第107話 勇者と魔女

 国王ベルトランの手配により、リタとケビンには別室が用意された。

 そして早速会談場から退出した二人は、多くの者の視線を背に受けながらその部屋の扉を閉める。


 その部屋は会談場から少し離れた王城の一角で、数多く用意される客間の一室だった。

 その中でもその部屋はそれほど広い方ではなく、備え付けのソファが三人掛けであることからも、少人数用の部屋であることがわかる。


 

 部屋に入った直後から、ケビンは中の様子を隅々まで確認した。

 カーテンの裏とクローゼットの中、それから机の引き出しと扉の裏側、果ては床まで踏み鳴らす慎重ぶりだ。

 そして隠れていたり聞き耳を立てる者がいないことを確認すると、やっと安心したようにソファに腰を下ろした。


 そんな些か神経質すぎるきらいのあるケビンではあったが、その姿を眺めながらリタは呆けたような顔をしていた。

 自国の王と宰相を相手に一歩も引かなかった姿はすでになく、その顔は何処か泣きそうなそれにも見える。


 そんな幼女に、ふと勇者が気が付いた。


「……リタ嬢? どうされましたか? 気分でも優れませんか?」


「いいえ。なんでもごじゃりましぇぬ……」


「そうですか。それならいいのですが」


 目の前の幼女を安心させるように、ケビンがニコリと微笑んだ。

 その顔は、会談場での彼はあくまでも役者であって、この姿が本当の彼だと思わせるものだった。

 そんな彼の笑顔につられて、思わずリタは頬を緩めていた。



「お気遣いありがとうごじゃります。そうそう時間もありませぬゆえ、早速お話をさせていただきます」


「はい。それではお願いいたします。それで、ムルシア公の伝言とは如何なるものでしょうか?」


「……あれは嘘でしゅ。もとよりそんなものはありましぇぬ」


「えっ……?」


 早速リタが口を開いたが、そのあまりの予想外の言葉に思わずケビンは幼女の顔を凝視してしまう

 それからリタを見つめたまま、その真意を計りかねているようだった。

 そんな勇者の様子など関係ないと言わんばかりに、リタは勝手に話を続ける。


「全てはケビンしゃまと二人きりになるのが目的でごじゃりました。いちゅわりの言葉をお許しくださいませ」


「リタ嬢……」


 一瞬の自失から戻ったケビンがその姿勢のままリタを警戒し始めると、無意識に左の腰に手を伸ばす。

 しかしそこには何もなかった。

 なぜなら、この城に入る時に武器は全て預けていたからだ。


 そんなケビンに向かってリタが尚も声をかける。

 すでにその顔から表情は消え去り、抑揚もなく淡々と紡がれるその声は何処か不気味に聞こえた。


  

「――ときに勇者様。あなた様は相当お強いとお聞きしましたが、どの程度なのでしょうか?」


「えっ? そ、それはどういう意味でしょう? それは私があなたよりも強いかということでしょうか?」


「はい。あなたしゃまは部屋の中は隅々しゅみずみまで確認しておりましたが、このわたくちについては何も確認されませんでちたね?」


「……」


「もしもわたくちがあなたしゃまよりもちゅよい存在だったとしたら、如何されますか?」


「なにぃ……!?」



 リタの言葉にケビンの眉が上がる。

 その特徴的な黒い瞳は鋭く細められ、今にもにじり寄る勢いで睨みつけている。

 しかし左の腰を探る手につるぎの感触がないことを再び思い出すと、声を絞り出した。


「貴様、何者だ!? ……魔族か? そうか、魔族だろう!? おのれ、そのような人間の女子おなごに身をやつして何をしている!? 何が目的だ!? 言え!!」


 その言葉に、リタはふふんと言わんばかりに小さく鼻息を吐いた。 


「ほう、なかなか言いよるのぉ。その威勢いしぇいは褒めてやるが、丸腰でどうやって戦うつもりじゃ?」


 ケビンの追及に突然口調を変えるリタ。

 その様子を見る限り、彼女が見た目通りの者ではないのは間違いなかった。

 そして誰も介入できないこの状況で、丸腰の勇者と二人きりになっている。

 

 その目的は言うまでもなくたった一つしかなかった。


「くそっ!! 俺の命が目的か!? 復讐かっ!? ――面白い、やれるものならやってみろ!! 舐めるなよ、そうむざむざとやられると思う――」



 ズガンッ!!


 ケビンが吠えたその直後、凄まじい勢いで背後の壁が陥没した。

 

 それは魔法だった。

 リタは予備動作もなく突然攻撃魔法を放ったのだ。

 

 前を見ると、ケビンの顔に掌を翳してニヤリとリタが笑っている。

 まるで嘲りを滲ませるようなその顔は、彼女がわざと狙いを外したことを表していた。

 もしもその気だったなら、ケビンは間違いなく死んでいただろう。



 魔王討伐まで成し遂げた自分が、こんな幼女に異国の地で殺されるのか?

 いや、こいつは見た目通りの幼女なんかじゃない。

 幼女の姿をした別の何かだ。

 そして自分の命を奪いにきたのだ。


 くそ……こんなところで……


 エルよ、すまない。

 今頃はきっと赤ん坊も生まれているだろうが、もう会うことも叶わない。

 一目でいい、一目でいいから君との愛の結晶を見てみたかった。

 すまないエル、そしてまだ見ぬ我が子よ……



 目の前に掌を突き付けられても、未だ相手を睨みつけるその黒い瞳。

 さすがは勇者と言うべきか。

 その瞳には決して恐怖の色は見えなかった。


 それでも死を覚悟したケビンが凄まじい目つきで睨みつけていると、リタは突然その手を彼の肩に置いた。

 一転して顔には優しげな微笑みが浮かび、まるで我が子を見つめる母親のような慈愛が満ちる。


「ふふんっ、迂闊うかつじゃ、ケビンよ。おまぁは相変わらず詰めが甘いのぉ」


「えっ……?」


「わちがほんに魔族だとしたら、どないするつもりじゃった? 恐らく死んでおったかもしれんぞ」


「え……え……」


「なんじゃ、その顔は? まるで狐につままれた――」


「ば、ばば様…… ばば様……なのですか?」


「あぁ、脅かすような真似をしてしゅまなかった。今はこんななりじゃが――」


「ばば様……」


「なんじゃ? 呆けたような顔をしくさってからに」


「ばば様!! ばば様!! うわぁー!!」


「こ、こりゃ、ケビン、やめんかっ!! うひゃー!!」





 国王のげんにより絶対に誰も部屋に入って来ないのをいいことに、ケビンは五歳の女児に抱き着いて泣き続けていた。

 これまでの辛く苦しい胸の内を全て吐き出す勢いで、ただひたすら声を上げて泣いていたのだ。


 大の大人が五歳の女児に抱き着くなど、場合によっては事案になるものだが、見る者も聞く者もいないこの個室では一切かまう必要はなかった。

 絶対に人には見せられない、弱い姿の勇者。

 その頭を柔らかく撫でながら、五歳児のリタは優しく声をかけた。


「わちは使者としておまぁが来ると信じておった。わちの勘も、まだまだ捨てたものではないの。――それにしても成長したのぉ、ケビンよ。あのアレハンドロに任されるとはなかなかじゃ」


「ぐすっ、ぐすっ、あ、ありがとうございます…… それにしても、ばば様も人が悪いですよ。思わず本気で殺されるかと思いました……」


「いやぁ、すまんすまん。おまぁの間抜け面を見たら、ちぃーっと悪戯したくなっての」


「姿はこんなに可愛らしくなったのに、中身は全然変わっていませんね。魔女アニエス」


「まぁの。色々あって今はこの姿じゃ。それじゃあ、これまでの話をしてやろうかの――」




 ――――




「そうですか。ばば様も色々と大変だったんですね。……それではもうブルゴー王国に帰る気はないのですか?」


「そうじゃな。わちはここでは『リタ』として両親から愛されとるし、すでに婚約者まで決められてしもうたしの。いまさら祖国には帰られん。この国に骨を埋めるつもりじゃよ」


「わかりました。――そうですね、ばば様はこれまでずっと長い間国に尽くしてきたのですから、これからは好きに生きてもいいと思いますよ。ブルゴー王国のことは心配しないで下さい。僕らが盛り立てていきますから」


 そう言うとケビンは、少し寂しそうに笑った。

 その顔を見ると、本心ではアニエスに帰って来てほしいと思っているのは間違いなかった。

 そんなケビンに、思い出したようにリタが質問する。



「そう言えば、おまぁ、赤ん坊が生まれるんか? いつじゃ?」


「あぁ…… きっともう生まれていると思います。僕が国を出た時にはすでに予定日は過ぎていましたので。今から帰るのが楽しみですよ」


「そうか。それはおめでとう、ケビンや。――うむぅ、あの寝小便をたれていたわらしが父親か…… そりゃあ歳もとるわけじゃわい……って、今は五歳児に逆戻りじゃがの」


「一人でボケて一人で突っ込まないで下さいよ。相変わらずですね、ばば様」 


「やかましいわ、まだボケておらんわ!! ――それにしても、あのチェリーボーイがのぉ……あまりしつこくししゅぎて、エルミニアに嫌われるんじゃないじょ。この助兵衛が。ふふんっ」


「そ、そんなにしてませんよ、人聞きの悪いっ!! 毎日夜と朝に……って、何を言わせるんですか!!」


「おまぁが勝手に言っとるんじゃろが。誰もそんなこと訊いちょらんわ!!」


「ふふふ……ははは……あはははは!! あぁ、昔に戻ったようですね。あの頃は楽しかったですよ。確かにばば様の教えは厳しかったですが、あの時があったから今の自分があるのだと思うと、感謝しかありません」


「ふふんっ。そんなこと言って泣かせようとしても、そうはいかんじょ」


 そう言ってプイっと横を向いたリタの瞳には、薄っすらと光るものが見える。

 ケビンはそれに気づいたが、敢えて何も言わずにそっと見て見ないふりをした。


 そんな養い子の気遣いに温かいものを感じながら、以前の暮らしも悪くはなかったと懐かしく思い出すリタだった。





 それからしばらく、二人は昔の話やお互いの近況を報告し合いながら和やかに時間は過ぎていった。

 しかし、さすがに個室に長時間閉じこもっていると怪しまれるので、そろそろ本題に入ることにした。


 それはもちろん今回の事件の真相に迫るもので、最終的にはケビンが国に持ち帰ることになるはずのものだった。


「さて、それでは本題に入りましょうか。まずはムルシア公を殺った黒幕は誰です?」


「ふむ。しょれはセブリアンに決まっておろう。間違いなくヤツじゃな。これは断言できる」


「わかりました。それではその目的は?」


「わちの巻き添えじゃ。セブリアンはわちを殺りに来たのじゃが、結果を焦った暗殺者が一緒にいたムルシア公もろとも殺そうとしたのじゃよ。彼にはほんに悪いことをしたと思っちょる」


 そこまで言うと、再びリタはプイっと横を向く。

 ケビンはその仕草をまた見て見ないふりをした。



「そうですか……それは不幸な出来事でしたね…… ムルシア公のご冥福を祈ります。 ――それでは、セブリアン殿下がばば様を執拗に狙う理由は?」


「ふむ、それが全ての元凶じゃな。……まったく忌まわしいものじゃ。あの馬鹿者めが!!」


 まるで吐き捨てるように言うその姿からは、彼女の本心が丸見えだった。

 もちろんそれは、リタがセブリアンを殺したいほどに憎んでいるという事実だ。

 もとよりこの場を設けたのも、ケビンに事の真相とセブリアンの捕縛を決意させるものだったのだから。


「それはな、わちが彼奴あやつの秘密を知っておるからじゃよ」


「秘密……? なんですか、それ?」


「ふむ、そこでおまぁの出番じゃ。わちはその秘密の証拠を持っておる。それをおまぁに託したい」



 それまでの和やかな雰囲気はガラリと変わり、突然真顔で話し出したリタ――魔女アニエス。

 師匠のその顔に何か思うところがあるのか、ケビンは背筋を伸ばすとゴクリと喉を鳴らした。

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