第101話 悲しみの二人の幼女

 暗殺事件から三日後、厳かにバルタサールの葬儀が執り行われた。

 王城広間の荘厳な式には国中の諸侯が参列し、いまは故人に最後の別れを告げているところだ。


 ムルシア侯爵家は国を代表する有力貴族であるうえに、国防の要を担っている。

 その歴史は古く、家の成り立ちを辿ると最後には国の建国時にまで遡る王国最古の貴族家だ。

 だからその当主の死はその他の一貴族の死とは比べものにならないほど重く、その葬儀も国葬扱いとされた。


 続々と弔問客が訪れる中、そこにリタの姿も見えた。

 光り輝くプラチナブロンドの髪を真っ黒な喪服で包み隠し、終始顔を俯かせている。

 この場に訪れた時から一度も笑うことなく、彼女はずっとその愛らしい口をへの字に引き結んだままだった。



 リタがムルシア家の孫息子と婚約した話は既に知れ渡っていたので、将来のムルシア侯爵夫人になる娘の姿を一目見たいと思う者は多かった。

 実際に彼女を見た者はその愛くるしい容姿に目を奪われていたが、状況が状況だけにさすがに直接声をかけてくる者はいなかった。


 何故ならリタが事件の被害者の一人であると、皆が知っているからだ。


 この場に現れた五歳児の姿は、事件のつらい記憶に無理に蓋をしているように見えた。

 眉間の深いしわも、悲しげに細められた瞳も、への字に曲げられた口も、その全てに彼女のつらい心情が滲み出ているようにしか見えなかったのだ。


 


 今回の事件は瞬く間に国中に広まっていた。

 翌日には市井の者たちの間までも知れ渡り、それには尾ひれがついていた。


 それは今回の黒幕がカルデイア大公国だというものだ。


 ハサール王国とカルデイア大公国は長年に渡り国境紛争を繰り広げている。

 ここ十年ほどは目立った動きはなかったが、それでも休戦しているわけではないので、いつ何時なんどき戦争状態になるかわからない。


 その最前線で指揮を執っているのが、誰あろう、今回殺されたバルタサールだった。

 だから来るべき軍事作戦の再開に先駆けて敵の指揮官を屠ろうとするのは十分あり得たし、これほど説得力のある話もなかったのだ。

 そして実際にムルシア領で慌ただしく軍が展開され始めると、その噂が真実であると誰もが思った。


 そんなわけで、今回の暗殺事件の真相は、いつの間にかそんな話になっていたし、国もその噂を否定しようとしなかった。

 いや、むしろ市井ではそんな話になってくれているほうが、国にとって都合が良かったらしい。



 未だ決定的な証拠が見つからない以上、国民レベルで他国の第一王子を名指しで犯人扱いさせるわけにはいかなかった。

 もしも冤罪だった場合には、国際問題に発展しかねないからだ。


 かと言って何処かにガス抜きさせなければ国民も黙ってはいないだろう。

 だから皆が勘違いしているのを良いことに、ひとまずカルデイア大公国を悪者にすることにしたのだった。




「やぁ、リタ。大丈夫? 少しは落ち着いたかい?」

 

 バルタサールの遺体に別れを告げようとしていると、リタを見つけたフレデリクが走り寄って来た。

 その瞳は赤く腫れ、直前まで彼が涙を流していたのがわかる。


 そんな婚約者に向かってリタが微笑みかけたが、その顔はちっとも笑っていなかった。

 無理に引きつった笑みを浮かべるその顔は、リタがここ数日ですっかり笑い方を忘れてしまったようにしか見えなかった。


 それでも彼女は笑顔らしきものを顔に浮かべると、婚約者に向かって会釈をする。


「はい。ありがとうごじゃります。大丈夫らいじょうぶです。すっかり落ち着きましたのれ」


「そうか……よかった。それにしても、大変だっただろう? お爺様は本当に残念だったけれど、君が助かっただけでも少しは救われた思いだよ」


 婚約者を気遣うようにフレデリクが無理に笑顔を作ると、リタの心がチクリと痛んだ。

 彼の祖父が死んだのは自分の責任なのに、ここではそれを口に出すことができない。

 今回の事件では、自分は被害者の一人でなければならないからだ。


 

 しばらく二人が雑談をしていると、今度はフレデリクの父――オスカルが近寄って来る。

 今回の葬儀で喪主を務める彼は、ここ数日あまり寝ていないらしく、父親の面影が残る厳つい顔に疲労の色を濃く滲ませていた。


 濃い茶色の髪をよく見ると、其処かしこに白いものが混じっている。

 彼の年齢は36歳だが、ここ数日ですっかり老け込んだように見えた。


「あぁ、フェルディナンド殿、エメラルダ殿。そしてリタ。この度は本当に申し訳なかった。父の巻き添えを食わせてしまい、私としても責任を痛感しているところだ。この通り、どうか許してほしい」


 そう言うとオスカルは、リタと両親に向かって深々と頭を下げた。

 そんな彼に向かって、慌ててフェルディナンドが押し止めようとする。


「いや、そんな……ど、どうか頭をお上げください。何はともあれ、この通りリタは無事でしたので、そのように詫びなどされなくても結構でございます。そのようなことをされますと、むしろこちらの方が心苦しい次第です。突然お父上を亡くされた悲しみは、私どもには察するに余りある――」


 レンテリア家よりムルシア家の方が爵位は上だ。

 だからムルシア家の者が公衆の面前で頭を下げると、互いにとってあまりいい話にはならないだろう。

 咄嗟にそれに気付いたフェルディナンドは、慌ててオスカルに頭を上げさせたのだった。



 オスカルが言う通り、リタは今回の事件ではバルタサールの巻き添えを食ったことになっている。

 もとよりリタ自身が狙われたことなど誰も知らないうえに、バルタサールが狙われる理由の方が遥かに説得力があるのだから、それは自然なことだった。


 なによりリタは真実を明かすつもりなど全くなかった。

 だから皆が思い込んでいることを否定するつもりなど、毛頭なかったのだ。


 

 そんな彼女の元に近づいて来る者がもう一人いた。

 それは母親に似てそれほど背は高くないが、それでもリタよりも一回りは大きな幼女だ。

 ただでさえ気の強そうな瞳をさらに吊り上げて、凄まじい形相でリタを睨みつけている。


「リタ!! あなた、よくもお爺様を!! こんなことになって、あなたいったいどうしてくれるのよ!!」


「エミリエンヌ……」


 そう、その幼女はムルシア家の長女で、リタと同い年のエミリエンヌだった。

 彼女はリタの姿を見つけるなり、烈火のごとき勢いでにじり寄って来たのだ。

 そして大声で怒鳴り散らす。


「あなたは魔法が得意だって言ってたじゃない!! 私に向かってあんなに得意そうに話していたのに!! それなのに……それなのに……」


 リタを目の前にして感情的に怒鳴り散らすエミリエンヌ。

 あまりに感情が激し過ぎて、母譲りの黒い瞳からは涙がこぼれ出る勢いだ。

 離れて暮らしているせいで、バルタサールとは年に数度しか会っていなかったが、それでも彼女なりに祖父には愛着があったし、家族としての愛情もあった。


 そんな祖父が突然帰らぬ人になったのだ。

 それも、あれだけ魔法の自慢をしていたリタが一緒だったにもかかわらずにだ。 

 そんなに魔法が得意だと言うのなら、祖父一人くらい助けられたのではないのか。

 彼女の瞳はそう語っていた。



「こ、こらっ、エミリエンヌ、よさないか!! リタにはなんの責任も――」


 あまりに筋違いな娘の非難を、あわててオスカルが諫めようとする。

 しかし彼女は父親の言うことなど全く聞かずに、尚もリタを責め立てた。


「どうしてお爺様を助けられなかったのよ!! どうして!? ねぇ、どうして!?」


「……」


 リタを責め立てるその言葉は、周りの大人たちにとって言いがかり以外の何ものでもなかった。

 確かにリタが魔術師の卵であり、実際に魔法を行使できるのは噂で知っていたが、それを以てバルタサールを助けられたかと言えば、それは疑問だ。


 そもそも相手はプロの暗殺者集団である上に、生まれついての武人であるバルタサールでさえ敵わずに討たれた相手なのだ。

 それをこんな幼い幼女一人で、どうにかなるとも思えない。


 それなのにエミリエンヌは、一方的にリタを非難している。

 そのあまりの様子に、さすがに周りの大人たちは眉を顰めてしまう。


「なんか言いなさいよ!! 嫌いな私にこれだけ言われて、あなた悔しくないわけ!?」


「ごめんなしゃい……」


「えっ!?」


じじしゃまが死んだのは、わたくちの責任なのでしゅ…… あの時もっと上手じょうじゅにできていれば……」


 エミリエンヌの責める言葉に、遂にリタの瞳に涙が浮かび始める。

 それまでも何度も泣きそうになっていた彼女ではあったが、なんとか今まで持ちこたえてきたのだ。

 それがいま限界に達しようとしていた。


 そんな姿を見たエミリエンヌが、焦ったような声を出す。

 そんなリタの姿は、彼女にとって予想外だったのだろうか。


「リ、リタ…… な、なによ、あなた…… きゅ、急に謝ったって、許してなんて――」




「おやめなさい、エミリエンヌ!! あなたは一体なにをしているのです!!」


 まったく言うことを聞かない娘をオスカルが扱いあぐねていると、そこに鋭い声が響いた。

 そのあまりに威圧感のこもる声に全員が振り向くと、そこにはムルシア家の若奥方――シャルロッテの姿があった。


 絶世の美女と謳われる彼女は相変わらず美しかったが、気の強そうなその瞳を吊り上げた様は、まるで般若の如き形相だった。


「お爺様の死の責任は、リタには全くありません!! それどころか、彼女はお爺様の巻き添えになったのですよ!? あなたにはそれがわからないのですか!?」


 あまりと言えばあまりな言いがかりをつけたエミリエンヌを、母親のシャルロッテが遮った。

 娘とリタの間に勢いよく身体を割り込ませると、まるで守るようにリタの身体を抱きしめた。


「あなたはなにを言っているのです!? こんなに小さな子供が、あの場で何かを出来たと本気で思っているのですか? わたくしにはそうは思えませぬ!!」


「でも、でも……」


「エミリエンヌ。確かにあなたの悲しみはわたくしにもよくわかります。そのやり場のない怒りを持て余しているのも理解できるのです。しかしリタを責めるのは間違っています。それではあまりにこの子が不憫だと、あなたは思わないのですか!?」


「お、お母様……」


「いいですか、エミリエンヌ。あなたには人の痛みがわかる人間になってほしいのです。だから敢えてこのように言っているのですよ。あなたにはわかりますか? とにかくこの子を責めるのは間違っています。さぁエミリエンヌ、リタに謝るのです!!」


「は、はい、お母様…… えぇと、リタ、ごめんなさ――」


「わちが……わちが悪いのじゃ…… わちがあの時、もっとしっかりしておれば……爺しゃまは……爺しゃまは…… ひっく、ひっく……うえぇぇぇ」



 エミリエンヌとしても、何か思うところがあったのだろう。

 あれだけ父親の言うことなど全く聞かなかった彼女だが、シャルロッテに促されるとリタに謝罪しようとした。

 しかしその前にリタが泣き出してしまう。


 するとその姿を見たエミリエンヌも、遂にその瞳から涙がこぼれ始めた。


「ふえぇぇぇん、リタ、お母様、ごめんなさーい。本当は私だって、リタが悪いだなんて思ってないのぉ―……うぇぇぇーん、言い過ぎてごめんなさぁーい!! うえぇぇぇん」


「あぁーん、爺しゃま、ごめんなさぁーい!! わちが、わちがぁー!! うわぁぁぁーん」



 祖父の葬儀の席で突然泣き始めた二人の幼女。

 そのあまりに幼気いたいけで涙を誘う姿は、周りの大人たちも思わず涙腺を緩くせざるを得なかった。

 

 そんな悲しげな泣き声が響き渡る中で、ムルシア侯爵バルタサール・ムルシアの葬儀は粛々と執り行われていったのだった。

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