第65話 もう一人の祖父と祖母

「うっそぉ!? アニエス――リタがここにいたって?」


 ハサール王国の首都アルガニルの郊外には一軒の小さな家がある。

 周囲を色とりどりの花に囲まれた、少々メルヘンチックな雰囲気の家。

 そんな一見少女趣味にも見える家に向かって走り込んでいく、一人の男の姿があった。


 大柄で熊のような体躯と無精ひげの目立つ悪人面は、決してその家には似合っていない。

 もっとも家などは似合う、似合わないで住むものではないので、それは余計なお世話だろう。


 玄関から家の中に男が入って行く。

 するとその1分後、家の中からそんな素っ頓狂な叫び声が聞こえてきたのだった。



「嘘でしょ!? ――それってあれなんじゃないの!? あんた得意の見間違ってやつ!!」


「はぁ!? 見間違いが得意ってなんだよ!? 意味わかんねぇよ!! ――くそぉ……まぁいい。とにかくあれはリタだった。間違いねぇ」


 そう。それは燃えるような赤い髪を肩まで伸ばし、少々大きめの瞳を胡乱げに細める女――パウラと、その夫のクルスだった。


 パウラの年齢は既に25を過ぎているが、その一見気の強そうな大きな黒い瞳はもともとの童顔を余計に幼く見せて、遠目に見ると未だ10代かと思うほどだ。


 そしてその童顔から想像できる通り、彼女は決して女性的な体つきはしていなかった。

 夫のクルス曰く、彼女は「貧乳デカ尻ロリばばあ」とのことだが、もしもその言葉が耳にでも入ったなら、速攻でしばき倒されるのは目に見えている。

 だからそれは、飲み屋の席の冗談でしか言わなかった――いや、言えなかった。



 そんな「貧乳デカ尻ロリばばあ」のパウラなのだが、今や妊娠四か月目に入り、最近ではさらにお腹の膨らみが目立ちつつあった。

 童顔で貧乳で幼児体形の身長150センチしかないパウラの妊婦姿は、見ようによっては10代の少女のそれにも見えて、何処か背徳的な香りがした。


 それは彼女の実年齢を知らない者が見ると、まるでクルスが美少女好きの中年ロ〇コンおやじなのかと眉を顰めてしまうほどだったのだ。


 クルスの年齢は30歳だ。

 しかし、40歳近くに見えなくもない老け顔のクルスが10代の少女を孕ませたと思えば、その反応は当然なのかもしれない。

 とは言え、それは当のクルスにとっては全く面白くない話だったし、それだけパウラの外見が若々しく見える証拠でもあった。



 しかし最近、そんなパウラの身体に変化が起きつつあった。

 聞いて驚くなかれ、それはあれだけ貧乳と言われ続けてきた彼女の胸が少し大きくなったのだ。

 もちろんそれは通常の妊婦の身体の変化なので当たり前なのだろうが、いつもクルスに貧乳と言われ続けている彼女にとって、その変化は相当嬉しかったようだ。


 そしてある日、彼女はそれを夫に見せた。

 誇らしげな笑顔を満面に溢れさせながら。


「じゃーん!! 見て見て、これっ!! 少しだけおっぱいが大きくなったのよ!! もうこれで貧乳とは言わせないわっ!! ――さぁ、どうよ!?」 


 裸になったパウラが、まるで見せつけるように夫ににじり寄って行く。

 すると興味深げにある一点を凝視したクルスは、たった一言こう言った。


「乳首……毛が伸びてねぇか?」


「あ゛ぁ!?」



 その日の夜、クルスは野宿を余儀なくされた。

 腫れて痛む両頬をさすりながら、己の失言癖を思い切り後悔したのだった。





 そんな不幸な一件もあったりしたが、彼らの夫婦仲は概ね良好だった。

 もとより二人の仲はクルスの一目惚れから始まっていたし、そんな彼の気持ちにパウラも絆されていたからだ。

 結局彼らは出会って10年、男女の関係になってから8年で遂に結婚を果したのだった。


 その間クルスはどんどん熊のようになっていったが、反面パウラはあまり変わらなかった。

 二人が初めて出会った15歳の時に比べればさすがに年齢を感じてしまうが、それでも彼女の若々しさ、愛らしさは殆ど変わっていなかったのだ。

 その証拠に、いまでもクルスは彼女に見惚れる瞬間があるほどだった。



 そんな一見可愛らしいとも言える顔の眉間にしわを寄せながら、パウラは夫の言葉を何度も繰り返していた。

 

「ふぅーん……と言うことは、リタはレンテリア家に所縁ゆかりの者だったってこと?」


「あぁ。すでに町ではレンテリア伯爵の孫娘の噂で持ち切りだ。それも飛び切りの美少女だとな。 ――恐らくそれが真相なんだと思う」


「あぁ――お察し。わかったわよ、あんた。オルカホ村で出会ったリタの両親を憶えてる?」 


「おぅ、憶えてるぞ。あの、まるで貴族崩れのような――って、おい、もしかして、あれか!?」


「そう、たぶんあんたの予想通りだと思う。あの二人は駆け落ち事件で有名な、レンテリア家の次男フェルディナンドと、ラローチャ家の長女エメラルダに違いないわね」


「あぁ……お前よくそんな昔のこと憶えてるよな。しかも名前まで。さすがは密偵スカウトのスキル持ちと言ったところか。いつもながら感心するよ。 ――そういえば、あいつら自分たちのことを、確かフェルとエメって名乗っていたような……」


「あら!! まさにビンゴじゃない、それ!!」


「あぁ、どおりで……しかしまぁ、そんな身分の人間がよくもまぁあんな貧しい生活ができたもんだなぁ。まさに『金よりも愛』ってやつか?」


 無精ひげの目立つ顎をさすりながら、クルスが記憶を辿っている。

 そんな姿を面白そうに眺めながら、パウラは話を続けた。


「まぁね。金で買える愛もあるけれど、その逆もまた然りってね。あぁ、本当に貴族になんて生まれなくてよかった。あの人たちって自分で結婚相手を選べないんだからさ。まったく可哀想よね」


「あぁ、まったくだ。 ――それに比べて俺は幸せものだな。こんな美人の嫁をもらって、しかもここには宝物ができたしな」


 熊のように大きな身体を小さく折りたたみながら、クルスは柔らかく妻のお腹を包み込む。

 その様子を見て嬉しそうに微笑むと、パウラは夫の手の上に自身のそれを重ねた。



「それじゃあ、アニエスにあのことを教えてあげなくちゃいけないわね」


「あぁ、もちろん。もしかしたらすでに返り討ちにしているかもしれないが、教えておく分には損はねぇだろう」


「……でもさぁ、どうやって面会する? 仮にも彼女は貴族の令嬢なんでしょう? 平民の私たちがおいそれと会える相手じゃないわよ」


「まぁなぁ――どっかにいたかなぁ、貴族に会えるコネのある奴―― あぁ!! あいつならなんとかできるかもしれん。無理を承知で頼んでみるか。もっとも、無理だとは絶対に言わせねぇがな。この俺が!!」


 ニヤリと何処か悪そうな笑みを浮かべると、クルスは早速出掛ける準備を始める。

 そして晩飯までには戻ると言い残すと、そそくさと何処かへ出かけて行ったのだった。




 ――――




 翌日の午後、レンテリア伯爵邸にラローチャ子爵夫婦が到着した。

 彼らのもとへはモンタマルテでリタ一家を保護した際にエッケルハルトが早馬を走らせていた。

 そしてその知らせを受けた彼らは、昼夜を問わず馬車を走らせてやっといま到着したところだったのだ。


 そんな疲れているはずのラローチャ子爵夫妻だったが、屋敷の部屋に通された途端、レンテリア伯爵夫妻への挨拶もそこそこに大声で娘の名前を叫び始める。


「エメラルダ!! エメラルダはいるか!? 私たちだぞ!! さぁ、姿を見せておくれ!!」


「エメ、あぁ、エメ!! 私の可愛いエメ!! 母様かぁさまですよ、迎えに来ましたよ!!」


 上位貴族を前にして彼らの行動は些か不敬にあたるのだが、レンテリア夫妻はそれについては敢えて何も言わなかった。

 彼らとしては、この場だけでも無礼講にしてあげようと気を遣ったからだ。


 数年前から行方不明になっていた愛する娘が帰って来たのだ。

 それも、既に死んでいるかもしれないと半ば諦めていたのにもかかわらずにだ。

 その心情はレンテリア夫妻にしてよくわかるものだった。

 それは昨日自分達も経験したのだから。


 そして親子の再会を妨げないようにと、そっとその部屋から出て行ったのだった。




「お父様、お母様……」


 そんな両親の前に、レンテリア伯爵夫妻と入れ替わりにエメが姿を現す。

 すると彼女の両親は、周りの多数の使用人の前であることさえ忘れて必死に娘の身体を抱きしめた。


「あぁ、エメ、わたくしの可愛いエメ!! よかった、本当によかった!! わたくしはもうお前が死んでしまったものと――」


「エメラルダ!! よくぞ生きて帰って来てくれた!! どんな姿でもいい、生きていてくれさえすればそれでいいと思っていたのだ…… よくぞ生きて……あぁ……」


「うあぁぁー!! お父様、お母様、ごめんなさい、ごめんなさい……」


 両親の歓喜の声に絆されたエメは、思わず大きな声で泣き始める。

 そして両親と三人で喜びの涙を流す姿に、フェルと屋敷の使用人たちは思わず貰い泣きをしそうになっていたのだった。




 その後暫くの間親子の抱擁は続いた。

 そして次第に落ち着きを取り戻した彼らは、抱擁を解いて互いの顔を見合わせる。

 するとその時、両親はエメの背後に佇む一人の幼女に気が付いた。


「あの、お父様、お母様。紹介いたします。フェルと私の娘のリタです」


 両親の視線に気付いたエメは、背後に立ち尽くすリタに手招きをする。

 しかし彼女は身体を固めたまま、身動ぎひとつしなかった。

 その顔には怪訝そうな表情が浮かんでおり、彼女が目の前の祖父と祖母のことを訝しんでいるのがわかる。


 するとエメは、リタのその表情の意味を咄嗟に理解すると、苦笑を浮かべながら説明を始めた。


「えぇと、お爺様とお婆様と言っても、とと様のお爺様とお婆様とは違うのよ。うーん、何と言えばいいのかしら……そう、レンテリアではなくて、ラローチャのお爺様とお婆様なの。わかるかしら?」


 どうやらエメが、レンテリア夫妻とは別の二人を指して同様に祖父、祖母と呼んだのがリタの混乱を招いたと思ったのだろう。彼女なりに一生懸命噛み砕いて説明をしてくれた。

 するとリタが、キョロキョロと不思議そうに祖父、祖母に視線を走らせる。


 そのあまりに愛らしい姿に、使用人も含めてその場の全員の顔に笑顔が浮かんだのだった。




「まぁまぁまぁ、あなたがリタね。話には聞いていましたが、本当に可愛らしい!! 見れば見るほど、小さい時のエメにそっくりね!!」


「あぁ、本当だ。小さい時のエメラルダもこんな感じだったな。もうすっかり忘れていたが、そうだ、こんな感じだった。あぁ、本当に愛らしいな」


 エメの両親――ラローチャ子爵「マルセロ」とその婦人「ジェセニア」は、想定を上回るリタの愛らしさに早速目を奪われていた。

 母親の生き写しと言っても過言ではないリタの姿に、幼少期の娘の姿を重ねあわせ、何処か懐かしそうな表情を浮かべていたのだった。



 そんな中、未だ固まったまま身動ぎひとつしないリタに、エメが声をかける。


「ほら、リタ、大丈夫? ラローチャのお爺様とお婆様よ、ご挨拶して」


 それまでじっと二人の姿を見つめていたリタだったが、優しく促すエメの声を合図にしたように徐に口を開く。


「お、お爺しゃま、お婆しゃま。初めまして、わたちはリタでしゅ。おはちゅにお目にかかりましゅ」


 そう言ってぴょこりと小さな金色の頭を下げた。


 その姿を見た瞬間、ラローチャ子爵マルセルは妻に向けて言葉をかけた。



「こんなに可愛らしい孫を手放すなんて考えられん。やはり伯爵様との取り決めは再考できないだろうか?」

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