第98話 幼女と彼の本気


「魔女アニエス……だと!? いったい何を――」


 目の前で繰り広げられる会話がまるで理解できないバルタサールは、最早もはやただの傍観者となっていた。

 黒ずくめの男とリタの間に交わされる会話をぼんやりと聞きながら、その言葉の意味を考え続ける。


 いまのいままでずっと「リタ」だと思っていた幼女は、実は「リタ」ではなかった?

 それでは彼女は誰だと言うのか。

 

 ――あの男は「魔女アニエス」だと言った。


 そして「リタ」はそれを否定しなかった――いや、それどころか、むしろ肯定する言葉さえ吐いたのだ。

 しかも、あの口調はなんだ?

 圧倒的強者が弱者を見下すようなあの言葉、話し方。


 あれが「リタ」なのか?


 「魔女アニエス」と言えば自分でも知っている。

 それは最強の魔術師として世に名を馳せるブルゴー王国の宮廷魔術師であり、数年前から行方不明になっている者の名だ。


 何故その名がここで出てくる?

 どうしてリタはそれを否定しない?


 わからない、全然わからない。

 いったいこいつらは何を言っているのだ?



 二人の会話を聞きながらバルタサールが混乱していると、突然男の頭が吹き飛んだ。

 それは少し離れたところでメイドの少女に剣を突き付けていた男で、まさに人質を取られた状態だったのだ。

 気付けばその男の頭が無くなっていた。


 突然真っ赤な大輪の花を咲かせたように見えたかと思えば、生々しい音を立てて「それ」は地面に倒れ伏す。

 その横には恐怖とショックのあまり、今にも叫び出しそうな少女の姿があった。


 しかし彼女はその顔のまま完全に固まっていた。

 少女――ジョゼットはその姿のまま気を失っていたのだった。



 その時、バルタサールの背後から音が聞こえた。

 それは金属が擦れ合う甲高いもので、武人である彼には馴染み深いものだ。

 

「死ねっ!!」


 キーンッ!!


 それは暗殺者の鋭い一撃だった。

 バルタサールは背後からの斬撃を受け止めると、その場で斬り合いを始める。

 そして二合、三合と切り結んでいく。


「うぬっ!! 速い!!」


 相手の攻撃スピードに、思わず口から言葉が漏れる。


 相手は暗殺のプロだ。

 恐らく幼少時から人を殺す技を叩きこまれてきたのだろう。

 その動きは長年剣技を磨き続けてきたバルタサールにして苦戦を強いられるものだった。


 なによりその全身を使った攻撃は読みづらく、突然蹴りを放たれたかと思えば、足先に刃物が仕込まれていたりもするのだ。

 そんなおよそ剣士としての常識が通用しない相手に対して、それでも己の技を合わせていくバルタサールは、四合、五合と切り結んでいく。



 そんな彼の背後では、リタが突然地面から土の壁を引き出していた。

 その壁で自分とバルタサールの姿が隠れるようにした直後、その土壁に複数の棒が勢い良く突き刺さる。


 それは吹き矢だった。

 護衛騎士四人が瞬時に殺されたのと同じ「毒吹き矢」で、それ一つで巨体の馬が事切れたところを見るに、たとえかすり傷であっても致命傷になるだろう。

 そんなものが幾つも土壁に突き刺さっていた。


 何が飛んで来たのか確認する間もなく、リタは両手を土壁に添える。

 次の瞬間、壁を突き抜けて幾つもの火炎弾丸ファイヤーバレットが男たちに襲いかかった。


 しかしさすがは裏の世界で名を轟かせる組織の一員と言うべきか、彼らはまるで軽業師のような身のこなしでそれを回避する。

 それと同時に、再びリタとの距離を詰めようと走り寄る。



 魔術師から距離をとるのは悪手だ。

 離れれば魔法詠唱の時間を与えてしまい、近づけないまま攻撃魔法を食らう危険が高くなる。

 それを十分に理解している男たちが、必死に近づいて来る姿が見えた。


 リタのところに到達するまで、約三秒。

 普通の魔術師であれば、そんな短い時間で唱えられる攻撃魔法などあり得ない。

 そのまま斬り殺されて終わっていただろう。


 しかしリタにそんな常識など通用しなかった。

 彼女が再び両手をかざすと、そこから無数の光の矢が放たれたのだ。

 

 咄嗟に反応したリーダーは横っ飛びにそれを避けたが、その後ろにいた男は胸から腹にかけて拳大の穴を三つ開けてその場に崩れ落ちた。



 四人の暗殺者のうち二人はリタが片付けたが、その後ろでバルタサールは苦戦していた。

 すでに十合以上切り結んでいたが、次第にその巨体が後退っていく。


 バルタサールの持つ剣は一般的なブロードソードだ。

 それは厚めの両刃のつるぎで、その剣自体の重さで鎧ごと相手を叩き切るものだ。

 言うなればそれは両刃の「なた」に近いもので、お世辞にもそれ自体の切れ味は鋭くない。

 剣自体の重量も重く、ある意味腕力に物を言わせて相手を撲殺する鈍器に近いとも言える。


 それに対して暗殺者のものは湾曲した細身の剣で、それ自体の切れ味も相当鋭い。

 その鋭く光を反射する姿は、まるで「剃刀かみそり」を見た時の「ぞっとする」感覚を思い出させる。

 

 もちろんそんな細身の剣なので、バルタサールの斬撃を真正面から弾き返そうとはせず、まるで曲芸のようにその身体ごと、文字通り「避けて」いた。

 

 暗殺者はバルタサールの胴体ではなく、剣を持つ手や手首、すね、足先などを執拗に狙ってくる。

 しかもその動きは手首のスナップを多用した予備動作の少ないもので、力ではなくスピードと剣の切れ味を生かすものだ。


 そんな攻撃をされた経験のない彼は、すでに右手の人差し指を半ばから切り落とされ、右の脛には骨にまで達する深い切創ができていた。

 その鋭く早く、細かい攻撃に対応しきれないバルタサールは、次第に相手ではなく自分自身にイラつくようになっていく。



 騎士、剣士としての己の剣技には、それなりの自負はあった。

 武家貴族の長男として生まれ、幼少時から当たり前のように剣技を叩きこまれたのだ。

 若い頃は剣闘大会で何度も優勝したし、実際にその剣技で数えきれないほどの敵を屠っても来た。


 その経験と技がまるで通用しない相手がここにいた。

 相手の方がスピードも技も上回っている。

 自分が勝っているのは力くらいのものだ。

 しかしそれも当たらなければ意味がなければ、その攻撃は全て避けられていた。


 そんな己の心情を吐露するかのように、バルタサールは思わず叫んでしまう。 


「この卑怯者め!! 正々堂々と――」


 まるで腹から絞り出すかのようなバルタサールの声。

 しかしそれに応える声はなく、その代わりに彼の背中からは一本の剣が生えたのだった。




 一瞬の隙を突かれたバルタサールは、気付けば腹から細身の剣を突き刺されていた。

 鍛え抜かれているとは言え、年齢のせいでいささか恰幅の良い腹。

 そこから入った細身の剣は、そのまま背中まで突き抜けたのだ。


 身体の中心を灼熱が通り抜ける。

 そして次の瞬間、耐え難い激痛が襲いかかると同時に思わず片膝を突いてしまう。

 それでもバルタサールは鋭い視線で相手を睨みつけていた。

 

「――死ね」 


 明らかに致命傷を負っているのにもかかわらず、諦めようとしないバルタサール。

 そんな彼に無表情な視線を投げながら、男は無感情に言い放つ。

 それと同時に未だ突き刺さったままの剣を真横に薙ぐと、腹の部分で半ば切断されたバルタサールの身体は、真っ赤な血しぶきを上げながら倒れ伏したのだった。




じじしゃま!!」


 声もなく倒れたバルタサールに気付いたリタは、思わず悲鳴を上げてしまう。

 今すぐにでも治癒魔法をかけに行きたいところだが、状況がそれを許さなかった。 

 背後にはバルタサールを斬り捨てた男が一人、そして正面には暗殺者のリーダーが未だ無傷で残っている。

 

 そんな二人が同時にリタに斬りかかって来た。

 すでに一言も言葉を発しない様子からは、最早もはや彼らが一秒でも早くリタを殺そうとしているのは間違いない。


 しかしそれはリタも同じだ。

 彼女は一秒でも早くこの二人を倒して、一秒でも早くバルタサールに治癒魔法を唱えなければならないからだ。


 治癒魔法はあくまでも怪我などの外傷を治す力しかない。

 切断された手足を繋ぐことはできないし、失われた血液を元に戻すこともできないのだ。


 見れば胴体を半ば切断されたバルタサールの身体からは、おびただしい量の血が流れ出ている。

 可能な限り早く傷を塞がなければ、このままでは出血多量で死んでしまうだろう。



 そんなことに気をとられていたリタは、男二人の接近を許してしまう。

 そして前後から同時に斬りかかられた。


 しかし二人の剣がリタの身体を斬り裂くことは永久になかった。

 何故なら彼らの剣が届く前に、その頭が胴体から切り離されていたからだ。

 リタは左右の指二本を小さく動かしただけで、二人の暗殺者を屠っていたのだった。


 手の届く距離であれば、指を動かすだけで相手の頭を切り離すことができる。

 それは無詠唱で風刃ウィンドカッターを発動できる彼女ならではの戦い方だった。


 それを知る者は、決して彼女に近づこうとはしない。

 自分が剣を振り下ろすよりも、彼女が指を動かす方が早いからだ。

 かと言って遠く離れれば、遠距離魔法攻撃で滅多打ちにされる。


 生前のアニエスが最強の魔術師と謳われていたのは、近接戦闘でも誰も敵わなかったからだった。




 盛大に血を吹き出しながら倒れ伏す二人の身体。

 しかしそんなものに目をくれることもなく、リタは全速力でバルタサールに駆け寄るとそのまま治癒魔法を詠唱した。


 次第に傷が塞がり、流れ出る血も止まっていく。

 そして完全に無傷の状態に戻ったのを確認したリタは、必死に義理の祖父になる男に声をかける。

 すでにその呼び声は悲鳴に近いものだった。


「バルタサールしゃま!! お爺しゃま!! しっかりしてくろ!! なぁ!! 返事をしてくろ!!」


 見たところ傷自体は完治しているのに、一向に目を覚まさない。

 慌ててリタが胸に耳をつけると、未だ心臓の音は聞こえていた。

 しかしその鼓動は弱く、今にも止まってしまいそうだった。


 恐らく出血が多すぎたのだ。

 輸血などの医学的処置の存在しないこの時代では、こうなってしまえばあとはその者の持つ本来の治癒能力に頼るしかないのだろう。

 しかしそのあまりにも青ざめた顔を見る限り、それはすでに手遅れに見えた。


 今はまだ動いているが、その心臓もいつ止まるかわからない。


じじしゃまぁー!! うえぇぇぇ!! |爺しゃまぁぁ!! しっかりしてくろぉー!! あぁぁぁーん!!」



 大きな血だまりの中心に倒れる大柄な老人と、その横で泣き叫ぶ小さな幼女。

 そんな光景が暫く続いた後に、突然小さな声が聞こえた。

 

「……おぉ、リタよ……無事か?」


 それはバルタサールだった。

 とても小さく弱々しいその声は筋骨隆々の大柄な身体には全く似合っておらず、実際に動いているのもそのひび割れた唇だけだ。


「あぁ!! じじしゃま!!」


「お前がこうしているということは……全員倒したのか?」


 目を開けてはいるが、その瞳には何も見えていないらしい。

 それに気付いたリタの瞳からは、さらに大粒の涙が零れた。


「うん、うん!! あいつらは全員わちが倒した。だから安心せぇ。もう大丈夫じゃ」


「……そうか。お手柄だな、リタよ。 ……お前なら、きっとムルシア家を背負っていける……わしは安心したぞ……」


大丈夫らいじょうぶ、どんなやちゅが現れても、わちが守っちゃる!! だから――」


「そうか……お前がそうだったのか……なるほどのぉ……これでわしの疑問も……」


「なんじゃ? なんの話じゃ!? ええから、しっかりせぇ!!」


「なんでもないぞ……それよりも、フレデリクを……頼む。あやつはああ見えて、意外と強い……しかし弱いところも多いのだ」


「わっかちょる!! わちに任せるのじゃ!! わちが必ず盛り立てるからの」


「そこを……支えてやってくれ……」


「うん、うん。当たり前じゃ。わちの夫になるのじゃからな!!」


「礼を言う…… お主になら、可愛い……孫を任せられる……いいか、頼んだぞ」



 次第にバルタサールの声が小さくなってくる。

 すでにその声は唇に耳を付けなければ聞き取れないほどだった。


「バルタサール!! 爺しゃま!! しっかりせぇ!!」


「……エミリエンヌと……仲良くしてやってくれ……」


「あぁ、当たり前じゃ!! あやちゅはわちの義妹ぎまいじゃからな!!」


「そうか……感謝する……『ブルゴーの英知』よ……」  



 バルタサールの口から、深く息が吐き出される。


 そして二度と吸うことはなかった。

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