第100話 計略と策略と非常識

「リタ、大丈夫? 無理はしなくてもいいのよ。しばらくお勉強も休んでいいからね」


「そうだよ、リタ。とにかく今はゆっくりと休むんだ」


「かかしゃま、ととしゃま…… わかった、少しお昼寝しる……」


 王城でムルシア公バルタサール卿の暗殺事件について会議が開かれているのと同時刻、自宅へ戻ったリタは両親と祖父母から心配そうに声をかけられていた。


 現場を確認した警邏けいらから未だ詳細は伝えられていなかったが、今回の件はすでに彼らの中では「バルタサール卿暗殺事件」として捉えていたし、リタはそれに巻き込まれただけなのだと結論付けていた。


 それでもリタ自らが伝えたこともあり、死亡した犯人四人については彼女の仕業であることはわかっている。

 しかしその詳細は伏せられているため、リタが得意の攻撃魔法で相手を吹き飛ばしたのだと思う程度だった。

 

 五歳児が人を殺したことに関して、彼らは何も言わなかった。


 確かに人を殺めるのは決して褒められたことではないし、五歳児がそうせざるを得なかった状況も全く狂っていると思う。

 それでも殺すか殺されるかの極限の状況の中で彼女が必死に生き残ってきた事実は、両親、祖父母ともに安堵こそすれ、決してそれを責めることなどできなかった。


 とにかくその状況の中から生きて帰って来てくれたことはまさに奇跡としか言いようがなく、その事情を知る者は誰もが喜んでいたのだった。




 屋敷に戻って来たリタは、何処か様子がおかしかった。

 もっともあんな目にあった直後なのだから、その反応は当たり前と言えるだろう。

 むしろパニックのような状態になっていないだけでも大したものだと、周りの大人たちには感心されるほどだった。


 しかしいつもは微笑んだような顔をしている彼女なのに、その愛らしい表情は消え去り、口数も少なく、まるで能面のようになっている。

 その様子を見る限り、やはりリタは相当なショックを受けているのは間違いなかった。


 そんな彼女に声をかけると、昼寝をすると言う。

 エメラルダは一緒に子供部屋まで行くと、リタが寝付くまでずっと付き添っていたのだった。




 大人たちの前ではそんな調子のリタだったが、実はバルタサールの死についてずっと悔やみ続けていた。

 自分で自分を責め続けて、それ以外のことは何もできなかった。

 

 あの時の自分は、あまりにも稚拙だった。

 暗殺者に対してくだらない顕示欲を満たそうとしたし、力を誇示しようとしたせいで初動が遅れた。

 今思えば、どうして自分があんなことをしたのかわからない。


 前世の自分にとって、暗殺とは身近なものだった。

 魔術師として頭角を現し始めた時から始まって、その後百五十年に渡って常に誰かしらに命を狙われ続けてきたからだ。


 時に自分の才能を妬むライバルだったり、次期宮廷魔術師の地位を狙う敵対派閥だったりもしたし、王室の王位継承者に殺されかけたことさえあったのだ。

 しかしその度に返り討ちにして、相手を徹底的に潰してきた。


 その時でさえ己の力を誇示したことなど一度もなかった。

 ただ淡々と暗殺者を皆殺しにして、無慈悲に依頼主を消してきただけだ。

 自分にとって暗殺とはあまりにも日常的すぎて、そこに特別な感情など入り込む余地はなかった。

 それなのに、今回は些か事情が異なっていたようだ。



 どう考えてもそれは精神の幼児化が原因としか思えなかった。

 そう考えると全て説明がつく。


 あの時の自分は、自己顕示欲の塊だった。

 それは幼い子供特有のもので、自分の方が強いことを誇示するのに夢中だったのだ。


 くだらない。

 本当にくだらない。


 そのせいでバルタサールは死んだ。

 自分のくだらない顕示欲のせいで彼は死んでしまったのだ。

 これほど悔やんでも悔やみ切れないことはない。

 

 

じじしゃまよ……本当にしゅまなかった…… 許してくれろ……」


 目を閉じて寝息を立て始めたリタの頬に、一筋の涙がこぼれ落ちた。



 

 ――――


 

 

「あ、あの、すいません。ジョゼットさんに会いたいのですが……」


 レンテリア伯爵邸の裏庭に建てられているいささかこじんまりとした建物に、突然若い男の声が響いた。

 するとその建物の中から、見知った中年の女性が顔を出す。

 その女性は、予期しない突然の訪問者に驚いているらしく、大きな瞳を更に大きく見開いてロレンツォの顔を凝視していた。


「あれぇ? フィオレッティ先生? こんなところにどうしたんだい?」


「あぁ、ラダさん。突然すいません。そのぉ……」


 ここはレンテリア伯爵邸に住み込みで勤める者たちの部屋がある、言わば寮のような建物だ。

 その一室に、ロレンツォが目指すべき部屋があった。

 

 もちろんそれは彼の最愛の女性――ジョゼットの部屋だ。


 彼女の実家は首都の郊外の村なので、無理をすればここまで通えないこともないのだが、仕事が早朝から深夜までなのと兄弟姉妹が多く実家が手狭なため、彼女はこの寮に住んでいた。




 通行人から通報を受けた巡回警邏けいらが事件現場に到着した時、大きな血だまりの中で泣きじゃくる幼女を見つけた。

 仰向けで地面に寝転がる大柄な老人の身体に縋りつき、彼女は全身を血塗れにして泣いていた。

 それから八名の死体とともに、恐怖の表情のまま気絶している若いメイドを見つけたのだ。


 もちろんそれはリタとジョゼットだった。


 彼女たちは応援に駆け付けた別の巡回警邏に付き添われると、連絡を受けて迎えに来たレンテリア家の者に連れられて屋敷まで戻った。

 そしてリタは両親に連れられて行き、ジョゼットはメイド頭に付き添われて自室まで戻って来た。


 ジョゼットはパニック状態だった。

 メイド頭が自室に連れて行く間も、ずっとその細い身体をガタガタと震わせていたし、時折目を固く閉じて耳を塞ぐような仕草さえしていた。


 結局そのまま自室へ入れられた彼女は、しばらく仕事から外れるようにと言い付けられた。

 それは彼女の様子を心配したセレスティノの指示によるものだったが、確かにそうせざるを得ない状況ではあったのだ。


 事件の後遺症のせいで完全に怯えてしまった彼女は、どう見てもまともに仕事ができるような状態には見えなかったからだ。



 

 そんなところに、突然ロレンツォが訪れた。

 その建物は男子禁制の女性寮であることを十分承知したうえで、彼は訪ねて来たのだ。

 もちろん出迎えた中年の女性は初めこそ訝し気な顔をしていたが、彼がジョゼットに会いに来たとわかると、その顔に意味ありげな笑みを浮かべながらこっそりと建物の中へ招き入れてくれたのだった。


 彼女とてレンテリア邸で働く使用人だ。

 だから使用人たちの間で最近噂になっているこの二人のことは十分に承知していた。

 むしろ周りにそこまで話題を提供していると思っていないのは、当事者のロレンツォとジョゼットくらいのものだった。


 そんな男がこんなタイミングでジョゼットに会いに来たのだ。

 これほど極上のゴシップネタはなかった。 

 もちろん彼女もジョゼットのことは心配だったし、様子が気になってもいたので、彼女のことはこの男に任せてみようかと思ったようだ。


「先生。ジョゼットはだいぶ参っているようなんだ。少し慰めてあげてくれるかい?」 


 もっとも彼女なりに、新たな噂のネタを拾いたいだけなのかもしれなかったのだが。




 そんなわけで予想外にすんなりとジョゼットの部屋を案内されたロレンツォは、徐に部屋のドアをノックする。

 そして声をかけた。

 

「ジョゼットさん、聞こえるかい? 僕だよ。ロレンツォだよ。あの……君が心配で来てみたんだけれど……」


 ドアに耳を付けて物音を確認すると、部屋の中から小さな物音が聞こえてきた。

 その音を聞いた彼は顔に安どの表情を浮かべると、尚も言い募る。


「突然ごめん。会いたくなければそれでもいいよ、無理は言わない。一言だけ声が聞ければ帰るから……」 


 そのままドアの前で待ち続けるロレンツォ。

 無言のまま一分、二分と待っていると、小さな音を立ててその扉は開いた。

 そして小さく開いた隙間から、背の高い女性が顔を覗かせて小さな声で囁いたのだった。



「フィオレッティ先生……」


 ドアの隙間から見えるジョゼットは、どこかやつれて見えた。

 いつも優しそうな微笑みが浮かんでいるその顔はげっそりとして、笑うと可愛らしいえくぼはその影さえなかった。


「や、やぁ、ジョゼットさん。そ、その……事件の話を聞いて来てみたんだけれど……ご、ごめん、なんか余計なことを……」


「……入ってください。ここは女性寮ですよ。いつまでもそんなところにいたら、人に見られてしまいます」


「えっ、い、いいの?」


「はい。どうぞ」


 自ら会いに来たと言いながら、いざ部屋の中を案内されると慌てふためくロレンツォ。

 そんなエリート魔術師の姿にフッと小さな笑みを浮かべると、彼女はドアを大きく開けた。

 そしてそのまま彼を部屋の中に迎え入れたのだった。




 ジョゼットの部屋の中は、何かいい匂いがした。

 しかしリタ以外の女性の部屋(果たしてリタが女性と言えるかは別にして)になど入ったことのないロレンツォは、それが何の匂いなのかわからなかった。

 それでもそれは、時折ジョゼットからふわりと香る匂いであることはわかる。


 入室早々そんな香りに頭をくらくらさせていると、目の前でジョゼットが心配そうに見ているのに気が付いた。

 その姿にロレンツォは自分がここに来た目的をやっと思い出したのだった。


「あ、ええと、その、突然ごめん。しかも部屋の中にまで…… と、とにかく僕は君が心配で…… そ、そのぅ……」


 散々これまで頭の中で練習してきたというのに、その口は全く上手く動いてくれない。

 何故なら目の前に佇むジョゼットの姿が、いままでロレンツォが見たことのないものだったからだ。



 今のジョゼットは見慣れたメイドのお仕着せではなく、ざっくりとしたワンピースのような普段着を着ていた。

 背の高い彼女が両肩をむき出しにしたそんな恰好をしていると、スラリとした肢体とその手足の長さが余計に際立って見える。

 そして膝丈のスカートの裾からは、健康的な素足が晒されていた。


 いつもは後頭部で留めている薄茶色の髪はそのまま背中に下ろされて、その姿から彼女は意外と髪が長いことに気付かされる。

 下ろされた前髪の隙間からは、髪と同じ薄茶色の瞳が真っすぐにこちらを見つめていた。

 そんないつもとは違う彼女の姿に、思わずロレンツォはドキッとしてしまう。


 しかしこの状況になって、初めて彼は気が付いた。



 ここは男子禁制の女性寮だ。

 親切な住民に案内されたとは言え、男がそんなところに入り込んだ挙句に、あまつさえ一人暮らしの独身女性の部屋の中に上がり込んでいた。


 冷静に考えると、これほど非常識なことはなかった。

 ただジョゼットを心配するあまり深く考えずに来てしまったが、本来であれば男がこんなところにいて良いはずはないのだ。

 突然頭から冷水を浴びせさせられたような気持ちになったロレンツォは、慌ててきびすを返す。


「ご、ごめん!! あまりにも非常識だった!! ぼ、僕はもう帰るよ。すまない!!」


 

 慌てたロレンツォが部屋の扉に手をかけた時、突然彼の背中に柔らかい感触が伝わってきた。

 

 それはジョゼットだった。

 彼女はきびすを返したロレンツォの背中に、咄嗟に抱き着いていたのだ。

 そしてそのまま口を開いた。


「お願い、先生行かないで!! 私を一人にしないで!! お願いだから一緒にいて……うぅぅぅ……お願いだから……ぐすっ、ぐすっ……うあぁぁぁ」


 背中に抱き着いて突如泣き出した最愛の女性。

 そのシチュエーションに己の理性がガリガリと削られていくのを感じながら、それでもロレンツォはゆっくりと振り向いた。


 そしてジョゼットのむき出しの肩に両手を置くと、そのまま彼女をなだめ始める。

 それから優しく、柔らかくその身体に腕を廻すと、ゆっくりと横のベッドに座らせたのだった。



「大丈夫、大丈夫。もう怖いことはないからね。君が望むなら、ずっと一緒にいてあげるから、もう泣かないんだよ。いいね?」


「先生、先生!! 怖かったの、とっても怖かったの!! うあぁぁぁ――」


 ロレンツォの胸に顔をつけて泣きじゃくるジョゼット。

 そんな彼女の背中を柔らかく撫でながら、彼は尚も優しく声をかける。


「そうだね、怖かったね。でももう大丈夫だから。僕がついているから」



 しっかりと閉められてはいるが、薄いドアの向こうから若い女性の泣き声とそれを宥める若い男の声が聞こえてくる。


 そんな様子を確かめるように、複数のメイド服姿の女性たちが耳をダンボにして聞き耳を立てていたのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る