第115話 過去の後悔と彼女の願い
「つまり、僕に召集がかかったということです。従軍魔術師として戦に参加しなければいけなくなりました」
青ざめた顔のまま唐突に語るロレンツォの言葉に、リタは胡乱な顔を、そしてジョゼットは驚きの顔を隠せなかった。
確かに彼は魔術師としては優秀だ。
弱冠24歳にして王国魔術師協会の二級魔術師を務めている者などはそういなかったし、能力が制限されていたとは言え、リタと真正面から魔法戦を繰り広げて死なずに済んだのだから。
もっともその件に関しては、いまでもロレンツォは渋い顔を崩さない。
彼曰く「リタ様に比べたら、僕なんてほんのひよっこですよ。あの時なんて、あと三十秒も遅ければ確実に焼き殺されていたんですから……あぁ、思い出したくもない」とのことだ。
そんな言葉に、リタはいつも同じことを言う。
「当たり前じゃ。わちなんぞ二百年以上も魔法に
今では師匠と弟子の関係の二人ではあったが、これは公には逆の立場になっている。
表向きにはロレンツォが家庭教師で、リタはその生徒だ。
実際には逆であったとしても、誰の前でもこの関係を崩すことはできなかった。
もちろんそれはジョゼットの前でも同じだ。
彼女の前でもリタはロレンツォに対するぞんざいな口調を崩すことはなかったが、それがリタの個性なのだとジョゼットは思い込んでいた。
もっとも、貴族令嬢としてその口調はどうなのかと、密かに思っているようではあったのだが。
そんなわけで、リタは相変わらずの口調でロレンツォに詰め寄った。
「何故におまぁが? 従軍魔術師なら、別に本職がおるじゃろ? なにもおまぁのような運動音痴まで引っ張り出さんでもよかろうもん」
「それが僕にもさっぱり…… どうして僕なのでしょうか?」
「ふぅむ……ときに、ロレンツォよ、わちの成績はどのように報告しておるのじゃ?」
「リタ様の成績ですか? まぁ、中の上といったところでしょうか。これはリタ様の申し付けの通りですよ。あまり成績を良くすると目立ってしまうから嫌だと、前に仰っていたじゃないですか」
「まぁの。……ふむ、まぁ、それは今回関係なさそうじゃのぉ……」
リタの家庭教師を務めるロレンツォは、彼女の成績について派遣元の魔術師協会に定期的に報告する義務がある。
それは現在の教育内容だったり、生徒の成績、個性、今後の見通しなど多岐に渡るが、その内容については全くのデタラメを報告していた。
もちろんリタが無詠唱で魔法を使えるだとか、冥界の巨人ヘカトンケイルや四天王イフリートまで召喚できる化け物級魔術師などとは正直に言えるわけもなかった。
提出する報告書には、特に可もなく不可もないといった当たり障りのない内容しか書かれていなかったのだ。
「はい。今回はそれは関係ないでしょう。……それとも、ゲプハルト男爵との一件でしょうか? 確かにあの時の報告書には、あなたと魔法戦を繰り広げたと書きましたが……」
「じゃが、それも嘘八百を並べたんじゃろ? まさかわちがあれを呼び出したとか書かんじゃろ?」
「はい。そのあたりは適当に誤魔化しました。なにせ僕はあなたの家庭教師の座を狙っていましたからね。リタ様が魔術師協会に連れて行かれるようなことは、僕だって敢えて書いたりしませんよ」
「ふむ……」
さっきからこの二人は何を話しているのだろうか。
一歩下がったところで、ぼんやりとジョゼットは考えていた。
会話が断片的すぎて全容はわからないが、この二人が何か良からぬことを話しているのはわかる。
しかし今の彼女には、それ以上頭を働かせることができなかった。
なぜなら、その直前のロレンツォの言葉があまりにも衝撃的すぎたからだ。
いまのジョゼットの頭は、完全に考えることを放棄していたのだった。
彼は戦に参加するという。
そう口に出した先生の顔色は青ざめており、彼にしては珍しく感情も表に出ていた。
それはいつも冷静でマイペースなフィオレッティ先生にして、動揺を余儀なくされるほどの出来事なのだ。
いや、ちょっと待って……戦?
戦……戦といえば、あの互いを殺し合う……戦のこと?
えっ?
先生がそんなところに行かされる?
何故?
どうして?
突然の衝撃に、思わずジョゼットはよろけそうになる。
それでもかろうじて背後の壁に身体を預けると、何とか姿勢を保たせた。
その格好が固まっていると、突然ロレンツォが振り向いて言い難そうに口を開いた。
「そんなわけで、ジョゼットさん。すいません、少しの間あなたとはお別れなのです……」
言い淀む顔をしながらも、その実言葉は淡々としている。
その物言いに、彼の人柄が現れているように見えた。
「えぇ? ……お別れって……お、お帰りはいつ……なのですか?」
「それは……わかりません。この戦がいつもの小競り合いで終わるのなら、そんなに先の話ではないはずです。それでも数か月は先ですが」
「そ、そんな…… それに戦なんて、そんな危険な……」
まるで
その顔はロレンツォ以上に青ざめて、今にも泣きそうだった。
そんな彼女を見つめるロレンツォも、思わず感情が表に出てしまう。
いつもマイペースで飄々としているように見える彼だったが、この時ばかりは冷静でいられなかったようだ。
「危険なのは承知しています。なにせ戦ですから。これから互いに殺し、殺されに行くのです。場合によっては僕だって……い、いえ、何でもありません」
根が正直なロレンツォは意図せず本音が口から出そうになったが、
しかしジョゼットには彼の言わんとしているところは伝わっていた。
その証拠に、18歳のリタ専属メイドは、すでにその瞳から涙を零していたのだった。
「な、なんとか行かなくて済む方法はないのですか!? そんな危険な所に先生が行ってしまうだなんて……わ、私には耐えられません!!」
「すいません……それは無理なのです。僕は国の機関に勤める、言わば役人なのです。それなのに国の命令に逆らうなどできません。――大丈夫ですよ。必ず無事に帰ってきますから」
「で、でも、戦ですよ!? そんなところに行って――」
「な、泣かないで下さい。約束します、約束しますから!! 僕は絶対に戻ってきますから!! お願いですから、僕のために涙を流すなんて――」
自分の身を案じて涙を流す少女。
その姿にロレンツォは胸を打たれた。
何ら約束を交わしたわけではなかったが、それでも自分は好意を伝えたし、彼女も想いを返してくれた。
あれから少し時間は経っていたが、今でもその気持ちに変わりはない。
だからせめてこの想いを言葉にして伝えたい。
前回は立て続けに邪魔が入ったせいで、思えば未だに言葉で伝えていなかった。
もしかするとこれが最後になるかもしれないが、今はそれを伝えるべきだろう。
後悔だけはしたくないから。
「ジョゼットさん、聞いてください」
「……はい」
「僕はまだ言葉で伝えていませんでした。だから今ここで言います」
「……」
「僕はあなたが好きです。あなたと一緒にいられるこの時間が、僕にとっては宝物でした」
「……」
「だからこれからもずっとこの時間を持ち続けたいのです」
「はい……」
「でも僕はこれから暫く戻れません。――だからお願いがあります」
「……」
「僕が戦から戻ってきたら――結婚してください。ジョゼットさん、それまで待っていてくれますか?」
「そ、そんな、縁起でもないこと言わないでください!! そんな言い方、まるで……まるで……」
ロレンツォの言葉に、ジョゼットがまるでイヤイヤをするように激しく頭を振った。
その勢いで彼女の涙がロレンツォの頬に飛んでくる。
彼にはその涙がとても温かく感じられた。
「ロレンツォよ、おまぁの言い方は不吉じゃぞ。戦に行く前の戦士は、決してそんなことを口にしてはならぬのじゃ。わかるか?」
「リタ様……」
「ええか、よく聞け。おまぁは必ず生きて帰って来い。ええか? 絶対じゃぞ。 無様に逃げ回ってもええ、女のように悲鳴を上げてもかまわにゅ。とにかく生き残るのじゃ、そして帰ってこい。死んだら負けじゃ思え!!」
そう言い募るリタは、いつもとは違って見えた。
彼女はその灰色の瞳に涙を浮かべたかと思うと、必死にそれが流れ出るのを我慢していたのだ。
見た目は五歳児でもその正体が214歳の老婆だと知っているロレンツォには、その姿は意外に思えた。
「ブルゴーの英知」「ベストオブ老害」で有名なアニエス・シュタウヘンベルクは、もっとドライな人間だと思っていたからだ。
まさかこんな自分に涙を流してくれるなんて、思ってもみなかった。
「アニエス殿……」
その言葉にロレンツォが答え
「ジョゼット、おまぁも返事をしてやらんか!! 『はい』か『いいえ』のどちらか言うてやらんといかんじゃろ!! これから戦地に向かう男に、はっきり言ってやれ!! 心残りを作らせてはあかん!!」
「は、はい……」
そんなリタの言葉に、それまで両肩を抱えながら震えていたジョゼットは、
「フィオレッティ先生――いいえ、ロレンツォ様。
まさに一世一代とも言えるジョゼットの言葉に、ロレンツォが破顔する。
直前までの苦み走った表情が嘘のように変わっていた。
そして身体の前で絞られているジョゼットの両手を掴むと、正面から見つめたのだった。
「ジョゼットさん……ありがとう。約束する、僕は必ず生きて帰って来ると。君が待っていると思えば、戦なんて全然怖くないよ。そして必ず戻って君を幸せにするから、どうか待っててほしい」
「はい……ぐすっ……無事のお帰りを……ぐしゅっ、お待ち申し上げて……ぐすっ……おります……」
「ありがとう……実はもうひとつだけお願いがあるのだけれど……聞いてくれるかい?」
まさにおずおずといった
「はい。なんでしょうか?」
「そ、そのぅ……少しだけ、だ、抱きしめてもいいだろうか? あなたの思い出として、戦地に持っていきたいから」
その言葉を言うまでに、相当ロレンツォは迷ったのだろう。
手の震えを見る限り、先ほど求婚した時以上に緊張しているように見えた。
しかし彼の緊張はあっさりと解かれることになる。
その瞬間、ジョゼットの方から彼の胸に飛び込むと、そのまま声を上げて泣き始めたからだ。
散々迷った挙句、断られるのを覚悟で言ってみたが、気付けば彼女の方から身体を預けていた。
そんな最愛の女性をしっかりと抱き留めながら、ロレンツォは己の記憶にその触感を憶え込ませようとする。
しかし、初めて触れる女性の身体の柔らかい感覚と、なんとも言えない甘い香りに、思わずロレンツォは頭がくらくらとしてしまう。
それでも必死に正気を保ちながら、ジョゼットの唇に自身のそれを重ねたのだった。
まるでリタなどいないかのように、二人の世界に入り込むロレンツォとジョゼット。
そんな二人を見つめていると、リタの頬に意図せず涙が伝わってくる。
そして誰にも聞こえないほどの小さな声で、彼女は呟いた。
「スヴェン……お願いじゃ、頼むから
まるで今生の別れの如く抱きしめ合う二人を見つめながら、リタはいつまでも涙を流し続けたのだった。
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