第69話 脳筋ジジイの提案
「ところでレンテリア伯爵。噂で聞いたのだが、美しいと評判の孫娘を見に来たのだ。紹介してくれぬか?」
挨拶もそこそこに己の要件を一方的に伝えてくるバルタサールに対し、セレスティノは平然とした顔を返す。
その態度には、妻のイサベルに主導権を握られっぱなしの何処か頼りないレンテリア家当主の姿は全く見られなかった。
むしろその横で緊張のためにガチガチに身体を固めているマルセロの方が頼りなく見えるほどだ。
慣れた
その対照的な姿には、先ほどまでの余裕は全く感じられなかった。
もっとも、しがない子爵が侯爵に突然出会えばこうなってしまうのは無理もないのだろうが。
「はい。それは構いませんが――それにしてもバルタサール卿のお耳に入るほど、市井でリタは有名になっているのですか?」
「ほう、リタと申すか、お主の孫は。――それにしてもなんとも呑気な男よのぅ、少しは己の家の評判を聞いて廻った方がよいぞ」
「それはかたじけないお言葉、痛み入ります」
「相変わらず堅苦しいヤツだな…… まぁよい、それでその評判の孫娘とやらを紹介してほしいのだが……どうやら立て込んでいるようだな。まぁ、話は大方聞かせてもらったが」
そこまで話すと、まるで思い出したかのように奥で佇むラローチャ子爵に視線を向けた。
「おぉ、ラローチャ子爵に奥方、久しいのぉ。お主たちも元気そうで何よりだ」
「あ、ありがとうございます。侯爵様もお元気そうで――」
「おかげさまでな。ところで、お主らの話し合いについてはすでに聞き及んでおる」
そう言いながらバルタサールは、背後に控えるエッケルハルトに視線を投げる。
その様子から推察するに、どうやら知らぬ間に彼は侯爵を出迎えに行っていたらしい。
もっとも先触れもなく突然侯爵が玄関に姿を現せば、動転した使用人が筆頭執事を呼び来るのは当然のことではあるのだが。
それでバルタサールはエッケルハルトから
「それを理解したうえでの立会人だ。ラローチャ子爵に異論はあるか?」
「と、とんでもございません!! 異論などあるわけが――」
「ならばよろしい。無論、お主も異論はないな?」
バルタサールはジロリとセレスティノを見つめる。
異論があるかと聞いておきながら、あるとは絶対に答えさせない迫力が顔に滲んでいた。
「もちろん私にも異論などございません。いや、むしろこれは私共には渡りに船かと。実は昨日お願いがあってバルタサール卿のお屋敷に訪問したのです。
「あぁ、すまんな。このところ気候も穏やかだったので、領地に戻って狩り三昧だったのだ。それで久しぶりに戻って来てみれば、市井で面白い噂を聞きつけてな」
「あぁ……それで……」
「うむ、そうだ。なんでも伯爵の次男坊が戻って来たと言うではないか――あの問題児がな。まぁ、それはいい。それよりもお主の孫の話だったな」
「どのようなお話なのでしょう?」
セレスティノはその噂の内容は既に知っていたのだが、敢えてそこは素知らぬふりをする。
そうして侯爵に気持ちよく続きを促した。
「それでその次男坊が連れ帰った娘――お主の孫娘が大変に美しいとの評判を聞きつけてな。それで屋敷に帰る途中に直接寄ってみたのだ。先触れを送らなかったのは
「いえ、構いません。バルタサール卿に
「ふははは!! まぁ、お主ならそう言ってくれと思っておったがな」
そう言うとバルタサールは、その大柄な身体を揺すりながら豪快な笑い声を上げた。
ムルシア侯爵家は、ハサール王国の西側一帯を領地に持つ大貴族だ。
その歴史は古く、家の成り立ちを辿ると最終的にハサール王国の建国時にまで遡る。
ムルシア家は代々この地を治める地方豪族の一つだったのだが、約四百年前に同じ地方豪族だったハサール一族がこの地を平定する際に力を貸したのだ。
そしてその功績を認められたムルシア一族は、ハサール王国が建立された際に王国の貴族としてそのままその地を治め続けることを認められた。
王国の西隣には大きな川を挟んで「カルデイア大公国」がある。
そこは昔から軍事力で他国を侵略してきた歴史があり、ハサール王国も例に漏れず、幾度となく国境侵犯を受けてきた。
しかしこの地を治めるムルシア家の軍事力を以て、その度にそれを退けてきたのだ。
言うなれば侵略国家との国境線を有するムルシア領は、王国の軍事の最前線と言っても過言ではなく、事実ムルシア家の軍事力、兵力はハサール王国内でも随一だと言われている。
そしてその圧倒的兵力を抱える現ムルシア侯爵家の当主が、いまここにいるバルタサール・ムルシアだ。
その軍事力を背景に持つバルタサール卿は、数多の貴族、
しかしいくら彼らがそれを否定しようとも、現当主のバルタサールも、そして跡継ぎの息子もまさに「脳筋」と言われても反論できないような人物だったのだ。
現に齢六十三を数えるバルタサールであっても、まるでその揶揄を証明するかのように未だ筋骨隆々とした身体を誇っているし、基本的に全てを腕力で解決する癖も変わっていない。
それでもその裏表のない豪快な性格はハサール国王からの信頼も厚く、ムルシア侯爵家を筆頭とする貴族派閥に所属する他貴族家もその恩恵を受けていたのだ。
そしてその貴族派閥には、レンテリア家とラローチャ家も所属していた。
そんな「脳筋」と言われるバルタサールが、いまセレスティノとマルセロの前で豪快な笑い声を上げている。
こうして肩を揺すっていると、その大柄な身体はさらに大きく見えた。
その身体の横幅は、学者然としたセレスティノの身体の倍近くはあるのではないかと思うほどだった。
「ははは…… まぁ、それで揉め事の仲裁をわしに頼みたいということだったな。それでは、と言いたいところだが、その前にさっきの話だ。レンテリア伯爵、お主の孫娘に会わせてくれ」
「畏まりました。それでは少々お待ちください。ただいま呼びに行かせますので」
セレスティノがそう話していると、すでに筆頭執事のエッケルハルトはメイドに合図を送っていたのだった。
それから三分も経っただろうか。
入口のドアがノックされると、一人のメイドが中に入ってくる。
その姿を確認したセレスティノは、エッケルハルトに合図を送った。
「どうやら到着したようです。――お待たせいたしました。我が家の次男フェルディナンドの娘のリタです。――リタ、姿を見せてご挨拶しなさい」
ドアの陰に隠れる小さな姿にセレスティノが声をかけると、そこから一人の幼女が現れた。
緊張で顔を強張らせ、おずおずと中に入ってくるその姿はとても小さく、そして可愛らしかった。
母譲りのプラチナブロンドの髪にレンテリアの灰色の瞳を持つその幼女は、まるでからくり人形のようにぎこちなく歩いて来ると、バルタサールの前で立ち止まる。
そして口を開いた。
「ムルシア侯爵バルタサール・ムルシアしゃま。レンテリア伯爵家のリタでごじゃりましゅる。お
そう言いながら彼女は片足を斜め後ろの内側に引き、もう片方の足の膝を軽く曲げる。
そして両手でドレスの裾を持ち上げると、ピョコリと膝を曲げた。
緊張のためにその手も身体も小刻みに震えてはいたが、その姿は紛れもなく貴族の女性の挨拶「カーテシー」だった。
そんなぎこちない幼女の挨拶にバルタサールは鷹揚に頷く。
その目は優しく細められ、口には微笑みが浮かんでいた。
まるで威圧感の塊のようなその厳つい顔は、この時ばかりはまるで好々爺のように見えた。
「おぉおぉ…… これは立派な挨拶を痛み入るのぉ。偉いな、とても上手にできておったぞ」
まるで自分の孫と話をするように、バルタサールは言葉をかける。
それから少しの間リタとの会話を楽しみながら、彼は楽しそうにしていた。
「なるほどのぉ…… これは市井で噂になるのも頷けるな。この愛らしさは只者ではないのぅ。いやぁ、こりゃたまげたわい」
何やら嬉しそうに声を上げるバルタサールだったが、そのまま顎を手で撫で始める。
その様子は何かを考えているように見えた。
それから挨拶を終えたリタが部屋を出て行くまで、ずっとその姿を目で追っていた。
部屋のドアの向こうにリタの姿が消えて行くと、バルタサールはくるりとセレスティノの方へ振り向いた。
その顔からは微笑が消えて、いつもの厳めしい表情に戻っている。
「ときに伯爵。あの子は『魔力持ち』だと執事から聞いたが、どの程度の力なのだ?」
「あぁ、すでにお聞き及びでしたか。――仰る通りあの子は『魔力持ち』のようです。しかし未だ鑑定を受けておりませんので、詳しいことはわからないのです.なにぶんここに来てからまだ三日ですので、どうかご容赦ください」
「まぁ、しょうがあるまい。しかしなぜ『魔力持ち』だとわかった? 何が切っ掛けだ?」
直前までリタの容姿にくぎ付けになっていたバルタサールだったが、すでにその興味は彼女の魔力に移っていた。
如何に「脳筋」と言われる彼であっても、やはり「魔力持ち」の大切さはよくわかっているようだ。
「それがよくわからないのですが、リタは既に魔法を使えるらしいのです。私の目で見たわけではありませんが、誰の教えも受けずに魔法を使いこなしたと聞いております」
「なにぃ!? それは
通常「魔力持ち」であることがわかると、国の専門機関によってその能力、適性も同時に診断される。
そしてその内容によってその後の進むべき道が分かれるのだが、その最高峰に位置するのが「魔術師」への道だ。
如何に珍しい存在の「魔力持ち」とは言え、人口120万人を擁するハサール王国であれば定期的にその存在は発見される。
しかし殆どの者の能力は「無いよりマシ」という程度でしかなかった。
それでもその中から、少数ではあるが魔力の含有量に優れる者が発見される時がある。
そして更にその中から選りすぐられた者だけが魔術師としての道を選べるのだ。
つまり魔術師とは「魔力持ち」のなかでも少数のエリートという位置づけだった。
「魔術師……そうですね。その道に進めるだけの才能があるとすれば、それは本当に素晴らしいことだと思います。私も祖父としてそうあってほしいとは思いますが、詳しくは鑑定を受けてからかと」
「ふむぅ……そうよのぉ。しかし、これはもしかすると滅多にいない逸材かも知れぬな……」
セレスティノの言葉に、バルタサールは再び何かを考えるような仕草をする。
その瞳は遠くを見ているようで、やはり彼が何かを熟考しているにしか見えなかった。
そんなバルタサールの様子に内心怪訝な顔をしていたセレスティノだったが、そんな思いを
「はい。詳しいことがわかり次第、バルタサール卿にはお知らせいたします。恐らく近日中には鑑定を受けに行くかと思いますので」
「あいわかった。その時はよろしく頼む。 ――それで話は変わるが、お主たちの取り決めの仲裁の件だったな。それに関して、わしから改めて提案がある」
「はい、なんでしょう?」
「は、はい……」
相変わらず柔らかな微笑を湛えるセレスティノと、緊張のために固まっているマルセロ。
そんな対照的な二人の前でバルタサールが口を開く。
「レンテリア伯爵。お主の次男とラローチャ子爵の娘の結婚を認めよう」
「えっ……」
「なっ……!!」
「その代わり、というわけでもないのだが、リタをわしの孫の婚約者として考えてくれんか?」
まるで想像の斜め上の言葉を吐いたバルタサールの顔は、その部屋の誰が見ても
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