第72話 閑話:勇者と奥方とご無沙汰

「お帰りなさい、あなた。今日も遅くまでお仕事お疲れ様。さぁ、こちらでお休みください」


「ただいま、エル。あぁ、いいよ、君はそこに座ったままでいいから」


 リタのいるハサール王国からアストゥリア帝国を挟んで南へ500キロ、ここはブルゴー王国にあるコンテスティ公爵家の屋敷の一室だ。

 すでに深夜とも言える遅い時間であるにもかかわらず、煌々とシャンデリアの光が降り注ぐ。

 そんな眩い部屋の中、仕事から帰宅した夫を気遣うように未だ年若い妻が出迎えていた。


 夫は鍛え抜かれた中肉中背の身体に浅黒い肌、そして黒目黒髪が似合う精悍な顔つきの二十歳はたち過ぎの若者だ。

 そして妻は、真っ白な肌に白に近い銀色の髪、透き通るような青い瞳が印象的な十代後半の美少女だった。


 人妻を捉まえて「美少女」というのもおかしな話だが、実際に目の前にいる妻を表現するとしても、その言葉しか思い浮かばない。

 それほどに若く美しい妻だった。


 その妻が大切そうに抱える小さく膨らんだ下腹部は、彼女がもうすぐ母親になることを表していた。

 そんな若くて美しく、そして自身の宝物をその腹に宿す妻に見惚れながら、夫――勇者ケビンは口を開く。



「今日ギルドから連絡があったんだ。もちろん、ばば様の件だよ」


「えっ? ばば様の? なにかあったのですか? そんなギルドから連絡が来るなんて……」


 ケビンの言葉に、妻――エルミニアが怪訝な顔をする。

 以前聞いた話では、アニエスは四歳の女の子に転生してハサール王国で両親とともに幸せに暮らしているということだったはずだ。

 それを突然ギルドは何を伝えてきたのだろうか。

 彼女に何かあったのだろうか。


 そんな妻の疑問を敏感に感じ取ったケビンは、エルミニアが口を開く前に説明を始めた。


「ばば様を見つけ出してくれたギルド員が、暗殺者に襲われたらしい」


「えぇ!? それじゃあ、その人たちは……」


「いや、それが二人は無事だったそうだ。もっとも、別のもう一人は殺されてしまったらしい。なんでもその人はギルドの女性事務官だそうだ」


「そんな…… なんということでしょう…… その方にも家族はいるでしょうに」


「あぁ。まだ年若い職員で、幼い子供が二人いたそうだ。なんとも気の毒と言うか――」


 思わず言葉に詰まるケビンを尻目に、無意識にエルミニアは自身の下腹部を摩っていた。

 未だ出産まで間はあるが、彼女の意識はすでに母親になっていたのだ。

 だからその訃報を聞いた時、思わず彼女は自分たちの愛の結晶に手を伸ばしてしまったのだろう。

 もしもこの子が同じ目に会ったと思うと、あまりにも不憫だったからだ。



「それでは、私たちの依頼が原因でその女性事務官は殺されてしまったと?」


「……そういうことになるな、なんとも気の毒な話だが。それで見舞金を送ろうかと思うのだが、どうだろう?」


「はい。是非そうなさって下さい。そんなお金で幼い子供達のお詫びになるとは思えませんが、私達にはこのくらいのことしかできないのですから」


「あぁ、その通りだな。それでは明日にでも早速手配しよう」


「よろしくお願いします。――それでもうお二方は?」


「それなんだ。なんとも信じがたい話だが、二人はその暗殺者四名を返り討ちにしたらしい。そして全員殺してしまったそうだ」


 そう語るケビンの顔には、何処か信じられないと言った表情浮かんでいる。

 その顔を見る限り、彼自身もこの話が眉唾物だと思っているのだろう。

 そんな夫の顔を眺めながら、エルミニアは驚きの声を上げる。



「えぇ!? そんなことができるのですか!? だって相手はきっとあの暗殺者集団なのでしょう? それを一介のギルド員が返り討ちになんてできるものなのですか?」


「あぁ。もしもそれを差し向けたのがセブリアン殿下だとすれば、それは間違いないだろう。あのお方はあの暗殺者組織と裏で繋がっているという噂があるくらいだからな。そしてその四人を二人のギルド員が返り討ちにして、あまつさえ皆殺しにしたんだ」


「――それで、ハサール王国側は何も言ってきてはいないのですか? もしも何か出た場合、国際問題になるのでは……」


「いや、それが何も出なかったらしい。もっとも相手はプロだ。依頼主に繋がるようなものは何一つ残さないだろう」


 恐らく今回暗殺者を送り込んだのは、ブルゴー王国第一王子のセブリアンで間違いないだろう。

 そしてそんな彼らが返り討ちにあって何か出た場合、速攻で外交ルートを通じて抗議してくるはずだ。

 しかしそんな話が一向に出ないということは、何も証拠が出なかったのだろうと思われた。



「そうですか……それであなたはどうされるのです? なにか動くおつもりですか?」


「いや、俺には何もできないよ。まさかハサール王国まで駆け付けるわけにもいかなければ、代わりに助けを派遣することもできない。精々亡くなった職員の遺族に、こんな風に見舞金を送る程度だ。――あぁ、それから、ばば様の現在の名前と居場所がわかったよ。すでに殿下には知られてしまったから、今さら隠す必要はなくなったようだ」


「そうなのですか」


「ばば様のいまの名前は『リタ』というらしい。四歳の女の子で、ハサール王国の辺境にあるオルカホ村で元気に暮らしているそうだ。そして彼女には危険が迫っていることを現地のギルドから知らせてくれると言っている。……もっともギルド員が辿り着く頃には、暗殺者は返り討ちにされていると思うけれど。ばば様の強さが以前と同じであるならね」


「そんなにですか…… もしも戦闘になったとしても、ばば様お一人で大丈夫なんでしょうか? 実際に私は見たことがないのですけれど、相当お強いとは聞いていますが」


 妻のその質問に、ケビンは何かを思い出すような仕草をする。

 無精ひげでチクチクとする顎をさすりながら、何もない中空に視線を走らせた。


「あぁ、強いな。ばば様は魔術師だが、その専門は攻撃系に大きく傾いている。いいかい? 突然目の前で魔力弾マジックミサイルを撃たれてごらんよ。しかも全く予備動作のない無詠唱でね。そんなもの避けられるわけがないだろ。死ぬよ、普通」


 何を思い出したのか、ケビンの顔には苦笑が浮かんでいた。

 しかしその顔は何処か誇らしげで、まるで自分の父親の凄さを自慢する息子のような顔になっている。

 そんな顔をするケビンはまるで少年のように見えて、思わずエルミニアは笑いそうになってしまった。



「しかもあの人は魔術師なのに、近接戦闘までこなすんだ。障壁で身を守りながら、至近距離から真空波やら火球ファイヤーボールやら光弾やらの雨あられだ。そんなもの、こちらの方から距離を取りたくなる。しかし、それで距離をとったらお終いなんだ。もう二度と彼女には近づけない。挙句の果てに突然空から巨大な隕石が降って来るんだからな。――全くあり得ないだろう?」


「そ、それは確かにあり得ませんね……」


「しかもな、それだけでも手が付けられないというのに、ばば様は召喚魔法まで使いこなすんだよ。魔王戦では呼び出したイフリートで全てを燃やし尽くしたし、ヴァリガルマンダを呼び出した時なんて全てのものを凍らせたんだ」


「ま、まるでデタラメですね……」


「あぁ、本当にデタラメだ。もしも彼女が本気を出せば、たぶんこの王都の半分は一瞬で消し飛ぶんじゃないかな? だから歴代の王は誰もばば様を怒らせるような真似はしなかっただろう?」


「た、確かに……」




 夫の話を聞いたエルミニアは、その光景を思い浮かべて思わず背筋が寒くなってしまった。

 以前からアニエスが攻撃系に特化した偉大な魔術師だと聞いてはいたが、夫をして興奮気味に語らせるほどにその実力は高いということなのだ。


 魔法や戦闘などとは縁のないエルミニアは、実際にアニエスが魔法を行使した場面を見たことがなかった。

 エルミニアの前では彼女はいつも好々爺然とした微笑を浮かべるまるで祖母のような存在でしかなかったのだ。


 特に母親も祖母も早くに亡くしているエルミニアにとって、アニエスは本当の祖母のような存在だった。

 そして最愛の夫の育ての親であり、教育者でもある。

 

 そんな優し気な祖母のような人物が、いざとなれば躊躇なく人を殺す。

 国のためであれば、大量虐殺も厭わない。


 その現実を思い出したエルミニアは、思わずブルリとその身を震わせた。



「エル、身震いなんかしてどうした? もしかして風邪か? 最近は冷え込むから気をつけないと」


 そう言ってケビンは妻の身体を優しく抱きしめる。

 そしてその手を小さく膨らむ下腹部に伸ばした。


「さぁ、もう遅いから休まないと。君はもう君一人の身体じゃないんだ。ここにはもう一人の命が宿っているんだから」


 そんな夫の心遣いにうっとりとした顔をしながら、エルミニアが囁く。


「そうですね。それではもう休みましょう。――あなたも湯浴みをお済ませください。せめてそれまではお待ちしておりますから。ベッドの中でね……うふふ」


 そう言って夫を見つめる妻の顔には、何処か小悪魔のような表情が浮かんでいた。

 そしてその表情が意味するものにピンときたケビンは、俄然鼻息を荒くして立ち上がる。


「わ、わかった!! すぐに湯を浴びてくる。君は先に寝室に入って横になっているんだよ、いいね? 明日の公務は午後からだから、多少の夜更かしは大丈夫だから!! すぐにいくから、寝ないで待っててくれよ!!」


「はい、承知いたしました。それでは寝室でお待ちしております。そんなに慌てないで下さい、私は逃げたりしませんから。うふふ……」



 何処か意味ありげな微笑みを浮かべる最愛の妻から無理やり視線を引き剥がすと、ケビンは慌てて浴場に走って行く。


 今度こそは彼女が眠ってしまう前にベッドの中に潜り込むのだ。


 そして今夜こそは久しぶりに――


 

 いくら世間から「勇者様」だの「救国の英雄」だの言われて持て囃されていても、愛する妻の前では所詮一人の男でしかないケビンだった。

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