第66話 貴族の責任の取り方
「ラローチャ子爵、お話が違うではありませんか!!」
レンテリア家の客間に、イサベルの声が響く。
その声にはいつものような落ち着いた調子は見受けられず、それどころか多分な憤りが含まれていた。
「それは私どもも重々承知しております。しかし実際に孫娘を見て気が変わったのです。 ――これはお願いなのですが、どうか以前の取り決めを変更していただけないでしょうか?」
まるで咎めるようなイサベルの声に、ラローチャ子爵家当主マルセロが平然と答える。
その強い意志が感じられる言葉は、
普通であれば子爵家が伯爵家に物申すなど、貴族の序列でいえばあり得ない。
しかしラローチャ家が派閥の長の侯爵家の分家であることや、今回の駆け落ち騒ぎの首謀者がレンテリア家であることから、あまり強く出られないのが原因だった。
通常このような貴族間の色恋沙汰については、男子の家が全責任を負うのが暗黙の了解になっている。
しかし前回の約束を取り決めた時には、派閥内で立ち場を
そのため、いまでもレンテリア家は下位貴族であるラローチャ家に気を遣わざるを得なかったのだ。
そんな事情があったため、この場でもイサベルはあまり強く出られなかった。
そしてマルセロもその事情を十分承知したうえで、この提案を口にしていた。
「それではお訊きいたしますが、具体的にどの部分を変更されたいのです?」
「はい。まずは孫――リタを当家で引き取らせていただきたいのです。その代わりエメラルダの結婚相手は探していただかなくて結構です」
「……つまり、エメラルダさんとリタの親子関係は解消させないと?」
「はい。リタは母親とともにラローチャ家の一員として生きていくのです。
「――それではフェルディナンドの立場はどうお考えで?」
「ご子息は男子ですから今後の結婚に支障はないでしょう。エメラルダ及びリタと完全に縁が切れてしまえば、
その言葉はまさに正論だ。
たとえフェルディナンドに婚外子がいたとしても、他家に差し出してしまえば彼自身は完全に独身になる。
そうであれば別の女性と普通に結婚できるのだ。
しかし、純潔でもなく、さらに子持ちのエメラルダが今後結婚を望んだとしても、それは相当難しいだろう。
もしも話があったとしても、訳あり事故物件や年寄り貴族の再婚相手など、相当条件の悪い話しかあり得なかった。
しかしその提案に猛然と抗議する者がいた。
もちろんそれはリタの父親――フェルだった。
「何を仰るのです!! それでは私はリタの父親ではなくなってしまうではありませんか!! 冗談じゃない!! そんなことが許せるわけありません!!」
「ほう……それではお訊きしますが、このままエメラルダとの結婚が認められない場合、フェルディナンド殿はどうなさるおつもりですか? あなた様は私どもの娘の純潔を奪った挙句、子供まで産ませたのです。その責任をどう取るおつもりで?」
「うっ……あ……そ、それは……」
「フェルディナンド……」
「フェル……」
まさに正論としか言いようのないマルセロの言葉に、咄嗟に答えを出せずに追い詰められるフェル。
その姿を心配そうに見つめながら、レンテリア家の二人は敢えて口を挟まない。
この答えは彼自身の口から言わせなければいけないのだ。
それが責任を取るということなのだから。
しかしそんな両親の想いにも一向に構うことなく、尚もマルセロはフェルに追い込みをかける。
「ご自身の責任の取り方を、まさかご両親に伺うわけではないでしょうね? 私はあなた様の口から直接その答えを聞きたいのです。 ――それにここまで時間がありながら、何の答えも用意していないなどとは言わせませんよ? さあ、如何?」
客間に静寂が訪れる。
次はフェルが口を開く番なのだ。
そしてその決意を口にしなければならない。
この場の全員が彼の顔を見つめていた。
そしてフェルも、十分にそれを理解している。
そんな彼の顔には、明確な決意が現れていたのだった。
――――
「リタ様、ケーキのお代わりはいかがですか?」
「うむぅ、しょんなに言うのなら、いただくのも
両家の祖父母たちが客間で話し合いをしている間、リタはテラスでケーキを頬張っていた。
筆頭執事のエッケルハルトは話し合いに同席しているため、客室メイドの一人――ジョゼットがリタの面倒を見ていたのだ。
今はちょうど昼下がりのティータイムだったので、彼女は裏庭の見えるテラスでケーキを頬張っているところだった。
それを楽しそうにジョゼットが世話を焼く。
ジョゼットはレンテリア家の首都屋敷で雇われている客室担当のメイドだ。
その顔は決して美人とは言えないが、短めに整えられた茶色の髪が美しく、笑うと目立つえくぼが可愛らしい18歳の女性だ。
彼女の仕事は客間の整備と客人の世話なのだが、毎日のように客が訪れるわけでもないので普段はハウスキーパーの補助に回ることが多い。
そして今は担当者が客間に出払っているので、彼女はここでリタの面倒を見ることを命じられていたのだ。
「リタ様、はいどうぞ」
「うむ、かたじけない」
お代わりのケーキをジョゼットが差し出すと、リタは満面の笑みで口に運ぶ。
その様子を眺めながら、ジョゼットは顔に微笑を浮かべた。
そんな彼女にリタが話しかけてくる。
「のう、ジョゼット。ここは長いのか?」
「えっ? あ、いいえ、ここに勤めるようになってから約2年ですね」
「ほうか。で、出身は何処なのじゃ?」
「はい、モサリナです。ここアルガニルの郊外の村ですね」
「ほぅ。それではこのへんには詳しいのかの?」
「そうですね。生まれも育ちもモサリナですから。でもそこより遠くへは行ったことがないのでわかりませんが」
「ふむふむ……」
などと、他愛のない会話を楽しむふりをしながら、リタはこの辺りの土地、通商、貴族の関係など、今後役に立つであろう情報を仕入れていた。
もっとも相手が年若い単なるメイドなので、それほど役に立つような情報は得られなかったのだが。
しかしそんなこととは露知らぬジョゼットは、目の前の少し変わった幼女との会話を楽しんでいた。
最初にこの子を見た時には、こんなにも可愛らしい女の子がいるのかと思った。
そして両親ともに貴族の子女なのだから、その生まれも高貴なのだとも思ったのだ。
しかしいざこうして近づいてみると、彼女は少し変わった話し方をする面白い女の子であることがわかる。
その態度は全く貴族らしくなく、むしろ気さくで話しやすかった。
もっとも未だ四歳の幼女に貴族らしさを求めるのもどうかと思うが、それにしても本当に屈託なくよく話す。
しかし噂では、生まれてからずっと田舎の村で暮らしていたらしいので、それも当たり前なのかもしれない。
確かに滑舌は良くないし話し方も妙に幼いのだが、ふと垣間見せる会話の内容が変に大人びている時がある。
そんな時には、まるで自分の祖母と会話をしている錯覚を覚えてしまう。
このままいけば、きっとこの子はこの屋敷で暮らすことになるのだろう。
そう、この子は他でもない、あのレンテリア伯爵夫人のお孫様なのだから。
伯爵夫人――イサベル様は決して悪い人ではないのだが、その厳格さ故に彼女を恐れる使用人が多いのも事実だ。
そしてそれが原因で、この屋敷には笑顔が足りないような気がする。
しかしこの子がここで暮らすようになれば、きっとこの屋敷にも笑顔が溢れるのだろう。
そのくらいこの子は皆に笑顔を運ぶ天使のような存在なのだから。
――――
客間に置かれたテーブルを挟んで、レンテリア家とラローチャ家、両家の視線が集まる。
その視線の向かう先にはフェルの姿があり、彼ははっきりとした決意をその顔に浮かべていた。
「計画を練ったのも、駆け落ちを持ちかけたのも、そして実行したのも全て私自身です。それを棚に上げて、このままエメラルダと添い遂げさせろとは申しません」
「ほう。ではどうすると?」
「はい。こんなことを私の口から言うのは憚られますし、ここから先はラローチャ子爵殿へのお願いになってしまうのですが……」
そこまで言うと、フェルは両親とエメの顔に順番に視線を移した。
その様子を見る限り、これから彼が口にする決意とやらが相当な内容なのだろうと誰もが思うものだった。
そしてその場の全員の視線を集めたまま、彼は一気に言い切った。
「子爵殿。ラローチャ家の婿として、私を貰ってはいただけないでしょうか?」
「な、なに!?」
「フェルディナンド!! あなた、なにを――」
「フェル!?」
レンテリア伯爵夫妻は驚愕の顔を、そしてラローチャ子爵夫妻は意外そうな顔でフェルを見つめた。
その横でエメは、顔面を蒼白にしている。
「フェルディナンド!! あなたは自分が何を言っているのかわかっているのですか!? そんなことが許されるわけ――」
「イサベル、とにかくフェルディナンドの覚悟とやらを聞いてみようじゃないか。 話はそれからでも遅くはないだろう?」
あまりに想像の斜め上の息子の発言に、まるで飛びかからんばかりに身を乗り出すイサベル。
そしてその肩を柔らかく抑えるセレスティノ。
その姿を尻目に、面白そうな顔でラローチャが話を続けた。
「ほう…… では聞かせていただきましょう。もしそうなった場合、あなたの責任はどうなるのです? 当家の婿になるということは、このエメラルダと正式な夫婦になるということ。それではあまりにも虫が良すぎるではありませんかな?」
「確かにそう思われるでしょう。しかし私は伯爵家の名を捨て、子爵家の婿になるのです。ご存じのようにこの国の貴族制度では、上位貴族から下位貴族への婿入りなど
「なるほど……確かにその通りですな。しかしフェルディナンド殿、あなたは一生後ろ指を指されることになるのですぞ。あなたはそれに耐えられるのですか?」
「はい。それこそが私への罰なのです。私は一生をかけてその後ろ指に耐えて見せましょう。確かに私の申し出は虫が良いのかもしれません。しかしその条件であれば、ムルシア侯爵からも許しをいただけるのではないでしょうか?」
「ふむ、確かに。己の想いを遂げるために爵位を捨てる。ここまでされれば侯爵とて許さざるを得ないか……」
「はい。わたしはそこまでの覚悟を見せます。それから――」
そこまで言うと、フェルはチラリと両親の顔を見る。
その顔には強い決意が漲っていた。
そしてゴクリと喉を鳴らすと、重い切ったように再び口を開いた。
「この結果、ラローチャ家には『魔力持ち』の血が入ることになるのです。リタの代からはラローチャ家も『魔力持ち』を輩出する家系になるのですよ」
思いもよらぬフェルの言葉に、ラローチャ子爵マルセロ・ラローチャが唸り声をあげる。
ラローチャ家は派閥長のムルシア侯爵家の分家ではあるが、代々その血に「魔力持ち」はいない。
分家をした五代前まで遡っても、ラローチャ家から「魔力持ち」が生まれた記録はないのだ。
その事実はムルシア侯爵家の分家であるラローチャ家をして、その立場を他家から軽視される要因ともなっていた。
だから彼らとしては、自分の家に「魔力持ち」の血を入れるのが代々の悲願だったのだ。
それをこの若者は、己の血を土産にして婿に入ると言っているのだ。
連れてくるリタを次期女当主とすることによって、ラローチャ家も「魔力持ち」の家系に仲間入りすることができる。
それはまさに、ラローチャ家五代に渡る悲願が達成される瞬間だった。
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