第106話 最後の伝言

「それでは、その目撃者であり、証言者でもある少女にお会いしてみますか? 彼女の口から直接聞いた方が、恐らく信用していただけるのではないかと愚考いたしますが?」


 ハサール王国宰相モデスト・エッカールにそう提案されたケビン。

 その言葉に、思わず身構えてしまう。



 いくら事件の唯一の目撃者であるとは言え、弱冠五歳の幼女をこの場に招致していいものだろうか。

 確かに自分はその幼女の発言が信用できないと言った。

 だからと言ってその幼女に、事件現場での出来事を語らせていいということにはならないだろう。


 自分とメイド以外の全員が殺された現場から、必死に生き残って来た幼女。

 しかもムルシア公が作った血だまりの中で、その亡骸に縋りついて泣き叫んでいたところを発見されたと聞く。


 そんな幼女に事件のことを思い出せと言えるのか?

 事件の詳細を根掘り葉掘り訊けと言うのか?

 こんな大勢の前でそれを語らせるのか? 


 それはあまりに酷だろう。

 誰だってそんな陰惨な殺人事件の記憶など思い出したくもないはずだ。


 しかも相手は五歳児なのだ。

 それではまるで自分が人非人にんぴにんのようではないか。


 しかし……



「はい。もとよりそのつもりです。その少女の証言以外は全て状況証拠でしかないことを勘案しますと、この場で真実を追求するためにはそうする以外にないでしょう。是非この場への招致をお願いいたしたい所存です」


 心の内とはまるで反対のことを口にするケビン。

 顔からは表情が消え、声の抑揚も失われていた。


 そんな勇者に気付いた国王ベルトランが、些かわざとらしく大仰に口を開く。

 まるで睨みつけるかの如く、ケビンに対し真正面からその鋭い瞳を投げつけていた。


「ほう。其方そなたはこの面前で少女をさらし者にするのをご所望か? ――しもの勇者も人の心がわからぬとみえる。別室での面会では不服と申すか」


「どう仰られようと結構です。私は真実が知りたいだけでございますので、そこに嘘偽り、誤魔化しは不要です。そうであれば、この場の皆様の前にてその少女と面会いたしたく」


 その言葉に、エッカールの眉が僅かに上がる。

 確認するかのようにベルトランを見ると、徐に口を開いた。


「かしこまりました。それではこの場へ少女を招致いたしましょう。――小一時間ほどで到着いたしますので、暫しそれまでの間お休みくださいませ」



 


 宰相に休めと言われてもまさか本当に休むわけにもいかず、ハサール王国側の者たちが次々と中座するのを尻目に使節団の面々はそのままの格好で席に座り続けた。

 このメンバーの中で一番若いケビンにしても長旅の疲れのために身体の節々が痛かったが、相手側の目があるうちは伸びや欠伸あくびの一つもできない。


 それでも少しだけ肩の力を抜いた状態で、出された茶に初めて口をつけながら彼は考えていた。



 その五歳児とやらがどこぞの貴族令嬢だとは聞いているが、それ以上の情報はない。

 話によれば、ムルシア公と行動を共にしていたところをたまたま巻き添えになったらしい。

 それを考えると確かに同情を禁じ得ないが、犯人たちを皆殺しにしたのはその少女だとも聞いている。


 そんな少女の口から、セブリアンの名前が出たのだ。

 もしも彼女がその名の者を陥れようとしているのであれば、そもそもその関連性に疑問符が付くような名前を出す意味がわからない。

 もしも自分が同じことをするならば、誰が聞いても納得するような者の名前を出すだろう。

 たとえそれが冤罪であったとしても。


 いや、待て。

 だからこそ彼女の言葉に信憑性があるのだろうか。

 一見関連性のない名前を敢えて挙げることによって、むしろその言葉が信用されることを目論んでいる?


 まさか。

 たかが五歳児がそこまでするわけもないだろうし、彼女自身による陰謀や策略などは考えにくい。

 それとも周りの大人たちに、その証言を強要されているのだろうか?



 ブルゴー王国を貶める目的で、ハサール王国がはかりごとを進めようとしている?


 いや、それは考えにくいだろう。

 もとよりこの国と我が国との付き合いは希薄だ。

 彼らが敢えてそうする理由が思いつかない。

 

 これまで何度も考えてきたが、セブリアン殿下がムルシア公を暗殺する理由が全くわからない。

 この両者には一体どんな繋がりがあるのだろうか。

 ハサール王国側は、紛争中の相手であるカルデイア大公国と殿下の関係を疑っているようだが……

 

 

 


「目撃者の少女が到着いたしました。それではご案内いたします、よろしいでしょうか?」

 

 会談場の呼び出しが告げると、中座していた重鎮たちが続々と戻ってくる。

 硬い表情のままケビン達が背筋を伸ばしているのを尻目に、彼らは談笑しながら席に着いた。


 その様子を見届けた呼び出しが一拍おいて部屋のドアを開くと、その場に一人の子供が姿を現した。


 

 それは小柄な幼女だった。

 五歳児にしては身体が小さく、平均的なその年齢の子供に比べると一回りは小柄だろう。


 輝くようなプラチナブロンドの髪に透き通るような灰色の瞳、そして完璧なバランスで配置された顔のパーツは、まるでよくできた人形のようだ。

 そして染み一つ無い真っ白な顔に、紅くぽってりとした可愛らしい唇が映えている。


 そんな幼女がフリルをふんだんにあしらった薄黄色の可愛らしいドレスに身を包み、トコトコと短い足で歩いて来たのだった。


 部屋に入るなり周りを見渡した幼女は、その場でぴょこりとお辞儀をした。

 それは貴族子女の挨拶である「カーテシー」だった。

 完璧な所作でそれをこなすと、彼女はゆっくりと身体を起こす。


 

 付き添いは誰もおらず、彼女は一人で部屋に入って来た。

 開いたドアの向こうに一瞬だけ若い女の姿が見えたが、恐らくあれが母親なのだろう。

 しかし一緒に入って来なかったところを見ると、この幼女が同伴を断ったようだ。


 そんなことをケビンが考えていると、その幼女が視線を投げてくる。

 そして穴が空きそうな勢いでその顔を凝視し始めたのだ。


 ケビンはその顔を何処かで見たことがあるような気がした。

 しかしどう考えてもこの幼女に会うのは初めてなのは間違いなかった。


 そんな幼女の視線に負けじとケビンが見つめ返すと、その幼女はすぐにその視線を外してしまったのだった。

 



わたくちはハサール王国レンテリア伯爵家が次男フェルディナンドの長女、リタ・レンテリアでごじゃりましゅ。招致に応じ、まかり越しました。本日はよろしくお願いいたしましゅ」


「あ、あぁ…… こちらこそ、突然の申し出を失礼いたしました。どうかお許しを……」


 まるで精巧な人形のような幼女に丁寧な挨拶をされたケビンは、思わずその身を固まらせていた。

 事前に五歳児だと聞いてはいたが、佇まい、立ち居振る舞い、そして口調、そのどれをとってもただの女児だと侮れる雰囲気ではなかったからだ。


 もしもこの場で彼女を侮ったりしたならば、何かとんでもないことが起こりそうな気がする。

 それはまるで根拠のない予感めいたものでしかなかったが、目の前の幼女を見れば見るほど、ケビンは己のその直感を無視できなくなっていくのだった。

 



 リタの挨拶にケビンが戸惑っていると、横からベルトランが声をかけてくる。

 ケビン同様に、彼もリタの姿にどこか気圧されているような気配が見えた。


「おぉ、お前がリタか。話には聞いていたが、随分しっかりとした女子おなごだな。ともかく、急に呼び出したりしてすまなかった」


「いえ、わたくちも陛下の臣下の一人でごじゃりますれば、求めに応じて馳せ参じるのは、その務めかと」


「そ、そうか……そうだな、それは大儀だった」


 まさに臣下としての淀みないその返答に、思わず国王も戸惑ってしまう。


 実は国王ベルトランも宰相エッカールも、リタに会うのはこれが初めてだった。

 人伝ひとづてに彼女の外見と年齢、そして人柄も聞いてはいたが、あのバルタサールが自ら孫の嫁にと請うたほどの逸材なのだから、どれほどの人物なのかと前々から気になっていたのだ。


 そして実際に会ってみれば、挨拶からいきなり呆気に取られた。

 貴族令嬢として完璧に近いその礼儀や振舞いは子供として見た場合は可愛げがないのだろうが、彼女の見た目がそれを補って余りあったのだ。

 どんなに大人びた所作を見せたとしても、彼女のその愛らしい外見が全てを許してしまいそうになる。


 その外見に騙されてはいけない。

 思わず二人は気を引き締めていた。

 

 


 まるで予想外のリタの姿に場の空気が引き締まると、そのまま彼女の口から事件の顛末が語られていく。

 滑舌が悪く、些か舌足らずなのは仕方なかったが、それでも彼女の口から語られるその内容は聞く者全てに事件の概要を正確に把握させた。


 そのくらいリタの説明は見事としか言いようがなく、ケビンをして唸らせるものだった。

 実は幼女に事件の説明をさせることで、辛い思いをさせてしまったり、途中で泣かれたりすることを懸念していたが、結果としてその心配は全くなかった。


 もっとも、彼女が内心どう思っているかはわからなかったが、少なくとも表面上は淡々としているように見えたのだ。



「以上ですが、ご不明な点等はごじゃりますか?」

 

 全てを語り終わったリタは、その灰色の瞳で周囲を見渡しながら最後に質問を促した。

 すると早速ケビンが口を開いた。


「その犯人たちは、リタ嬢自らが倒したのですか?」


「はい。あの者たちはわたくちが排除いたしまちた。あの時は迷っている場合ではありませんでちたゆえ、全力で事に当たったのです。いま思えば、一人くらい生きたまま確保しておけば良かったと反省するところでしゅ」


「……それは大変だったでしょう? お察しいたします。 ――それで犯人の名前はどのようにお知りになったのですか?」


わたくちが瀕死のムルシア公を介抱した時にごじゃります。治癒魔法で怪我は治せたのでしゅが、すでに失った血は元には戻らず、卿は……」


 そこまで話すと、一瞬リタの言葉が詰まったように聞こえた。

 見ればその瞳には薄っすらと涙が浮かんでいるように見える。

 しかしそれは一瞬で、すぐに彼女はその続きを話し始めたのだった。



「その時にバルタサール卿が仰ったのです。黒幕はセブリアンだと」


「その『セブリアン』なる者とは、ブルゴー王国の第一王子であるとあなたは思いますか?」


「はい。しゅくなくともわたくちはそう考えております。あの者たちもその名を口にしておりましたので、間違いないかと」


「そうですか……」


 確かにその所作も受け答えも凡そ普通の五歳児には見えない。

 しかしそれを別にしても、やはりこの事件について彼女が知っていることは少なかった。

 事件の顛末を語ることはできても、その裏に潜む真実についてはこれ以上何も出ないだろう。


 ケビンはそう思ったが、それでももう少しだけ話をしてみようと思った。



「それでは次の質問です。そのセブリアンなる人物がムルシア公の命を狙った理由をご存じですか?」


「それはわたくちあずかり知らぬことでごじゃります。何故バルタサール卿が討たれたのか、さっぱり……」


「ありがとうございます。それでは最後ですが、今回の事件についてリタ嬢の思うところをお聞かせ下さい。――疑問、意見、気になること、なんでも結構ですので自由に述べていただければ」


「はい。それではわたくちより一つだけよろしいでしょうか?」


「なんでしょう?」


「これは亡きバルタサール卿との約束やくしょくなのでこれまで黙っておりましたが、じちゅは使者しゃまには卿より伝言がごじゃいます」


「伝言? なんでしょう?」



 これまでの質問では、事前にハサール王国側が把握している以上の情報はリタから出てこなかった。

 だからベルトランもエッカールもたかくくっていたのだ。


 この幼女を使者に会わせたところで、どうせ何も出ないだろう。

 だからこの使者が最後までこちらの言い分を受け入れないのであれば、最後にはアストゥリア帝国と手を組んで軍事的な圧力をかける手筈になっていたのだ。


 しかしこの幼女は、この期に及んで誰も把握していなかったことを突然話し始めた。

 それも死んだムルシア公からの伝言などという、最重要機密に該当するようなことをだ。

 

 リタのその一言に、その場の全員が色めき立った。




「お、おい、リタ!! そんな話は聞いておらんぞ!!」


「リタ嬢!! 何故そんな大事な話をいままで黙っていたのです!? 一体どういうつもりで――」


 突然顔色を変えたベルトランとエッカールが慌てて詰問しようとしたが、そんな声などどこ吹く風と言ったていで、リタは話を続ける。

 その顔には一切の表情が浮かんでおらず、声の抑揚も平坦だった。


「これまで黙っていたことにちゅいては謝罪しゃじゃいいたします。しかしこれは亡きバルタサール卿との最後の約束やくしょくにごじゃいましゅれば、ブルゴー王国からの使者しゃま以外には容易に語れぬことでごじゃいまちた。何卒ご容赦を」


「い、いや、しかし、事前の擦り合わせもなくそのような話をされても困るぞ、リタよ!! お前の発言がこの国の未来を左右するかもしれぬのだ、わかっておるのか!?」


「はい。しょれについては重々承知しております。しかしこの話は使者しゃまに事件の真相しんしょうにご納得していただく以上のものではごじゃいませぬので、ご安心くだしゃい」


「し、しかし…… せめてその前に、我々にその内容を教えていただくわけには――」


「しょれはできませぬ。これは亡きムルシア公の最後の頼みなれば、使者しゃま以外にはお話しできないものなのです。何卒なにとじょご理解くだしゃいませ。もしもお聞き届けいただけなき場合は、わたくちはこれにてこの場を辞させていただく所存でごじゃります」


「ぬぅ……」


 まるで掴みかかる勢いで迫る国王と宰相に怯むことなく、淡々とリタは話を進める。

 その灰色の瞳で真正面から国の重鎮を見つめ返す姿には、何者にも屈しない強い意志が見えた。

 それを見る限り、最早もはや彼女を説得できる者は誰もいないかに思われたのだった。



「ご安心くだしゃい。このわたくちめが必ずやこの使者しゃまを説得してみせますゆえ。そして容疑者をしゃし出すよう、国へ持ち帰らせてみせましょう」


 突然何を思ったのか、肩から力を抜いたベルトランはフッとその顔に小さく笑みを浮かべた。

 そしてリタの言葉を了承する。


「……わかった。それではお前に任せよう。いいか? くれぐれも頼んだぞ」


 そんな国王に焦った宰相が声を上げた。


「へ、陛下!! よろしいのですか!? このような子供に勝手なことを――」


「いいのだ、エッカール。私はこの少女を信じよう。なによりあのバルタサール・ムルシアが最後に託した相手なのだ。我々が信用せずに誰が信用するのだ?」


「し、しかし……」



「もうよい!! それではこの者たちに部屋を用意いたせ。そして心行くまでバルタサールの伝言とやらを伝えてもらおうではないか。 ――いいか、皆の者。二人の話が終わるまで、誰であろうと邪魔は許さぬ。もしもこのげんが聞けぬとあらば、このベルトラン・ハサールの名において容赦なく斬り捨てる。よいか!!」

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