第71話 ムルシア公の正体

 夕食時間間際になって、やっと話し合いが終わった。

 そのためレンテリア家はムルシア侯爵家当主バルタサール・ムルシアを夕食に招待したのだが、彼はその申し出を丁重に断った。


 彼曰く、侯爵などが食事の席にいると、誰も料理の味がわからなくなるだろうと言うことらしい。

 そしてその可笑しそうに冗談めかした言い方からは、周りに対して彼なりに気を遣っていることが伺われた。


 バルタサールはとても気さくで話しやすい人物ではあるが、本来であればそれを真に受けて下位の貴族から気軽に声をかけられるような人物ではないのだ。

 特にラローチャ子爵マルセロのようにバルタサールと二つも爵位が離れていれば、マルセロの方から声をかけることは不敬にあたる。


 だからこの後の食事会にバルタサールが同席すれば、その場は間違いなく葬式会場のようになってしまうだろう。

 そしてそれを避けるためには、バルタサールの方から周りの者たちに話題を振らなければならないのだ。

 だから彼が食事の招待を遠慮したのは、もしかするとそれを面倒だと思っただけなのかもしれなかった。



 自分がこの家に長居すると、周りの者たちが気疲れする。

 それが良くわかっているバルタサールは、話し合いが終わり次第帰り支度を始めた。

 そしてセレスティノたちが少しの間席を外した隙に、筆頭執事のエッケルハルトが丁重に礼を述べる。


「ムルシア侯爵様。本日は我があるじにお力添えをいただきまして、誠にありがとうございました」


「なに、かまうことはない。この老骨が役に立つのであれば、またいつでも駆け付けよう」


 エッケルハルトの言葉に、バルタサールは鷹揚に頷く。

 その態度には全く偉ぶったところは伺えず、彼が本当に気さくな性格をしていることがわかるものだった。

 そんなムルシア公にエッケルハルトが遠慮がちに声をかけた。



「……ところで、本当によろしかったのでしょうか? 先ほどのお話では――」


「あぁ、リタのことか? うむ、確かに降って湧いたような話ではあったが、わしにしてみれば、これほどいい話はなかったぞ」


「左様でございますか。それならばよろしいのですが」


「うむ、うむ。あれほど愛らしく強い魔力持ちの女子おなごを我が家に迎え入れられて、わしは満足だ。きっと息子も孫も喜んでくれるだろう」


「そう仰って頂けるのであれば、これ以上私からは申し上げることは何もございません。この度は本当にありがとうございました。我が主に成り代わりまして、深い感謝の意を表します」


 背筋を伸ばし、最上級の礼を交わすエッケルハルト。

 その姿を眺めていたバルタサールの片眉があがる。



「……おい、言っておくが、お主何か勘違いしてはおらんか? わしはただリタが欲しくなっただけだ。それ以外に他意はないのだぞ?」


 バルタサールの眼光が鋭くなる。

 その顔を見ていると、本来の彼が猛将と名高い将軍であることを思い出してしまう。

 それでもエッケルハルトは平然と素知らぬ顔をした。


「失礼いたしました。私のほうも特に他意はございません。ただお礼を、と思っただけでございます」


「ふんっ、さすがだな。お前がいる限りレンテリア家はこの先も安泰だろう。わしもお前のような執事が欲しくなってくるわい……」


「お褒めの言葉を頂き、誠に恐縮でございます。全ては主のためでございますれば」


「ふんっ。一度お前の腹を切り裂いて中を見てみたいものだ。さぞ色々な物が出てくるのだろうな」


「ありがとうございます。それはお褒めの言葉として受け取らせていただきます」


 そう言うと、エッケルハルトは深々と頭を下げたのだった。




 バルタサールはその場の流れと勢いでリタを自分の孫の嫁に欲しいと言ったように見えたが、恐らくそれは違うのだろう。

 もちろんその気持ちに偽りはないのだろうが、その言葉の裏には巧妙に隠された彼なりの計算があったに違いないのだ。


 バルタサールが館に現れた時、エッケルハルトは駆け落ち事件の件で両家が話し合いの真っ最中であることを告げた。

 そしてそれぞれの主張と問題点、今後の展望なども同時に説明すると、突然バルタサールは廊下に立ち止まったのだ。

 そしてその太い腕を組んで何かを考え始める。


 その時間は一体どのくらいだっただろうか。

 恐らく時間にして三十秒かそこらだったと思うのだが、彼はおもむろに組んでいた腕をほどいた。

 そしてその厳つい顔に、意味ありげな笑いを張り付けていたのだった。



 その後の展開はご存じの通りだ。

 結局バルタサールは、フェルディナンドとマルセルが延べ二日もかけた話し合いを、たったの一言で片づけてしまった。


 それは彼が思いつきで言ったようにその場の全員には聞こえていたが、唯一エッケルハルトだけにはわかっていた。

 その言葉は計算されつくした結果であるのだと。



 ムルシア家が代々王国の軍事を司る家なのは誰でも知っている。

 そしてバルタサールがそこの当主であること、鍛え抜かれた大柄な体格をしていること、そしてその豪快な性格から彼が「脳筋」と揶揄されているのは周知の事実だ。

 しかし先ほどの様子を見る限り、彼はそれとは真逆の人間であることがわかる。


 確かにバルタサールは「脳筋」と呼ばれるに相応しい容姿をしているが、本来の彼は聡明で思慮深く、そして知略に長けた人物であることが伺われるのだ。


 しかし彼はそれを隠している。

 恐らく彼は敢えて周囲に「脳筋」と呼ぶに任せているのだ。

 そしてそうとは知らずに、周囲は彼が単純な人間だと思い込んでいる。



 齢六十三には見えないほどに鍛え上げられた大柄な身体のムルシア侯爵家当主バルタサール・ムルシア。

 その彼がのしのしと肩を揺らしながら歩く姿を見つめながら、エッケルハルトは何度も胸の中で感謝の言葉を呟いていたのだった。




 ――――




「おい、ギルド長!! 半月以上も何処に行ってやがった!! こちとら急いでるっていうのによ!!」


 冒険者ギルド、ハサール王国支部の応接室に野太い声が響き渡る。

 その声は決して粗野ではなかったが、その音程も声質も、そして口調も全てが聞く者を怯ませるに十分な迫力に満ちていた。


 声だけでも身が震えるほどに迫力があるのに、決して人相が良いとは言えない無精ひげの目立つその顔とまるで熊のように大きな体は、見る者を余計に尻込みさせるようなものだった。


 そんな男の目の前に、呆れるような視線を投げつける男がいた。

 もちろんその男は、冒険者ギルド、ハサール王国支部のギルド長を務めるランベルトだ。

 彼はその太く低い声で威嚇する男――クルスの顔を呆れるような顔で眺めていたのだった。



「何処に行ってたかって…… そりゃあ、お前、オルカホ村に決まっているだろ。お前は何を言っているんだ?」


「うるせぇな。俺はお前に用事があったんだよ。せっかく人が頼みごとをしてやろうってのに、いないとはいい度胸だな――って、おい、オルカホ村だと!?」


「……おい、いい加減にしろ。お前が行けって言ったんだろうが!! アニエスに危機を知らせるのをお前が断ったんだろ!! だから代わりに俺が行ってきたんだよ、馬鹿野郎!!」


「あ、あぁ、そ、そうだったな……」


 それまで一方的に捲し立てるだけだったクルスだが、ランベルトの言葉にハッとした。

 どうやら彼は、そのことをすっかり忘れていたようだった。

 そんなクルスに向かって、ランベルトは思い切り不機嫌な顔になる。 



「そもそもどうして俺がお前に『お前』呼ばわりされねばならんのだ!! ひとつ言っておくが、俺はお前の上司なんだぞ。それをお前は――」


「それで、アニエスには会えたのか!? あのばばあによ!!」


 ギルド長の説教などどこ吹く風といったていでクルスが言い募ると、余計にランベルトの眉間にしわが寄り、こめかみに血管が浮かび上がる。


「礼の一言も言いやがれ、この野郎!! おかげで十八日間もギルドを空けちまったじゃねぇか!! この溜まった仕事はどうしてくれんだよ!! 今夜は徹夜じゃねぇか、くそっ!!」


「てめぇのぼやきはどうでもいいだろ!! だからばばあに会えたのかって訊いてんだろ、さっさと答えろ!!」


「てめぇ…… いつか絶対に締めてやるからな…… 残念ながら会えなかったよ。アニエスとは行き違いだったんだ。訊けば領主と揉めて村を追い出されたらしいな。くっそぉ、とんだ無駄足になっちまった。俺の十八日間を返してくれ」


 恨めしそうにそう呟くギルド長を尻目に、クルスは何かを考えているように見えた。



「そうか、やっぱりな。それじゃあ余計に面会するべきだな」


「面会? なんだそりゃ?」


「そこでギルド長、お前に頼みがあるんだが」


「それが人にものを頼む態度なのか? もっとこう、なんかないのか、お前は」


「うるせぇな……おう、単刀直入に言わせてもらう。俺とパウラをレンテリア伯爵家の孫娘に会わせろ」


 まるで何かの冗談のようにも聞こえたが、クルスの顔を見ていると彼が冗談で言っているのではないことがすぐにわかった。

 するとランベルトも真顔になる。



「……なんで俺が? 俺がレンテリア家にコネがあるとでも?」


「いや、お前なら何とかできるんじゃないかと思ってな。仕事柄色々な貴族に会ったりするだろ?」


「……無理じゃねぇか? なにせ時期が悪すぎる。レンテリア家の孫娘って、あれだろ? 俺は留守だったから見ていないが、あの美少女だと街中で評判の――」


「そうだ、それだ。そいつに会いたいから、手を貸せ」


「お前なぁ…… もっと言い方ってもんがあるだろう…… まぁ、どのみち今はタイミングが悪すぎる、諦めろ」


「なんだよ、タイミングって?」


「なんだお前、知らないのか? その新しくやって来たレンテリア伯爵の孫娘に、他の貴族連中が競うように面会の申し込みをしているらしいぞ。どうせ婚約者の見極めだとか禄でもない理由だろうけどな。だから今申し込んでも、実際に面会できるのは何か月も先なんじゃないのか? しがないギルド長の名前が貴族連中に優先される理由もないしな」



 ランベルトの言うことはもっともだった。

 街中で話題のリタは、すでに多くの貴族家から面会の申し込みを受けていたのだ。

 しかしバルタサールには孫の婚約者として請われたが、未だ正式に決まったわけではない。

 だからリタの立場をどう説明すればいいのか、セレスティノにはわからなかった。


 まさか正式に決まってもいないうちから将来のムルシア侯爵夫人と説明するわけにもいかず、貴族からの面会の断り文句をどうするかでセレスティノもイサベルも頭を悩ませていたのだ。

 


「どうせ断られると思うが、一応ギルドの名前で面会を申し込んでみるか? ――それはそうと、なんでまたレンテリア伯爵の孫娘なんかに会いたいんだ? お前は」


 ランベルトの顔に怪訝そうな表情が浮かぶ。

 彼にしてみれば、一介のギルド員が何故伯爵家の令嬢に会いたいのかがわからなかった。

 彼の知る限り、クルスとパウラと伯爵家の令嬢との接点がどうしても思い浮かばなかったのだ。

 そんなランベルトに向かって、クルスが再び口を開いた。



「なぁ、アニエスの現在の名前はなんだ?」


「あぁ…… えぇと、リタ、だな。オルカホ村のリタだ。それがどうかしたか?」


「それじゃあ、新しくやって来たレンテリア伯爵の孫娘の名前は?」


「えぇと……確かリタ、だったな…… って、おい、ちょっと待て!!」


「これでわかったろ? お前とリタは本当の意味で行き違いになっていたんだってことがよ。さぁ、ギルドの名前で面会を申し込んでくれ。できれば早く会いたいとも書いてくれよ」


 そう言ったクルスの顔には、何処か楽しそうな表情が浮かんでいたのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る