第96話 朝のお迎えと突然の来訪者

 リタとフレデリクの婚約の儀は、その後の食事会と茶会も含めて無事に終了した。

 とは言え、大小様々なトラブルが発生したのは事実だったし、最後には義妹ぎまいになる予定の幼女と叩き合いの喧嘩をするというオチまでついてしまったのだが。


 それでも二人は最後には和解をした。

 もっともそれは、それぞれの母親から懇々こんこんと説教をされた挙句の苦渋の選択でしかなく、彼女たちが心の底から許しあったとは到底言えないものだった。


 この先二人は親戚になるのだ。

 リタは兄の妻――義姉ぎしになり、エミリエンヌは義妹ぎまいになる。

 だからできるだけ早く二人の仲を正常に戻したいところだが、彼女たちの性格が互いに相容れないために中々難しいのではないかと思われた。


 一番の原因は、彼女たちが同い年だという点だ。

 二人は同じ五歳であるうえに、誕生月まで近かった。

 それなのに片方は姉で、片方は妹になる。


 それも人一倍プライドが高いうえに我が儘なエミリエンヌの方が妹になるという時点で、揉めるのは目に見えていた。

 その証拠に彼女はリタにマウントを取る気満々だったし、当日も初対面であるのにいきなり口汚く罵った。


 もっともこればかりは誰にもどうにもできない問題だ。

 二人が自制心を身に付けるまで成長するのを待つしかない、そう誰もが思うのだった。




 周りの者たちが見る限り、フレデリクとリタの相性は悪くなさそうだ。

 ご存じのようにフレデリクは気弱でおとなしく内向的な性格をしているし、その反対にリタははっきりとものを言う押しの強い性格をしている。

 それに加えて彼女は、老人と幼女の特徴を併せ持つ滅多にない性格だった。


 もっとも余所よそ行きのリタはまるで本心を見せない猫の被り方をしているし、相手によってキャラを演じ分けることもする。

 もちろんそれは前世で100年以上に渡り宮廷魔術師を務めてきた彼女の処世術のひとつであり、物事を優位に進めるテクニックでもあった。


 前世での彼女は、その本心、本性を人前に晒すことなどはまずなかった。

 しかし精神の幼児化が進んだ今となっては、すっかり堪え性のない性格になっていたし、今回のエミリエンヌとの喧嘩のせいで、その本性もバレていた。



 しかし極端に負けず嫌いで押しの強い性格は、次代のムルシア家を背負うにはいささか不安視されていたフレデリクの欠点を補うのに丁度良かったのだろう。

 全くの偶然とは言え、二人はまさにうまい具合にはまっていたのだ。


 その結果には、息子を溺愛しつつもその将来を憂いていたシャルロッテをして満足させるものだった。

 彼女はリタの機転と頭の回転の速さ、どっしりとした胆力など、その全てを己の身を以て体験していたので、誰よりもそれを理解していたのだ。


 エミリエンヌとの喧嘩に見られるように、今はまだ年相応の堪え性のなさや我がままさも垣間見えるが、それらは追々成長とともに改善されていくだろう。

 だから今は、それは全く問題ではない。

 

 実際に二人を引き合わせてみて中々に相性が良さそうなのを見ると、シャルロッテは満足そうに微笑んだのだった。

 



 その性格のみならず、二人には「魔法」という共通の話題があった。

 初対面の二人はその話題により瞬く間に距離を縮め、今日出会ったばかりだと言うのに屈託なく談笑する姿が見られた。


 その仲睦まじい様子は、周りの大人たちにとって微笑ましいもので、ここ数年来でここまで円滑に婚約者同士が打ち解けたのは、他家を見廻しても記憶にないほどだ。

 そのくらい二人の相性は最初から良く見えた。


 将来の美貌を約束された容姿のリタと、絶世の美女と名高い母親の血を色濃く受け継いだ、まさに美少年と言っても過言ではないフレデリク。

 このまさに美男美女のカップルの誕生は、この先何年にも渡って王国中に轟くだろうと思われた。


 



「それでは私共はこれで失礼いたします。次にお会いできるのは――年明けでしょうか? それまでどうぞ息災に」


「そうですな。まぁ、正直年明けは難しいと思います。なにせ我が領地からここまではなかなか遠いものですから。今回も往復と滞在を入れると二週間も家を空けました。これ以上はさすがに難しいのですよ」 


 婚約の儀も終わり、レンテリア家の面々が引き上げようとしていると、オスカル一家から暫しの別れを告げられた。

 彼らムルシア一族の中で首都の別邸に住んでいるのはバルタサール一人だけなので、残りの四人はこれからムルシア領に帰るのだ。


 しかしここアルガニルからムルシア領までは馬車で片道五日もかかるので、そうおいそれとやって来ることはできない。

 今回も往復と滞在の日数を含めると二週間も領地を空けており、それは領主としてはいささか長すぎるとも言えた。


 確かに仕事のできる部下に現場の指揮は任せているが、やはり領主でなければ判断できない案件なども多々あるために、そう長くは屋敷を空けられないのが本音だ。


 これから屋敷に戻ると、机の上には未決済の書類が山積みになっているのだろう。

 それを思うと、シャルロッテは溜息しか出なかった。


 

 そんなわけで、フレデリクも明日には領地へ向けて発つことになった。

 せっかく仲良くなった婚約者の二人だったが、次に会えるのはいつになるのかわからない。

 それは一年先かもしれないし、三年、五年、場合によっては十年先かもわからない。


 その事実に気付いたフレデリクは、心の底からがっかりしていた。

 せっかく魔法に詳しい――それどころか現役の魔術師の卵――と知り合えたのに、次はいつ会えるかわからないのだ。

 もちろん自分の婚約者なのでいずれは一緒になるのだろうが、それまで最低でも十年は我慢しなければならないだろう。


 その期間は今の彼には長すぎた。

 フレデリクはもっとたくさんリタと話がしたかったのだから。

 


 そんな思いが顔に出ていたのだろうか、孫を不憫に思ったバルタサールはある提案をした。

 それは明日の午前中、リタをこちらへ遊びに来させてほしいというものだ。


 明日の昼過ぎにフレデリクはここを発つ。

 それまでの数時間、フレデリクとリタに話をさせてあげてほしいと頼んだ。

 

 フレデリクはリタともっと話がしたい。

 祖父として、その願いを叶えてあげたい。

 つまりはそういうことだった。


 その申し出に否やのないレンテリア家は、もちろん即座に了承した。

 そして明日の朝にムルシア家から迎えの馬車を寄こすことで合意したのだった。




 ――――

 



「おぉい、約束通り迎えに来たぞ。リタ嬢を頼む」


 翌朝の早い時間に、約束どおりムルシア家から迎えが来た。 

 しかしその場に姿を現したのは馬車ではなく、なんと当主のバルタサール本人だった。

 しかも彼は自ら馬を駆っており、見たところ護衛の騎士も二人しか連れていなかった。


 確かに彼はその見た目通りに剣の腕は相当なものだ。

 歳をとって衰えたとは言え、未だ現役で王国軍の将軍職を務めるだけはあり、その剣技と膂力は馬鹿にできない。


 そんな己の力に自信があるのだろうか、彼は普段から護衛の騎士を精々二人しか連れていないことが多かった。

 それは今朝も同じだった。



「バルタサール卿!! ど、どうされたのですか!? 卿自ら迎えに来るなど……」


 その様子に驚きを隠せないセレスティノとフェルディナンドだったが、そんな二人にかまうことなくムルシア家の当主はニヤリと笑った。


「なに、毎朝この時間は遠駆けをするのが日課でな。悪いとは思ったが、ついでに寄らせてもらったのだ。馬車を出すとなると、御者やら護衛やらメイドやらの手配が朝早くから面倒でな。突然ですまぬが、このまま嬢を連れて行ってかまわぬか?」


 確かにレンテリア邸からムルシア邸までは馬車なら二十分かかるが、馬であれば五分とかからない。

 もちろん五歳児を同乗させるのであればもう少しゆっくりと馬を走らせるのだろうが、それでも十分少々で着くだろう。


 だから遠駆けのついでに寄りたくなる気持ちもわからなくもないが、だからと言って当主自らが迎えに来るのもどうかと思ってしまう。



 そんな言葉に思わず呆気に取られたフェルディナンドだったが、その横のセレスティノは「やれやれ」といった仕草で頭を振っていた。


『相変わらず無茶なことをする御仁だ』などと内心思いながら、それをおくびにも出さずに、セレスティノはニッコリと微笑んだ。


「えぇ、かまいませんよ。ただ、孫はドレスを着ておりますので、ゆっくりと走って頂ければと思いますが」


「ふむ、もちろんだ。いくらわしでも、ご婦人を乗せて全速力で駆けるほど酔狂ではないぞ。ふははは!!」


「そうですか、安心しました。――エッケルハルト、リタを呼んできてくれ。それからメイドを一人と護衛騎士を二人付けるように」


「かしこまりました。少々お待ちくださいませ」



 こうしてリタはバルタサールの馬に、ジョゼットはレンテリア家の護衛騎士の一人の馬に相乗りをする形で出かけて行ったのだった。





 すでに初夏と呼んでも良いほどの爽やかな風の吹く六月。

 ハサール王国の首都アルガニルの郊外にほど近い裏道を、五頭の馬が歩いていた。

 

 ポクポクと小気味良く音を立てる一際ひときわ立派な馬の上には、一人の大柄な武人と小さな幼女、そして残りの馬には四人の護衛騎士がそれぞれ騎乗しており、そのうちの一人はメイド姿の背の高い女性を同乗させていた。


 そんな小さな集団が歩く道は、都市内に設けられた緑地を迂回するように伸びており、早朝のこの時間は通りがかる者も殆どいなかった。


  

「のう、リタよ。エミリエンヌとは仲直りできたのか? あやつはお主の義妹ぎまいになるだから、仲良くしてくれんと困るぞ」


「……あい。わたくちとしてもそう致ちたいのですが、何分なにぶん状況がそれを許しゃないものですから……」

 

「まぁのぉ…… あやつもなかなかに気が強いしのぉ。同い年のお主の下につくのが許せんか」


わたくちはべつにエミリエンヌ様を下に見ているわけではないのですが」


「あぁ、いや、それはわかっておる。これはあやつのプライドの問題なのだろうな」




 馬上でそんな話をしながら二人がのんびりと緑地の木々を眺めていると、ポクポクと歩く背後の足音に突然別の音が混ざるのが聞こえた。


「うがっ!!」


 その音に瞬時に反応したバルタサールは、咄嗟に背後を振り向く。

 するとその視界には、喉を押さえながら落馬する騎士の姿があった。


「て、敵襲だ!! 全員バルタサール様をお守りしろ!! 周りを取り囲め!!」


 騎士の一人が必死に声を上げると、その足元には落馬した騎士が喉から棒のようなものを生やして倒れているのが見える。

 その不自然に折り曲がった身体と身動き一つしない様子からは、彼が既に事切れているのがわかった。


 その様子を見たバルタサールの眉が上がる。


「ちっ!! リタ、走るぞ!! しっかりつかまっておれ!!」



 状況を素早く把握した彼は、この場に留まるよりもこのまま馬を走らせるべきだと判断したようだ。

 周りの護衛騎士が隊列を整えるのを待たずに、大きな体でリタを抱え込むようにしながらそのまま馬を走らせた。


 しかし次の瞬間、バルタサールとリタが騎乗する馬が大きないななきとともに地面に崩れ落ち、同時に二人は地面に投げ出されてしまう。


 抱きかかえるようにリタの身体を守りながら受け身を取るバルタサール。

 その彼が横を見ると、またしても棒のような物を喉から生やして痙攣する愛馬の姿があった。



「くそっ、毒吹き矢かっ!!」


 叫びながら地面に膝を突くバルタサールの前に、四人の黒づくめの男たちが姿を現したのだった。

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