第111話 会談の終わりと暫しの別れ

 ハサール王国の王城に慌ただしく声が響く。

 それは現状を確認する声だったり、軍の派遣を要請する声だったりと様々だ。

 

 それらの声は皆一様に慌てたように早口で、すでに他国からの使者との会談中であることなどすっかり忘れているように見える。

 そんな中でハサール王国の現状を理解したケビンは、己の席に座ったまま周りの喧騒に耳を傾けて可能な限りの情報を聞き取ろうとしていた。

 


 ブルゴー王国の使者と国の重鎮たちが協議をしている最中に急報がもたらされた。

 それはカルデイア大公国による国境侵犯とのことだったが、詳しく聞けばそれは最早そんな生易しいものではなく、既に侵略行為と呼ぶに相応しいものだった。


 カルデイア大公国によって最後に国境侵犯が行われたのは、今から十年以上も前になる。

 確かにその時も戦死者は出ていたが、それでも人数は十名にも満たなかったし、互いに軍を展開させているうちにカルデイア側から引き揚げていったという経緯があったのだ。


 しかし今回は些か様子が異なるようだ。

 完全に裏をかかれたハサール王国は、西国境沿いを瞬く間に制圧された結果、砦を落とされてしまった。


 その際には抵抗した兵士約50人が殺された挙句、東へ向かって敗走する者たちも追撃を受けて死者、負傷者ともに多数発生していた。

 その人数を聞くだけでも今回のカルデイア軍の本気度がわかるものだったし、いまさら間違いで済ませるつもりがないのは明白だった。


 そしてザクセン川を制圧したカルデイア軍は、その後も続々と人数を増やしながら東進しつつあるという。

 ハサール側が逃げ込んだ東の砦に、彼らが到達するまであと二日。

 今頃はオスカル率いるムルシア侯爵軍が迎え撃ちに行っているはずだった。



 ケビンが周りの喧騒に聞き耳を立てていると、その時突然大きな声が上がった。

 それはハサール王国の重鎮の一人で、何かの大臣を務める者だった。

 彼は姿勢を正すケビンに向かって指を差すと、大声で叫んだ。


「そうか、やはりこれが目的だったんだな!! そもそもこのタイミングでムルシア公が討たれるなどおかしいと思ったのだ!! それもこれも、全ては我々を混乱させるためだったのだろう!?」


「そ、そうだ!! おのれぇ、薄汚い真似をしおって!! ブルゴー王国はいつからカルデイアと手を組んだのだ、言え!!」


「陛下!! このような者がいる場所でこのような話をするべきではないと具申します!! 何卒彼をこの場から締め出していただきたく!!」



 それらの声を切っ掛けにしてケビン、いてはブルゴー王国を責める者が出始めると、さすがのケビンもその場から腰を浮かしかけてしまう。

 しかしその時、一際大きな声が部屋中に響き渡った。


 朗々と響くその声には、はやる者をいさめるような響きが強くこもっていた。


「静まれ、皆の者!! 勝手な憶測でだけで話を進めるものではない!! もとよりこの場はブルゴー王国の使者殿との会談の場なのだ。それを忘れるべきではない!!」


 それは国王ベルトランだった。

 彼は好き勝手にがなり立てる重鎮たちに向かって一喝すると、さらに言葉を重ねる。

 その顔には少々の苦みと多大な怒りが混じっていた。



此処ここなケビン殿は、つい先ほどセブリアン第一王子の捕縛と訴追を約束してくれたのだ。彼は国王の名代としてここへ来ている以上、その言葉はアレハンドロ殿のそれと同じと心得よ。つまりはブルゴー王国自体はこの件には関与しておらぬということ。 ――そうであろう? 勇者ケビン殿」


 その言葉を聞く限り彼はケビンを庇っているように見えたが、その顔には厳しい表情が浮かんでいる。

 瞳は鋭く細められ、まさにギロリといった様子でケビンを睨みつけていた。


 しかし当のケビンはそんな視線など意に介さずとばかりに、涼し気な顔をする。


「はい。まさに陛下の仰る通りかと。ここに明言いたしますが、我がブルゴー王国は此度こたびのカルデイア大公国の侵攻には一切関与しておりません。これは国王アレハンドロ・フル・ブルゴーの言葉であるとご理解いただいて結構です」


「あいわかった、勇者殿よ。しからば先ほどの約束通り、国へ戻り次第貴国の第一王子の捕縛をお願いいたす。よろしいか?」


「承知いたしました。その言葉、しかと承ります」


「よろしく頼む。――それで、だ。使者殿には大変申し訳ないのだが、このような火急の知らせが舞い込んだゆえ、貴国との会談は一旦ここで終わらせていただいて宜しいか? 今日のところはゆっくりと休んでいただいて、子細はまた明日の朝に伝えることといたそう」


「かしまりました。それでは今日はこれで引き揚げさせていただきます。明日の朝、ご連絡をお待ちしております」


 ケビンは短く告げると、すでに興味を失ったとばかりにさっさとその身を翻す。

 そして事務官と騎士たちを引き連れると、振り返ることなくそのまま部屋から出て行ったのだった。


 彼が扉を閉めた途端、背後の部屋からは大きな怒号が幾つも飛び交うのが聞こえてくる。 

 すでにこの時、ハサール王国はセブリアンの訴追どころではなかった。

 もとよりブルゴー王国の使者との会談のために用意されたその部屋は、いまや西部国境を越えて進軍し始めた敵の対応の会議場へと様変わりしていたのだった。






 ケビンが部屋を出ると、いつに間にか先に出ていたリタが待ち構えていた。

 トコトコと短い足で進み出てくると、徐に口を開く。


「それではケビン殿。わたくちはここで失礼しちゅれいさせていただきます。明日のお帰りには貴殿をお見送りはできましぇぬゆえ、これにてお別れとなります。どうかこれからもお幸せに、そしてお達者でおしゅごしくだしゃいませ」


 まるでついの別れのような言葉を告げながら、ペコリと頭を下げる幼女。

 その姿勢のまま中々頭を上げようとせず、小刻みにその肩が震え始める。

 その様子を見たケビンは、ハッとあることに気付いたのだった。



 リタ――アニエスは、明日のケビンの見送りには来られない。

 もとより彼女の立場を考えればそれは当たり前のことなのだが、今の今までケビンは忘れていたのだ。


 明日まで自分はこの国にいる。

 そればかりを考えていて、リタと顔を合わせられるのはこれが最後であることが頭からすっかり抜け落ちていた。


 ブルゴー王国とハサール王国の間に国交がないことを勘案すると、もう二度と彼女と会うことはないだろう。

 だからリタはそんな言葉を告げたのだ。


 その事実に気付いた瞬間、ケビンの瞳からは止めどなく涙が溢れ出す。

 そして頭を上げようとしない五歳児を思い切り抱きしめると、かすれた声を絞り出したのだった。



「ばば様、ありがとうございました。今まであなたが注いでくれた愛情を、僕は生涯忘れません。そしてその愛情は、妻と我が子へと引き継がせていただきます。あなたには本当に感謝をしても仕切れません。どうかお元気で。そしてお達者で」


「ぐしゅ、ぐしゅっ……うむぅ、わかった……ケビンよ、おまぁも元気でのぉ。互いに生きておれば、再び相まみえることもあるじゃろう。それまで暫しの別れじゃの」


「はい。再びお会いできる日を願って、暫しのお別れを。お元気で」


「ひっく、ひっく……おまぁものぉ。 ――ではさらばじゃ」


 

 抱き合いながらお互いの耳元で小さく囁く二人の声は、周りの者たちには聞こえなかった。

 しかし出会って間もない二人――しかも片や二十歳の男と、片や五歳の女児が抱き合う姿は些か不自然で、彼らの間に何かあったのかと思わず邪推しそうになるものだった。


 その証拠に、エメラルダは二人の間に割って入ろうかと腕を伸ばしかけていたし、ケビンの同行者たちも怪訝な表情を崩せずにいた。

 それでも亡くなったムルシア公の件で、この二人の間には何かあったのだろうと好意的に受け取る者もいたので、結局この場は二人が自然と身体を離すまで誰も邪魔をすることはなかったのだった。


 ケビンとの抱擁の後、エメラルダに手を引かれてリタは去って行く。

 何度も何度も振り返りながら遠ざかっていくその姿を、ケビンはいつまでも見つめ続けていたのだった。




 ――――




 翌日の朝、約束通りケビンの元に使者が来た。

 しかし彼は国王からの書面を手渡すと、何も言わずに足早に去って行く。


 そのあまりの素っ気なさと事務的な対応を見る限り、今回のムルシア公暗殺事件とその犯人捜しはハサール王国にとってすでに重要ではなくなりつつあるようだった。

 実際にその書面は昨日の会談内容をまとめたものでしかなかったし、その内容に誤りがない限り連絡不要というものだったからだ。


 その内容に特に過誤が見当たらなかったケビンは、宿泊先の担当者に謝辞を述べただけで、誰にも挨拶することなくそのまま帰路に就いたのだった。



 もちろん帰りもアストゥリア帝国内を通過することになった。

 それは往路と同様に緊張感に満ちたものだったが、特に何事もなく八日後にはブルゴー王国との国境を越えることが出来た。


 眼前に見知った祖国の風景が広がって来るとともに、ケビンの心には安堵と正義感と憂鬱とが複雑に入り組んだ思いが満ちてくる。

 王の元に帰ると同時に繰り広げられることになるセブリアン第一王子の捕縛と訴追を思うと、そのあまりの重圧に圧し潰されそうになってしまう。



 それと同時に、彼には逸る気持ちもあった。

 それはもちろん、まだ見ぬ我が子との対面だ。


 前回祖国を発った時には既に出産予定日を過ぎていたので、今頃は間違いなく生まれているはずだ。

 今は生後一ヵ月といったところだろうか。


 果たしてまだ見ぬ我が子は、男だろうか、女だろうか。


 ――いや、それは大きな問題ではない。母子ともに健康であればそれでいい。

 それ以上望むのは贅沢だろう。

 ただ自分は、ばば様に受けた愛情をそのまま我が子に注いであげられれば、それで満足なのだ。



 見慣れた母国の風景の中を、ケビンが乗る馬車が緩々ゆるゆると進んで行く。


 たった一月離れていただけなのに妙に懐かしい気分に襲われながら、何気にソワソワとし始める勇者ケビンだった。

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