第110話 閑話:ピピ美の優雅な一日

 ピピ美がピクシーの里を出てから八ヶ月が経っていた。

 その間も彼女はまるでスポンジが水を吸うかの如く人間世界の知識を吸収しており、そのおかげもあって今ではすっかりこの屋敷での生活にも慣れていた。

 

 この屋敷での彼女の立ち位置は、リタの妹ということになっている。

 とは言え、当然のように彼女が本当のそれではないことは皆理解していたし、ピピ美自身もあまり拘っていないようだったのだが。


 それでも元気に館の中を飛び回るその愛らしい姿は皆の笑顔を誘うものだったし、屈託なく無邪気に話しかけてくる様は、多くの使用人たちの間でアイドルになっていた。



 ピクシー女王が言っていたように、里でのピピ美は他の姉妹たちに比べて生活態度がだらしなく、怠惰でいい加減だった。

 他の姉妹たちが真面目に仕事をしている時でも、特に仲の良い二人の姉妹とともに一日中遊び回り、母親の小言など右から左へ抜けていた。


 そんな問題児のピピ美ではあったが、彼女は次代のピクシー女王の卵であったため、母親は根気強く彼女を諭し続けた。

 しかしついぞその生活態度は改められることはなく、何度も無断外泊を繰り返した挙句、遂に里を追い出されてしまったのだった。


 もっとも追い出されたと聞くと母親の仕打ちが過ぎるようにも聞こえるが、実はその決断はピピ美の見聞を広げさせるために敢えてリタたちに託したというのが事実だったのだが。


 

 森の妖精ピクシー族は、年々その個体数を減らしている。

 その原因は人間たちの森林伐採による部分が大きかった。

 環境などを全く考えずに己の都合で木を切り続ける人間たちのせいで、彼女たちは年々その生息範囲を狭めていき、今では森の奥地にひっそりと暮らすようになっていた。


 彼女たちのコロニー――俗にいう「ピクシーの里」――は一つの森に一つはあると昔から言われてきたが、最近では彼女たちが住まない森も多くなってきた。


 俗に「森の管理人」と呼ばれるピクシー族が住まない森は、何かしらのバランスが崩れていることが多い。

 そんな森は木々の成長が遅く、動物の数も少なく、その代わり魔獣の住処になっている場合が多かった。

 

 しかし人間たちはそんな森にしてしまった原因が自分達にあるとは知らずに、恵みが少なく危険も多いそんな森にしがみついて生きているのだった。



 そして実は、もうひとつ理由があった。

 その美しくも愛らしい容姿のために、一部の人間たちにピクシー族は愛玩目的で捕獲されていたのだ。


 彼女たちの外見は、人間で言えば十歳程度の少女のそれだ。

 そして人間の言葉を理解し、話し、意思疎通もできる。

 だからある特定の趣味を持つ者の中には、まるで愛玩用のペットのように彼女たちを愛でる者も多かった。


 その可愛らしい容姿を愛でるために自宅へ連れ帰り、檻に入れて閉じ込める。

 しかし森から離れては生きていけない彼女たちは、十日も経たずに衰弱死してしまう。

 するとまた新しいピクシーを捕まえて――その繰り返しだった。



 そんな現状を憂い、以前から人間との共生を模索していたピピ美の母親――女王ピクシーは、その第一歩として次代の女王候補であるピピ美に人間の世界を見てこさせようとしたのだ。

 そのうえで人並外れた強い魔力と魔術師の素養を持つリタと知り合い、そして信頼した女王は、大切な我が子を託すことにした。 

 そしてその日以来、ピピ美はリタと一緒に暮らすようになったのだった。





 ある日の朝のこと。


 リタが専属メイドのジョゼットに何度も声をかけられてやっと起きた時には、すでに朝食までギリギリの時間になっていた。

 それでも身支度も整えないまま食堂に移動するなどできるわけもなく、彼女はジョゼットに念入りにおめかしをされていた。


 その周りではピクシー族のピピ美が飛び回っており、寝ぼけ眼のまま着替えさせられているリタに、朝からピーピーと小鳥の囀りのような声で話しかけている。


「ねぇねぇ、リタ、リタ、どうして人間はそんな布を身体に巻くの? 毎日、毎日、面倒じゃない?」


「うぅ……眠い……なんじゃピピ美よ……しょんなことはジョゼットに訊けばええじゃろ……」


 恐らく面倒臭いのだろう。

 寝惚け眼のまま些かぞんざいな答えを返すリタに、ピピ美は口を尖らせる。

 可愛い妹に対して、姉としてその態度はどうなのかとその顔は語っていた。


 そんなピピ美にジョゼットが話しかけてくる。

 彼女の顔には、何処か面白そうな、それでいて興味深そうな微笑みが浮かんでいた。


「何を言っているのです? 昨夜、若奥様に言われたでしょう。今日からピピ美ちゃんもお洋服を着るんですよ」


「……そうだった」


 その言葉に、ピピ美の顔に憮然とした表情が生まれる。

 ジョゼットに言われて、彼女は思い出したのだ。

 今日からピピ美も洋服を着るようにと、昨夜エメラルダに言われていたことを。



 ご存じのようにピクシー族のピピ美は、年中全裸で過ごしている。

 館の主人の前だろうが使用人の前だろうがお構いなしに、彼女はその肢体を晒しているのだ。


 もちろんピピ美に羞恥心などというものは存在しない。

 それは彼女がまだ子供だからと言われればその通りなのかもしれないし、同じ少女――幼女である五歳児のリタが風呂上りに裸で屋敷を走り回っていることからも、その理由は納得できる。


 しかし実際には、それはピピ美の種族的な特徴だったのだ。

 彼女の母親である「女王ピクシー」が、全裸のままフェルディナンドの前に姿を見せたことからも、それはよくわかる。


 彼女は人間で言えば十三歳程度の外見だったし、出産を控えていたためにお腹も胸も大きく膨らんでいた。

 にもかかわらず、その肢体を男性のフェルディナンドに平然と晒したのだ。

 もっともピクシー族に性別はないので、そもそも異性という感覚がないのだろうが。 

 

 そんな姿に目を釘付けにしたフェルディナンドは、エメラルダの冷たい視線を受けることになったのはご存知の通りだ。



 しかしいくらピピ美に羞恥心がなく全裸でいるのが普通であったとしても、それは人間社会には当てはまらなかった。

 文化的に女性が肌を晒すのが忌避されるこの国において、いくら妖精だからといって年中全裸でいるのはどうなのかと、一部の女性使用人から声が上がったのだ。


 その言葉に、エメラルダは納得した。

 女王ピクシーの卵であるピピ美は、この先その身体が子供を産むのに適した形へ成熟していく可能性は大いにある。


 いまでこそ十歳程度の外見なので裸であっても微笑ましく見えなくもないが、最終的にはあの「女王ピクシー」のように「膨らみかけ生えかけ美少女」のような外見になるのかもしれない。


 まさか自分の夫にそんな趣味はないと思うが、それでもそんな姿を晒したまま屋敷の中を飛び回られても目のやり場に困ってしまうだろう。

 それに男性使用人の中に興奮する者がいても問題だ。


 そう考えたエメラルダは、以前からの趣味でもある裁縫の腕を駆使して、ピピ美のドレスを手作りした。

 そして昨夜、それを着ることを提案してきたのだった。




「はい、できました。――うぅーん、ピピ美ちゃん、可愛いー!! まるでお人形さんみたい!! あぁ、抱きしめたい、抱きしめたい!! だめだめ……うぅ……やっぱり抱きしめてもいい?」


 もとはと言えば男性の目を気遣ってドレスを着せられたピピ美だったが、気付けばその姿に萌えまくるジョゼットがいた。

 すでに十八歳の彼女がまるで少女のように目を輝かせてピピ美を愛でる姿は、それはそれで別に問題があるのではないかと思ってしまう。


 頬を紅潮させ、鼻息を荒くしたジョゼットに恍惚とした顔で頬ずりされながら、ピピ美は些かげんなりとした顔をしたのだった。

 





「おはよぅ、ごじゃましゅ……」


「おはよー、おはよーなの!! お腹が空いたの、ご飯食べるの!!」


「おはよう、リタ。さぁ、こちらへいらっしゃい、わたくしの可愛い天使ちゃん」


 リタとピピ美が食堂の席に着くと、そこではすでにレンテリア伯爵夫妻が待っていた。

 朝が早い彼らは、いつもリタたちが到着する30分前には食堂に来て手紙や書類に目を通していることが多い。


 そこにリタが到着して祖父母に朝の挨拶をすると、待ってましたとばかりにイサベルに抱きしめられる。

 それから彼女は、真っ白な柔らかいリタの頬にキスをした。


 これを冷静に考えると老婆が婆にキスをされているに等しいのだが、半ば幼児化が進行しているリタにとっては然程気になるものではないらしい。

 いや、そのくすぐったくも楽しそうな叫び声を聞く限り、彼女としても祖母にスキンシップを図られるのは嫌いではなさそうだ。


 

 そんな時、ふとイサベルがピピ美を見つめて口を開いた。

 その顔には、驚きと萌えが混じっていた。


「あらあらあら……あなたも素敵なドレスを召して―― これはリタとお揃いではありませんか!! また可愛らしいですこと」


 彼女の言う通り、リタとピピ美のドレスはお揃いだった。

 それはどうせならお揃いの方が可愛らしいだろうと言って、エメラルダが無駄に頑張って作ったものだったからだ。

 そんなドレスが、他に何着もあった。

 

「おぉ、おぉ…… これはまた愛らしい。まるで本当の姉妹のようだな。ふむ、眼福、眼福」


 その横ではまさに好々爺といった面持ちで、セレスティノも目尻を下げていた。


 若干緑がかっているとは言え、ピピ美の髪も金色だ。

 そしてリタも母親譲りのプラチナブロンドだった。


 そんな二人が同じ色とデザインのドレスを着ている絵面は、祖父母にとってこれほど萌えるものはなかったのだ。

 

 


 リタたちが朝食を始めると、それまで周りを飛び回っていたピピ美も一緒に食事を始める。


 ピクシー族の主食は、果物と穀類だ。

 ちなみに昆虫や肉などは一切口にしない。

 だからここレンテリア家でのピピ美の食事は主に果物で、今朝もリタの横のテーブルの上に正座をして大粒のぶどうを食べていた。


 とは言え、体長10センチ程度のピピ美が食べる量はたかが知れていて、適量はリタの小指の先ほどの量だ。

 そのあまりの量の少なさに見る者は皆心配するが、彼女にしてみれば人間がスイカを丸ごとを出されるのに等しかったりする。


 その他にも日によって蒸した芋や小麦の粒などの穀類も食べる。

 基本的に味付けは一切なく、素材そのものを味わっていた。



 朝食が終わると、リタの祖父母と両親は仕事に出掛けていく。

 もちろんセレスティノは王立薬科研究所の常勤の副所長だし、イサベルは当主代行として様々な人間と会ったり、会合に出掛けて行ったりと毎日忙しい。

 そしてフェルディナンドは両親の代わりに屋敷の管理を任されるようになっていたし、エメラルダも若奥方として使用人の統括や家事の采配を振るうようになっていた。

 

 そんなわけで朝の一時が終わると、皆それぞれ自分の持ち場へと去っていくので、誰もピピ美をかまうものはいない。


 もちろんそれはリタも同じだ。

 彼女は朝の9時からマナー講師にみっちりと礼儀作法、話し方などを仕込まれている。

 そして10時から昼まではロレンツォと一緒に魔法の座学(と言っても、リタは教える方なのだが)を行っていたし、昼食を挟んで午後の二時間は裏庭の魔法練習場で魔術の実地訓練を行っていた。


 しかしこれも実際にはリタがロレンツォに教えているか、彼女自身が興味を持つ魔法の実験を行うことがほとんどだ。

 魔法練習には危険が伴うので、家族も含めて基本的には部外者は入れないことになっている。

 だからリタが弟子の指導をするところは、他の者に見られることはないのだ。


 その間ずっと暇を持て余しているピピ美は、屋敷の中をフラフラと飛び回っていたり、エメラルダにまとわりついたり、裏庭に遊びに来る小鳥などとお喋りしていることが多かった。

 そんなピピ美だったが、今日は気まぐれに厨房に顔を出していた。




「ねぇねぇチーロ、今日は何か美味しいものあるの?」


 調理師見習いの十四歳の少年が夕食の下ごしらえをしていると、小鳥の囀りのように甲高く、しかし聞き慣れた声をかけられた。

 振り向くとそこにはピピ美が飛んでおり、緑色の瞳を輝かせながらチーロの作業を興味深げに覗き込んでいる。


「やぁ、ピピ美ちゃん…… ど、どうしたの? 急にドレスなんか着て……そんな姿は初めて見たよ」


「うんうん、エメにね、服を着ろって言われたの。裸じゃダメだからって。似合ってる? ねぇねぇ似合ってる?」


「う、うん。とっても可愛いよ。そうしてドレスを着ていると、まるで小さなリタお嬢様みたいだ」


「ありがとうなの!!」


 ピピ美の瞳には、人間で言うところの「黒目」がない。

 だから正確には彼女がどこを見つめてるのかわからないことが多いのだが、チーロはすでに慣れたものでピピ美の仕草などで大凡おおよそ見当がついていた。


「そうだ、何か美味しいものかい? ……茹でたトウモロコシならあるけれど――はい、どうぞ」


 そう言ってチーロはトウモロコシを五粒差し出した。


「わぁーい、いつもありがとうなの!! だからチーロは大好きなの!!」


 とても整ってはいるが、それでも1センチ少々しかない小さな顔を破顔させると、ピピ美は厨房の隅でトウモロコシにかぶりつく。

 そこから皆の作業風景を眺めながら、暫しのおやつタイムと洒落込んでいたのだった。


 そんな姿にチラチラと視線を向けながら、何故かチーロは顔を赤くしていた。

 そしてその後にヒラヒラと去って行くピピ美の姿を、呆けたように見つめていたのだった。



 

 お腹がいっぱいになったピピ美は、当然のように眠くなる。

 彼女は吹き抜けになっている屋敷の玄関まで移動すると、そこに渡されたはりの上で昼寝をすることが多い。


 以前に棚の上で昼寝をしていたら、メイドの不注意で上に荷物を置かれそうになったので、それ以来昼寝は誰の手も届かない高い場所でするようにしていた。


 今も彼女が昼寝をしようと梁まで飛び上がっていると、下から覗き込んでいる者がいた。

 それはたまたまその場にいた若い護衛騎士だったが、彼は何か微妙な顔をしながら顔を赤らめていたのだった。


 その日はそんなことが何度も続いたが、ピピ美は今日初めて着たドレスを皆が注目しているのだろうと思う程度で、特に気にしないまま夜を迎えた。




 そして夕食の席だった。

 食事が終わった家族がリビングで思い思いにくつろいでいると、エメがピピ美に話しかけてきた。

 しかしその様子はいつもと少し違っている。


 いつもは柔らかく気さくに声をかけてくる彼女だったが、この時ばかりは何か言いずらそうしており、その様子に気付いたピピ美は逆に質問をした。


「ねぇねぇ、エメ、エメ、どうしたの? なにかあったの? 言いたいことがあるの?」


「え、えぇ。ちょっとあなたに頼みというか……お願いというか…… すっかり忘れていたことがあってね……」


 そう話すエメラルダは何処か歯切れが悪い。

 最近ではこの屋敷を仕切り始めていたので、彼女とて普段はハキハキと話すのだが、いまこの場においては何か奥歯にものが挟まったような言い方だった。


 それでもピピ美が不思議そうな顔をしていると、遂に彼女はその重い口を開いた。


「あ、あのね、お願いだからドレスの下に下着を着けてほしいの。あなたは今日一日その姿で飛び回っていたでしょう? なんかね、色々と見えていたみたいなのよ」


「見えていた……?」



 エメラルダの説明にも、まるでピンとこない様子のピピ美。

 その顔を見つめながら、エメラルダは大きなため息を吐いた。


 実は夕方、数人の男性使用人から言われていたのだ。

 ピピ美に全裸で飛び回られるよりも、下着を着けずにスカートを翻させられる方がよっぽど気になってしまうと。



 全裸でいられるよりも、チラチラと見える方が気になってしまう。


 そんな男たちの業の深さに、思わずため息が止まらないエメラルダだった。

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