第97話 絶体絶命

「くそっ、毒吹き矢かっ!!」


 叫びながら地面に膝を突くバルタサール。

 その前に、四人の黒づくめの男たちが姿を現した。

 その姿は皆一様に顔を隠しており、見えているのは目の部分だけだった。

 

 頭から足先まで真っ黒な装束で身を包み、その片手には見たことのない片刃のツルギが握られている。

 彼らが誰かは知らなくても、その特徴的なつるぎからその正体がわかったらしい。

 見る者が震えあがるような鋭い視線とともに、バルタサールは口を開く。


「ほう。お主らがあの有名な暗殺組織の連中か。――確か漆黒の……なんちゃらとかいう名前だったな。噂では聞いていたが、この国にもいたとはな」 


「……すでに邪魔者は消した。最早もはや助けなど来ぬ。死ね」


 黒ずくめの男の言葉を聞いたバルタサールが周りを見渡すと、四人の騎士は既に事切れていた。

 彼らの身体には皆一様に吹き矢が生えており、見る限り全員が毒殺されているのは間違いなかった。


 しかしその中に一人だけ動いている者がいた。

 それは背の高いメイド服の女性――ジョゼットだ。


 彼女は尻の周りに水たまりを作ったまま、恐怖のあまりガタガタと全身を震わせていた。

 その様子を見る限り、怪我もなく無事らしい。




 その姿に一瞬視線を向けたバルタサールだったが、再び鋭い目つきで目の前の暗殺者を睨みつける。


「依頼主は誰だ!? 目的はなんだ!? ――などと訊いてみたところで言うはずもないな。……ふんっ、大方依頼主はカルデイア大公国で、目的はわしの命といったところなのだろう」


 まるで汚物を見るような目つきで吐き捨てると、バルタサールは腰の剣に手を伸ばす。

 しかし胸の中にリタを抱えているために、どうやら身体の自由が利かないようだった。


 そんなムルシア家当主に、黒ずくめの男が言葉を投げる。

 その口調には何処か嘲るような響きが混ざっていた。


「おいじじい!! どれほどの者か知らぬが、我らは貴様なんぞに用はない。さぁ、そこにリタというガキがいるはずだ。出してもらおうか」


「リタ!? 何故にリタなぞ……」



 裏の世界で有名な暗殺者集団が、ただの幼女でしかないリタの命を狙う意味がわからない。

 そもそもこんな幼女の命を奪ったところで得をする者もいないだろう。


 仮に自分が命を狙われると言うのであれば、それは十分に理解できる。

 何故なら隣国のカルデイア大公国とは、長年に渡って国境紛争を繰り広げているからだ。


 ここ十年近くに渡って小康状態を保ってはいるが、隣国とは未だ休戦しているわけではない。

 いつ何時戦争状態に逆戻りするかもわからないのだ。


 その軍隊を所有して、将軍として指揮しているのは自分だ。

 だからカルデイア大公国側が近く大規模な軍事行動を予定する場合、それに先立って自分を消そうとするのは当然あり得る。


 一体どこの世界に、高額な依頼料を払ってまでただの幼女を殺そうとする者がいるのか。

 それともリタ自体ではなく、レンテリア家に恨みを持つ者なのか。


 あるいは、リタの代わりにムルシア家の嫁の座を狙う――いや、現当主の目の前で、それは有り得ないか。

 

 レンテリア家の転覆を狙ってリタを消す?

 ――それこそ意味がわからない。



 そんなことを考えながらバルタサールが訝し気な顔をしていると、腕の中からリタが顔を出す。

 自分の名を出されたのに気付いた彼女は、自身を覆い隠している太い腕から身体を引き抜いた。


「リタ、危ないぞ。ここに隠れているのだ」


「大丈夫れす。自分の身は自分で守れましゅゆえ」


 そう小さく呟くリタの顔には、凄まじいまでの怒りが満ちていた。





「――ほう、貴様がリタか。オルカホ村のリタで間違いないか?」


 まるで値踏みするように、幼女の全身をじっくりと眺める黒ずくめの男。

 その瞳には若干の迷いが見て取れた。

 するとその迷いを助長するかのように、リタが口を開く。


「さて、なんのことでございましゅ? わたくちはリタ・レンテリアでごじゃりますれば、『オルカホ村のリタ』など、そんな者は知りましぇぬが」


「……」


「それはそうと、これはなんなのでしゅ? わたくちがレンテリア伯爵家の者と知っての狼藉でしゅか? このようなことを仕出かして、ただで済むとお思い?」


 バルタサールの横に仁王立ちすると、まさに貴族令嬢然とした態度でリタが言い放つ。

 些か舌足らずで滑舌も悪いが、それでも居丈高に声を上げる姿はまさに生まれついての貴族令嬢以外の何ものにも見えなかった。

 

 その姿を見た黒ずくめの男たちの間に、迷いのようなものが見え始める。

 リーダーの男の背後では、残りの三人が小さな声で話をしていた。



「おい、本当にあのガキがアニエスなんだろうな? もしも違っていたらどうするつもりだ? また人探しから始めるつもりか?」


「いや、これ以上は依頼主も待ってはくれぬ。このままでは我らも粛清されてしまう」


「……こうなったら人違いでも構わぬ。あのガキの死体を魔女だとたばかって届けてもわからぬだろう」


「仕方あるまい……最悪、そうさせてもらおうか」





「お、おい、リタ、迂闊に口をきくな。それに身を晒しては危険だ、わしの背後に隠れておれ」


 身を乗り出して身体を晒し、突然黒ずくめの男たちと会話を始めたリタ。

 その横顔にバルタサールが咎めるような言葉をかける。

 そうしながらも、彼の視線は忙しなく動き続けた。

 バルタサールはこの状況を切り抜ける術を探し続けていたのだ。



 己の予想が正しければ、目の前の四人は裏の世界で名高い暗殺者集団の者たちに違いない。

 確かに自分も剣技には多少の自信はあるが、さすがにあのプロ四人を同時に相手などできるわけもない。


 いや、それどころか一人ですら危ういかもしれない。

 なにせ相手は暗殺のプロであって、剣士ですらないのだ。

 相手の命を奪うためであれば、どんな卑怯な手でも使ってくるだろう。


 現に護衛騎士四名は全員毒吹き矢で殺された。

 いまもその気であれば、それを使ってくるはずだ。

 

 リタを抱えたままでは、ここから逃げることも叶わない。

 果たしてどうするべきか……


 しかし奴らは何を迷っているのだ?

 もしかして人違いなのではないのか?

 奴らが捜しているのは、別の「リタ」なのか?

 もしも人違いと言うのであれば、奴らは見逃してくれるのか?

 

 ……いいや、それはないだろう。

 奴らは「オルカホ村のリタ」と言ったのだ。

 そしてこの幼女が生まれ育ったのも「オルカホ村」だ。


 つまりはそういうことだ。

 くそ、何とかリタだけでも……




 バルタサールが再び周囲に視線を飛ばしていると、リタが再び声を上げた。

 その姿には、明らかに自分の命を狙う相手に対して一歩も引かない意思が見て取れた。


「それではお訊きいたしましゅ。わたくちがその『オルカホ村のリタ』ではないとして、このまま生きて返していただけるのでしゅか? それとも――」


「ふふっ――生かして返すわけがなかろう。我らの姿を見た以上は死んでもらう。もしも人違いであったというならば、己の不運を呪うがいい」


 リタの問いを遮ると、鼻で笑いながら答えるリーダーの男。

 その背後では残りの三人が扇状に広がり始め、瞬く間にリタたちの退路を断つ位置にまで移動していた。

 


 自分が「オルカホ村のリタ」であろうとなかろうと、どのみち生かして返すつもりなどない。

 この黒ずくめの男ははっきりとそう言い切った。

 そして残りの三人の動きを見る限り、その言葉に嘘はない。

 

 言質げんちは取った。

 

 ならば答えは一つだけだ。




「……ほう、なかなか察しがええのぉ。わちがその『リタ』じゃと、なぜわかった?」


 リタの口調が突然変わる。

 直前までの貴族令嬢然とした口調を一変させると、リタはその灰色の瞳を鋭く細めて男たちを睨みつけた。


 いまの彼女には五歳児の面影などはまるで見えず、その可愛らしい声を除けば、そこにはまさに歴戦の老魔術師の姿があった。


「リ、リタ……お主、突然どうした? 何を言っておる?」


 突然豹変したリタの様子にバルタサールが思わず声をかける。

 すでに背後まで敵が回り込んでいることさえ忘れて、彼は目の前の五歳児に釘付けになっていたのだった。



 リタの言葉を聞いた途端、覆面の男の顔に笑みがこぼれた――ように見えた。

 実際には覆面に隠れて全く表情はわからなかったのだが。


「ふふふ……やはりそうか。『オルカホ村のリタ』――ではなく、魔女アニエス!! 我らはお前を探していたのだ!! さぁ、おとなしく地獄へ行け!!」


「なかなか威勢がええな。嫌いではないじょ。じゃが、そう簡単に殺れると思っておるのか? いまはこんな姿しゅがたじゃが、わちを見くびらん方がええ」


 懐からピンクの魔女っ子ステッキを取り出すと、リタはそのまま相手を指し示す。

 薄青色のフリフリドレスを着てピンクのステッキを振り回すその姿は、市井の児童演劇の魔法少女に似てとても可愛らしく見えた。


 その顔に浮かぶ凶悪な表情を除けば、だが。


「おまぁらの飼い主――セブリアンは相変わらず暗い顔をしておるんか? そんな顔ばかりしちょるから、嫁に嫌われるのだと言うてやれ」


「……やかましい。時間稼ぎも大概にしろ」




 リタがピンクのステッキを振り上げると、男が横に向かって指を差す。

 そこには剣を首に突き付けられて、恐怖のあまり卒倒しそうになっているメイドの姿があった。

 最早もはや何処を見ているのかもわからないほどに、彼女の目は焦点が合っていなかった。


「おっと、そこまでだ。それ以上動くなよ。それと魔法の呪文も口にするな。少しでも動いたり一言でも呪文らしきものが聞こえたら、この女の命はないと思え」


 何を思ったのか、警告を聞いたリタは身体から力を抜くと両手をだらりと下げる。

 それから愛らしい灰色の瞳を細めると、まるで火を噴くかのような勢いで男を睨みつけた。

 覆面のせいで男の顔は見えないが、間違いなくその顔が笑っているのがわかる。




「そのおかしな棒も捨てろ。……そうだ、そのまま前へ蹴飛ばせ。――よし、いいぞ」


 リタは男の言いなりだった。

 手に持った魔女っ娘ステッキは捨てさせられ、呪文の詠唱も禁じられて、さらに身体の動きも封じられてしまった。


 杖を持たず、呪文も唱えられない魔術師はただの人だ。

 まさしくそれは剣を取り上げられた剣士に等しい。

 だから魔術師の力を削ぐのであれば、口を塞ぐか呪文を詠唱する時間を与えなければいい。


 いくら敏腕の魔術師であったとしても、呪文の詠唱には数秒の時間が必要だ。

 しかも集中して声に出して唱えなければならない。

 だから目の前に敵がいるような近接戦闘に巻き込まれると、その時間も与えられずにあっさりと殺されてしまう魔術師も少なくなかった。


 そもそも後方支援専門職であるはずの魔術師が、近距離で敵と対峙している時点で状況的に詰んでいる。

 きっとリタは、呪文を詠唱する時間さえ与えられずに殺されてしまうだろう。

 バルタサールを含め、この場の全員がそう思っていた。



 まるで諦めたかのように全身から力を抜いたリタ。

 その姿を見た黒づくめの男は勝ち誇ったような声を上げる。

 その声には些かの興奮が混じっていた。


「ふんっ、何が最強の魔術師だ!! そんなもの、所詮は後方支援要員でしかないのだ。このように呪文を唱える時間さえ与えなければ、魔術師など恐るるに足りぬ。見てみろ、近接戦闘ではなんの役にも立たぬではないか。まったく愚かな。最強魔術師が聞いて呆れるわ!!」


 前世では最強の魔術師の名を我がものにしていたアニエス。

 そんな人間を簡単に追い詰められた。

 このまま依頼を達成できれば、依頼主の粛清を恐れる日々からも抜け出せる。


 予想外の出来事に男は浮かれていたのだろうか、およそ暗殺者とも思えないほどに饒舌だった。


 

 まるで嘲るようなその言葉に、リタは片眉を上げる。

 魔法の杖を捨てさせられ、呪文の詠唱を禁じられた彼女ではあったが、その表情には何処か余裕が感じられた。

 その顔を見る限り、自分が追い詰められているなどとは微塵も思っていないようだ。


「ほう、言うてくれるのぉ。何故わちが最強と言われてきたのか、おまぁ、知らんのか?」


「知らぬな、そんなもの。杖を取り上げられた魔術師など恐るるに足りぬ!!」


「ほう――これでもか?」


 そう言うや否や、まったく予備動作のないまま無言で右手を前に突き出すと、リタの掌から光の塊が放たれる。

 次の瞬間、ジョゼットの首に剣を突き付けていた男の頭が消し飛んだ。



「なっ!!」


「わちが魔法を使ちゅかうのに、杖や呪文に頼ると思うか? おまぁは何を聞いてきた? 誰を相手にすると言われてきた? わちが誰だか知っちょるのか?」


「な、な、な……」


 杖を使わず、呪文も詠唱せずに突然魔法を放った。

 そして一撃で仲間の頭を吹き飛ばしたのだ。

 

 そのあまりの衝撃に、覆面の男は思わず言葉を失っていた。


 そんな男を凄まじい目つきで睨みつけたまま、リタは叫んだ。



「さぁ、わちは誰じゃ? わちの名前を言うてみぃ!!」

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