第70話 将来の侯爵夫人候補

「リタをわしの孫の婚約者として考えてくれんか?」


 唐突にその言葉を口にしたムルシア公バルタサール卿の顔を、レンテリア伯爵夫妻とラローチャ子爵夫妻が揃って凝視した。

 この場の誰もがバルタサールの言葉の意味を咄嗟に理解できなかったらしく、その顔にはまさに「ポカン」という擬音が聞こえてきそうな表情が浮かんでいる。


 今まさにフェルディナンドとエメラルダの婚姻について合意をするところだったのだ。

 そうであるにもかかわらず、その直前にそれを変更するような提案を突然出されてしまった。


 もっともレンテリア家の提案はあまりにも虫の良すぎる内容だったので、もとよりバルタサールの理解を得られるとは思えなかった。

 もちろんそれは当のセレスティノもイサベルも十分に理解していた。

 それでも彼らがその提案を強行したのは、それ以外に方法がなかったからだ。



 それに反して、フェルディナンドの出した案はまさに完璧とも言えるものだった。

 確かにその内容を受け入れられれば全てが丸く収まり、長年の懸案事項だった駆け落ち事件にも片が付く。

 そしてそれは両家にとってウィンウィンの結果になるのだ。


 唯一、リタがレンテリア家からいなくなってしまうことを除いては。


 しかしその唯一こそが、レンテリア伯爵夫妻には許せなかった。

 もしもこのままフェルディナンドの案を飲んでしまえば、リタは他所の家の子供になってしまう。

 その事実を思うと、たとえ他のことには我慢ができてもどうしてもそれだけは受け入れ難かったのだ。


 もちろん次男を他家に差し出すこと自体に抵抗があるのも事実だが、それ以上に愛する孫娘を取られてしまうことに耐えられなかった。



 しかし苦し紛れに提案をしてみたものの、バルタサールがそれに対して首を縦に振るとは思えない。

 ともすればそれは「身内に甘い」とバッシングを受けざるを得ないような内容だったし、厳格で裏表がなく真っすぐな性格の「脳筋」とあだ名されるバルタサールをして、彼らは説得をする自信もなかったのだ。


 それでも万に一つの可能性にかけて己の案を強行した彼らだったが、いざ蓋を開けてみると、当のバルタサール本人の口からあっさりと許しが出たのだった。


 そして気付くと、何故かリタを彼の孫の婚約者にと請われていた。




「バルタサール卿、それは……」


 咄嗟にどう答えればいいのかわからずにセレスティノが口ごもっていると、その背後でイサベルが何か言いたそうにしている。

 しかし上位貴族のムルシア侯爵を前にして、さすがにいつものように夫を押し退けるわけにいかなかった。

 彼女とてバルタサールには色々と訊きたいこともあったのだが、敢えてその口を噤んでいたのだ。


 しかしそんな様子には全く気付くことなく、バルタサールは話を続ける。


「おぉ、唐突すぎて話が飲み込めなんだな。それはすまぬ。――わしの長男に八歳になる男児がおるのは知っておろう?」


「――オスカル様のご長男ですね。確かフレデリク様でしたか」


「おぉ、よく憶えておったのぉ。――そうなのだ、それの婚約者が未だ見つからぬままでなぁ。そこでリタはどうかと思ってのぉ」


「はぁ」


 セレスティノは思わず気の抜けた返事を返してしまう。

 突然そんな話が湧いて出たが、冷静に考えてみるとそれは途轍とてつもない話だったからだ。


 バルタサールの孫、それも長男の長子ともなれば、それは将来のムルシア侯爵家の当主になる人物だ。

 そしてその人物の婚約者になるということは、つまりは将来のムルシア侯爵夫人になるということなのだ。



 いくら他家から「脳筋」と揶揄されているとしても、ムルシア侯爵家はここハサール王国では他を圧倒する力を持っている。

 その領地の規模も財力も、そして軍事力も王国内では他に並び立つ家がないほどなので、そこと関係を築きたいと思う貴族家などそれこそ掃いて捨てるほどある。

 

 つまりバルタサールは、将来のムルシア侯爵夫人としてリタを迎えたいと言っているのだ。

 それは考えれば考えるほど、即座にこの場で返事をできるような内容ではなかった。

 将来の侯爵夫人候補ともなれば事前に国王にも話は通さなければならないし、もちろん他の貴族家との調整、根回しも必要だ。

 そのようなことを抜きにして、本来この場で勝手に決めて良いことでは全くないのだ。



 次第にその話の大きさに気付いたセレスティノは、先ほどまでの落ち着き払った態度を忘れて顔を青くしていた。


「しかし、伯爵家から侯爵家に嫁ぐのはいささか身分的に釣り合いが取れないのでは……?」


「なぁに、そんなものは誰も気にはせん。と言うか、わしが気にしないようにさせてやる。どうせ何処かの権威主義者どもが煩いことを言うだろうが、そんな奴らはわしが黙らせるから安心しろ」


 そう言ってバルタサールは、分厚い胸板をドスンと叩く。

 きっと彼のそんなところが周りから「脳筋一族」と揶揄されるところなのだろう。

 などとセレスティノもイサベルも思ってしまった。



「はぁ……承知いたしました。それでバルタサール卿、そのお話はオスカル様には――」


「もちろん通してなどおらぬ。何故ならこれは、たった今わしが思いついた話だからだ。まぁ、息子のことは心配するな。必ずわしが説き伏せてみせるゆえ」


「さ、左様でございますか……」


 相変わらず豪快なことを言う人物だなと思いつつもセレスティノがその返事を言いあぐねていると、バルタサールは今度はラローチャ子爵に声をかけた。




「ときにラローチャ子爵よ、お主のところの長男は息災か?」


 突然のその問いかけに、マルセロは背中をびくりと震わせる。

 まさかいきなり自分が話しかけられるとは思っていなかったらしい。

 それでも彼は懸命にその問いに答えた。


「は、はい。おかげさまで元気にしております」


「そうか、それはよかった。――それで、確かお主のところにも男子の孫がいたはずだな? いま幾つだ?」


「あ、はい、クレトと申します。今年六歳になりました」


「ふむ。それで婚約者はもうおるのか?」


「いえ、未だ決まってはおりませぬが……」


 緊張の色に染められるマルセロの顔に、些か怪訝な表情が浮かぶ。

 何故にいまそんなことを訊くのかと、その顔には書いてあった。

 すると次の瞬間、その顔は驚きに染められた。


「そうか。――ではこうしよう。お主の孫にはわしが婚約者を見繕ってやろう。それも『魔力持ち』の家からな」


「えぇ!! な、なぜそのようなことを……よろしいのですか?」


「当たり前ではないか。本来であればリタは両親共々お主の家に行くはずだったのだ。それをわしの一声で変えさせたのだから、そのくらいのことはさせてもらおう。――それとも不服があるのか?」


「い、いいえ、滅相もございません!! そんな不服など、あるわけも――」


「ふむ。ならば、それでいいだろう」


 そう言ってバルタサールは満足そうな顔をして、鷹揚に頷いたのだった。



 突然現れたムルシア侯爵によって両家の合意の直前に場をかき回されてしまったが、冷静に考えるとその結果に誰も損をする者はいなかった。

 

 自己の主張がそう簡単に認められるとは思っていなかったレンテリア家は、予想外にあっさりとバルタサールの同意が得られた。

 これで今後も大手を振って、彼らはリタたちと一緒に暮らせるようになる。


 バルタサールとしては、強い魔力持ちの美少女を自慢の孫の婚約者にできる。


 そしてラローチャ家なのだが、もしかすると一番得をしたのは彼らかもしれなかった。

 何故ならそれは、この先厄介な問題になりそうだったものがバルタサールのおかげで解決できたからだ。



 どうしても自分の家に「魔力持ち」の血を入れたかったマルセロは、リタを引き取った後に彼女を次代の女当主にするつもりだった。

 そうすることで、リタの代から「魔力持ち」を輩出する家系の仲間入りを果たすつもりだったのだ。

 それはラローチャ家五代に渡る悲願でもあったからだ。


 しかし事はそう簡単ではなかった。


 マルセロには長男とその息子がおり、すでに彼らがラローチャ家を継いでいくことが決まっていたからだ。

 しかし、ここにリタが入り込むと面倒なことになる。


 もしもマルセロの希望通りリタを女当主にしてしまえば、長男一家の居場所がなくなってしまう。

 しかも長男として生まれ、世継ぎの男児までもうけていながらポッと出の幼女にラローチャ家の家督を奪われてしまうのだ。



 そんなことを彼らが許すわけもなかった。

 場合によっては家を二分するお家騒動に発展する可能性すらあったのだ。

 それがバルタサールの手によって孫に「魔力持ち」の家系から妻を娶らせて貰えるのであれば、これほど都合の良いことはない。


 マルセロにしてみれば家に「魔力持ち」の血を引き入れられればそれで良く、特にリタでなければいけない理由はなかったからだ。

 

 以上のことにより、ここに三者の合意が生まれたのだった。




「うむ。それではレンテリア家とラローチャ家の合意はわしが見届け人になろう。そしてわし――ムルシア家とレンテリア家の約束はラローチャ子爵。最後にムルシア家とラローチャ家の取り決めはレンテリア伯爵、お主が見届け人になるのだぞ、よいな?」


「はい。承知いたしました。しかとここに見届けました」


「は、はい。確かに見届けました」


「うむ、よろしい。それではもしもこの合意を一方的に破った場合、ハサール国王の名においてその家は咎めを受けることになる。よいか? 忘れるなよ」


 

 昼過ぎに始まったレンテリア、ラローチャ両家の話し合いだったが、とっくに日も暮れてもう少しで夕食の時間になる頃になって、やっとその合意を果すことができた。

 途中でムルシア公バルタサール卿の乱入があったとは言え、図らずも彼のおかげで誰も損をすることのない、まさにウィンウィンな結末を迎えることができたのだ。


 しかしただ一つ、果たしてリタが何と言うか、今はそれだけが心配だった。

 およそ自分の与り知らぬところで勝手に婚約者を決められてしまったのだ。


 未だ四歳のリタの気持ちを思うと、なんとも複雑な思いを抱くレンテリア家の面々だった。

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