第77話 魔法幼女、爆誕

「アニエス・シュタウヘンベルク殿、僕をあなたの弟子にしてください!! お願いします!!」


 レンテリアの灰色の瞳を細めながら物騒なほどの表情で睨みつけるリタの目の前で、ハサール王国魔術師協会所属二級魔術師、ロレンツォ・フィオレッティが頭を下げる。


 もしもリタが光る右掌を翳してさえいなければ、その必死な姿はいまにでも土下座をしそうな勢いだった。

 そして些か興奮気味にリタを見つめる薄茶色の瞳には、彼の必死な想いが透けて見える。

 そんなローブ姿の若者の真意を問うように、リタはその顔を見つめていた。



 彼が自分の本当の名を出したことにも驚いたが、それ以上に弟子入りを志願されたことにリタは驚いていた。

 

 どこから自分の正体がバレたのか、何故にこのタイミングで自分に弟子入りを申し込んできたのかがわからない。

 それでもこの目の前の若者がその場しのぎの嘘やごまかしを言っているのではないことは、その表情を見ているだけでも十分に伝わってくる。


 

 実を言うと、リタはこの数日間悩んでいたのだ。

 つい先日魔術師への道が決まったので、これから新しい家庭教師がやって来ることは彼女も知っていた。

 しかしすでに二百年以上にも渡って魔法の研究を続けてきた彼女にとって、一介の家庭教師どころか仮に王立魔術学院の教授が来たとしても、その講義内容は幼稚すぎて欠伸あくびが出るのは間違いなかった。


 それが幼児向けの初級魔術の講義――すでに講義と呼べるものかすら怪しい――であれば、尚のことだ。

 しかし決して自分の正体を明かせないリタは、そんな退屈な授業を延々と我慢して学び続けなければならないのだ。

 それも何年間も。


 そんなものはリタにとって、まさに拷問に等しかった。



 余人に並び立つ者もいない無詠唱魔法まで使いこなせる自分が、何が悲しくて読み書きの基礎から学ばなければならないのか。

 しかもそれを拒絶することはできないのだ。

 なぜなら、そのためにこそ家庭教師を雇っているのだから。


 それを考えると、すでに自分の正体を知っているこの男を、このまま弟子ということにしておけば何かと都合がいいのではないだろうか。

 もちろん彼は自分に対してそんな馬鹿馬鹿しい講義をしようだなんて思わないだろうし、煩いことも言わないはずだ。


 それならば、ロレンツォに勉強を教わっているていで、自分は好きな魔法の研究に没頭できるかもしれない。

 そして時々気まぐれに彼に魔法でも教えてやればいい。


 

 ――なんだ、もしかしてこれは自分もロレンツォもウィンウィンなのではないだろうか。

 まるで拷問のような基礎勉強などを我慢する必要もなければ、毎日自分の好きなことができる。

 そして彼は「ブルゴーの英知」から直接魔法の指導が受けられるうえに、家庭教師の謝礼まで貰えるのだ。

 これをウィンウィンと呼ばずして何と呼ぶのか。



 

「ふむぅ……なるほどのぉ……」


「実はあなたが魔王討伐の際に行方不明になったというのは嘘だという噂を聞いていました。そして転生の奥義を使って逃げ延びたとも……」


「ふんっ、中々に嗅覚の鋭いヤツやちゅじゃ」


「初めはそんな噂など僕も笑い飛ばしましたよ。あの無詠唱魔術とヘカトンケイルを見るまでは」


「……」


「そ、それで、どうでしょうか? 僕を弟子に――」


 縋るような目でロレンツォが見つめると、リタはそれまで張りつめていた気と肩の力を抜いた。

 そして掌に込めていた魔力を開放すると、ホッと小さな溜息を吐く。

 その顔には何処か諦めに似た表情が浮かんでいた。


「よかろう。特別とくべちゅに弟子にしちゃる。本来は弟子なじょは取らんのじゃが、背に腹は代えられんでな」


「えぇ!? 本当によろしいのですか!? 僕を弟子に!?」


「うむ、仕方なかろう。じゃが、初めに言うておくが、わちの指導は厳しいじょ。ちゅいて来れるんか? 文句を言えば、即破門じゃ。覚悟せぇよ」


 などと、まるで威厳の塊のようなセリフを吐いているが、何のことはない、見た目はいつものフリフリのドレスを着たプラチナブロンドの髪をなびかせた幼女でしかなかったのだが。

 それでもロレンツォは、そんな四歳女児に向かって神妙な顔つきをしていた。 


「わ、わかりました。誠心誠意努力する所存です!! ありがとうございます!!」



 というわけで、部屋の中ではふんぬっとばかりに偉そうに胸を反らす四歳女児と、その前に膝を突いて師弟の礼を交わす若い魔術師の姿があった。


 そしてここに、リタとロレンツォの師弟関係が成立したのだった。



 

  

 とは言うものの、リタがロレンツォに指導する方法は口述だけに限られた。

 それはもちろん、彼女が今まで二百年以上に渡って書き綴って来た膨大な魔法に関する研究資料が、ブルゴー王国の自室に置いたままになっているからだ。


 もちろんケビンが部屋を管理しているので滅多なことはないと思うが、もしかするとその資料はすでに盗まれて人手に渡っている可能性もある。

 もしくはリタ――アニエスが行方不明になってからすでに二年近くが経過しているので、王城内の自室はすでに整理されているかもしれない。


 その場合は、それらの資料に興味を示す者たちによって持ち出されている可能性が高かった。

 もっとも悪筆で有名なアニエスの走り書きを読み解くのは相当な困難を伴うだろうし、そもそも彼女独自の難解な魔法理論を凡人が理解できるとも思えなかった。


 いずれにしても彼女の魔法理論はたとえ紙媒体で読んでも凡人には理解できないので、結局は言葉で表現するしかないのだが。




「そうじゃ。しょこで、ズバッとやって、ひゅーっと引く感じじゃ!! 違う違う、もっとこうニュルっとした感じでヌメっと……」


 リタの指導は相当厳しいと本人の口から聞いてはいたが、そのあまりにも感覚的で擬音を連発する指導にさすがのロレンツォも目を白黒させていた。

 それでも彼は戸惑いつつも懸命に師匠の教えに食らいついていったのだった。


 そんなわけで、平日の午前の二時間は部屋で座学という名目でリタは自分の好きな魔法の研究に没頭していたし、ロレンツォは彼女から口頭で伝えられる魔法理論や教えを紙に起こして理解する時間に充てていた。


 そして午後の二時間は、屋敷の裏庭に作ってもらった魔法練習場で実技訓練を行う。

 その場でもリタは自分の好きなことを勝手にしつつ、ロレンツォに様々な魔法を実技で教えるという毎日を過ごすようになった。


 そんな毎日は、以前の忙しい宮廷魔術師時代には決して叶わなかった魔法の研究が思う存分できるとして、リタにとっては願ってもないことだった。

 そしてロレンツォも、家庭教師としての報酬を貰いつつ偉大な魔術師からマンツーマンで魔術が学べるという、余人には経験しようのない夢のような時間となったのだった。




 そんなある日のこと、いつものように朝にやって来たロレンツォが、リタに何かを手渡した。

 それをよく見ると、何やら派手できらびやかな棒状のものだった。

 しかしその外見だけでは一体何に使うものなのかわからなかったリタは、それを手に取りながら怪訝な顔でロレンツォを見る。


「ロレンツォ、こりはなんぞ? なにに使うん?」


「あぁ、リタ様。それはあなたに以前頼まれていたものですよ。王国魔術師協会謹製の幼児用魔法じゃくです」


「おぉ……こりが杖……なんか?」


 ロレンツォの説明に、一層リタの顔に怪訝な表情が広がる。

 彼女はその棒を上や下から眺めてみたり、時々振ったりしていた。



「はい、杖です。魔法使いの駆け出しの子供たちは、皆これを使って訓練するのですよ。あなたは以前から魔法の杖が欲しいと仰っていたじゃないですか」


「う、うむぅ……確かにのぉ……しかし……」


 小さな唸り声をあげながら、リタはその杖を凝視する。


 それは杖と言うにはいささか短かすぎた。

 全長は三十センチ程度だろうか。

 杖にするには短く、その太さもかなり細い。

 その全体を俯瞰で見ると、それは杖と言うよりもステッキに近い形状をしていた。


「……まぁ、この大きしゃは良しとしゅる。しかしこの色と形はなんぞ?」


 リタの眉間にはシワが寄り、その顔を見る限り彼女がこの杖を気に入ったようには到底見えなかった。

 やはりリタは、その色と形に難色を示しているようだ。



 その杖は全体が艶のあるピンク色をしていた。

 そしてその先端部分は何故か大きなハートの形になっており、その中に大きな宝石のような石がはめ込まれている。

 そしてそのハート型の左右には小さな天使の羽のようなものが生えており、極め付きに最上部にはティアラのようなものがあしらわれていた。


 それはどこからどう見ても、魔法の杖というよりも女児が「魔法少女ごっこ」をする際に使用する幼児用玩具の類にしか見えなかったのだ。


 もちろんそれにはリタも不審な顔をした。


「のぅ、ロレンツォよ。何故にこんなデザインなのじゃ? わちには装飾過多にしか見えん。そもそもしょもしょもこの羽はなんぞ? 何故に魔法の杖に羽が生えとるん? いらんやろ、普通」


「そ、それは確かに…… しかし僕が総務部に『女児用の魔法の杖を』と伝えると、これを出して来たものですから……」


「むむむ……」


「と、とりあえず、一度使ってみませんか? もしかするとこのデザインにも何か意味があるのかも知れませんし。き、きっとリタ様にはお似合いだと思いますよ、なぁ、ピピ美ちゃん」


「……うんうん、そうだね。きっとリタには似合うよ。可愛いからきっと似合うよ……たぶんね」


 そう言いながら周りを飛び回るピピ美の顔は、若干白目をむいていた。




 それは国の機関が実際に女児用の魔法の杖だと言って出して来たものだったし、わざわざロレンツォが持ってきてくれたものなのでさすがに無下にするわけにもいかず、結局リタはその杖を使ってみることにした。

 もっとも、色々と思うところはあったのだが。



 そしてその様子を偶然見かけたフェルディナンドとエメラルダも寄って来る。


「あらぁ、ずいぶんと可愛らしい魔法の杖なのねぇ。最近のトレンドはピンクと水色なのかしら。――いいじゃない? リタにはとっても似合っているわよ」


「あぁ、いいね。凄く可愛いよ。この杖を持っていると、お前の可愛さが普段の何倍にも見えるくらいだ」


 などと親バカな両親も揃って適当なことを言いだした。

 リタがどんな格好をしていようと、何をしていようと、どうせ彼らは二言目にはリタを「可愛い」と言うのだ。

 だからこの杖を彼らに見せたのは間違いだとしか思えなかった。



 それでもリタは、何とかその杖――ステッキを持って呪文を唱え始める。

 今回に限っては両親に魔法使いとしての姿を見てもらうために、敢えて呪文を唱える姿を演出して見せたのだ。

 そして彼女はピンク色のステッキを持ってクルクルと回り始める。


 するとそのステッキは、リタの魔力を感知してキラキラと輝き始めた。

 そして予め埋め込まれていた大きな宝石のような装飾まで眩い光を放ち始めたのだ。


 ヒラヒラとしたレースの付いた薄水色のドレスに身を包んだリタが、光り輝く宝石の付いたピンクのステッキを持って舞う姿は、まさに「魔法幼女」そのものだった。

 その姿はまさに、いま巷で話題の児童用演劇に出てくる「変身魔法少女」の主人公にそっくりだったのだ。


 すると調子に乗ったリタは、くねくねと腰を振りつつその演劇の主題歌を口ずさむ。



「トゥインクル、トゥインクル、リタリタ♪ 宇宙そらに輝くキラキラ星!! リタスター!!  ――って違うわ、ボケがっ!!」


 バシッ!!

  

 直前までノリノリだったにもかかわらず、突然我に返ったリタはピンクの杖――ステッキを地面に叩きつけると、ロレンツォに向かって吐き捨てるように怒鳴り散らす。


「何故にわちがこんな踊りをせんならん!? おまぁ、ええ加減にせぇよ!!」 


「リ、リタ様、べつに僕は――」


「あぁ、リタ!! 凄い可愛かったよ!! とと様にもっと見せておくれ!!」


「かか様も、もっと見たいわ。ねぇリタ、お願いよ。もう一度踊って見せてくれないかしら」



 リタの剣幕にたじろぐロレンツォを尻目に、ステッキを持って踊りまわる愛らしい娘の姿にすっかりやられてしまった親バカ両親。

 

 それからも口々にその可愛らしさを誉めそやされたリタは、次第に満更まんざらでもなさそうになってくる。

 すると彼女は、一度は地面に叩きつけたピンクのステッキをいそいそと拾い上げると、楽しそうに再びクルクルと踊り始めたのだった。



 するとそこに、帰宅したリタの祖父母――レンテリア伯爵夫妻も合流し、さらに筆頭執事やメイドたちも加わって口々にリタに声援を送り始める。

 気がつけばそこには、魔法少女になり切ったリタがクルクルと踊りながら、児童用演劇の主題歌を歌いまくるという謎のステージが開催されていたのだった。



「な、なんだこの空間は……」


 そんな一幕を横目に見ながら、ハサール王国魔術師協会所属二級魔術師ロレンツォ・フィオレッティは、深い深いため息を吐いたのだった。

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