第109話 制圧された橋

「もう少しで日が暮れるな。前線の状況はどうなっている?」


「はっ。早朝に攻め始めた砦は既に無力化しました。今は残党の処理と捕虜の確認を進めているところです」


「そうか、ご苦労。――今日はここで野営をする。そう全軍に伝えよ」


「はっ!!」



 ふと見ると、己の影が地面に長く伸びている。

 あと一時間ほどで夜の帳が降りてくるであろうその時、まさに戦場と言うべき喧騒の満ちる一角に野太い声が響いた。

 それは決して大きな声ではなかったが、この場の誰よりもその声は通っていた。


 ここはカルデイア大公国とハサール王国とが接する国境沿いで、ムルシア侯爵領の最西端にあたる場所だ。

 ここには百メートルを超える川幅のザクセン川が流れており、この川を境に両国が国境線を有している。

 

 この地域の歴史は両国の争いの歴史と言っても過言ではなく、その始まりを辿るとハサール王国建国時――今から約四百年近く前まで遡る。



 当時からこの地方は地方豪族のムルシア一族とヴァルネファー一族が治めてきた。

 彼らは川を挟んだ東西に分かれてそれぞれの領地を繁栄させてきたが、同じ地方豪族の中でも最大勢力だったハサール一族が、ある時周辺の地方豪族と協力して国を作ると言い出したのだ。

 そしてムルシア一族がその言に賛同して建国に参加したのを尻目に、ヴァルネファー一族はその後も独立を保ち続けた。



 はっきりとした由縁は不明だが、ムルシア家とヴァルネファー家は元は親戚同士だった。

 その証拠に両家の歴史をずっと遡ると何処かで繋がると言われており、元々は決して仲が悪いわけではなかったのだ。


 それがハサール王国建国と共に、その関係も大きく変わっていくことになる。


 片や大国の有力地方領主、片や独立を保ち続ける弱小地方豪族。

 気付けばそんな関係になっていた。


 しかしその激動の時代を小さな地方豪族のまま生き残っていけるわけもなく、結局ヴァルネファー一族はその約50年後に建国されたカルデイア大公国の一地方として取り込まれてしまう。


 元は同じ一族で親戚同士でもあった両家だが、気付けば別々の国に属し、カルデイア大公国ヴァルネファー伯爵家とハサール王国ムルシア侯爵家として、ザクセン川を挟んで小競り合いを繰り広げながら現在に至っていたのだった。



 両国の間に流れるザクセン川には、一本の橋がかけられている。

 これは通商ギルドや冒険者ギルドよる荷物の運搬やギルド員の移動などに用いられるのが殆どで、基本的に一般人の往来はまずない。


 それはこの両国の間には昔から諍いが絶えなかったので、その間を自国民が行き来することを禁止していたからだ。

 もしも隠れて入出国したのがバレてしまえば、その場でスパイ容疑で逮捕されて場合によっては殺されてしまう。


 そのために橋の両端に砦を設置し、軍隊を配置して互いに監視、牽制しあっていた。

 そのくらい、この両国は互いを忌み嫌っていたのだ。 




 己の発した命令によって戦闘が終わるのを確認したその男――ダーヴィト・ヴァルネファーは、兵士たちが野営の準備に入ったのを満足そうに眺めていた。

 そして後退したハサール王国軍のいる方角を見渡しながら、小さく鼻息を吐く。


 その名が示す通り、ダーヴィトはカルデイア大公国ヴァルネファー伯爵家の者だ。

 彼はその家の次男坊で、現在36歳。

 決して背は高くないが、その鍛え上げられたガッシリとした体格と見る者を威圧するような鋭い眼光の目立つその顔は、まさに武人と呼ぶに相応しい。


 ダーヴィトがそんな軍人以外の何者にも見えない風貌で佇んでいると、背後から声をかけてくる者がいた。

 それは細身でスラリと背が高く、大きな鷲鼻がややバランスを崩しているが、それでも十分に整った顔の美丈夫だった。


 それはダーヴィトの幼馴染であり、且つ参謀役でもあるジークムント・ツァイラーだ。

 彼はカルデイア大公国ツァイラー伯爵家の次男で年齢も同じ36歳。

 ツァイラー家とヴァルネファー家とは隣り合う領地のうえに、年齢も次男という境遇も同じとあって彼らは昔から親友同士だった。



「ダーヴィト、随分と順調に進んでいるな。さすがはお前の采配と言ったところか」


「ふん、それは参謀が優れているからだ。お前のおかげだよ、ジークムント――とは言え、確かに順調すぎるきらいはあるな。上手くいきすぎて些か不安になるくらいだ」


「確かにな。 ――しかし今回に関しては天が我々に味方したということだ。このタイミングでバルタサールが討たれるなど、我らにとっては神の采配とも言えるものだったろう。そのおかげで敵が総崩れになっているのだからな」


「あぁ。お前の言う通りだ。まさかあのじじいが討たれるとはな。しかもこのタイミングでだ。 ――よもや大公閣下はこれを読んでいたわけではあるまいな?」


「まさか……とは思うが、あまりにもタイミングが良すぎる。もしかすると裏に何かあるのかもしれんが、我々のような下々の者には関係なかろう。臣下はめいに従うのみ、だからな」


「あぁ、違いない。 ――それで犯人はわかったのか?」


「それな。話によるとブルゴー王国の第一王子らしいぞ。ハサールはブルゴーにその身柄の引き渡しを求めたそうだが、もちろんそんな要求に応えるはずもない。先刻承知のハサールは、アストゥリア帝国と手を組んで軍事行動をチラつかせたそうだ。要は脅しだな」


 ジークムントの言葉にダーヴィトが眉を顰める。

 それは第一王子の行動が理解できなかったのか、ハサール王国のやり口が気に入らなかったのか、その様子だけではわからなかった。

 もっとも眉間に刻まれた深いシワを見る限り、その両方なのかもしれなかったが。

 


「そうか。それではブルゴーは使者でも送ったのか?」


「あぁ。ブルゴーは国王の名代として勇者ケビンを送り出したそうだ。あの『魔王殺し』のな」


「ほう、勇者か。相当強いらしいな。噂ではヤツ一人で一個小隊以上の働きをすると聞く。一度お目にかかってみたいものだ」


「……勇者ケビンか。皆同じように言うが、どうやらその話は眉唾らしいぞ。真に恐れるは魔王討伐に同行した魔女アニエスだそうだ。もっとも今は行方知れずだがな」


「あぁ……あのばばあか。最強魔術師と言われながらブルゴーに百年以上君臨する婆さんだろう? 本当に強いのか? それならなんで長年の宿敵であるアストゥリア帝国をぶっ潰さなかったんだ?」


「さぁな。これも噂でしかないが、ヤツが本気を出せばアストゥリアの首都なんぞは一撃で壊滅させられるらしいぞ。しかし世界のバランスが崩れるとかなんとか抜かして、絶対にそうしようとはしなかったそうだ。まぁ、この話も怪しいがな」


「はははっ、そんな馬鹿な話があってたまるか。個人で国を潰すとか、ありえるわけないだろう」


 そのあまりに荒唐無稽な話に、ダーヴィトは声をあげて笑った。

 目を細めた愉快な顔をしていると、如何にも軍人然とした厳つい顔に愛嬌が浮かび、初めて見た者はそのギャップに驚く。


 そしてそのギャップにやられたのが、妻のエミーリアだった。

 二人はもともと親同士が決めた見合い結婚だったが、彼女はダーヴィトの笑顔のギャップにすっかり魅せられてしまったそうだ。

 そしてそんな妻に彼も惹かれて、最後には相思相愛となって結婚していた。


 彼の笑顔を見たジークムントがそんなことを思い出していると、ダーヴィトは続けて口を開いた。



「それで勇者だが、もうハサールには着いたのか?」


「……そうだな、ちょうど今頃会談が開かれているんじゃないか? もっともその最中にここの知らせが入って、今頃奴らは右往左往しているだろうがな。はははっ」


「ははは、そうかもしれんな」


 それから二人は暫く笑い続けていたが、横で部下たちが何か言いたそうにしているの気が付くと、その口を閉じた。

 そしてわざとらしく咳払いをすると、ダーヴィトは口調を改めた。


「俺は落とした砦に行ってみる。気に入れば今夜はそこで休むことにしよう。 ――ジークムント、お前はどうする?」


「私もお供いたします、将軍殿。外での野宿はもう飽きました。砦なのですから、ベッドの一つや二つはあるでしょう」



 


 歴史の教科書に書かれるほどの長きに渡って軍事衝突を繰り返してきたハサール王国とカルデイア大公国だったが、ここ十年以上は両国に目立った動きはなかった。

 とは言え、その長い時間の中ではその位の平和な期間などは何度もあったのだが。


 それでも徐々に平和ボケしてきたこの状況の中で、遂にカルデイア大公国が大規模作戦に打って出た。

 しかし正攻法でいく限り、両国の間に渡された橋を軍隊が渡れば速攻でバレてしまうし、最悪ムルシア側に橋を落とされてしまうだろう。


 だから彼らは秘密裏に少数の別動隊を率いて、ザクセン川の遥か上流からムルシア領側の監視砦を裏から強襲したのだ。

 そして速やかに制圧した後、軍本体が橋を渡って来たのだった。


 その動きはとても素早く、まさにカルデイア側の奇襲が難なく成功したように見えた。

 しかしそれには幾つもの幸運が重なっていたのだ。



 それはまさにバルタサールの暗殺に他ならなかった。


 それは全くの偶然だった。

 カルデイア軍が秘密裏に行動を起こした直後にバルタサールが暗殺されたのだ。

 それによって、ハサール王国全体の目がそちらへ向かってしまった。


 そして葬儀と後始末のために、長男のオスカルが長期間首都に缶詰にされたこともそうだったし、領地に戻って来てからも家督や軍の引継ぎのために彼は忙殺されていた。

 もちろん国王からは国境線の監視を強化するように指示を受けていたが、まさかその時には既に裏に回り込まれていたとは思いもしなかったのだ。



 バルタサールが暗殺されてから一ヵ月。

 さすがにその短期間で国境線を制圧できるだけの軍隊を動かせるなど、誰一人予想していなかったし、実際に動いていると思う者もいなかった。

 そもそも今回の暗殺の黒幕がカルデイア大公国だと言いだしたハサール王国側も、その理屈が強引なこじつけに過ぎないと十分にわかっていたからだ。


 その事実にすっかり油断していたのだろう。

 まさか本当に大公国が軍事行動を起こすとは思っていなかったし、もしもなにかするにしても、数か月は先だと思っていた。


 それが気付けば橋の対岸を速攻で制圧されており、そこの砦を放棄した軍は一つ東側の砦に逃げ込んでいたのだ。

 これまでは両国の間にかかる細い橋自体が大軍の侵入を妨げる働きを担っていたが、そこを制圧されてしまったムルシア領は瞬く間に西側一帯にカルデイア軍の展開を許してしまったのだった。



 そしてここに、後世に残る二国間戦争が幕を開けたのだった。

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