第64話 彼女の本音と建前

 ハサール王国レンテリア伯爵家当主、セレスティノ・レンテリアは「魔力持ち」だ。

 そのおかげで彼は王立薬科研究所の副所長を務めており、一年の大半を首都アルガニルにある別邸で過ごしている。


 もちろんその別邸とは、リタたちが辿り着いたこの屋敷のことだ。

 ここで彼は妻のイサベルと約三十人の使用人とともに暮らしており、五年前まではフェルも一緒だった。


 レンテリア家の領地は、首都から馬車で約三日ほど離れたところにある。

 そこはハサール王国でも有数の貿易港を抱える経済の要衝となっており、そこがもたらす莫大な富はレンテリア家の屋台骨を支える収入源となっていた。


 さらに北国のハサール王国の中では比較的温暖で穏やかな気候のために農業も盛んだ。

 領土の約七割を穀倉地帯が占めていることからもわかる通り、レンテリア領は王国の農作物の重要な供給地にもなっている。



 そんな領地を既に二百年以上にも渡り治めて来たレンテリア家は、同じ伯爵家の他家に比べて経済力はもちろん発言力も大きく、派閥長の侯爵家からも一目置かれる存在だ。

 しかし、現当主のセレスティノは極端な学者肌の性格のため、昔から領地経営にはあまり興味を示してこなかった。


 歴代のレンテリア家当主の例に漏れず、彼も幼い時に「魔力持ち」の才能を開花させた。

 しかし彼はその才能を伸ばすことよりも、薬学の研究の道を選んだのだ。

 もちろんその研究に魔力は不可欠なのでその才能は十分に役立ってはいるのだが、彼の場合は魔力の拡充よりも薬学の研究にその身を捧げた。

 それは言うなれば、「研究者」や「学者」の道を選んだということだ。


 もちろんそんな頼りない跡継ぎを憂いた両親は、彼の代わりにしっかりと家を守ってくれそうな嫁を探した。

 そして連れてきたのが、気の強さのために未だ婚約者さえ決まっていなかったライネス伯爵家の長女、イサベルだったのだ。



 夫になる人物を初めて見た彼女は、自分がこの家に嫁ぐ理由をすぐさま理解した。

 それほどにセレスティノは極端な「草食系男子」だったのだ。

 そして結婚後は、あまりの迫力に怖気づく夫を果敢に襲い続け、年をおかずに男児二人を出産した。

 それは義両親の期待に速やかに応える結果となった。


 それと並行して、彼女は領地経営にも積極的に動き回り、以前にも増してレンテリア家を繁栄させた。

 その働きは貴族の妻としてはまさに理想とされ、ハサール王国内でも彼女の名と功績を知らぬ者はいないほどだった。

 

 そして、自分が好きなこと――薬学の研究に没頭できるのは彼女のおかげだという思いの強いセレスティノは、自然と彼女に頭が上がらなくなった。

 跡継ぎの男子と分家の男子を二人も生んでくれたうえに、身を粉にして家を繁栄させてくれた。

 確かに気は強いし可愛げのないところがあるのも事実だが、自分の研究に没頭していても文句ひとつ言わず、むしろ献身的とも言える態度で支えてくれた。


 もともとそれほど口数の多くない彼ではあるが、それでもその言動からは妻に対する感謝と深い愛情が感じられた。



 そんな現レンテリア家に対し功績も大きいイサベルだったが、領地経営は数年前から長男のアンブロシオに任せるようになった。

 長男にはすでに世継ぎの男子が生まれたうえに、彼も昨年魔力を開花させている。

 それを見届けたイサベルは安心するように首都の別邸に戻ると、そこで半引退生活を始めるようになったのだ。

 家から飛び出していった次男の無事を祈りながら。





 湯浴みを終えて寝室に入ったイサベルは、重い身体を引きずるようにしてベッドに腰かける。

 そして大きな溜息を吐いた。

 その顔には決して人には見せない力ない表情が浮かんでおり、それを見る限り、歓迎の宴での強気な姿勢はおよそ別人のようだった。


 未だ感情が高ぶっているせいなのか、それとも眠れないためなのか、彼女はサイドテーブルに置かれたワイングラスを一気に呷る。

 するとその時、夫の寝室とつながる扉がノックされたのだった。


 もちろんそれはセレスティノだった。

 彼は足音を立てずに入って来ると、そっと妻の隣に腰かける。

 その顔には優し気な微笑を湛えており、暗い顔をする妻を気遣うように微笑みかけた。



「イサベル。今日はお疲れ様だったね。 ――私はお前に謝らなければいけないことがある」


「あなた……何を謝る必要が?」


「皆の前でお前の言葉に異を唱えてしまったからな。すまなかった」


「いえ、それは気にしておりません」


「そうか。それでも謝らせてほしい」


「……そう思うのであれば、あなたから仰って頂けますか? ラローチャ家との取り決めを」


「あぁ、そうだな。それは私から説明することにしよう。と言うよりも、これはむしろ私の口から言わねばならないだろう。 ――もっとも息子たちには非常に酷な話だと思うが……」





 レンテリア家とラローチャ家との取り決め。

 それはフェルディナンドとエメラルダが帰って来た時にどうするかを決めたもので、二人が姿を消した直後に両家で話し合って決めたものだった。


 それは以下の通りだ。


 二人の結婚は認めない。

 もしも子が産まれていた場合、その身柄はレンテリア家が引き取ったうえで「婚外子」として育てる。

 ラローチャ家は子についての権利を一切放棄する。

 すでに嫁の貰い手がないであろうエメの嫁ぎ先は、レンテリア家が責任を持って斡旋する。

 それ以降は互いに一切干渉しない。

 


 貴族の男子が夫婦外に子をもうけた場合、その子の身柄は男子側に帰属するのが普通だ。勿論その子供を認知した場合に限るが。

 そしてその子は貴族の家で保護されるが、不名誉な「婚外子」の名を押し付けられた挙句に将来は政略結婚の道具として利用される。


 もちろん「婚外子」が表立って貴族と結婚できるはずもなく、大抵は貴族との関係を持ちたい裕福な商家の婿に出されたり、嫁に行ったりする。

 こうして「婚外子」は、家の繁栄のための表向きではない方法で利用されるのが常だった。




「しかし、あのリタを婚外子とするのは、些か――」


 それまで優し気な微笑を湛えていたセレスティノの顔に、苦渋の表情が満ちる。

 彼とてもすでにもう一人の孫――長男アンブロシオの子――がいるのだが、それでも女の子は今回が初めてだった。


 自身に娘のいないセレスティノにとって、女の子の孫が生まれたと言うだけでも特別な想いを抱かせるのに十分だ。

 それに加えて、まるで天使かと見紛うような愛らしい女児だったのだ。

 彼は一目見た瞬間から彼女を愛してしまった。


 それは理性や理屈ではなかった。

 己と同じ血が流れるレンテリアの灰色の瞳を見た瞬間から、まるで自身の片割れでもあるかの如く彼女を愛してしまったのだ。

 そんなセレスティノのとって、彼女に婚外子の身分を押し付けるのはあまりにも不憫に思えた。


 しかしそんな夫を見た途端、イサベルの眉が跳ね上がる。

 その顔は直前までの力の抜けたものではなく、先ほどの食事会での姿を思い出させるものだった。


「何を仰るのです!! 先ほども申しましたとおり、フェルディナンドのしたことは貴族の結婚制度に対する冒涜なのですよ!! おわかりなのですか!? 好いた女子おなごと逃げ出し、既成事実を作り、戻ってくれば許される。そんなことが罷り通ったりしたらどうなるのです!? 必ずこの後に続く者が出て来ますよ!!」



 通常、貴族の結婚相手は親同士が決める。

 それは家同士の思惑だったり、力関係だったりと様々な要因が複雑に絡み合っているのが普通だ。

 そしてそこに、結婚する当人たちの意思や希望が入り込む余地は殆どない。

 だから彼らはその取り決めに従って、粛々と家を守って行くのだ。

 実際にセレスティノとイサベルの結婚もそうだったし、長男の結婚相手もそうして決めた。


 それを次男のフェルディナンドは真っ向から否定した。

 そして己の好きな相手を連れて突然逃げたのだ。

 挙句の果てに子供までこしらえて戻って来た。


 もしもこれを安易に許してしまえば、大変なことになるだろう。

 そもそも彼らが仕出かしたことは、貴族の結婚制度への挑戦なのだ。


 親の決めた相手を捨てて好きな相手と逃げていく。

 そして数年たって戻ってくれば簡単に許される。


 もしもこんな前例を作ってしまえば、政略結婚に不満を持つ者たちの中から必ず真似をする者が出てくるだろう。

 そうなれば貴族の結婚制度、秩序自体が崩壊してしまう。

 そしてその前例を作ったのがレンテリア家だとして、後世までその不名誉が残ることになるのだ。



「いや、確かにお前の言う通りだ……しかし……」

 

 またしても大きな声で主張を始めたイサベルに対し、珍しくセレスティノが食い下がった。

 するとそれまで眉を上げていた彼女は、次第に声を下げていく。


「あなたはいいですね、いつもご自身の好きなことばかりできるのですから。 ――それに比べてわたくしはどうなのです? あなたの代わりに領地を治め、屋敷を管理し、子供達を立派に育ててきたのです。それなのに、それなのに……」


「イ、イサベル……」


わたくしだってリタは可愛いのです!! あの子の泣き顔なんて見たくもありません!! 確かに男子を二人生んだことは妻の役目を果たしたことになるでしょう。 ――でも本当は女の子が欲しかった!! 可愛らしい衣装を着せて、手を繋いでお散歩をしたり、お買い物をしたり―― あぁ、わたくしは女の子が欲しかったのです!! 出来得ることなら、エメラルダさんだって娘と呼んであげたいのですよ、このわたくしだって!!」


「……」


 普段の彼女からは想像もできないほどに感情を高ぶらせた姿は、結婚して約三十年、セレスティノにして一度も見たことがなかった。

 気の強そうな吊り目がちな瞳の端には涙が浮かび、薄い唇は震え、特徴的なその赤い髪は蝋燭の灯りを反射して燃えるように輝いていた。


 そんな感情をむき出しにしたイサベルだったが、驚いた顔で自身を見つめる夫の顔に、ハッと正気に戻る。


「し、失礼いたしました。とにかく今回の件では、フェルディナンドがどう言おうとも折れるわけにはまいりません。わたくしにはレンテリア家の名を守る使命があるのです。こんなことでその名を汚すわけにはいかないのです」


 目を瞑り、大きく息を吐いて、やっとイサベルは落ち着きを取り戻したようだった。

 それでもその顔には、今まで一度も吐露したことのない心の内をぶちまけてしまったことへの後悔の念が滲んでいた。


 そんな妻の顔を初めはセレスティノも驚いて見ていたが、初めて聞いた彼女の本音に彼にも何か思うところがあったのだろう。

 再び優しげな微笑を浮かべながら、妻の手を柔らかく握った。



「……そうか、すまなかった。私は知らぬ間にお前に頼り過ぎていたのだな。この家の当主は私であるのに、その重みを全てお前に被せていた。本当にすまなかった。 ――とりあえず、明日の午後にはラローチャ子爵も到着するのだから、話はそれからでもいいのではないか?」


「はい、仰る通りです。なにも結論を急ぐ必要はないのですから、また明日考えることにいたしましょう」


「あぁ、そうだな。――それじゃあおやすみ、イサベル。もう休もう」


 そう言ってベッドから腰を浮かしかけた伯爵の手を、妻は離そうとしなかった。

 驚いたセレスティノが何気に妻の顔を見る。

 すると彼女は小さな声で呟いた。



「今夜は久しぶりにこちらでお休みになりませんか? ――ふふふ、なんて顔をなさっているのです? なにも取って食おうなんて思ってはいませんわ。ご安心ください……」

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