第76話 家庭教師の目的

「失礼いたします。本日よりリタ様の魔術学の家庭教師として派遣されました、魔術師協会所属二級魔術師、ロレンツォ・フィオレッティと申します。ご主人様はご在宅でしょうか?」


 レンテリア家の玄関先に停まった馬車の中から、年若い青年の魔術師が降りてくる。

 それは薄茶色の瞳と髪が特徴的な、何処か愛嬌のある顔つきの二十代前半と思しき青年だった。

 ざっくりとしたローブに身を包んでいるのではっきりとはわからないが、如何にも魔術師然とした線の細い身体つきをしていそうだ。


 そんな人物が真っすぐ屋敷の方へ歩いて来くと、途中で執事が出迎えた。


 その姿を見た途端、屋敷の中から覗いていたリタの顔に何処か嫌そうな表情が生まれる。

 国から支給される安物のローブに身を包んだあの男は、間違いなくリタが知っている人物だったからだ。


 彼は今から約一ヵ月半前に、リタが本気で殺そうとした男に間違いなかった。

 薄茶色の髪と瞳に、何処かのんびりとした雰囲気を漂わせる優しそうな風貌の男。

 それは如何に集中力がなく忘れっぽい四歳児のリタであってもそう簡単に忘れるはずもなく、特にあの安物のローブはよく憶えていたのだ。

 そんな男が執事に出迎えられて屋敷の中に入って来るのを、彼女は相変わらず嫌そうな顔のまま眺めていたのだった。




「どうぞ、こちらへおかけください。只今主人が参りますので、それまでおくつろぎを」


「は、はい、恐れ入ります。それでは失礼いたします」


 貴族、しかも上級貴族のレンテリア伯爵家の応接室に通されたロレンツォだったが、その顔には緊張の色が見て取れる。

 如何にマイペースでのんびり屋で有名な彼であっても、さすがにこの場では緊張の色を隠せなかった。


 それにこんな状態で「おくつろぎを」などと言われても寛げるわけもないだろうなどと思いながら、出された茶の味もわからぬほどロレンツォがその身を小さくしていると、突然ドアから一人の男が顔を出す。


「お待たせいたしました。生憎あいにく主人のセレスティノが留守にしておりますので、代わりに私が――」


 姿を現したのはリタの父親――フェルディナンドだった。

 その優しげな顔に柔らかい微笑を湛えて、部屋の中に入ってくる。

 すると彼は部屋のソファに座る男の顔を見た途端、大きく目を見開いた。



「あ、あなたは――確か以前ゲプハルト男爵のところで――」


 驚いた顔のままフェルディナンドが記憶の糸を手繰っていると、ソファから慌てて立ち上がったロレンツォが頭を下げた。


「は、はい、そうです…… は、初めまして――ではありませんね。あ、あの、この度リタ様の魔術学の家庭教師を拝命いたしました、ロレンツォ・フィオレッティでございます。そ、その節は大変失礼いたしましたっ」


「あ、いや……そんなに恐縮せずとも……むしろあの時、あなたは私達を助けようとしてくれたのではありませんでしたか?」


「あ、いえ、そ、その前段であなた様とそのご家族を捕縛したのは私ですし…… あの時も手荒な真似をいたしまして、なんとお詫びを申し上げればよいのかと……」


 フェルディナンドの質問に、しどろもどろになるロレンツォ。

 確かにゲプハルトに彼らを殺さないようにと進言したのは事実だが、その前段の捕縛も投獄もロレンツォ自身も承知していた。


 事情が事情だったので仕方のない部分もあるのだろうが、実際はどうであれ、派手に痛めつけられたフェルディナンドにしてみれば面白くないのは確かだろう。

 そんな相手の気持ちが理解できる分、ロレンツォは居た堪れない気持ちになってしまうのだった。


 

 しかしそんなロレンツォの思いを察したかのように、笑顔とともにフェルディナンドは話を続けた。


「そういえばあなたは大変だったのではないですか? あれからあなたはゲプハルト男爵の取り調べに立ち会ったと聞いていましたが」


「はい。男爵の命令違反の暴走の証言をいたしました。私はあの時オットー子爵のめいで動いていましたので、中立な立場で証言をさせていただいたのです」


「そうですか……男爵については非常に残念な結果となりましたが、あなた自身はお咎めを受けなかったのですか?」


 その質問に対して、それは皮肉かと一瞬ロレンツォは思ったが、フェルディナンドの顔を見る限りそうではないらしいことがわかる。

 その事実に些かホッとしながら、ロレンツォは答えた。


「おかげさまで私自身はお咎めを免れました。私が男爵の命令に従わずに意見していたのを複数の者が証言してくれたからです」


「そうですか、それはよかった。――あぁ、そうだ。お詫びと言えば、こちらもあなたにお詫びをしなければいけないのですよ」


「なんでしょうか? そのような覚えは――」


 その言葉にロレンツォは眉をひそめる。

 何故なら彼には、フェルディナンドに詫びを言われる憶えがなかったからだ。

 彼の怪訝な顔には「一体自分は何をしたのか?」と書いてあった。


 するとその無言の質問にフェルディナンドが答える。


「うちの娘があなたを殺そうとしたでしょう? その詫びですよ」


「あぁ……」




 あの体験は、ロレンツォにとってはトラウマとも言えるものだった。

 それは殺されそうになったことではなく、たった四歳の幼女に魔法戦で遅れをとったことに対してだ。

 彼とても若くして二級魔術師の認定を受けられるほどの実力だったし、自分の才能や能力にもそれなりの自負もあった。

 しかしそんなプライドも、あの幼い女児に真正面から打ち砕かれてしまった。


 そう、文字通り打ち砕かれたのだ。


 自分が渾身の力で作り上げた魔法防壁マジックシールドを、彼女は真正面から粉々にしたのだ。


 そこに小細工などは一切なかった。

 単純な魔力と魔力のぶつかり合いで、あんな幼い女児に自分は負けてしまったのだ。

 それも彼女の父親が言う通り、あと一歩で焼き殺されるところまで追いつめられてしまった。

 もしもあの状態があと三十秒も続いていたら、きっと今頃自分はここにいなかっただろう。 


 その事実は魔術師協会に提出した顛末書にも記載したが、あまりにもあり得ないその内容は、何度も上司からその真偽を確認されてしまうほどだった。

 それはそれだけ他の人間にも信じられないものだということだ。



 だからこそ自分はここに来た。

 彼女がここの家の孫娘だとわかった時から、自分はその家庭教師の座を狙い続けたのだ。

 そして計画通り、その目的は果たした。

 これで怪しまれることなく彼女に近づける。


 これはまさに千載一遇のチャンスに他ならないのだ。




 ――――



 

「リター、おーい、リタ!! どこにいるんだい!?」


 一頻り世間話が終わったところで肝心のリタにロレンツォを紹介しようとすると、彼女の姿は何処にも見当たらなかった。

 そしてフェルディナンドが大声で叫んでみても、何処からも反応はない。


「おかしいな……この時間に家庭教師の先生が来るからと伝えてあったのだけれど……」

 

 などと呟いていると、ドアの隙間からこちらを見つめる灰色の瞳に気が付いた。

 その瞳は遠くからでもわかるほどに警戒感を滲ませていたが、そんなことにはお構いなしに父親が娘を手招きする。

 その様子は、ともすれば能天気とも言えるほどに警戒心のない姿だった。


「あぁ、いたいた。――おおい、リタ、この人が今日から勉強を教えてくれる先生だよ。ほら、そんなところにいないで部屋の中に入っておいで。きっと驚くぞ、お前も知っている人だからな」


 父親がそう呼びかけてもリタは部屋の中に入ってこようとはせず、相変わらずドアの隙間からジッと見つめているだけだ。

 それでも父親に再度声をかけられると、まさに渋々といったていで姿を現した。


 そして第一声を口に出す。


「おまぁ、なにしに来とん? またられに来たんか?」




 胡乱げにロレンツォを睨みつけるリタ。

 そんな娘に苦笑しながら、フェルディナンドがリタを迎えて打ち合わせを終えると、最後に彼は部屋から出て行った。

 そしてドレスで着飾った幼女とローブを纏った青年魔術師だけが応接室に取り残されたのだった。



 無言のまま見つめ合うリタとロレンツォ。

 初めは何となく気まずい空気が流れていたが、これではいけないとばかりにロレンツォが口を開いた。


「今日から早速魔法の勉強を始めたいと思うのですが……その前に一つよろしいですか?」


 相手が四歳の幼女とは言え、ロレンツォは敬語を使う。

 それは平民出身の彼としては極めて常識的なことだった。

 相手が貴族であれば、その年齢にかかわらず敬語を使うのは当たり前のことだったからだ。


 そんな彼に対して、相変わらず怪訝な表情のままリタは答える。


「なんぞ? わちはおまぁの質問には答える気はないろ」


「なにをさっきからヘソを曲げているのです? 僕があなたを酷い目にあわせたからですか? それならば、気が済むまで謝罪しますよ」


「むぅ……もうええわ。なんぞ、言いたいことがあるんか?」


「はい。先ほどあなたの父上の前では言いませんでしたが、実はこの勉強を始める前に、幾つか僕はあなたに伝えたいことがあるのです」


 そう言うと、ロレンツォは背筋を伸ばして椅子に座り直した。

 そしてジッとリタの顔を見つめる。

 そんな彼に対し、リタも負けじと鋭い視線を投げつけた。



「あ゛? いまさらなんじゃ? まぁええわ、言うてみい」


「はい、まず一つ目。僕があなたに教えられることは何もありません」


「……」


「二つ目。僕は自分から志願してここに来ました」


「……おまぁの言ってることは、しゃっぱりわからんのぉ」


「三つ目。僕はあなたの正体を知っています。あなたの本当の名前を当ててみせましょうか?」


「なんじゃとぉ!?」


 あまりの想像の斜め上すぎる発言にリタの片眉は大きくはね上がり、次の瞬間レンテリアの灰色の瞳が鋭く細められた。

 ロレンツォの言葉の真意を咄嗟に理解したリタは、その鋭く細められた瞳で彼を睨みつける。


 しかしそんな視線をものともせずに、ロレンツォは尚も言い募った。


「あの無詠唱魔術。あんなことができるのは世界広しと言えど数人しかいません」


「……」


「そしてあの召喚魔法。最高レベルの召喚士は僕も何人か知っていますが、あんなヘカトンケイル なんて化け物を呼び出せるのは一人しか知りませんよ」


「……」


「ねぇ、そうでしょう? 『ブルゴーの英知』アニエス・シュタウヘンベルク殿」




 バンッ!!


 その直後、突然ロレンツォの背後の壁に亀裂が入る。

 どうやらリタは、彼の言葉の直後に無詠唱で攻撃魔法を放っていたようだ。

 全く予備動作のない素早い動きだったために、その攻撃にはロレンツォをして反応することができなかった。

 もしもリタが本気で当てていれば、恐らく彼の頭は無くなっていただろうと思われた。


「……おまぁ、何処まで知っちょる? 返答次第ではこのまま殺すじょ」


 凡そ四歳児とは思えない気迫でリタが詰め寄ってくる。

 その右掌はロレンツォに向けられたままで、次の言葉次第では彼を本当に殺すつもりのようだ。


 しかしそんなリタの迫力に気圧されることなく、やや興奮気味にロレンツォは答えた。


「そう、それですよ!! その予備動作のない無詠唱魔術!! 素晴らしい!! 僕はそれが知りたい!! それが学びたいのです!!」


「……おまぁ、何を言うちょる? 正気か?」


 リタがギロリとその灰色の瞳で睨みつける。

 それと同時に、淡い光を放つ掌をロレンツォの顔に近づけた。

 するとその視線を真正面から受け止めたロレンツォは、興奮冷めやらぬといった様子で大きな声ではっきりと答えた。



「もちろん正気です。 ――アニエス・シュタウヘンベルク殿、僕をあなたの弟子にしてください!! お願いします!!」

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