第68話 最後の賭け
翌日の朝から、レンテリア家の屋敷には続々と手紙が届けられるようになった。
差出人はハサール王国内の他伯爵家や侯爵家などの多数の貴族家で、その内容の多くは孫娘のリタを紹介してほしいというものだった。
先日レンテリア家までの道中、リタは馬車の中からその姿を外に見せつけるようにしていた。
もちろんそれはエッケルハルトの立てた作戦の一部だったのだが、そのおかげで彼女はたちまち都中の噂になったのだ。
それが普通の貴族家であればそれほど大きな話題にもならなかったのだろう。
しかし、ことが代々「魔力持ち」を輩出する名門貴族のレンテリア伯爵家であったことから、その噂は瞬く間に都中に広がっていた。
それは一般の市井の者のみならず、首都アルガニルに屋敷を持つ多くの貴族、裕福な商人たちの耳にも入っていたのだ。
もちろん初めは「出奔していた次男が戻って来た」というものが大半だった。
しかしいつの間にかその話は「次男は娘を連れ帰った」「娘は相当に美しいらしい」「レンテリア伯爵の孫娘は美少女だ」「美少女は正義」という話にすり替わり、そのまま独り歩きするようになったのだ。
もちろんそれは単なる噂では終わらなかった。
馬車の中から一生懸命リタが姿を晒した甲斐もあり、実際にその姿を見た者も多数存在していたからだ。
だから「レンテリア家の孫娘は超絶美少女」と
そうなると、もちろん貴族たちは動き出す。
そもそも「レンテリア家」というだけでも魅力的なのに、そのうえ新しくやって来た未だ幼い孫娘が美少女だと聞けば、当然興味も湧いてくるのだろう。
やって来たばかりなのでもちろん婚約者などはいないだろうし、もしもそうであれば、それに唾をつけるのは早い者勝ちだ
特にリタと同じような年齢の子息や孫を持つ貴族家であれば、それらの婚約者として品定めをしようとするのは当然だった。
それも相手が超絶美少女だと聞いた日には、居ても立ってもいられなかったのだろう。
面会の申し入れの手紙を、彼らは競うようにレンテリア家に出していたのだった。
しかしレンテリア伯爵もその夫人も、それらの手紙には少々困惑していた。
何故ならそれは、リタ自身の帰属先が未だ決まっていなかったからだ。
昨日のラローチャ家との話し合いからもわかる通り、現在のリタの立場は微妙なものだ。
この先の話し合いによっては、肝心のリタはラローチャ子爵家の娘になることになってしまう。
しかも、そうなるのが濃厚だった。
かと言って身内のごたごたを
だからレンテリア伯爵夫妻は、続々と届けられる面会希望の手紙に返事も書けないまま放置せざるを得なかったのだ。
そんな事情が影響したのもあり、ラローチャ子爵夫妻が屋敷に到着してから二日後、再度話し合いの場が設けられることになったのだった。
――――
「レンテリア伯爵、
「承知しています。こちらとしても、できれば今日中に決着をつけてしまいたいと思っております。願わくば、双方にとって満足のいく結果になることを祈ります」
そんな始まり方で再度一昨日の続きが行われたのだが、案の定両家の意見は平行線を辿ったまま、何一つ決まることはなかった。
両家の顔に、明らかな疲労感と深い失望の色が浮かぶ。
いまや誰の目にも両家の溝を埋める方法は思い浮かばなかった。
そして何も決まらないまま時間だけが過ぎて行ったのだった。
両家の者たちがお互いの顔に浮かぶ徒労感を眺めていると、突然イサベルが立ち上がった。
何事かと思った周りの者たちが彼女に注意を向けると、強張った顔のまま彼女は口を開く。
「わかりました。もうこれ以上話し合いを続けても無意味でしょう。当家も含めて、どうやら両家には歩み寄ることができないようですから」
「……同じことをだいぶ前から私も思っていましたよ。それをいまさら言われましても――」
「そこで私から新たな提案を出させていただきます。もしもこれが気に入らないと言うのであれば、
「イ、イサベル、いいのか? 未だ約束を取り付けてはいないのだぞ?」
突然の妻の宣言に、慌てるセレスティノ。
これから妻が語る提案の内容をどうやら彼は察しているようだった。
しかし彼は敢えてそれを止めようとはしなかった。
これまで何時間にも渡って話し合ってきて、最後に新たな提案を出してくる。
明らかに後出しジャンケンのようなことを言いだしたイサベルに、ラローチャ家の二人が胡乱な視線を向ける。
その顔には「そんな案があるならば、もっと早くに言ってくれ」と、そう書いてあった。
そんな視線を受けながら、イサベルは口を開く。
その顔には明らかな緊張が見られ、これから彼女が伝える内容がどれほどのものなのかと皆が身構えた。
「わかりました。それではこういたします。――ハサール王国レンテリア伯爵セレスティノ・レンテリアとその妻イサベルは、当家の次男のフェルディナンドと、ラローチャ子爵家長女エメラルダ殿との婚姻を認めます」
「えっ!?」
「なにっ!?」
「うそっ!?」
「ええっ!?」
その場の全員の顔に驚愕の表情が浮かぶ。
特にフェルとエメは、イサベルが今し方語った言葉が理解できないかのように何度もその言葉を口の中で繰り返していた。
しかしそれに対して即時に反論する者がいた。
それはラローチャ子爵マルセロだった。
顔を白くして唇を震わせ、まるで信じられないと言わんばかりに言い返す。
「そ、その話はすでにムルシア侯爵を通しているのですか? こんな大事なことを事前の了解もなく決めてしまえば、それこそお咎めが待っていますぞ!!」
「いえ、通しておりません。残念ながら侯爵には連絡がつかなかったのです」
マルセロの問いに残念そうな顔をするイサベル。
いつもは自信に満ち溢れて真っすぐ前を向いている彼女なのに、この時ばかりは視線を床に落としていた。
実はあれからセレスティノは、派閥の長のムルシア侯爵宛てに面会の申し入れをしていた。
もちろんそれは膠着した両家間の話し合いの仲裁の依頼だったのだが、
そこでイサベルは大きな賭けに出た。
きっと侯爵は自分たちの想いに理解を示してくれるはずだと。
しかしこの決定は、駆け落ち騒ぎを引き起こした息子を何事もなくこのまま許すことになる。
こんな貴族の結婚制度に真っ向から挑むような事件を引き起こした張本人を許すなど、
いくら有力貴族のレンテリア家とは言え、こんな倫理感に
そして他家から猛烈なバッシングを受けるのは目に見えていた。
たとえ事後承諾でムルシア侯爵が理解を示してくれたとしても、事前の報告や擦り合わせもなく独断で事を進めれば、それだけで不興を買ってしまうだろう。
それらを考えると、どちらにしてもレンテリア家にはあまり明るい未来は見えなかった。
それでもイサベルはフェルを許すと言っているのだ。
そしてエメとの婚姻も認めるし、リタもレンテリア家に迎え入れると言っている。
その覚悟は並大抵ではないだろう。
それもムルシア侯爵の許しが貰える確信のない今では尚更だった。
それをマルセロもわかっているのだろう。
当然のように突っ込みを入れてくる。
「もしもムルシア侯爵が伯爵家の決定に理解を示さなかった場合はどうなさるおつもりです?」
その言葉にイサベルが答えようとしていると、横からセレスティノが身を乗り出してくる。
その様子はまるで妻を守るように見えた。
そして妻に代わって夫がその質問に答える。
「その場合は従前どおりフェルディナンド共々ラローチャ家にお願いいたします。なんとも虫の良い話だとは重々承知しておりますが、
「……承知いたしました。そこまで仰るのであれば、こちらもこれ以上申し上げることはありませんな」
などとマルセロは言ったが、その内心では安堵の溜息を吐いていた。
それは何故なら、ムルシア侯爵がレンテリア家の決定に理解を示すとは思えなかったからだ。
貴族社会の根幹を揺るがす駆け落ち騒ぎを引き起こした子息を、何のお咎めもなしに許すなど前代未聞だ。
そんなことをあの厳格なムルシア侯爵が許すはずがない。
もしも百歩譲って理解を示したとしても、事前の相談や根回しもないまま独断で決めてしまえば、それこそ侯爵だって大人しく言うことなど聞かないだろう。
それこそヘソを曲げて厳しい沙汰を申し付けてくるかもしれないのだ。
もしそうなれば、あの可愛い孫娘も、「魔力持ち」の血も、そして愛しい我が娘も全てがこの手に納まる。
これは苦し紛れのレンテリア家の足掻きでしかなく、ラローチャ家にとってはそれほど大きな賭けでもなかったのだ。
リタを手放したくない。
リタと一緒に暮らしたい。
リタにお爺様と呼ばれたい。
リタにお婆様と呼ばれたい。
いまやその一心でフェルたちを許すと言ったが、セレスティノにもイサベルにもムルシア侯爵を説得する自信など欠片もなかった。
いや、むしろ理解を得られない可能性の方が高いのだ。
それでも万に一つでも可能性がある限り、それにかけてみようと二人は思った。
たとえそれで家名が傷ついたり、後世に汚名を残すことになろうとも。
「それではこの話し合いはこれで決まりでよろしいですね。それではこの紙にお互いの合意を一筆――」
バンッ!!
「それには及ばぬ。双方の取り決めを、しかとこの目と耳に焼き付けた。わしはこの場の正式な立会人として申し出ようではないか」
レンテリア家とラローチャ家、双方の合意として互いに一筆サインをしようとしていると、突然背後の扉が開かれる。
その音に全員が視線を向けると、そこに一人の大柄な老人が姿を現した。
それは大柄な体躯と厳つい顔つきが目立つ、なかなかの威厳を湛える六十代中頃の老人だった。
その姿を一言で表すと、まさに威風堂々だ。
その背後からは幾人もの屋敷の使用人が慌てたように追いかけてきており、その様子を見る限り彼が勝手にレンテリア家の屋敷に乗り込んできたのがわかるものだった。
しかしそんな不測の事態にもかかわらず、彼らの周りには不穏な空気は微塵もなく、むしろ周りの者たちはその老人を敬うような仕草さえ見せている。
そんな老人に向かって、その場の全員が貴族の礼をした。
「これはこれはムルシア侯爵様、ご無沙汰しております。相変わらずお元気なご様子で、喜ばしい限りでございます」
その言葉からもわかる通り、この場に突然姿を現した老人こそ、誰あろう、ハサール王国ムルシア侯爵家当主、バルタサール・ムルシア、その人だったのだ。
そして、セレスティノとイサベルが力を借りようとしていた人物でもあった。
その彼が周りの人間に視線を走らせると、
「ふんっ、世辞はよい――ところでレンテリア伯爵、噂で聞いたのだが、美しいと評判の孫娘を見に来たのだ。紹介してくれぬか?」
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