第84話 彼女が知っている事

「しょれで、おまぁら、ここに何しにきたん? ましゃか本当に祝いの言葉を言いに来たわけではなかろう? さぁ、教えてもらおうかのぉ」


 まるで天使にしか見えない幼女の口から、聞き慣れた声と言葉が飛び出る。

 確かに目の前の幼女は可愛らしく着飾っているが、その独特な言葉遣いとイントネーションは、以前オルカホ村で出会った小汚い幼女そのままだった。


 相変わらず舌足らずで滑舌の悪い喋り方は変わっていなかったが、それでも以前よりはかなり聞き取りやすくなっている。

 その上達具合を見るかぎり、このままだとあと数年以内には然程さほど違和感なく話せるようになるのではないかと思われた。



 クルスとパウラは以前にも会っているので特に思うことはなかったが、ギルド長のランベルトにいたってはリタを初めて見た時から驚きの連続だった。


 まず客間で彼女を見た時に、こんなにも愛らしい存在がいるのかと本気で思った。

 彼はリタの容姿に釘付けになると、ただただその可愛らしい姿に夢中になっていたのだ。

 夢中になっていると言ってもそれはもちろん性的な意味ではなく、あくまでも大人が子供を愛でるという意味においてだ。


 ランベルトには子供が二人いる。

 しかし子供たちは二人とも男であるうえに、年齢はすでに15歳――成人年齢を過ぎていた。

 子育ても終わり、やっと最近ホッとしたところではあったが、目の前のリタの姿を見た彼は、女の子とはこんなにも可愛いものなのかと本気で思ってしまったのだ。

 そして今度は女の子も育ててみたいと、ランベルトは本気で思った。

 もっとも、嫁には絶対に断られるのだろうが。



 そんな見たことが無いほどに愛らしい幼女だったが、両親の姿が見えなくなった途端に彼女は豹変したのだ。

 舌足らずで滑舌が悪いとは言え、それまでは貴族令嬢然とした話し方をしていたにもかかわらず、この場で突然口調が変わり、その目付きも鋭くなった。


 そんな目の前の幼女の豹変ぶりにランベルトが目を見開いていると、リタが怪しげな目付きで見つめてくる。


「のう、この男はなんぞ? 何故なじぇにここにおるのかの? こいちゅにこの先の話を聞かれてもええのんか?」


「あぁ、彼はここハサール王国冒険者ギルドのギルド長なのよ。前回のあなたの捜索にも一枚噛んでいたし、今回も事情を知っているから大丈夫」


「ほうか。ならええが」


 パウラに説明を聞くと、リタは突然興味を失ったようにランベルトから視線を外す。

 そしてすでに大きくなったパウラのお腹に視線を向けていた。




「ところで、こちらの方は? 私たちの話を聞かれても大丈夫なの?」


 そう尋ねるパウラは、リタから少し離れたところに佇むロレンツォを見つめていた。

 もとよりこの場に同席している以上、彼もリタの正体は知っていると思っていいのだが、一応念のためにパウラは確認したようだ。

 そんな視線に気付いたロレンツォは、ペコリと彼らに会釈を返す。 


「大丈夫じゃ。やちゅはわちの弟子じゃからな。わちの正体やここの会話を漏らす心配は無用じゃ」


「で、弟子? そ、そう…… よ、四歳児が大人を弟子にね……」


「あ゛? なんぞ?」


「な、なんでもない」




 頭を下げたロレンツォから視線を戻すと、クルスはわざとらしくゴホンと咳払いをする。

 それから背筋を伸ばして口を開いた。


「アニエス――まずは礼を言わせてもらう。少し前になるんだが、俺たちは暗殺者に襲われたんだよ。それでもう少しで殺されるっていう時に、あんたがくれた人形に助けられたんだ」


 クルスにしては些か改まった言葉で話している。

 するとそれに同調するようにパウラも口を開いた。

 

「本当に、あの人形には助けられたわね。もしもあの人形がいなければ、今頃は……」


 その言葉とともに彼女は小さな身体を一層小さくしながら肩をすくめる。

 そんな二人の様子を眺めながら、リタは再び口を開いた。



「ほぅ……やはり、やちゅらが現れたか。そんな予感はしていたがの。それではあのゴーレムが役に立ったっちゅうことじゃな。しょうか、暗殺者がのう……どうりでゴーレムの起動を感知したわけじゃ」


 腕を組んで片眉を上げながら顎をさする。

 およそ四歳児とは思えない仕草でリタが考え込んでいると、その姿には確かに希代の魔女の片鱗が見えていた。


 その様子を呆けた顔で眺めていたランベルトだったが、この愛らしい幼女の中身が老成した魔女である事実を思い出すと、それを振り払うかのように頭を振った。

 冒険者たる者、目に見える部分だけに騙されずに常に物事の本質を見極めなければならないのだ。


 

「アニエス、本当にありがとう。あなたに命を助けられたのはこれで二度目ね」


「あぁ。あの時は本当に助けられた。もしもあのお守り人形がなければ、間違いなく俺たちは死んでいただろう。実際、もう一人の関係者は殺されてしまったからな」


「いや、ゴーレムが役に立ったのであれば、それはなによりじゃ。しかし……一人死んでしもうたか…… そりは悪いことをしたのぅ。もとはと言えばわちが原因じゃからの。ほんにすまんことをした」


 二人の言葉を聞いたリタは、金色の長いまつ毛に彩られる瞳を閉じた。

 それはまるで冥福を祈るような仕草だった。

 どうやら彼女は、自分の巻き添えで死んだフィオレに思いを馳せているのだろう。


「ギルド長よ。しょの死んでしもうた者には十分な償いはしたのかの? 金銭きんしぇんで解決できることでないのは十分に承知しておるが……」


「は、はい。確かにその件はあなたの捜索に端を発したことではありましたが、結局は私の不徳の致すところなのです。なので彼女の夫と子供達には十分な補償をいたしました」


「ふむふむ」


「それからこれはあまり大っぴらにできないのですが、ブルゴー王国のコンテスティ公爵名義で遺族宛てに見舞金が送られてきました。それもかなりの大金でしたね」


「なに? コンテスティ公爵とな? ――ほほぅ、ケビンか。あやちゅめ、なかなかわかっちょるわぃ。しょれとも嫁の入れ知恵かのぉ……? ともあれ、わちからも一言詫びを入れたいところではありゅが、この姿しゅがたではしょれも叶わぬ……」


 思わず悲壮な顔をする四歳女児を見つめていると、その場の全員が無言になってしまう。

 その姿は亡くなったフィオレに対する黙祷のようにも見えた。


 その場の全員が何となく言葉を発せられない雰囲気になっていると、その中の一人が口を開く。

 それはパウラだった。

 彼女はこの場の空気を払拭するように、やや大きめな声を意図的に出した。



「それで、アニエス。前から一度訊きたいことがあったのだけれど」


「……リタでかまわにゅ。周りに誰の目があるともわからにゅのじゃから、滅多なことは言わんものじゃ」


「あぁ、ごめんなさい――気を付けるわね。それで教えてほしいんだけど、何故あなたは執拗に命を狙われているの? 誰がそうしているのかはお察しだけれど、その理由が気になって」


 パウラの言葉を聞くと、リタはそのまま押し黙ってしまう。

 その様子は、彼女が何かを考えているように見えた。

 そんな幼女に対して誰もが声をかけるのを躊躇っていると、リタは眉間に大きくシワを寄せたまま再び口を開いた。

 

 見るからに愛くるしい幼児がそんな顔をしていると、何気に居た堪れない気持ちになって来るのが不思議だ。



「ふむ、しょの理由が知りたいか? 見たところ、わちを狙う相手をおまぁは察しているようじゃが、その理由まで本当に知りたいか? ――一度でも知ってしまえば、おまぁも命を狙われるじょ。覚悟はあるのかの?」


「えっ!? 覚悟って…… そんなに物騒な理由なのかしら?」


 そう言ってパウラは夫――クルスの顔を見る。

 すると彼は、ゆっくりと首を振った。


「いや、やめておいた方がいいだろう。これ以上の厄介事はごめんだ。それじゃなくてもこれからお前の出産も控えているんだし、これからは平和に暮らしたいよ」


「……そうね。その理由を知ったところで、自分の好奇心が満たされる以上のことにはならなさそうだし。ごめん、アニエス――じゃなかった、リタ。今の話は忘れてちょうだい。そんな物騒な話に首を突っ込む趣味はないわ」


「さっきからお前たちは何の話をしているんだ? リタ様が命を狙われている理由はいいとして、それを差し向けている相手ってのは、誰のことだ? 俺にはさっぱり話が見えんのだが」


 パウラとクルス、そしてリタが訳知り顔で話をしていると、ランベルトが胡乱な顔で口を挟んでくる。

 どうやら彼は自分だけが事情に通じていないことに、何か疎外感の様なものを感じたのだろう。

 それに一介のギルド員が知っているのに、ギルド長である自分だけがそれを知らないのも気に入らないようだった。



 そんなランベルトに小さな溜息を吐くと、リタは仕方なさそうに説明を始める。


「ふむ、そうじゃな。相手の名前くらいなら言っても問題なかろう。執拗しちゅようにわちの命を狙っている相手。それはセブリアンじゃよ」


「セブリアン……? その名前で知っているのは、ブルゴーの第一王子しかいないが……って、もしかしてそのまさかか!?」


 あまりの驚きにランベルトは敬語を忘れていた。

 見た目は可愛らしい四歳女児とは言え、その正体が「ブルゴーの英知」アニエス・シュタウヘンベルクだと知っている彼は、当然のように敬語を使っていたのだ。

 

「そうじゃよ。そのセブリアンじゃよ。ここでは理由には触れぬがな」


「リ、リタ、あなた一体何を知っているのよ? ――って、言わなくてもいいからね。お願いだから何も言わないで。もうあんな目に会うのはりなんだから」


「あぁ。お前が命を狙われる理由なんざ、俺には興味なんかねぇ。そのまま墓まで持っていけ」


「ふんっ。わちだとて、おまぁらを巻き込むちゅもりなんぞないわい。まぁ、おまぁらに何かあっても、あのあにょゴーレムがおるから大丈夫だと思うがの。いじゅれにしても、暗殺者なんぞ、わちが返り討ちにしてくれるわ。ふんっ」


 そう言ってリタは自信満々に踏ん反り返る。

 そんな風に胸を張って仁王立ちする四歳女児の姿を眺めていると、その場の誰もが根拠のない安心感を感じるのだった。




 リタ――アニエスはブルゴー王国第一王子セブリアン・フル・ブルゴーに命を狙われている。

 しかしアニエスがブルゴー王国にいた時からもその機会は十分にあったはずなのに、何故に敢えてこのタイミングでそんなことをしようとしているのだろうか。


 転生の魔法を成功させたアニエスの名前も性別も年齢も、そして居場所すらわからない。

 そんな彼女を探し出すだけでも不可能に近いというのに、何故こんな面倒なことをしようとしているのかすらもわからない。



 これほど手間と時間がかかるようなことを、ましてや他国にまで手を伸ばしてしようなどと、普通であれば思わないだろう。

 しかし敢えて今のタイミングでそれを実行せざるを得ないのは、それだけの価値がある何かしらの事実を彼女が知っているということなのだ。


 それが一体何なのか。

 それはリタ本人にしか知り得ないことだった。

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