第99話 死とともに動き出したもの

 ハサール王国国王、ベルトラン・ハサールは頭を抱えていた。

 それはつい今しがた、国防の要とも言えるムルシア侯爵家当主、バルタサール・ムルシア暗殺の報が届けられたからだ。


 ベルトランはその時、妻マルゴットと第一王女アビゲイル、そして第二王女ナディアとともに朝食後の茶を楽しんでいた。

 愛する妻、娘たちに囲まれながら何気ない日々の話を聞く。

 それは彼が楽しみにするささやかな日課だった。


 しかし長女はすでに15歳、次女は12歳と徐々に難しい年頃になってきていたので、この日課もいつまで続けられるかわからない。

 最近ではそんな脅迫観念にも似た想いを巡らせているベルトランだったが、端から見る限りその心配はなさそうだった。


 それは、幼少より両親の愛情をいっぱいに受けてきた娘たちは、そのまま真っすぐ成長していたからだ。

 特に次女のナディアは末子だったこともあり、とても可愛がられてきた。

 それは両親のみならず、諸侯や役人、侍女、メイド、その他の使用人など、王宮に見られる多くの者たちからもだ。

 我が儘を許すことなく、厳しさと優しさを同時に与え続けた結果、ナディアはまさに「天真爛漫」を絵に描いたような少女へと成長していた。


 姉妹の仲はとてもよく、姉は妹の面倒をよく見たし、妹は姉を慕っている。

 そんな娘二人を美しい母親が溢れるような笑顔で見守る。


 まさに幸せを体現したようなそんな時間に、突然ムルシア公の訃報がもたらされたのだった。





「生存者はレンテリア伯爵家の孫娘リタと、その専属メイドの二人だけです。その他にはムルシア家とレンテリア家の護衛騎士がそれぞれ二名ずつおりましたが、いずれも死亡しました」


「……それで、犯人の身元はわかったのか?」


「はっ。容疑者の死体を確認しましたが、何一つ出ませんでした。しかし諜報部によれば、所持していた武器の特徴から、暗殺者集団『漆黒の腕』ではないかと思われます」


「思われます……か。なにかそれを裏付ける証拠、もしく情報はないのか? 確信を持たずに動くと、初動を誤ることになるぞ」



 その日の予定を全てキャンセルしたベルトランは、午後から早速会議を招集した。

 今はこの場に集まった王国幹部たちと現状の確認を行っているところだ。

 この場の進行役は宰相のモデスト・エッカール――エッカール侯爵で、その他には主要な諸侯たちの顔も見える。


 もちろんその中にはベルトランの長男で第一王子のフェリシアノの姿もあった。

 現在18歳の彼は初めての重要会議への出席とあって、いささか緊張の面持ちを隠せずにいる。


 そして最後に、この場で一番興奮している男は、殺されたバルタサールの長男であると同時に次期ムルシア家当主が確定した、オスカル・ムルシアだ。

 本来であれば今日の昼に一家で領地に向けて発つ予定だったが、父親が殺されたことによりその予定もキャンセルしていた。

 彼以外の家族は、現在別邸で待機している。


 この場に到着した時から、彼は興奮しきりだった。

 父親としてはもちろん、武人、将軍としてもバルタサールを敬愛していたオスカルは、その突然の死に愕然とし、そして大いに悲しんだ。


 時間とともにその感情は苛烈なものへと変貌していく。

 いまでは犯人を見つけ次第八つ裂きにすると、過激に息巻いているほどだった。

 

 そんなオスカルではあったが、さすがに国王の御前でそのような姿を晒すわけにもいかず、表面上は冷静さを取り繕ってはいた。

 それでもその顔に浮かぶ表情を誤魔化せずにいる。

 しかしベルトランはそんなオスカルの想いを察して、それに関しては見て見ないふりをしていたのだった。

 


 

「恐れながら、陛下。それに関して他にも情報がございます。最後にムルシア公を看取った『リタ』なる者ですが、彼女が申すには『依頼主はセブリアン』だと。その言葉を死の直前のムルシア公本人から聞いたそうです」


「セブリアン……? ブルゴー王国の第一王子か? それ以外には思いつかんが」


「はい。恐らくその名ではないかと。今回の暗殺の実行役は『漆黒の腕』に間違いありません。そしてヤツらの飼い主がそのセブリアン第一王子だという噂も一部にはあるようです」


「そうか。しかし噂だけではな…… ところでその『リタ』なる者だが、その発言は信用できるのか? 確かお前の息子の許嫁だったな? オスカルよ」


 ベルトランは対面に座るオスカルに発言を促す。

 その合図に軽く一礼すると、まるで苦虫を噛みつぶしたような表情を変えることなく、オスカルはそのまま口を開いた。



「はっ。そのリタは、我が息子フレデリクの婚約者に間違いございませぬ。私どもは今日の午後から領地に戻るところでしたので、それまでに彼女は息子に会いに来る予定でございました。それを父が単身迎えに行ったのですが……屋敷に向かう途中にこのような……」


「あ、いや、わかった。もういい。すまぬな、オスカル。お前も辛かろう。……一つだけ教えてくれぬか? その『リタ』とはどのような女子おなごなのだ? こう言ってはなんだが、信用はできるのか?」


「はっ。リタは信用できます。私自身は彼女に昨日会ったばかりですが、その幼い年齢を感じさせない聡明な子供にございました。なにより、わが父バルタサール自らが孫の嫁にと請うたのです。私にはそんな父の目を疑うことはできませぬ」


「わかった。それではリタの発言はこの会議において正式に記録するものとする。異論のある者は?」


 この場の出席者に向かってベルトランが尋ねても、それに異を唱える者はいなかった。

 その結果に満足そうな顔をした彼は、早速決を採ることにする。



「それでは今回のムルシア公暗殺事件の第一容疑者を、ブルゴー王国のセブリアン第一王子ということに決定する。それでよろしいか?」


「異論ございません」


「同じく」


「同じく」


 ……




 会議が始まってすぐに満場一致で容疑者は決まったが、その反面、誰もが同じ疑問を持っていた。

 それはセブリアンがバルタサールを暗殺する理由だ。

 これまでの過去を思い返してみても、どうしてもこの二人の繋がりが思い浮かばない。


 もとよりブルゴー王国とハサール王国は、地理的にも間にアストゥリア帝国を挟んでいるので、これまでも直接の付き合いはなかった。

 歴史を紐解いてみても、互いの王族間で婚姻関係を結んだ事実もなければ人の行き来もほとんどない。


 それに対し、ベルトランの妻はアストゥリア帝国の皇帝の娘なので、両国は同盟関係にある。

 だから、そもそもアストゥリア帝国の敵国とも言えるブルゴー王国との付き合いがある方がおかしいのだ。


 そんな二国間の関係ではあったが、領土が直接隣り合っていないこともあり、付き合いがないのと同様に、直接的な争いや諍いなどもこれまでなかった。

 それなのに何故このタイミングでそんなことを仕出かしたのか、その理由が全くわからずにこの場の全員が頭を悩ませていたのだ。



 当然のその疑問を、まるで全員の代弁者であるかのように宰相のエッカールが口に出した。


「容疑者はそれでいいとしましょう。しかしそれを犯人だと断定するには、その動機を明らかにせねばなりません。疑うわけではありませんが、五歳児のげんと噂と状況証拠だけでは、セブリアンを追及などできません。仮にも他国の第一王子なのですから、動かぬ証拠を突きつけなければ言い逃れをされて終わりでしょう」


「確かに……」


「うむ……」


 エッカールの言葉に、この場の全員が押し黙ってしまう。

 話を聞く限り、今回の真犯人はセブリアンに間違いないのだろうが、動機も、彼を追及する方法も思い浮かばない。



「セブリアンがムルシア公を暗殺する動機は? そこにどんな利害が? 皆さまの忌憚なき意見をお聞かせください」


 エッカールはそう言うが、その問いに明確な答えを持つ者はもちろんいない。

 しかしその中から、一人の諸侯が声を上げる。


「それでは、カルデイア大公国の線は? 未だ休戦状態とは言え、我が国との国で争っているのは事実です。しかもその最前線はムルシア侯爵領ではないですか」


「あぁ…… もしかしてカルデイア側が動き始めるとか?」


「なるほど……それに先だって、バルタサール将軍を亡き者にしたと? ふむ、その線もあり得るな。しかしその場合であっても、セブリアン第一王子とカルデイア大公国との繋がりは?」


「それは……不明だな」


「うむ……」


 進行役の宰相が言った通り、その場には忌憚のない意見が幾つも出た。

 しかしそのどれもが説得力に欠けたり、根拠が曖昧だったりして、この場で正式な記録に残すほどの意見は最後まで出ることはなかった。


 しかしそれを承知の上でも、この会議を進めなければならない。

 この場でこれ以上意見を促したところで、これ以上のものにはならないと判断した国王ベルトランは、場を締めようとする。



「様々な意見を出してくれたことに感謝する。――それでは今後、カルデイア大公国の動きを注視するように。この場で言うのも心苦しいが、オスカル、ムルシア家での家督の引継ぎを急いでもらいたい。そしてムルシア領内にあるカルデイア大公国との前線の動きに気を配ってほしい。少しでも動きが見られ次第、報告するように」


「はっ。承知いたしました」


「それから、モデスト」


「はっ」


「我がハサール王国は、ブルゴー王国宛てに正式に抗議の文書を送ることとする。その内容はセブリアン第一王子の身柄の引き渡しだ」


「承知いたしました。――しかし、当然のように断ってくるでしょうな。証拠を出せとも言われるでしょう」


「そんなものは先刻承知だ。ブルゴー王国側がこちらへ使節を送らざるを得ない状況になればそれでよい。そのために、私の方でも手を廻しておこう」



 エッカールの顔に含みのある笑みが浮かぶ。

 敬愛する国王の言葉の裏にある真意を理解した彼は、何やら面白そうな顔をして頷いた。


「畏まりました。――お任せください。ブルゴー王国には精々大仰な抗議文を送りつけて差し上げましょう」

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