第85話 叔父と叔母と従兄

 クルスとパウラが想像した通り、やはりリタはブルゴー王国第一王女セブリアンから執拗に命を狙われる理由があった。

 しかしその内容について、彼らは敢えて知ろうとしなかった。

 何故ならそれを知ってしまうと、彼らもリタと同様に命を狙われる羽目になるからだ。


 人にはそれぞれ分相応というものがある。

 リタは世界最強の魔術師として謳われていたアニエスであった時からセブリアンの秘密を知っていたし、その時からも口封じに放たれる暗殺者を何度も返り討ちにしていた。


 その度に証拠が見つからずにセブリアンを裁くことはできなかったし、アニエス自身もその秘密を口外するつもりもなかったのでそのままになっていたのだ。


 しかしそれは彼女だからこそできたことであって、もしもアニエス以外の人物だったとしたら今頃はとっくに消されていただろう。

 そう考えると、それは決してクルスとパウラの手に負えるような内容ではなかったし、もしも知ってしまえば再び命を狙われるのは目に見えていた。

 だから彼らは敢えてその理由を知ろうともしなかったし、この話はここで終わりにしようと思ったのだ。


 もちろん好奇心旺盛なパウラにしてみれば、ブルゴー王国第一王子の秘密とやらにとても興味があったのは事実だが、それよりも自分たちの身の安全の方がよっぽど大事だった。

 それでなくてもあと数か月で出産、育児が控えているというのだから、とにかく彼女は平和な生活を優先したのだ。



「いいわ、わかった。その話はもう終わりにしましょう。それでも今も暗殺者がうろついているかも知れないのだから、十分気を付けてね。……まぁ、あなたならどんな相手であっても返り討ちにしてしまうのでしょうけれど」


「まぁの。この屋敷に来てからというもの、しょこな弟子と一緒に魔法の訓練に明けくれりゅことが出来て、ほんにたしゅかっとるわ。この小さな身体では、何かと勝手が違うでな」


 そう言いながらリタが己の幼い身体をキョロキョロと眺めまわすと、その愛らしい仕草を見たランベルトが、思わず萌え死にしそうになっている。

 そんなギルド長の意外な一面を見たクルスとパウラは、どんな顔をすればいいのかわからずに互いの顔を見合わせていた。


 彼らとてランベルトの気持ちが手に取るようにわかるのだ。

 近い将来生まれる子供がもしも女の子だったとしたら、きっとリタのように愛らしい娘に違いない。

 彼らはそう信じて疑わなかったし、そんなランベルトを茶化そうなどとは露ほどにも思わなかった。




「あぁ、それはそうと、婚約おめでとう。あのムルシア家の将来の奥方なんて、あなた凄いわね。ふふふっ、一体どんな魔法を使ったのよ?」


「そうだよ。ムルシア家といやぁ武家貴族の筆頭じゃねぇか。その財力も軍事力も領地の広さも、王家でさえ一目置いているんだからな。そんな家の奥方の地位をゲットするなんざ、お前もなかなか隅に置けねぇな」


 そんなことを言いながら何気にニヤニヤとする二人を全く面白くなさそうな顔で睨みつけるリタと、そんな彼女の姿に萌え続けるランベルト。

 この場になんとも奇妙な空気が流れていた。

 

「あぁ……しょれなぁ…… しょれは事故なんじゃ……まるで突然馬車に轢かれたようなものなんじゃ。わちはあの女をやり込めてやろう思っちょっただけなんじゃがのぉ……はぁ……どうしてこうなったのかのぉ……」


 小さな溜息を吐きながら遠くを見つめるリタの顔には、どこか哀愁が漂っていた。

 その様子から察するに、ムルシア家の将来の奥方の座を射止めたのは彼女の希望ではなく、まるで想定外の出来事だったことが伝わってくる。


「でもご両親は喜んでいるんじゃないの? それにレンテリア伯爵夫妻だって、可愛い孫娘が派閥の長の大貴族家に嫁ぐんだから、それは鼻が高いでしょうに」 

 

「まぁの。だからわちも困っちょろぉが…… 二百年以上も生きてきて、ましゃかこれから結婚しゅることになるとは…… さすがのわちも、男や結婚に関しての知識は全くないので困っちょるのじゃ」


「ひひひ……そうかそうか。子作りの仕方ならおじさんが教えてあげられるぜぇ」


「ば、馬鹿!! 幼児相手になにいやらしいこと言ってんのよ、このエロおやじ!!」


「幼い子供相手にそのようなことを言うものではないだろう!!」 


 相変わらず悪ノリが過ぎるクルスに対して、照れたように顔を赤らめるパウラと本気で怒鳴るランベルト。


 そんな三人の姿を眺めながら、リタは何処か力の抜けたような顔をしていた。



 あのバルタサールに対して正面から異を唱えていたシャルロッテが陥落した以上、リタがムルシア家の孫――フレデリクとの婚約、そしてその後の結婚に至るのは間違いないだろう。

 行きがかりとは言えこの貴族の枠組みに組み込まれてしまった以上、彼女とてその中で生きていくことは吝かではなかった。


 しかし貴族子女としての自分の将来の選択肢はこんなにも少ないのだと、今さらながらにリタは思い知らされるのだった。





 ――――





 四月。

 すっかり雪も解けて街道の泥濘ぬかるみも姿を消した頃、ハサール王国の首都にあるレンテリア家の別邸に一台の馬車が停まった。

 

 それはレンテリア伯爵夫妻の長男一家だった。


 レンテリア伯爵の長男であるフェルディナンドの兄――アンブロシオは、首都の別邸に詰める両親に代わってレンテリア家の領地経営に精を出している。

 長男という立場上、彼はこのままレンテリア家の領地を引き継ぐことが決まっているので、その役割は最早もはや必然とも言えるものだった。


 そして妻エヴェリーナと長男のライネリオとともに領地ではすでに次期領主として領民から慕われており、その手腕もなかなかのものらしい。

 もっともそれは、イサベル自らが他家から連れてきた妻のエヴェリーナの力も大きかったのだが。


 エヴェリーナの見目は決して美しいとは言えなかったが、それを補って余りある経営センスや事務能力などを持ち、現在の領地経営に彼女は欠かせないと言っていい。

 もちろんその能力はイサベルが見つけ出したもので、そのためにわざわざ遠くの貴族家から嫁として連れて来たほどだったのだ。


 実際に彼女は領内に抱えるハサール王国有数の貿易港の経営にその手腕を発揮していたし、その他にも様々なところでの能力を発揮している。

 その腕はイサベルをして、安心して領地経営を任せられるほどのものだった。

 


 領地経営に対する押しの強さに反して、エヴェリーナは優しく嫋やかなで気立ての良い性格をしている。

 そのために、彼女の容姿に当初難色を示したアンブロシオの心を瞬く間に掌握し、今では領内でも評判のおしどり夫婦として有名になっているほどだ。


 そんな次期レンテリア家当主夫妻が、長男を引き連れて自領からやってきたのだ。

 出奔しゅっぽんしていた弟が帰って来た報を受けたアンブロシオは、本来であればすぐにでも駆け付けたかったようなのだが、街道を覆う雪と仕事の都合がそれを許さなかった。


 レンテリア領から首都へは馬車で三日はかかる。

 首都での滞在と往復の日数を考えると、それだけでも十日程度は必要になる計算だ。

 そして季節が冬だったこともあり、道を覆いつくす雪に阻まれて馬車を出すことができなかった。


 それでちょうど仕事の目途がついたのと街道の雪が解けたのもあり、急遽彼らの首都行きが決まったのだった。

 そして今日彼らが到着することになっていた。




「うぅん。やはりリタはいつ見ても可愛いですこと。そのドレスもとっても似合っていますわよ。ほら、こちらへいらっしゃいな」


「うひゃひゃひゃ、お婆しゃま、くしゅぐったいでしゅ」


 レンテリア伯爵夫人イサベルが孫娘のリタに愛おしそうに頬ずりをすると、リタはくすぐったそうに身をよじる。

 祖母が孫を可愛がるその光景は、最近屋敷の中でよく見るようになった。

 そしてその姿を見る使用人の顔にも笑顔が浮かんでいる。


 リタがこの屋敷で暮らすようになってから、レンテリア家の女主人の態度、表情、そして物腰が柔らかくなったと使用人の間で評判だった。

 それまでの彼女は、とても厳格で隙のない性格をしていると思われていたし、屋敷の中に常に張りつめたような雰囲気が漂っていたのも事実だ。


 そんな厳しさばかりが目立つイサベルではあったが、その反面使用人たちから尊敬もされていた。

 それがここ最近、その評価もかなり変わって来ていた。 


 普段のイサベルは、まるで隙を見せないかのようにその口を固く引き締めている。

 以前よりもかなり態度は軟化したとは言え、それでも間違ったこと、正しくないことに対しては容赦なく厳しい態度をとる部分は変わっていなかった。


 しかしリタの前でだけはその態度を見せないのだ。

 孫娘の前の彼女は目尻が垂れ下がり、口角は上がってすっかり優しい顔になっている。

 リタの前のイサベルは完全に孫を可愛がる祖母以外の何ものでもなくなっていたのだった。



 すっかり領地経営を息子夫婦に任せるようになったイサベルは、首都で王立薬科研究所の副所長として勤める夫の代わりに様々な役割を果たしてきた。

 屋敷の管理に始まり、他家との付き合い、領地経営に関する重要案件の処理から金銭の管理まで、本来であれば当主である夫がこなさなければいけない業務を一手に引き受けている。


 そのために日中は常に気を張りつめているし、使用人にも甘い顔を見せることもない。

 そんな彼女が今日は朝から上機嫌だった。

 朝の挨拶に訪れたリタには早速頬ずりをしていたし、その小さな身体をまるで宝物のように抱きしめていた。(まぁ、それはいつものことだが)


 実は彼女がそこまで機嫌がいいのには特別な理由があったのだ。


 それは久し振りにもう一人の孫――ライネリオに会えるからだった。

 夏場でも馬車で三日もかかるうえに、一年の四分の一は雪で道が閉ざされる。

 そんな状況では領地に住む孫になどそれこそ年に一度会えればいいほどで、普段は厳格なイサベルをしてその再会を楽しみにして指折り数えるほどだった。


 ライネリオは伯爵夫妻にとっては初孫だ。

 そして世継ぎの男子でもある。

 そんな初孫に対して特別な思いがあるイサベルだったが、その再会を数日前から本当に楽しみしていたのだ。


 これを喜ばずしてどうするのか。

 イサベルの顔にはそう大きく書いてあった。




 相変わらず好々爺然とした祖父セレスティノに手を引かれながら、目の前の馬車から人が降りてくるのを待つリタ。

 するとそこから一人の青年が降り立った。


 もちろんそれは、次代のレンテリア家当主、アンブロシオだ。

 フェルディナンドによく似たスラっと背の高い容姿と、整っていると言っても過言ではないその顔はさすがは兄弟と言ったところか。  

 しかし意外なことに、その二十代後半と思しき顔には、リタの父親とはまた違った苦労が滲み出ているように見えた。


 やはり彼もなかなかに美丈夫とも言える容姿をしているが、その顔には疲れの様なものが見えたのだ。

 もっともそれは三日間に及ぶ馬車の旅のせいなのかもしれないし、もともとそんな顔をしているだけなのかもしれない。


 それでも両親が彼の様子を見て一瞬心配そうな顔をしたところを見ると、彼は普段から激務で疲れ果てているに違いなかった。


 

 次に降りてきたのは、アンブロシオの妻で次代の当主夫人、エヴェリーナだった。

 その痩せて全く肉感のない細い身体は、凡そ女性的な部分は見られない。

 そして事前の噂通りその顔はお世辞にも美しいとは言えず、そこだけを見るとリタも認める「むちロリ巨乳美女」のエメラルダとは全く正反対の容姿と言えた。

 

 しかしその顔には常に優し気な微笑みが浮かんでおり、その表情は事前に聞いていた通り彼女の気立ての良さを感じさせるものだった。

 リタが屋敷内で独自に集めた情報によると、彼女は決して美しいとは言えない顔立ちだと聞いていたが、リタにしてみればただ見目が良いだけの女性よりも、その内面の柔らかさが滲み出ている顔立ちのほうが魅力的に見えたのだ。


 前世でのアニエスは身長こそ平均的だったが、思春期を過ぎても出るところは全く出ず、いくら食べても肉が付かずに痩せてヒョロヒョロだった。

 そして周りの者たちからはいつも「つるぺた」と言われていたのだ。


 そんな心無い言葉に対し、彼女はいつも「ぺたはぺただが、つるつるではない」と反論していたものだった。

 そんなわけで、リタはエヴェリーナの姿に何処か親近感を感じていた。

 もっとも彼女が「つるつる」かどうかは知らないが。



 そして最後に降りてきたのが、前述の二人の一人息子のライネリオだ。

 年齢は七歳なので、もうすぐ五歳になるリタの二歳年上だ。

 彼は昨年すでに「魔力持ち」の才能を発揮しているらしく、その才能も鑑定されていた。


 彼の魔力の適性は祖父によく似ていた。

 魔力としてはそれほど強くはなかったが、物質の変換や結合に不可欠な「錬金」に必要な魔力の型らしい。


 だからライネリオは錬金術を専門とする道を進むつもりで、昨年から専属の家庭教師の下で学び始めた。

 もっとも彼は将来の貴族家当主なので、実際にどうなるかは不明なのだが。


 


「お爺様、お婆様、お久しぶりでございます。お変わりはございませんか?」


 器用に貴族式の礼を交わしながら祖父母と抱擁を交わすライネリオだったが、離れたところに遠慮がちに佇むリタの姿を見た瞬間、その灰色の瞳を細める。


 そんなライネリオの顔は、祖父母に見せるものとは違って何処か意地悪そうな表情だった。

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