第78話 彼女の気に入らないこと
「うぬぅ……気に入らにゅ……」
ロレンツォがリタに幼児用の魔法の杖を届けた翌日、その杖を目の前にしてリタは唸り声をあげていた。
昨日は両親に可愛い可愛いと誉めそやされて、いい気になって踊り回ってしまったが、一夜明けて改めてその杖を見ていても、やはりどうしてもそのデザインを相容れられなかったのだ。
しかも腹立たしいのは、これほど壊滅的に酷いデザインであるにもかかわらず、魔法の杖としては非常に優秀だったのだ。
さすがは王国魔術師協会謹製と言ったところか、その性能は折り紙付きだった。
アニエスがこのリタの身体に転生してからというもの、ずっと彼女は杖無しの無手で魔法を使ってきた。
一定以上の実力があれば、魔術師は杖がなくても魔法を発動できる。
確かにそれは事実であるが、しかし杖が有るのと無いのとでは、魔法の威力に結構な差があるのを改めて身に染みたのだ。
前世でのアニエスレベルになると、さすがに無手でも十分な威力の魔法を発動できるが、この小さく幼いリタの身体では杖の有り無しで魔法の威力に結構な差がある。
やはり一度に放出できる魔力量が少ない場合には、杖を媒介とした方が効率がいいのだろう。
そもそも実力的に杖に頼る必要のなかった前世のアニエスは、そんな基本的なことですら二百年以上も前に忘れてしまっていた。
そして今回、今さらながらにそれを思い知らされていたのだ。
「ちゅうことは、なにか? わちは今後もこりぇを使わんならんちゅうことなんか?」
何気に茫然とした顔で、リタは目の前に置かれたピンク色の杖――ステッキを見つめる。
性能はいい、性能は。
それは自分も認めようじゃないか。
しかしこのデザインはどうにかならなかったのか。
この杖の製作者は、一体どんな顔をしてこんなデザインにしたのだろう。
そう思わざるを得なくなったリタは、この杖の製作者を小一時間問い詰めたくなったのだった。
杖の件はまぁ、良しとしよう。
どうしても気に入らなければ、最悪使わなければいいだけの話なのだから。
しかしもう一つ気に入らないことがあるのだ。
それがなにかというと……
「リタ様、ロレンツォ様。お疲れでしょう? お茶をお持ちいたしましたので、一休みなさって下さい」
「あい」
「あぁ、ありがとうございます。ジョゼットさん、いつもすいません」
「あ、いえ。私は仕事をしているだけですので、礼には及びませんよ」
「でも、あなたの淹れてくれるお茶はとても美味しいですから」
「そ、そんな…… ありがとうございますっ。そ、それでは失礼いたしますっ」
そう、それはロレンツォとジョゼットのことだった。
リタの見間違いでなければ、どうも最近二人の関係がおかしいような気がするのだ。
ジョゼットはレンテリア家で働き始めて二年になる十八歳のメイドだ。
その顔は決して美人とは言えないが、スラリと背の高い容姿と短めに整えられた茶色の髪が美しい女性だ。
そして笑うとえくぼが可愛い。
元々彼女は客室担当のメイドだったが、リタがこの屋敷に来た時に彼女の世話を担当した。
するとその時リタが懐いたために、それ以降は彼女専属の世話係に抜擢されたのだ。
今ではリタの朝の着替えから食事の手伝い、魔術やマナーの勉強の準備、毎日の風呂の支度など、彼女の仕事は朝から晩まで多岐に渡る。
それでもリタが午前に二時間、午後に二時間魔術の勉強をしている間は少しゆっくりとしているようだ。
そして時々お茶とお菓子を持って現れる。
それが最近――ロレンツォがここに来るようになってから二週間経った頃から――どうにも様子がおかしくなり始めた。
もともとジョゼットはそれほど口数が多い女性ではないのだが、何故かロレンツォに対しては自分から積極的に話しかけようとするのだ。
それも彼と話が合いそうな話題をわざわざ探してきては雑談を繰り返している。
初めの頃はそんな彼女の態度にロレンツォも表面的な対応に終始していたが、どうもここ最近は様子がおかしかった。
ジョゼットが提供する話題にも積極的に乗ろうとするし、彼女が笑うとロレンツォも楽しそうに笑うのだ。
それはジョゼットも同じだった。
仕事の合間の短い時間でしかないが、彼女は本当に楽しそうにロレンツォと会話をしているし、彼がやって来ない休日は何処か寂しそうな顔をしていた。
そして彼がやって来る日は、朝から楽しそうにしているのだ。
「くっそぅ、どいつもこいつも色気づきおってからに……」
ぶつぶつと小声でリタが悪態をついていると、そんなことには気づかずに茶とクッキーを置いたジョゼットが部屋から出ていく。
その姿を追いかけるようにロレンツォが視線を動かしていると、突然リタが声をかけてきた。
つい先日自分に弟子入りを果したばかりの若きエリート魔術師を見つめるリタの灰色の瞳は、何気にジトっとしていた。
「のう、ロレンツォよ」
「……」
すぐ近くでリタが呼びかけても、全く反応がない。
つい今しがたジョゼットが出て行ったドアを見つめながら、ロレンツォは呆けたような顔をしていた。
そんな彼の様子に余計にイラっときたリタは、つい大声が出てしまう。
「ロレンツォ!! 師匠が呼んどるんじゃ、返事せんかい!!」
「あっ!! は、はいっ!! す、すいません!!」
リタの叫び声に驚いて、即座に直立姿勢をとるロレンツォ。
その姿をジトっとした灰色の瞳で
「のう、ロレンツォよ。おまぁもわかっちょろうが、
「えっ!? あっ、いや、その、べ、べつに僕はジョゼットさんがどうとかでは――」
「誰もしょこまで訊いちょらんわ!! おまぁがジョゼットをどう思っちょるかなんぞ、わちには興味ないしの!!」
突然向けられた意味ありげな視線を受けて、何故かロレンツォは焦っていた。
やましいことがなければそんな反応を返すはずがないので、やはり彼はあのメイドを憎からず思っているのだろう。
そう思うと余計にイラっとするリタだった。
つい先日、この男は自分に弟子入りしたばかりではなかったか。
その心意気を汲んで自分はこれから膨大な量の知識を授けようと思っていたというのに、その直後から
前世の自分は、一生を魔法に捧げたのだ。
そのために生涯純潔を貫いたというのに――まぁ、それだけが理由ではなかったが――それなのにこの男は……
――まぁ、人を好きになるのは悪いことではないか……
直立不動で固まっているロレンツォを見ていたリタは、突然ふっと肩の力を抜いた。
そして何処か寂しそうな顔をしたかと思うと、直後に優しく微笑んだ。
「まぁ、時間のある時であればジョゼットと話をするのはかまわにゅ。やちゅも喜んでいるみたいだしのぉ……」
そう呟いたリタは、どこか遠くを見るような目をしていた。
「リタ様、失礼いたします。フェルディナンド様とエメラルダ様がお呼びです。こちらへお越しいただけますか?」
座学の勉強の時間に勉強部屋の扉がノックされると、遠慮がちにジョゼットが要件を告げた。
そして両親の待つ客間へと案内してくれた。
目的地が客間ということは、誰か客が来ているのだろう。
そしてその客は自分に関係があるらしい。
そうでなければ、こんな幼女の自分が呼ばれるわけがないからだ。
もとより自分に用事のある客などそういないはずだが――
などと胡乱な顔をしながらリタが客間に入って行くと、いきなり父親が出迎えた。
「やぁ、来たねリタ。お前にお客様だよ。さぁ入ってご挨拶をしてくれるかい?」
フェルディナンドが優しくリタの背中を押して客間の中へ導くと、正面のソファにリタの知らない人物が佇んでいるのが見えた。
それは女性だった。
ソファに座っているので身長はよくわからないが、それでもそれほど長身という感じは受けない。
長いストレートの髪はまるで夜の闇のような漆黒で、気の強そうな些か吊り上がり気味の瞳も同様に黒色だ。
その黒い髪と瞳の色はこの国ではとても珍しいので、出会った人間は一番最初にそこに目がいくのだろう。
しかし彼女にはそれ以上に目を引く部分があった。
それは顔だった。
その顔はまさに絶世の美女と言っても過言ではなかったのだ。
ともすれば人工的とも言えるほどに整ったその顔は、彼女の珍しい黒髪と瞳の色よりもさらに人目を引いていた。
その美貌と余裕を感じさせる佇まいから年の頃は二十代後半に見えるが、もしかするともう少し若いのかもしれない。
そんな見るからに貴族の奥方然とした女性が、リタの姿を見て口を開いた。
「あぁ、あなたがリタですね。――初めまして。
そう、その言葉の示す通り、彼女はムルシア侯爵家の次期当主オスカルの妻、シャルロッテだった。
その彼女がアポなしでいきなりレンテリア家の屋敷を訪れたのだ。
突然の訪問だったため、
そのため、留守を預かっていたフェルディナンドとエメラルダがその相手をしていたのだ。
とは言え、相手が侯爵家の若奥方なので、それを伯爵家の次男夫婦が相手をするのは些か荷が重そうだった。
そんな両親の気持ちを知ってか知らずか、突然自己紹介をしてきた相手にリタもそれを返した。
「お
彼女はそう言いながらスカートの裾を両手で持つと、貴族の令嬢の挨拶「カーテシー」を完璧な形で披露した。
その舌足らずな滑舌の悪い喋りを聞いてシャルロッテは一瞬眉を顰めたが、恐らく事前にリタの生い立ちを聞いていたのだろう、彼女はそれには特に触れなかった。
そして口元に弧を描く。
「これはこれは…… なんとも噂に聞く以上に可愛らしい女の子ですこと。ふふふ、お義父様が一目で心奪われるのも納得ですわ」
まるで遠慮という言葉を知らないかのように、シャルロッテはジロジロとリタの姿に目を走らせる。
そして再び口を開いた。
「本日は先触れもなく突然お邪魔いたしまして、大変失礼いたしました。先日より
そこまで言うと、シャルロッテは一旦言葉を切る。
そして目の前の三人の顔に視線を走らせると、すぐに続きを口にした。
「そこで
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