直なところ、今のケビンはアニエスとの約束を果たすことしか考えてはいなかった。

 たまたま今回は目的が同じだっただけで、既に彼の中ではハサール国王との約束など二の次だったのだ。


 もちろんそんなことは絶対に人には話せないので、いまはベルトランとの約束を果たすことを大義名分にしていた。



 そんなことなどまるで知らない重鎮たちは、ケビンの想いなど慮ることなく好き勝手にがなり立てる。

 その発言を聞いていると、彼らが俯瞰で物事を判断しようとしているのかが些か疑問になってくるものだった。


 

「しかもそれを実現するのであれば、誰もが納得する理由が必要だ。それも無しにセブリアンを訴追するのであれば、それはハサール王国の言いなりになるも同じこと。それこそ国賊として訴追されるはケビン、お前になるやも知れぬのだぞ?」


 さすがはアレハンドロといったところか。

 ケビンがハサール王国の言い分を全面的に受け入れたことについて、一方的に責めたりはしなかった。

 その代わり、誰もが納得する理由を示せと言う。


 それこそが人の上に立つ者の矜持だろう。

 そんな義父の言葉に、ケビンは少しだけ誇らしい気持ちになった。



「まずはこの度のセブリアンの動機を、ケビン、お前はどう考えておる?」


「はい。殿下とカルデイア大公国との関係ですが、一見無関係に見えます。しかし、実は両者には深い関係があることがわかりました」


 その言葉と同時に部屋中の者たちが騒めき始めたが、その中で一人だけ顔を青ざめている者がいた。

 それは宰相のカリスト・コンラートだ。

 それまでケビンの報告を冷静に傾聴していた彼だったが、今の言葉を聞くと途端に顔を青くした。


 そんな宰相に気付いているのかいないのか、その後もアレハンドロは話を続ける。


「……カルデイアとな? たしかにの国は我が正妃ローザリンデの母国ではあるが……関係が途絶えてから、すでに久しいがな」



 アレハンドロの言う通り、今は亡き正妃ローザリンデはカルデイア大公国の第一王女だった女性だ。

 今から約三十年前、当時第一王子だったアレハンドロの妻として隣国カルデイア大公国の姫を娶ったのだ。


 もちろん目的は政治的な理由だった。

 当時南の魔国と北のアストゥリア帝国に脅かされていたブルゴー王国は、軍事的な同盟を求めてカルデイア大公国と親戚になる道を選んだ。


 もちろん隣国同士なのでそれまでも付き合いはあったし、民間レベルでは通商も盛んだった。

 しかしこの両国には過去に遡ってみても、王族同士で婚姻を結んだことがなかったのだ。


 その理由は明白だ。

 何故なら、カルデイア大公国は侵略国家として有名で、その当時も北のハサール王国と小競り合いを続けていたからだ。

 当然のようにそんな国と積極的に関わろうとする国などなく、隣国であるにもかかわらず、ブルゴー王国もその時初めて親戚同士になったのだった。


 急遽決まった婚姻だったため、新郎新婦の初めての対面から挙式まで3ヶ月しかなかった。

 にもかかわらず、アレハンドロとローザリンデの夫婦仲は初めから良好で、翌年には早速長男セブリアンを授かったのだ。


 その後も彼女は良好な夫婦仲を示すかの如く、年を置かずに長女、次男と出産したが、次男イサンドロを出産した際の難産が原因で彼女は亡くなっていた。

 それは今から約25年前の話だ。



 妻に先立たれたアレハンドロは当然のように悲しみに沈んでいたが、その直後に魔国の侵攻が開始され、すぐにそれどころではなくなった。

 そして約束通り妻の母国であるカルデイア大公国に出兵の依頼をしたところ、鰾膠にべもなく断られてしまう。


 話が違うとばかりにその後も再三に渡り協力を求めたが、カルデイアにはその都度断られるか無視をされ、激したアレハンドロによって遂にたもとを分かったのだった。



 その後判明したことなのだが、嫁に出した王女が死んだ時点で、カルデイアとしてはそれ以上ブルゴー王国との関係を維持することに利点を見いだせなくなったようだ。

 もとより魔国と国境を接するブルゴー王国は、周辺諸国には魔国との緩衝地帯のように見られていたので、敢えてその地を奪うつもりもなかったらしい。


 また、ちょうどその頃カルデイア大公国もハサール王国との小競り合いが激化していた時期でもあり、ブルゴー王国に派兵する余力がなかったとも言われている。

 もっともその後も一切口を噤んでいるので、真相は闇の中なのだが。




 そんなブルゴー国王アレハンドロだったが、ケビンの口からその国の名を聞いた途端、眉が跳ね上がる。

 歳をとり、威厳よりも柔和さが目立ち始めた表情を突如歪めると、アレハンドロは鋭い視線で娘婿を睨みつけたのだ。


「ほぅ。お前が何を知っているかはわからぬが、どのような理由があろうとも、在任中の王位継承者を訴追するのは難しいぞ? これは王室法で定められているゆえ、たとえ国王のわしであってもそれを捻じ曲げるのは叶わぬ」


「はい。十分に存じ上げております」


 そんな視線にはまるで動じずケビンが飄々と答えると、その顔をさらに鋭く見据えながらアレハンドロは低く抑えた声を絞り出す。


「――しかも、わしの血を分けた息子なのだ。それを裁くと言うのであれば、それなりの理由は示してくれるのであろうな? わしを納得させられぬとあらば、娘婿とは言え容赦はせぬぞ」


 

 最近ではすっかり丸くなったと言われ続けている国王ではあったが、この時ばかりは別人のように鋭い視線だった。

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